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ロロ村

山深い谷にあるロロ村。ここから物語りは始まります。天才科学者のニコラ博士とその助手をつとめるパック少年は、地下室で実験を開始しますが……。

「ボイラー圧力最大! 温度は300を越えました!」

「よし、蒸気弁を開け! 三番から六番までだ!」

「ニコラ博士! 五番のバルブから蒸気が漏れています!」

「なんとかしろ! 布でもまきつけておくんだ! 蒸気があがっているんだぞ!」

「はいっ!」

 ふるい民家の地下室である。とはいえ完全な地下にあるというわけではなく、その半分くらいは地面に出ている。いわゆる半地下とよばれるつくりだ。地面につきでている部分には細長い窓があけられ、そこからは午後のまぶしい陽射しがななめに室内にさしこんでいた。

 天井にはふとい木材の梁がささえ、壁は漆喰で塗られている。つくりは農家のそれだったが、この地下室いっぱいに占領しているのは無数の機械だった。まるで巨人がちいささの限界に挑戦して組み上げたかのような奇妙なスケール感の機械は、なにに使われるのかさっぱり用途がわからない。パネル一面にスイッチだの、メーターだのがひしめいているなか、おなじくらいの数の明滅する電球がちかちか、ちかちかとまたたいている。それらの瞬きを見つめていると催眠術にかかりそうな気持ちになる。

 地下室にはしろい蒸気が充満し、そのなかをふたりの人影が動いていた。ふたりのうちひとりは老人で、ひょろ長い痩身になめし皮のような茶色の皮膚、みごとに禿げ上がった丸い頭にはふわふわの白髪がこめかみのあたりからくるりと後頭部へかけ生えている。度の強い眼鏡をかけ、その奥からぎょろりとした大きな目玉が地下室の機械のメーターをするどく監視していた。

 老人は膝までとどくポケットがやたらとついた上着を身につけ、そのポケットにはぎゅうぎゅうに工具だの、なにかの図面だの、あるいはペンや色鉛筆などがささり、あらゆるものが詰め込まれている。その下は上下つづきのオーバーオールで、これまたたくさんのポケットがついたデザインである。そちらのポケットにもたくさんの道具がはちきれんばかりに詰め込まれていた。かれは足もとは頑丈そうな編み上げ靴を履き、どたどたと足音をたて歩いた。

 老人の名前はニコラ博士。ここロロ村に数年前飄然とあらわれ、古い一軒家を買い取りそこを研究所として使用し、毎日なにかの実験をやっている。

 老人の側には、小柄な少年がちょこまかと駈けまわるようにして助手をつとめていた。小柄ではあるが手足はがっしりとして、動作は機敏である。老人の指示にしたがい、地下室を占領しているさまざまな機械のレバーやバルブを操作している。少年はニコラ博士と違い、半ズボンに白い半そでシャツというシンプルないでたちである。ゴム底のやわらかな靴を履いて、こまねずみのように動き回った。

 少年はパックという名前だった。

 年令は十二才。

 三年前、ニコラ博士がパックの住むロロ村へやってきて、廃屋となっていたこの家を買い取り、研究をはじめたのだが、パックは最初から研究に興味を持ち、いつしか助手となって手伝いをはじめていた。

 老人は自分を科学者であると自己紹介した。パックは科学者など見たこともなく、ニコラ博士が自宅に運び込んださまざまな機械に好奇心をつのらせた。博士はそんな少年の好奇心にたいし、うるさがらず相手をしてくれた。やがてパックはおぼつかないながらも、手伝いをはじめるようになった。

 そのころはまだパックは十才にもならない子供だったが、十二才になったいまではニコラ博士のなくてはならない助手となっている。

 いま博士の研究は最終段階にあった。ニコラ博士は目をぎろぎろと輝かせ、全身汗びっしょりになって機械のメーターを睨んだり、ときおりポケットからメモをとりだし一心不乱になってなにか書き込んだりしている。

 地下室の中心にニコラ博士の研究の成果が横たわっていた。

 黄金色にかがやく真鍮の人形。

 それは人間そっくりの金属の体をもつ、人形だった。

 ほっそりとしたその姿は、どちらかというと女性的で、床から一メートルくらい持ち上がった木の台にあおむけになっている。

 薄い、真鍮の板を無数に重ね、驚くべき技でその人形は作られていた。それはもう人形とはいえないほどだ。ほっそりとした腰と、ふくらんだ胸をした金属の少女は眠っているかのように目を閉じ、いまにも目を覚ましおきだしてきそうである。

 人形の体には無数のパイプが接続されている。パイプは地下室を埋め尽くす様々な機械に接続され、機械もまたふとい金属のパイプでつながっていた。

 ごうごうごうというボイラーからの音が地下室を満たしている。

 ときおりパックがボイラーに石炭を投げ入れ、そのとき火蓋からまばゆいほどのオレンジ色のほのおが室内を照らす。地下室の温度はほとんど人間がたえられる限度を越えている。ふたりとも全身汗びっしょりになり、顔は熱で真赤になっていた。

 ごとごとごと……。

 地下室をまるで地震のような振動が満たしていた。

 ボイラーからの蒸気のちからで巨大な動輪がゆっくりと回っている。動輪からはベルトが伸び、地下室の機械に繋がってなんらかの動力を伝えているらしいが、なんのためか一目見ただけではわからない。

 しゅっ、しゅっと天井に張り巡らせた無数のパイプからしろい蒸気が噴き出している。

 パックは天井のパイプを見上げ不安そうな顔になった。

「博士……パイプがもちますか?」

 パックの言葉にニコラ博士は苦い顔になった。言われるまでもなくパイプの強度については不安があるのである。

「わからん、やってみないとどうなるか……しかしいまさら中止もできん」

 そう言うと、すぐ言葉をついだ。

「とにかく実験を進めよう!」

 きっと目を見開き、叫ぶ。

「パック、すべての弁を開け!」

 少年はうなずくと目の前の金属のレバーをつぎつぎと倒しはじめた。

 がちゃんと派手な音をたてレバーが引かれるとパイプに繋がっているいくつものメーターの針がぶるぶると震えながら蒸気圧が上がっていることを示している。博士は目を押し付けるようにして計器の表示を読んでいた。

 やがて得心がいったのかにやりと笑うとそのひょろ長い体で踊るように地下室を跳ね回り、いくつものスイッチを操作しはじめた。

 地下室の音がさらに高まった。

 地下室の天井まで届きそうな巨大な動輪が旋回し、すべての機械がぶるぶると細かく震えはじめる。

 ごうごう……どしゃん、どしゃん……がたがたがた……!

 騒音のため、おたがい何を言っているのかわからないほどだ。

 しかしこの段階になればもう言葉は不要である。手順はすでに何度も打ち合わせてある。ふたりはまるでひとつの意思のもと、無言で手足を動かしていた。

 地下室を満たすパワーは中心に横たわる金属製の人形に集中しているようだった。

 白い蒸気が人形の手足の関節から噴き出している。

 すでにふたりは動きをとめ、じっと人形を見つめていた。

 息詰まるほどの期待がその視線に満ちていた。

 かたかたかた……!

 人形の全身が細かく震えはじめた。

 おっ、とばかりにふたりは身を乗り出した。

 がたん!

 人形の上半身が跳ねるように持ち上がる。

 無意識に博士は指の爪を噛んでいた。

 がたん!

 もう一度、真鍮製の人形は上半身を跳ね上げた。

 ニコラが叫んだ。

「パック! 圧力をコンマ6まで上げろ!」

 ニコラの言葉にパックは目を見開いた。

「しかし博士、それではバルブが……」

 パックの抗議にニコラはうるさそうに手をふった。

「いいから上げるんだ!」

 はい、とパックは返事をするとレバーに飛びついた。

 ぎりぎりぎり……レバーを手前に引いた。

 ごおおおっ!

 地下室を満たす騒音のレベルが上がった。

 がたがたがた……!

 木の台に横たわった人形の動きがさらに早まっていく。

 博士は目をさらのようにして次の変化を待ち受けていた。

 おおっ、と口が開いた。

 ぶるぶると全身を震わせ、金属の人形がゆっくりと上半身を持ち上げたのである。

 そして……首をのろのろとまわし、ふたりに顔をむけた。

 ゆっくりと金属の瞼が持ち上がった。

 瞼の下からははっとするほど澄んだ瞳が覗いていた。

 パックは全身をこわばらせた。

 人形のふたつの瞳がかれを見つめている……。

「…………」

 人形の口が開いた。

 かすかな音が洩れているような……。

 ばんっ!

 どこかでなにかが外れるような音がした。

 その音にふたりは飛び上がった。

「しまった……」

 博士は唇を噛みしめた。

 ばしゅーっ!

 もうもうと白い蒸気が室内を満たす。とうとうバルブが圧力に負けたのだ。

「あ、あ、あ……!」

 博士が悲鳴をあげた。

 上半身をおこした人形の少女の頭からさかんに蒸気が噴き出している。

 がくがくがく……と人形は身を悶えさすように動かしている。くるり、とふたつの瞳が白目になった。がく、と彼女は頭をのけぞらせた。

「いかん! 実験は中止だ!」

 ニコラが叫んだ。

 その声にはじかれたようにパックは飛び出し、レバーをつぎつぎと戻し始めた。

 ばたん、ばたんと台の上の金属の少女は体を打ちつけるように暴れていた。

 ニコラは叫んだ。

「いかん、マリアが壊れちまう!」

 どうやら人形はマリアと名づけられているようだった。

 ニコラ博士は台の人形に飛びついた。

 そのままのしかかると、あばれる手足を押さえつけた。

 顔を真っ赤にさせ、なんとか押さえつけようとするが、いかんせん人形の力のほうが強いようだった。

 たちまち跳ね飛ばされ、博士は床に腰をうちつけた。

 うむ……! とばかりにニコラ博士は呻くと腰をおさえた。

 がしゃん、がしゃんと人形の動きはおおきくなる。ニコラはようやく立ち上がり、人形に繋がっているパイプの接続を外しはじめた。

 ぽん、ぽん、ぽんと豆がはぜるような音を立てパイプが外れていく。パイプからはせいだいに蒸気が噴出し、博士の姿をおおった。

 ごとごとごと……!

 地下室全体が激しく振動しはじめ、ニコラ博士はあおざめた。

「いかん! 動輪が……!」

 その叫びにパックは反応した。

 ニコラ博士の視線を追うと、巨大な動輪が目にもとまらぬ速さで回っている。蒸気圧が高すぎこのままでは外れそうだ!

 無我夢中で飛び出し、動輪に繋がっている蒸気をとめようとバルブに飛びつく。バルブに手を触れたとたん、顔をしかめた。

「熱っ!」

 あたりを見回し布を手にまきつけ、ふたたびバルブにとりつき、必死に廻しはじめる。

 しゅーっという音を立て、動輪の旋回がゆっくりになった。パックはほーっ、とため息をつきへたりこんだ。

 ばん、ばん、ばんと音を立て、天井のパイプが接続からはじけとんでいる。もはや室内はしろい蒸気でなにも見えない。

 パックは叫んだ。

「もう駄目だ! 博士、逃げましょう!」

 くそっ、とニコラはつぶやくとよろよろと立ち上がった。眼鏡が蒸気で真っ白に曇り、手を前にしてあたりを探っている。それを見てパックはニコラ博士の手をとり、一階へむかう梯子に案内してやった。

 ふたりはもつれあうようにして梯子をのぼった。最後にニコラ博士は眼鏡のレンズをふき、ちらりと地下室をふりかえった。

 唇をかみしめいまいましそうな顔になる。

「なんで失敗したんだろう……」

「博士、そんなこと言ってる場合じゃないだろ!」

 パックは無理やり博士をひっぱるようにして梯子をのぼった。

 ようやくふたりは地下室から脱出した。

 ぜいぜいはあはあと息をつく。

 どしん、どしん……。

 家全体が振動している。

「外へ出よう……」

 ニコラがつぶやいた。

 ふたりはよろよろとドアから外へ出た。

 出たところでふたりはまぶしさに目をしばたかせた。昼間のひかりが目を射る。

 かれらは同時に家をふりかえった。

 !

 家全体からまっしろな蒸気が噴き出している。びりびりと壁が振動し、屋根の瓦が踊っていた。

 ぼうぜんとふたりは見守っていた。

 ぼんっ!

 ついになにかが爆発したかのような音がして、家全体が煙につつまれた。

 がしゃ、がしゃんと窓ガラスが一枚残らずはじけとぶ。がらがらと屋根瓦がなだれをうって落ちていく。

 ひゅーっと口笛のような音がして、地下室からなにかが空へむけて飛び出していく。あとにはしろい蒸気がひとすじ残っていた。

 ようやく騒ぎがおさまったのは、一時間もたってからだった。ボイラーのほのおが消えるまで、蒸気釜は蒸気を噴き出しつづけていたのだ。

 あとには廃墟が残された。

 家の壁にはひびがはいり、窓ガラスは内側からふきとび、屋根瓦はほとんど落ちている。蒸気がひえたあとには大量の水となり、すべて水浸しになっていた。

「こりゃまた、いったいなんの騒ぎだ!」

 音をききつけかけつけたのはロロ村の村長、サックだった。小太りの四十男で、村で唯一の商店を経営している。派手な黄色い上着に真っ青なズボン。首からは商売に使う算盤を紐でさげていた。

 かれの経営する商店はいわばよろずやで、食料から衣料、薬、農具など村で必要と思われるあらゆるものを扱っている。村人の需要にこたえるサックはいつしか重要人物となっていて、とうぜんのごとく村長となりすでに十年以上になる。

 サックの背後にはひょろりとした手足の長い少年がにやにや笑いを浮かべ、パックを見ていた。

 その顔を見分けたパックはひとりごちた。

 ギャンのやつだ……。

 かれはサックのひとり息子で、パックよりふたつ上の十四才である。背が高く、髪の毛は見事な金髪。さらりとしたその髪の毛を無造作にかきあげているが、わずかに数本額の前に垂れるのを許し、それがまたかれのハンサムな顔を強調している。その顔はやさしげで、天使のように美しい。

 だがパックは、ギャンのその優しげな表情の裏に残虐な性格がひそんでいるのを知っている。ギャンの背後にはおなじくらいの年頃の村の少年たちが数人、ギャンを真似して意地悪そうな薄ら笑いを浮かべこちらを窺っている。

 あとで面倒なことになりそうだ……。

 パックはばくぜんとした不安を感じていた。

 とにかくなにかちょっとしたことでもギャンは難癖をつけてくる。それが正しいことか誤っているかは関係ない。要は言いがかりをつけられればいいのであり、それをたねにねちねちといやらしいほどの仕打ちを仕掛けてくるのがギャンの好みである。

 ギャンの背後にいる少年たちは取り巻きであり、言いなりになっている。とはいえ、ギャンにたいする尊敬とか、怖れなどかけらほどもあるわけではない。ギャンのふるまう金が目当てなのだ。

 サックのまわりには不安そうな村人たちがニコラの家を遠巻きにとりまいていた。

 それらの人垣のなか、パックは父親のホルンの顔を見分け唇をかんだ。父親のホルンは顔を真っ赤にさせ、怒りの形相をうかべパックを睨んでいる。どっしりとした身体つき、身長はまわりの人々に比べ頭ひとつはかるく突き出ている。もじゃもじゃの真っ黒な顎鬚をはやし、髪の毛は短く刈り込んでいる。仕事からそのままやってきたのか肌着はまっくろに煤によごれている。

 パックとホルンはふたりで暮らしていた。母親はパックを生んですぐ死んでしまった。その後、ホルンは男手ひとつでパックを育ててきている。父親のホルンは、村で唯一つの鍛冶屋をやっている。かれの鍛えた農具は頑丈で、使い勝手が良いと村でも評判で、村から遠く離れた隣村からも買い手がくるくらいである。

 そのホルンのとなりにふっくらとした小柄な女性が立っている。パックとホルンの暮らす家のすぐ隣にすむメイサという女性である。まるまると太った身体つきで、その太り気味の体を村の女らしい黒っぽいスカートとこまかな模様のレースがついたエプロンでつつんでいる。艶のある真っ黒な髪の毛は頭のてっぺんに団子にむすび、それをやわらかなウールで編んだ帽子が覆っていた。

 彼女はパックとおなじくらいの年頃の娘の手をにぎっていた。女の子は興味津々という表情でパックを見つめていた。

 女の子はどちらかというと太り気味のメイサにくらべ、ほっそりとして痩せていた。燃えるような真赤な髪の毛をして、卵型の顔をしている。村の女の子らしくなくスカートをはかず、ズボンにシャツという男の子のような格好をしている。しかしそれが妙に似合っていた。赤い髪の毛はぎゅっと後頭部でしばり、ポニーテールにしている。彼女はパックを見つめにっこりとほほ笑んできた。

 ミリィまできている……。

 彼女を見つけ、パックは苦りきった。

 彼女はパックとおなじ十二才、同じ年、同じ日に生まれ、兄妹どうぜんに育ってきた。じつをいうとパックはメイサに育てられてきたといっていいくらいだ。メイサの夫はホルンと親友だったが、パックが生まれるころおきた戦争にふたりとも召集をうけ、戦争がおわったころホルンひとりが生きて村へ帰ってきた。メイサの夫は戦死したと伝えられ、ホルンは足をひきずるようになった。

 その戦争についてパックは何度かホルンに尋ねたのだが、父親は重い口を開こうとはしなかった。メイサの夫であったかれの親友を助けられなかったことが重荷になっているらしかった。

「あんたたち、いったいなにをしたんだね?」

 村長のサックがずいと一歩前へ進み出て片手をあげ、指を一本立てて見せた。

 ニコラは顔をあげた。

「実験じゃよ」

「実験?」

 サックは腰に手をあて頭をぐいとふった。

「あの音はなんだね? なにか爆発したような音だったが」

「爆発などしとらん……ただちょっと機械の調子が悪かっただけじゃ」

 ほう、そうかね──とサックは皮肉な笑みをうかべた。

「こんどで三度目だな。こんな騒ぎになったのは」

 サックの言葉にニコラはひるんだ。

 そうなのだ。

 かれがロロ村に住みはじめ、家を買い取り研究所兼住居として実験をはじめてすでに二度、このような騒ぎをおこしていた。これで三度目。サックはつづけた。

「一度目はまあそんなこともあろうかと思って許した。二度目もわたしらは我慢した。だが三度目となると話しは別だ。もうわたしらも黙ってはいられないよ」

「どういうことだね?」

 じょじょにニコラの顔が赤くそまっていた。

 やばい……!

 パックははらはらしていた。

 ニコラ博士はきわめて短気なのだ。このままではニコラ博士の怒りに火がつくのはあきらかである。

 サックはわめいた。

「出て行ってもらおう! わしらはあんたらの実験とやらでひどい被害をこうむっているんだ!」

「どんな被害だね、教えてもらおう!」

 ニコラも怒号した。

 サックはかんかんになって足を踏み鳴らしさけんだ。

「あの音! 村中にひびくあの音でわしらの牛や山羊が怯えている。牛は乳をださなくなるし、山羊は草を食べなくなる! それにいまはあんたらの家だけだが、いつか村に火事をださんともかぎらないじゃないか」

 ロロ村の産業は牧畜である。

 牛、山羊、羊などを飼い、牛からはミルクをしぼりチーズなどをつくる。羊からは羊毛をとり、織物をおる。これらの生産品は春になるとちかくで開かれるバザーにもちこまれ、村の現金収入となるのだ。

 ニコラ博士はサックの背後の村人に話しかけた。

「どうなんだ、あんたらもおなじ意見か?」

 ニコラ博士に問いかけられ、村人たちはすばやく目配せをかわしあった。村の人間はめったにじぶんの意見を言うことはない。村長のサックは商店を経営しているせいか、きわだって雄弁だった。

 サックはすばやく背後の村人たちをふりかえった。

「どうだ、あんたらもわたしと同じ意見だろう? このニコラ博士に村から出て行ってもらいたいはずだな?」

 サックに言われ村人たちは困ったような顔をしておたがい見合わせた。

 かれらの胸のうちを代弁するとたしかにニコラ博士が実験とやらをすることについては不安があるが、それでもはっきりと村を出て行けとは言えないのだった。それは村の牧歌的な生活になじまない。

 村人の視線はしぜんにパックの父親のホルンに集中していた。

 サックはホルンの長身を見上げた。

「ホルンさん、あんたはどうだね?」

 村のなかでただひとり戦争にでかけ生きて帰ってきたことでホルンは一種英雄のあつかいをうけている。サックを除けばこんな場合意見を求められることが多い。

 ホルンは困ったように太い指で顎鬚をつまみ口を開いた。

「まあ、博士の研究とやらがどういうことをしているのか知らんが、いまのところこの家だけでとどまっていることもあるし、こらから気をつけるようにしてもらう……こんなこところでどうだろうか?」

 ホルンの言葉に村人たちはほっとしたように顔を見合わせた。やはり表立って敵意をむきだしにすることは村人たちにとってむずかしいのだ。

 サックはいまいましげに唾をはいた。

「そうかね! あんたらがそういう意見ならわたしはなにも言うことはないよ。しかしこの際、はっきりと言っておくがね、いまにこのニコラ博士は村に大変な災厄を呼び込むことになるよ! わたしの言葉をその時思い出しても遅いからね!」

 村長のサックはぷりぷりと怒りながら帰っていった。村人たちもようやく解放されたように三々五々、帰っていく。

 後に残ったのはパックの父親のホルンとミリィ、それにメイサの三人だった。

「まあまあ……ひどい有様ねえ。掃除が大変……」

 メイサはつぶやきながらニコラ博士にお構いなしに家のなかに入っていった。ミリィはパックのそばに近寄った。

「ねえ、いったいどんな実験をしてたの?」

 好奇心むきだしで彼女は目を輝かせた。

 パックとは兄妹どうぜんに育ってきて、こんな場合でもずけずけとものを言うのだ。

 パックはどう説明しようかと肩をすくめた。博士の研究を手伝っているのだが、理解していないことでは村人たちとおなじである。パックは実験室でさまざまな機械を操作することが面白くて手伝っているのだった。

「ね、地下室見せてくれない?」

 ミリィにささやかれパックはぎょっとなった。

「そんなこと……博士が許さないよ」

「なにを許さないというんだ?」

 ホルンの太い声にパックは身をすくませた。父親のホルンは太い腕をくみ、眉をよせてパックを見つめている。

「おれは博士の研究とやらを見てみたいな。今日のようなことがあると」

 ホルンの言葉にニコラとパックは顔を見合わせた。

 じっとホルンに見つめられ、しかたがないというように手をあげる。

「まあ、あんたがそんなに見たいと言うなら地下室へきなさい。ただし足もとは保証しないがね」

 博士の言葉にホルンはうなずいた。

 じろりとパックを睨む。

 肩をすくめパックはホルンのあとに続いて家の中へはいっていった。

「ひでえ……」

 パックはため息をついた。

 家の中は台風が吹き荒れた後のようだった。あちこちに水溜りができ、壁には一面にしみができている。家具はほとんど倒れ、天井からはぽたぽたと水がしずくとなって垂れてきている。

 地下室には梯子でおりる。

 ぎしぎしときしむ梯子を一同は降りていった。

「なんだこれは……」

 ホルンはうなった。

 地下室はさらにひどい有様となっていた。 天井にはしるパイプが床にななめに垂れ下がり、床は大量の水でプールのようになっている。あたりに焦げ臭い匂いがただよい、灰が一面にうすく積もっている。

 ばしゃばしゃと水を掻き分け老人はがっくりと肩を落としてあたりを見回した。

「思ったよりひどい……これでは研究を再開するまでかなり時間がかかるな」

「あんた、まだそんなこと言っているのか!」

 ホルンはあきれて大声をあげた。

「いったいどんな研究か知らないが、もうすこしで火事になるところだったんじゃないのかね? そんな危険をおかしてまでする研究とはどんなものなんだ?」

 ニコラ博士とパックは、研究室の真ん中に置かれた台を見やった。

 あの金属製の人形が横たわっている。

 ホルンはふたりの視線をおい、台に近づいた。

「こりゃなんだ、人形かね?」

「ロボットだよ……」

 ニコラ博士がぼそりとつぶやいた。

「ロボット……? なんだね、それは」

「人間そっくりに造られ、人間とおなじように考え、行動するものだ。この研究が完成すれば、そこにあるロボットは話し、考えそして歩くようになる……もうすこしでそのロボットは思考能力をもつようになるところだったのだが……」

 ニコラはくやしそうに近くの機械をどん、と叩いた。

 ホルンは首をふった。

「そんなものを造ってどうするというんだ? 人間そっくりに動く人形など、おれは都会でさんざん見ているよ。チェスをしたり、絵をかいたりするやつだ……」

 ホルンの言葉に博士はきっとなった。

「そんなのはロボットとはいえん!

 精巧な作り物だが自動的に動くただの玩具じゃないか!

 わしらの作ろうとしているのは、人間と同じように考え、行動するものなんだ!」

「それがそうだというのかね?」

 ホルンは人形にむけ顎をしゃくった。

 ニコラはうなずいた。

「そうさ。もしこの研究が完成すれば、われわれは人間以外の知的なパートナーを得ることができる。すばらしいことじゃないか?」

 ホルンはゆっくりと首をふった。

「おれにはわからんよ……。そんなものができてもたぶん、あたらしいごたごたのもとになるんじゃないのかな?」

 これには博士もぐっとなったようだった。

 ホルンの背後から顔を出したのはミリィだった。

「これ、女の子なの?」

 目をきらきらとさせ、台に横たわっている人形を見つめている。

 彼女の質問に博士はなぜか顔をあからめた。

「うん、まあ……どうせ造るならそのほうが造りがいがあるからな」

「これ、本当に動くようになるの?」

「そのつもりだが……」

 ミリィは興奮した。

「ねえねえ、動かして見せてよ! あたし、見たい!」

 博士はゆっくりと首をふった。

「これを見てくれ……この有様だ。実験は失敗だった」

 博士は絶望的な表情で地下室を見渡した。地下室の機械はほとんど水浸しになり、ボイラーの釜にはひびがはいっている。

 なあんだ、とミリィは肩をすくめた。

「つまんないの……」

 でも! とまた顔を輝かせる。

「つぎに実験するのいつ? その時あたしもこの……ロボットだっけ?……動くところ見たいな! ねえ、パック!」

 だしぬけに名前をよばれパックはミリィに顔をむけた。

「あんたこの女の子動くところ見たの?」

 パックはニコラ博士を見た。

 老人はうなずいた。

「ああ、動くことは動いたけどね」

「すごいじゃないの! あたし、サックさんがなんと言おうと、この研究続けるべきだと思うわ!」

 ミリィの言葉に博士はにんまりと笑みをうかべた。結構単純な性格である。

「そう思うかね?」

「そうよ! だってすばらしいじゃない! こんな綺麗なお人形が喋ったり、あたしたちとおなじように動くなんて!」

 ミリィの反応にパックとホルンはあっけにとられていた。

「なるほどな……」

 ホルンは顎鬚をぼりぼりとかいていた。

「あのう……」

 天井から声がふってきてみな上を見上げる。

 メイサが地下室につづく梯子の上から顔をのぞかせていた。

「どうでもいいけど、お掃除しないと今夜寝ることもできないんじゃないかしら。いまのうちからかたずけしませんこと?」

 ニコラ博士はうなずいた。

「まったくだ。そのことについては、すっかり忘れていたよ」

 博士は梯子をのぼっていった。

 メイサはミリィに声をかけた。

「ミリィ、そんなところにいつまでもいないで上がってらっしゃいな。そこは水びたしで冷えるでしょ?」

 はあい、と返事をしてミリィは梯子を上っていく。あとに残されたパックとホルンは顔を見合わせた。

 ホルンはパックを見おろし腰に手を当てた。

「さてと……お前にはすこしばかり言うことがあるな」

 うん、とパックはうつむいた。

 ホルンの言うことがある、というのはわかっている。

「いったいなにが面白くてあの博士の手伝いをしているんだ? おれの仕事は面白くないか?」

 ううん、とパックは首をふった。

 そんなことはない。

 父親のホルンはこのロロ村で鍛冶屋をやっている。鉄を鍛え、農具やさまざまな道具を造ったり修理したりしている。パックは子供のころから父親の仕事を手伝っていた。ホルンの仕事はそれはそれで面白かった。

 真赤な鉄の固まりがホルンのハンマーによって鍛えられ、やがていろんな形になっていくのを見守るのはわくわくする経験だ。

 パックは顔を上げた。

「父さん、父さんの仕事は面白いよ。でも、ここでの博士の手伝いもおなじくらい面白いんだ」

 そうか、ホルンはかすかに肩をおとした。

 ホルンは手をのばし、パックの肩に手をかけた。

「家に帰ろう。もう遅い」

 ふたりは地下室から出た。

 一階にもどるとミリィの母親のメイサが腕まくりをして博士を手伝ってあと片付けをしているところだった。老人はあまり役立っておらず、メイサのあとをうろうろとついてまわっているだけだった。彼女はてきぱきと働き、床にモップをかけたり割れているガラスを集めていたりしている。

 メイサはホルンとパックに顔をむけにっこりと笑いかけた。

「ホルンさん、ここですこしばかり後片付けのお手伝いをしていきますから帰りは遅くなります。食事はミリィが作りますから。よろしいですね?」

 メイサはパックとホルンのため朝食と夕食の用意をする習慣だった。ホルンはその礼に毎月いくばくかの謝礼を渡している。

 ホルンはあきらめたようにうなずいた。彼女のことはよく知っている。目の前にこのような惨状があれば、それが他人の家であれ手を出さずにいられないのが彼女なのだ。

 パックは驚いてミリィを見た。

「ミリィが料理するのか?」

 彼女が料理するところなど、パックは見たことがない。ミリィはつん、と顔をそらせた。

「あら、あたしだって料理くらいするのよ!」

 へえ、そうかとパックは頭をかいた。

 ホルンは首をふった。

「奥さん、ひとりでは片付きませんよ。おれも手伝いましょう」

 あらあら、とメイサは手をふった。

「大丈夫ですわよ! ここはあたしにまかせて家に帰ってらっしゃいな。ミリィ、後は頼んだわ!」

 はあい、とミリィは答える。

 悪戯っぽい目つきでパックを見ると手を伸ばし、ぐいと腕をつかんだ。

「さあ、家へ帰りましょ!」

 もう一方の手でホルンの腕をつかんだ。両手にホルンとパックの二人の腕をつかみ、ぐいぐいと引っ張る。

 パックは後ろをふりかえった。メイサがちょこまかと動きまわり、後片付けをしている。ホルンを見上げ口を開いた。

「父さん、やっぱりおれ、メイサ叔母さんの手伝いをするよ!」

 ホルンはうん、とうなずいた。

「いってこい!」

 パックは無理やりミリィの手をふりほどくと、博士の家へむけ走り出した。

 ミリィは叫んだ。

「じゃ、あたしも行く!」

「おっと、きみはおれと家へ帰るんだ。あのふたりが帰ってくる前に、食事の用意をしてやらないとね!」

 駆け出そうとするミリィをホルンは押しとどめた。ミリィはしかたなくうなずいた。

「わかった……おじさん」

 パックはふたりに手を振った。

「飯のしたく、たのむぜえ!」

 そう言うと家へあがりこむ。

 中ではメイサがぽっちゃりとした頬を真赤にそめ、ひたいに汗をうかせ働いていた。ニコラの姿はない。

「博士はどうしたの? 叔母さん」

「なんでも地下室が心配だって、下へ降りていったわよ」

 博士にとって研究がなにより優先するのである。パックは地下室への入り口にすわりこみ、階下をのぞきこんだ。地下室では、老人が床にたまった水をばしゃばしゃと掻き分け掻き分け、歩き回っている。地下室の機械の蓋をあけ、内部に鼻をつっこむようにしてなにやら点検し、ぶつぶつとなにかつぶやきながら開いたノートになにやら書き込んでいた。

 地下室のまんなかにはあの金属の人形……博士がマリアと名づけた……があいかわらずひっそりと横たわっていた。

 あんな騒ぎを引き起こしたとは思えないほど静かな寝姿である。

 あの時、たしかに彼女はパックを見た。そしてなにか言いかけた……。

 ぶるっと頭をふってパックはその考えをふりはらうとメイサに声をかける。

「おばさん、手伝うよ」

 あらまあ、とメイサは笑った。

「それじゃあ寝室だけでもなんとかしなくてはね」

 早足で二階へあがる。寝室は二階にあるのだ。パックはメイサについていった。

 寝室はそれほど被害はなかった。

 窓際にひとつ、ドアの近くにもうひとつ鉄製の簡素なベッドがならんでいる。それでも蒸気がこの部屋まで上がってきたせいか、ベッドの敷布はじっとりと湿っていた。メイサは敷布に手をかけ眉をしかめた。

「まったくこれでは寝られないわね……まだ陽が高いから乾くでしょ」

 手早く敷布と毛布をたたむと運んでいく。パックも手伝って何枚かの毛布をかかえ階下へおりた。

 と、パックはベッドのそばのテーブルの写真立てに気づいた。

 写真立てに飾られているのはふたりの老人の姿である。

 ひとりはニコラ博士、そしてもうひとりは……やはりニコラ博士だった。というより、まったく同じ顔、姿のふたりの老人が写真に写っている。

 じつはニコラ博士は双子の兄弟のひとりだったのだ。

 一緒に写っているのは、弟のテスラ博士なのである。ふたりの老人はおたがいの肩に腕をまわし、にこにこと笑みを浮かべ楽しそうである。この写真についてニコラ博士にパックは尋ねたことがある。するとニコラ博士は肩をすくめ説明した。

 弟のテスラはニコラ博士と考え方が違い、ニコラ博士がロロ村に引っ込んで研究を続けることに反対だったらしい。以来、ふたりは袂を分かち、兄のニコラ博士はここロロ村で、弟のテスラ博士は都会で研究を続けている。ニコラ博士はテスラ博士のことを口を極めて罵った。

「あやつは研究費ほしさに、軍と手を結びおったのよ! そんなことでは自由な研究など、出来るわけないのにな……。いまに後悔することになろうて……」

「テスラ博士と会うことはないんですか?」

 パックの質問にニコラ博士は哀しそうに首をふった。

「ああ、ないだろうな。いまに大変なことになるぞ、と忠告はしたのじゃが……。軍と手を組んだらどういうことになるか、わしには判っておる。かならずがんじがらめになり、気がつくと首を締め付けている紐に気づくときがくるはずじゃよ」

 ふうん、とパックは思った。きっとニコラ博士は弟のテスラ博士をロロ村へ呼びたいのじゃないか、と考えた。

 

 パックとメイサのふたりは家の前に物干しをだして敷布と毛布をひろげ乾かした。まだ太陽は高く、敷布と毛布からは湯気がたっている。

 季節は夏だ。まだまだ昼の時間は長い。

 メイサとパックはもくもくと博士の家をかたづけていった。

蒸汽帝国第一回です。おそらく、わたしの書いてきた小説のなかでももっとも長くなるはずです。かなりの長期連載になると思われますので、気を長ーくしてお楽しみ下さい。

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