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エルフの目覚め

ヘロヘロに誘拐されたミリィのであったのは、伝説のエルフだった……

 光の球につつまれたミリィとヘロヘロは空中を怖ろしいほどの速度で運ばれていく。

 まわりには真っ白な光が満ち、なにも判らない。

 ただ全身に感じる加速感から、物凄い勢いで空中を飛んでいることだけは判った。

 ミリィは悲鳴をあげていた。

 ヘロヘロも悲鳴をあげている。

 いったいどれほどの時間がたったことだろう。

 悲鳴をあげ続けることも限界がある。

 ただミリィはぐったりとなっていた。

 片手にはまだヘロヘロの指先が食い込み、もはや痛みさえ感じないほど痺れていた。

 空中を運ばれていく感覚がやがて地面へと落ちていく感覚に変わった。

 落ちていく!

 落下していく感覚に、ミリィは目を見開いた。

 いつの間にかあの光の球は消え去っていた。

 ふたりの落下していくのは、見渡す限りの森だった。

 どうやら相当北の方向へ運ばれたらしく、目に入るのは天をつきさすように伸びる針葉樹の森である。ちらりと真っ白な雪を頂いた山脈の姿をミリィは認めていた。

 わあ、とミリィは叫んでいた。

 むう……、とミリィの手を掴んでいたヘロヘロがうなった。

「どこだここは?」

 ヘロヘロにも判らないらしい。

 急速に接近してくる地面に、ヘロヘロはむっと全身にちからをこめた。

 ふっ、と落下の感覚が消え、ミリィはじぶんが空中に漂っているのを認めた。

 ゆっくりと落ちていく。

 まるで羽毛が落ちていくように、ふたりはそっと地面に足をつけていた。

「どこだ、ここは!」

 もう一度、ヘロヘロは怒鳴った。

 目をきょろきょろさせ、油断なくあたりに気を配っている。極度に緊張しているようだ。

 ぼうぜんとミリィはあたりの木々を見上げた。

 巨大である。

 ただ巨大というだけではない。

 なにか神秘的な雰囲気があたりに満ちている。

 おおい……。

 ヘロヘロが怒鳴る。

 ぉぉぃ……と、こだまがかえってきた。

 ミリィは思わず耳を覆った。

「そんなに怒鳴らなくてもいいでしょう!」

 ヘロヘロはきっと睨んだ。

「なぜだ。人がいれば聞こえるかもしれないじゃないか?」

「そうじゃなくて……」

 ミリィは口ごもった。

 いったいこの感覚をなんと説明したらいいだろう。

 この森は神の森だ……。

 ミリィは確信していた。

 人間が足を踏み込んでいい場所ではない。なにかもっと神聖な……。

 ヘロヘロは胸を張った。

「ここには覚えがある……おれは昔、ここにいたことがある……!」

 えっ? と、ミリィはヘロヘロを見た。

 ヘロヘロは目をぎょろりとさせ、あたりを見回している。

 ミリィもあたりを見わたす。

 巨大な針葉樹が、目の届く限り立ち並んでいる。空は木々の葉にちらりと見えるだけだ。

 足もとはふかふかとした苔でおおわれ、どっしりとした木々の根もとに這い上がって中腹あたりで途切れていた。根もとにはところどころ小さな潅木や、茸が生えている。驚くほど木々の地面は閑散としていた。

 森には静寂が支配していた。

 黙っていると耳が痛くなるほど森閑としている。

 ミリィは身を震わせた。

 ここにいるべきではない!

 ヘロヘロがじろりとミリィを見た。

「どうした、一緒に来い!」

 ミリィはかぶりをふった。

「いやよ……」

「なぜだ?」

「とにかく厭! あんたなんかと一緒に行くもんですか!」

 ヘロヘロはちっと舌打ちした。

「仕様がない奴だな……仕方ない、黙っておれについてくるよう調整しておこう」

 そうつぶやくとじっとミリィを見つめた。

 ミリィは身を固くした。

 ヘロヘロの目が光っている。

 黄色く、怪しい光を放っている。

 ミリィの瞼が垂れていく。

 半眼になったミリィに、ヘロヘロはゆっくりと話しかけた。

「そうだ……お前の願いはおれの願い……おれの願いはお前の願い……おれの命令はお前のすべて……判るな?」

 がくがくとミリィは首をふっている。

 足もとは定まらず、目はうつろだ。

 ヘロヘロはにやりと笑った。

「これでいい。もう、煩いことも言わなくなるだろう」

 そう言うとぱちりと指を鳴らした。

 はっ、とミリィは顔をあげた。

 ぱちぱちと目を瞬かせる。

 ヘロヘロはうなずいた。

「さあ、出発だ。来い!」

 顎をしゃくるヘロヘロに、ミリィはにやりと笑い、ふんと顔をあげる。

 その様子に、ヘロヘロはぎょっとなる。

「ミリィ、お前?」

「馬鹿言ってんじゃないよ! このスットコドッコイ!」

 いきなりまくしたてられ、ヘロヘロは目を白黒させた。

「なんだってえ? あたしがうるさいこと言わず、あんたの命令を大人しく聞くってえ? へっ、なんて馬鹿なんだろ。あたしがあんたに大人しくついていくなんて、どうしたら考えることができるんだろうねえ!」

「ミリィ、お前……お前……」

「お前なんてあんたに言われたくないね! ちゃんとミリィさんと呼ばないか」

 びくり! と、ヘロヘロは背筋をのばした。

「返事はっ?」

 言われてヘロヘロはあわてて答えた。

「は、はいっ! ミリィさんっ!」

 答えたあとで後悔した。

 なぜだ? なぜおれはミリィの言いなりになっているんだ。

 よろしい、とミリィはうなずいた。

「それじゃ行こうかい?」

「ど、どこへ?」

「それはあんたに聞かないとね。さっきあんたが言っていたじゃないか。ここには来た覚えがあるって。さあ、案内しな!」

 ヘロヘロはあたりの気配をさぐった。

 そう、あちらの方向、森がもっとも深い方向からなにかの気配が漂ってくる。

 ふらふらとヘロヘロは歩き出した。

 その後ろからミリィが連れ立って歩いていく。

 歩きながらヘロヘロは自問自答していた。

 なにがおきた?

 確かにミリィにはかれが催眠術をかけたはずだ。

 もっとも簡単な魔法である。この魔法で、ミリィはヘロヘロの思うがままのはずであった。

 それがいまではがらりと性格が変わり、ヘロヘロに命令している。不思議なことに彼女に命令されたヘロヘロは逆らう気力をすっかり奪われていた。

 魔法。

 魔法……。

 魔法が……。

 そうだ!

 ヘロヘロは凝然となった。

 これには魔法が関わっている。そうに違いない。

 最初はロロ村を滅ぼそうとしたとき……ヘロヘロの狙いは狂い、たんに村に火の手をあげただけに終わった。つぎに村全体を吹き飛ばそうと試みたら、こんどはじぶんたちがどこかへ運ばれてしまった。

 そしてミリィへの意思の操作……。

 すべて失敗している。

 そうだ。

 自分の魔法の力はことごとく狂っているのだ。

 思いがけない結果しか生み出さない魔力に、ヘロヘロ自身が振り回されているのだ。

 千年の眠り。

 そう、長い年月あの封魔の剣に封じ込められていたことがヘロヘロの魔法を狂わせているのだろう。

 となると、魔力がふたたび正常にふるえるようになるまで世界を征服することはおろか、うっかり巨大な魔力を使うことすら出来ないことになる。

 なんとかしなくては。

 このままでは真の魔王など名乗れない。

 とぼとぼとヘロヘロは自分の感覚に導かれ歩いていった。魔力は意のままにならないが、感覚はまだ研ぎ澄まされているようだ。

 あ!

 それじゃなぜ、空を飛ぶことができた?

 空を飛ぶのも魔法の力だ。それなのに、飛ぶことはまるで普通に出来た。

 判らん……。

 背後でミリィが息を呑んだ。

 ふっ、と顔をあげたヘロヘロも息を呑んだ。

 そこにあったのは巨大な館であった。

 

 どれほどの巨大さなのだろう。

 その館はことごとく太い木の柱で組み上げられ、何層にも重なった屋根が見上げる限り連なっている。

 おそろしく古い。

 それだけは確かだ。

 だが奇妙な印象を館からミリィは受けていた。

 古いのだが新しい。

 まるでつい昨日出来たばかりなのに、そのまま千年間保存されている。そんな印象を受けるのだ。

 木で組みあがった壁、屋根、そして尖塔。いったいどれほどの規模なのだろう。おそらくこの館には一度に千名ほどの人間を収容することができるに違いない。

 屋根は急角度で鋭く立ち上がり、その前面には複雑な文様を刻んだ柱が組み込んでいる。

 窓はすくなく、ちいさい。どこからどう見ても寒い地方のための住宅である。

 口をあんぐりと開け、見上げているヘロヘロのそばでミリィはぶるっ、と身を震わせた。

「どうして、こんな大きな館がここにくるまで気づかなかったのかしら? まるで、いきなり現れたみたい……」

 そうつぶやくと、全体の大きさを確かめるためか二、三歩下がった。

 と、ミリィの姿がふっと掻き消えた。

「ミリィ!」

 ヘロヘロは叫んだ。

 ぱっ、とミリィの姿がまた現れた。

 驚愕の表情である。

「見た? あの館が消えたの!」

「消えたのは、ミリィ、お前だぞ」

 え? と、ミリィは首をかしげた。

 ヘロヘロはあることを思いついた。

「もう一度、下がってみろ」

 言われてミリィは後ろにさがる。

 その姿が消える。

 また現れた。

「やっぱり消えたわ!」

 ヘロヘロは彼女の側を通り過ぎ、ミリィが消えた辺りまで歩いた。

 ふりむく。

 館は消えていた。

 ただ、巨木が茂っているだけである。

 もう一度戻る。

「こんどはあんたが消えたわ!」

 ヘロヘロは頭をふった。

「それだけじゃない、消えたあたりに立つと、館が消えてしまう。どうやら、特別な魔法が働いているようだ」

 ミリィはヘロヘロに言われてまた確かめてみた。

「本当、離れると消える。ここまで戻るとまた見えるようになる……魔法だわ。でも、なんでこんな魔法がかかっているのかしら」

「おそらく、この館を人目にさらしたくないのかもしれないな」

「どこかに入り口はないのかしら」

「こっちだ」

 ヘロヘロは鋭い爪の指先をあげた。

 指さした方向を見たミリィはうなずいた。

 どうやらヘロヘロの言うとおり、入り口があるようである。

 どっしりとした木の扉が閉まっている前にミリィとヘロヘロは立っていた。

 丁度、手の届くあたりに取っ手があった。

 ミリィはヘロヘロに顎をしゃくった。

 開けてみて、といっている。

 ヘロヘロはやれやれと取っ手に手をかけた。

 そのまま押す。

 ぎいーっ、と音を立て、扉は観音開きに開いていった。

 鍵はかかっていない。

 そのことにミリィはちょっと驚いた。なんとなく、鍵がかかっているものと決め込んでいたからである。

 入ってすぐにミリィは立ちすくんだ。

 そこは広間になっていた。

 その広間のすみからすみまで、ひとひとりがようやく寝そべられるほどのベッドが無数に置かれ、そのベッドひとつひとつに人があおむけに寝かされていたからである。

 みなぴくりとも動かない。

 こわごわとミリィは人物に近づいた。

 指先を人物の肌に押し当て、びくっと引いた。

「これ人間じゃないわ……まるで木像のよう……」

 そう、ミリィの触れた人物の肌はまるで木像のように固く、ひやりとした感触をつたえてきたのだ。

 ミリィは顔を近づけてつぶやいた。

「でもまるで生きているみたい……もし木像となると、なんでこんなに精巧なものを? これ、生きていたころの写しかなにか?」

「いいや、これらは本物だ。ただし人間じゃない」

 ヘロヘロがうめいた。

「人間じゃない?」

「そうだ。よく見てみろ。人間がこんな耳をしているか?」

 ヘロヘロに言われ、ミリィはそっとその耳に視線をうつした。

 なるほど、人間とは違った、ぴん、と尖った耳が生えている。

「エルフだよ。人間よりもっと古い種族でな。信じられないほど長生きだ。おそらく、その最長老は一万年は生きているだろう」

 エルフ……。

 その名前はミリィにも聞き覚えがあった。

 が、おとぎ話の登場人物としてだ。

 ふとあることに気づき、ミリィはヘロヘロの耳をちらりと見た。

 ヘロヘロの耳もおなじように尖っている。

 そしてヘロヘロが言った言葉。

 ここには覚えがある……。

 ヘロヘロはこのエルフとなにか関係があるのか? まさか、魔王とよばれるヘロヘロと、気高い種族のエルフが?

「エルフのことは聞いているわ。でもなんでこんな木像みたいになっているの? 生きているのか死んでいるのか……」

「生きておる……」

 ふいに響いた声にミリィは顔をあげた。

 見ると広間の向こうから、ひとりのエルフが杖を手にやってくる。

 すらりとした上背のある、長身の男だった。

 ゆったりとしたローブのようなものを身にまとい、足もとは木の皮のようなものを編み上げたサンダルである。

 髪は真っ白で、背中まで達するほどながい。

 その顔はいかめしい中に春風を思わせる優しげなものがあり、ミリィはまるで恐怖を感じなかった。

「どこから来たのかな……人間の娘と」

 かれはそう言うとミリィを見てにっこりとほほ笑んだ。

「そして魔物!」

 ヘロヘロを見た目は厳しいものになった。ヘロヘロは背の高いエルフの長老の凝視にあい、身体をぴんと突っ張らせ口をぱくぱくさせた。どうやら身の自由を奪われたようだ。

「あ、あの……あたしミリィと言って、ロロ村から来ました。こっちはヘロヘロと言って……」

「ヘロヘロ……それはわれらの古語で”恐怖”を意味する。転じて魔王の意味も持つ。なるほど見たところ魔王の性はその体内に宿っているようだな。しかしまだ本性はあらわになってはおらん」

 じろりと睨まれ、ヘロヘロはうつむいた。どうやらそれくらいの自由はあたえられているようである。しかし一歩も動けないことには変わりない。

 ミリィをふたたび見たエルフの顔はふたたび優しげに戻っていた。

「人間の娘よ。わしはエルフの長をつとめるラングというものだ。わしらエルフは世界を覆う破滅から身を守るため、じぶんたちの時をとめ、長き眠りについていた。どうやらその災害は終わったようだな」

「世界の破滅?」

 目を丸くするミリィにラングと名乗ったエルフはうなずいた。

「すべての世界から魔力が消えうせたのだ。わしらは魔力を使ってその生命、生活をささえていた。魔力の消滅はわしらの破滅に直結することを予感し、ふたたび世界に魔力が蘇るまでみずからの時をとめた。ここにいるすべてのエルフはそのため、木像のように固くなっている。

 なんとか、この一帯だけには魔法をとどめることに成功した。それで館に不可視の魔法をかけ、人目をさけていたのだ。しかしわれらの生活を営ませるほどの魔法はとどめることはできなんだ。それほど世界にせまった破滅は徹底的だったのだ。

 われらはみずからの時を止め、破滅がすぎさったときまっさきにわしひとりが目覚めるよう、魔法をかけておいた。それでわしが一番先に目覚めたというわけだよ」

 エルフの説明にミリィは側のヘロヘロを見つめていた。

 魔法が世界から消えた。

 そしてよみがえった。

 ヘロヘロは封魔の剣に封じ込まれて眠っていた。

 そしてパックがその封印を解いて解放した。

 ホルストがその後、魔法のちからを揮うことができるようになった……。

 ミリィは叫んだ。

「ヘロヘロが魔法のみなもとなんだわ!」

 ラングは眉をひそめた。

「その邪悪な生き物が魔力のみなもと? 妙なことを言う」

「でも、そうなんです。魔法が蘇ったとき、このヘロヘロも蘇ったんです!」

 ミリィはロロ村でおきたことを詳しく説明した。彼女の説明を耳にし、ラングの顔は険しくなった。

「もしそれが本当のことなら由々しき事態だ。わしらは魔法に依存して生きておる。しかしその魔法が邪悪な者のちからによって維持されたとなると、われらの存在意義そのものが問われることとなる。さて、どうしたものか……」

 ラングは広間に眠る無数のエルフを見わたした。

 突っ立っているヘロヘロをじろりと見る。

 すっ、と指を一本たてる。

「まずは仲間を目覚めさせよう」

 一本たてた指先にちいさな光がともった。

 その光が見る見るおおきくなり、まばゆいほどのきらめきとなって広間全体にひろがった。

 まわりで身動きする気配にミリィはあたりを見回した。

 なんと、いままでベッドに仰向けになっていたエルフたちが、ひとりまたひとりと目覚め始めていた。

 おおきく伸びをするもの、深呼吸しているもの。頭をはげしくふり、目を瞬かせるものさまざまである。

 目覚めたエルフの顔を見て、ミリィはぼうっとなっていた。

 どのエルフも、美しい。

 男女の別なく、息を呑むような美しさをしている。

 ミリィはそのエルフたちに子供や、老人がひとりもいないのに気づいた。

 そのことをラングに言うと、かれはうなずいた。

「さよう。われらエルフに老人、子供はひとりもいない。なにしろわれらエルフは長生きで、青年期にはいってから数百年を生きるものは珍しくない。さらに老年期にはいっても、ほとんど老化の徴候を見せることもないから、老人の姿をとっているものもいないのだ。

 そんなわけで、われらはめったに子供を作ることはない。なぜなら、われらエルフを養うための森は、千人ちょっとの人数しか許してくれないからでもある。われらは人口を増えることを厳しく監視しているのだ」

「お館さま……」

 ラングの顔が、ひとりの目覚めたエルフを認めてほころんだ。

 呼びかけたのは、ほっそりとした少女のような可憐さを見せる女のエルフである。髪はうすいグリーンで、踵まで達するほど長い。白い肌はほのかにピンクに輝き、まるで白い水草が人のかたちをとっているかのようだ。

 ラングは手をのばした。

 女のエルフはそっとその手にじぶんの手の平を重ね合わせた。

 なんとなくミリィはふたりが夫婦なのではないか、と思った。

「紹介しよう。わしの妻、ヨンである」

「はじめまして、人間の娘さん」

 ヨンという女のエルフはミリィににっこりと笑いかけた。そのあでやかな笑みに、ミリィはなぜかどぎまぎした。

「ミリィです……」

 蚊の鳴くような声で自己紹介する。

 ヨンはぱっと花が咲くような笑い顔を見せた。

「まあ、可愛いかた! そんなに固くなることありませんのよ」

 そうしている間にも、広間にはつぎつぎと目覚めたエルフたちが寝床からおり、ラングのもとへ挨拶にやってくる。

 ラングはいちいち頷き、挨拶をかえす。

 まるで王様のようだ、とミリィは思った。「みなの者! ながき眠りから目覚めたエルフの選ばれ者たち! ようやく、魔法がこの世界に戻ってきたようだ……」

 ラングの言葉に、エルフたちは顔を輝かせた。が、ラングは重々しい口調で続けた。

「が、単純に喜べることではないのだ。その魔法のみなもとについて、あらたな疑問が生じたのだ。みな、そこの魔物を見よ!」

 エルフたちはラングの言葉に、ミリィの側で身動きもとれないでいるヘロヘロを見た。

 かれらの顔に驚きの表情が浮かんだ。

「魔物だ……」

「邪悪な気配を感じるぞ!」

「しかしまだ、その邪悪さは完全に表に出ていないようだ」

「そのとおりだ!」

 ラングは声を張り上げた。

「ここにいる人間の娘、ミリィによると世界に蘇った魔法のちからは、そこの魔物がもたらしたものらしい。われらが眠りに着く前、世界を支配していた魔王がいたことは諸君も知っていよう?」

 うなずくエルフたち。

「その魔王のなれのはてが、その魔物なのだ。世界から魔法が失われたとき、その魔王が封印されたと言う。そして封印が解けたとき、世界に魔法が蘇った。その関連はあきらかである!」

 エルフたちに動揺がはしる。

「お館さま。それではわれらの魔法のみなもとはそこの邪悪な魔物によってもたされている、というのですか?」

「魔王がわれらの救い主、ということですか? そんな馬鹿な……」

 ラングはゆっくりと首をふった。

「そうなのだ……まことに驚くべきことだが、疑いはない。これからどうしたらいいものかな?」

「その魔物はいますぐ殺してしまうべきです! いまなら殺せるはずだ! なにしろ、いまだ魔王として本性をあらわしていないようですからな」

 別のエルフが疑問を呈した。

「しかし魔法はどうなる。魔王を倒せば、ふたたびわれらは眠りにつかなくてはならなくなるぞ」

「とばかりとも限りますまい。その魔物を殺してから、ゆっくりと魔法のみなもとの秘密を解き明かしてもよい。その身体に魔法のみなもとが隠されていれば、それを取り出せばふたたび世界に魔法を蘇らせることが出来るかもしれん」

 それを聞いていたヘロヘロは震え上がった。

 ラングの瞳が光った。

「魔法を取り戻すことができるかどうか、それは判らんが魔王を未然に殺す、ということは賛成できる。魔王がこの世界に君臨していたころ、世界には絶望しか存在しなかった。あの苦痛をふたたびもたらしてはならん! われらは魔法なしでは生きられないが、ほかの生き物にはそうでもない。が、魔王の脅威は他の生き物、そしてわれらに明らかである!」

 そう言うと、ラングは手に持った杖を構えヘロヘロに向き直った。

 杖の先端が光り始めた。

 いけない! と、ミリィはヘロヘロの前に立ちはだかった。

 ラングは叫んだ。

「どけ! 人間の娘! お前まで殺してしまうぞ!」

「いいえ! どきません! ヘロヘロを殺してはいけないわ!」

「なぜだ? そやつは魔王のなれのはてなのじゃぞ」

「たとえそうでも、いまはそうではありません。また魔王になる可能性があっても、いま殺したらあなたがたは無力な相手を殺したという不名誉が残るのではないですか?」

 ラングはぽかんと口を開けた。

「不名誉?」

「そうです。あたし子供のころからエルフのことは聞かされてきました。エルフは名誉をもっとも重んじる種族だって聞いています。それは嘘なんですか?」

「嘘ではない。われらのもっとも重んじるのは名誉だ」

 ラングは首をふった。

 考え込む。

 そのラングに、そっと妻のヨンがよりそった。

「あなた……」

 ヨンに話しかけられ、ラングは顔をあげた。

「この人間の娘さんの言うことが正しいわ。いまこのヘロヘロを殺せば、わたしたちには無力な相手を殺した、という不名誉が永遠についてまわります」

「永遠に……か?」

 はい、とヨンはうなずく。

 そうか、とラングは顎をひいた。

 かれの顔が明るくなった。

「おぬしの言うことが正しいようだ。あやうく、われらは不名誉を得るところであった。しかし問題は残る、どうしたものかな?」

 わたしに考えがあります、とヨンが進み出た。

 ラングは優しく妻を見た。

「どのような考えかな?」

 ヨンはラングに耳打ちをした。

 ラングの目が大きく見開かれた。

 ヨンを見る。

 彼女はうなずいた。

 ラングはとん、と杖で床を叩いた。

「彼女の提案で問題が解決された! ミリィよ」

 ラングに話しかけられ、ミリィは顔をあげた。

「お前はそのヘロヘロを正しく導くことはできるか? 邪悪に染まらせることなく、魔王にさせることなく」

 ミリィは驚いた。

「わたしに?」

「そうだ。わしの見るところ、ヘロヘロはお前に対し──なんというか、精神的に依存しているように見える。お前が導けば、悪にそまることなく、正しく生きることを悟るようになるかもしれん。つまり人間になる、ということだよ」

「人間になるのですか? このヘロヘロが」

「そうだ。可能性は低いが、ありえないことではない。人間として生きたい、とそやつが心の底から思わないと駄目だがな。

 その方法を教えてやることはできん。わしにも判らんからだ。

 ただ、わしの予感によればどこか遠くの場所でお前はその使命をはたすことになると告げておる。

 お前はヘロヘロを連れ、世界中を旅して、その答えを見つけなくてはならない。その旅の中で、お前はヘロヘロを人間にする答えを見つけることになろう」

 ミリィは叫んだ。

「あたしやります! ヘロヘロを人間にして見せます!」

 ラングはうなずいた。

「そう言うと思った。ミリィよ、お前は優しい心を持つようだ。その優しさがヘロヘロを改心させるちからとなるかもしれん。だがお前ひとりではその使命も重荷でしかないだろう。わしらの代表をひとり、お前たちの使命達成の助力としてつけよう。どうだ、わしの提案を受けるかね?」

 ミリィはうなずいた。

「はい! ヘロヘロを改心させるためなら、なんでもやります!」

「よし決まったな! それではわれらの代表を選ばなければならんが……」

 うおう……!

 その場にいたエルフ全員が手を挙げた。

「お館さま! ぜひわたしを推薦してください!」

「いいえ、わたしです! その使命にわたしを命じてください!」

「わたしを!」

「わたしを!」

 全員、熱をおびて口々に立候補していた。

 ミリィはあっけにとられた。

「いったいどうして……」

 驚いているミリィにラングは答えた。

「この使命のほか、エルフとして名誉に感じる使命はあるまい? この使命を成功させたなら、魔王を改心させたと同時に世界を救うという名誉も得ることになる。だがこう自薦の者が多くてはだれを選んで良いか迷うな……。おおそうだ! ミリィとやら、おぬし食事はまだかな? 休息はしておらんのじゃろう?」

 言われてミリィは気づいた。

 考えてみれば食事はおろか、睡眠すらろくすっぽとっていない。

 空腹と睡眠不足で、ミリィは倒れそうになっていた自分に気づいた。

「やはりそうか……。まずはおぬしに食事と休養をあたえよう。ヨン。お前、この娘に食事と泊まる場所を頼む」

 はい、とヨンはうなずいた。

 手をあげ、ミリィの右手に重ねる。

「いらっしゃい、あなたいまにも倒れそうよ」

 ミリィはヘロヘロを見た。

 あいかわらず一言も発せず、棒をのんだように固まっている。

「あれのことなら心配しなくてもいいのよ。あとであわせてあげるから、まずはあなたが休息をとらないとね」

 ミリィは素直に従った。

 そのほうがいいと思えたのだ。

 これもエルフの魔法であろうか?

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