サック
やぶれかぶれのサック旦那のお話です。
数刻後、サックはロロ村に姿を現していた。
村は平穏な様子である。歩いていくサックは、だれにも見咎められることはなかった。
何食わぬ顔でサックは自宅兼商店になっている家へ帰りつくと、あたりを見回し中へと入っていった。
だだだっ、と音を立て二階へとあがる。
そこにはサックの妻と、息子のギャンがいた。妻は窓際にすわり、なにか編み物をしている。
ギャンはというと、長いすにだらしなく寝そべり、果物をかじりながら最近都会ではやりの週刊誌を読みふけっていた。内容は芸能界のゴシップである。
サックの足音に顔をあげたふたりは、ぎょっとした表情になった。
「あなた……」
「父さん?」
顔をあげた妻は眉をひそめた。
彼女の名前はトーラ。
卵形の顔、輝く金髪。四十を手前にした今でもはっとするほどの美人である。ギャンはこの母親に似たのだ。
サックは青ざめた顔でふたりを睨むと怒鳴った。
「ふたりとも! すぐこの家を出るんだ!」
意外な一言に、ふたりは立ち上がった。
「父さん、なにがあったというんだ?」
ギャンが尋ねる。サックはいままでのいきさつを説明した。
「だから今すぐ、このロロ村を出なくてはならん。すぐ身の回りのものと金をありったけ持って、どこか遠くへ身を潜めるんだ」
サックの言葉にギャンは顔をゆがめた。
「冗談じゃねえよ! おれは御免だ」
「ギャン……」
「父さんのしでかしたことで、なんでおれたちまで逃げ回らなければならないんだ? おれはついていかねえぜ」
わなわなと唇を震わせ、サックはトーラを見る。
トーラもまた首を横にした。
「わたしもお断りします。犯罪者の妻だなんて、おお、なんてことでしょう。あなた、たった今から離縁させて頂きます。わたしの実家はボーラン市にありますので、いまからギャンを連れて出て行くつもりですからそのつもりで!」
くうーっ、とサックは呻いた。
「なんてことだ……おれの苦労も知らないで勝手なことばかり……」
そんなサックに妻は追い討ちをかけた。
「この家にあるお金は、すべてあたしが頂きますのでそのおつもりで。離婚の慰謝料としては少ないけど、まあこんな事態だししかたありませんね。それに金庫の鍵はあたしが預かっていますから、あなたには金庫は開けられませんから、そのおつもりで」
悔しさのあまりサックは地団太を踏んだ。
「なんだと! あの金はおれが稼いだ金だぞ!」
サックの言葉にトーラはそっぽを向き、ふたたび編み物に目を落とした。忙しく編み棒を動かし、サックを無視している。
「父さん」
ギャンはにやりと笑った。
「こんなところで時間をつぶしていいのかい? いまに帝国軍がやってきたら、逃げることも出来なくなるんだぜ」
ギャンの言葉にサックははっ、となった。
拳をかため必死にふたりを睨んでいたが、ついに諦めたのか踵をかえすと一階の商店に戻っていった。
サックの足音が一階へと遠ざかると、トーラはほっとため息をつき、指先を額にあてた。そんな仕草も、彼女がするとまるで一幅の名画の一場面のようだ。
「あんな男と結婚するんじゃなかったわ。それにこんな田舎暮らしなんてもううんざり」
「母さん、ボーラン市に行くって、本当かい?」
ギャンの問いかけにトーラは顔を上げた。
「ええ、そのつもり。いい機会だわ。あなたはどうするの? やっぱりこの村の学校がいいのかしら?」
冗談じゃない、とギャンは首をふった。
「おれだってこんな田舎、御免だね! ねえ、おれもボーラン市に連れて行ってくれよ」
トーラはにっこりとほほ笑んだ。
「ええ、あなたとあたし、都会でちゃんとした暮らしを始めましょう……ああ、ひさしぶりだわ! 舞踏会に音楽会、それに詩の朗読……文化的な生活があそこではあたしたちを待っているわ!」
そう言うトーラの顔はうっとりと希望に満ちていた。
そんな母を見つめるギャンはほくそえんでいた。
実際、ヘロヘロのことがあってから村人の視線が冷たく、ときには突き刺さるようでロロ村に暮らすことに嫌気がさしていた。ミリィも行方不明の今、ロロ村にとどまる理由はなにもなかった。
それよりボーラン市だ!
帝国の首都、大都会!
そここそが、ギャンにとっては理想的な生活が待っているはずである。
ギャンはその日が待ち遠しかった。
「旦那さん……」
一階に姿を現したサックに、使用人が驚いたような顔で叫んだ。
サックは無言で帳場に近づくと、レジの金を洗いざらい攫ってポケットにねじ込んだ。
「あ、それは今日の売り上げ……」
「うるさいっ!」
怒鳴ると、サックは真っ赤な顔で家を飛び出していった。
外に飛び出したサックは、その足でダルトの家へ向かっていた。
ダルトの家は村のはずれにあり、粗末な掘っ立て小屋だった。農地ももたず、また村人の多くが羊や山羊を飼っているのに対し、ダルトは家畜も持たない。そのため、ダルトはサックの小作人として過ごしてきたのである。
ダルトは家の前で薪を割っていた。
上半身裸になり、たくましい腕で斧を握り振り下ろす。かつん、と乾いた音がして薪がふたつに割れた。
そこへサックがやってきた。
ダルトは汗をふき、斧を杖によりかかるとサックを待ち構える格好になった。
「やあ、旦那。どうしましたんで?」
「大変なことになった……」
サックの顔は青ざめていた。
なにかあったな、とダルトはぴんときた。
「じつは……」
サックの告白に、ダルトは仰天した。
「旦那、まさかそんな……本当にホルンを殺すつもりだったんで?」
いいや、とサックはかぶりをふった。
「そんなことするもんか! ただ脅しになればと思っただけだ! しかしこうなったらおれたちは村を出なくてはならん」
ダルトはきょとんとした顔になった。
「おれたち……って、おれも入っているんで?」
「当たり前だ! 村の連中の借金のとりたてに、お前もおれについて回ったのを忘れたのか? やつらはおれとお前を一緒に見ているんだぞ」
あ……、とダルトは口を開けた。
かれが納得したのを確信したのか、サックはにやりと笑った。
「なあ、もうおれとお前は一蓮托生なんだ。わかるな? この村にいては、いずれ帝国軍に逮捕される。そして裁判だ。お前はおれの従犯として罪は軽くなるだろうが、それでも罪名はつく。悪ければラーフ島の強制収用で徴用になる。軽くても数年はくらいこむだろう」
ラーフ島という呼称にダルトは震え上がった。凶悪犯が収容される島で、そこでは強制労働が犯罪者に課せられるのだ。
「旦那、ど、どうすればいいんですか?」
ダルトはサックになきついた。
サックは顎をあげた。
「だから逃げるんだ! すぐこの村を捨て、帝国軍のいない地方を目指すんだ。おれは商売ができる。お前は腕っ節がたつ。ふたりで旅すればなに、どうにでも稼げるだろう。やるか?」
ダルトはうなずいた。
実のところ、ダルトは腕っ節はたつが頭のほうはあまりよくない。冷静に考えれば、サックと連れ立って村を出ることがそんなに得になるとは限らないのだが、長い間考えることはすべて他人任せに生きてきたダルトにとって、サックの提案は納得できるものだった。
ダルトはすばやく自分の家に飛び込み、すぐさま手早く荷物をまとめ出てきた。
ふと思いつき、それまで巻き割りに使っていた斧を手にとった。
「旦那、じゃあ出かけますか?」
すっかり口調も明るくなっていた。サックに決断を任せきるつもりになっている。
サックもうなずき、歩き出す。
目指すは南の方向だ。
ともかく南は帝国から遠ざかるからである。
さてここで作者はしばらくロロ村と、パックたちの行動から目を離さなければならない。
ミリィはあのあと、どうなったのか?
次回はミリィが登場! お楽しみに! それから、これからの展開になにか希望や提案がありましたら、是非お願いします。