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73話「宿題は彼の地に」

 港へ戻って来た頃には既に陽は沈み、帰港予定時間を大幅に過ぎてしまっていた。

 出迎えてくれたぐやちゃんが安堵の表情を浮かべている。


「やっと帰って来た。お帰りなさい、お姉さん方。」

「すみません、遅くなってしまいました。」


「いえ・・・・・・何かあったのですか?」


 疲労困憊な俺達の様子を見て、ぐやちゃんが首を傾げた。


「へへっ、戻りでアイツに会っちまってね。」


 船長ちゃんが指した方向では、屈強な海の漢たちが掛け声を上げて網を引いている。

 網の先には巨大な氷の塊。その中心には見事仕留めたヤツの姿。


「カジキマグロ・・・・・・?ホントにあの釣竿で釣れたんだ・・・・・・。」

「アタイもビックリだよ。お陰で船がへこんじまったけどな。あっはっは!」


 クルーザーの船尾辺りが大きく凹み、綺麗なフォルムは台無しになってしまっている。


「ご、ごめん・・・・・・なさい・・・・・・。咄嗟の、事・・・・・・だったから。」


 フィーに支えられて立つのがやっとのリーフが船長ちゃんに頭を下げる。


「いやいや、お姉さんが居なかったらもっと大変な事になってたと思うし、気にしないで下さいよ。」


 あの一瞬。

 真っ先に動いたのはリーフだった。

 飛来するヤツに氷の魔法をぶつけたのだ。

 咄嗟に調整出来ず全力で。所謂火事場の馬鹿力というやつだ。

 その代わりに魔力が暴走し、今はフラフラになってしまっている。


 結果、出来上がった巨大な氷の塊は重力に引かれ、俺達の居る甲板まで届く事は無かった。

 船にはぶつかってしまったが。


 その巨大な氷の引き揚げが終わり、男達から歓声が上がった。

 そちらの方向からムキムキの男が一人駆け寄ってくる。


「お嬢、引き揚げ終わりやした!」

「ご苦労さん、どんくらいで溶けそう?」


「削ってはみやすが・・・・・・。正直何日かかるか分かりやせん。」


 常に温暖な気候とはいえ、あの大きさの氷が溶けるには結構かかるだろう。

 まぁでも、俺達には頼もしい味方がいる。


「フラム、あれ溶かせる?」

「ぅ、うん・・・・・・たぶん。」


 解凍作業を申し出た俺達は氷山のような塊の前まで案内された。

 フラムが呪文を唱えると、滑るように炎が氷に広がっていく。

 炎に包まれた氷の塊はみるみる内にその姿を縮め、遂には半解凍状態のカジキマグロだけが残った。

 尻尾は少し焦げてしまったようだが。

 ぐやちゃんがカジキマグロに触れ、具合を確かめる。


「これなら料理も出来そうですね、早速手配しておきます。ふふ・・・・・・料理長ちゃん、ビックリするだろうなぁ。」


 ぐやちゃんが小さく笑って俺達に向き直る。


「さぁさ、お姉さん方。預かってた分の魚は料理出来てますから、すぐにご案内しますね!」


*****


 月が映り込んだ湯船にそっと足を浸けた。

 波紋が広がり、それに合わせて月の姿も揺れる。

 ゆっくりと身体を沈めていくと、温泉の熱がじんわりと身体に染み込んでいく。


「ふぃー・・・・・・、こんな時間だと貸し切りで良いねぇ。」


 時刻は深夜。皆が寝静まっている時間。

 微かに聞こえる波音も海が寝息を立てているようだ。


 魚料理を思う存分堪能したと思えば、気付けばすっかり夜は深まっていた。

 幸い列車の運行は終わっていなかったため宿に戻る事は出来たが、疲れ果てていた皆は倒れ込むように寝入ってしまっている。

 俺もそうしたい所だったが、やはり温泉は外せない。

 ぐっすり寝むっている皆を起こさないよう、静かに部屋を抜け出してきたという訳だ。


 ガランとした湯船を見渡すと泳ぎたくなる衝動をぐっと堪える。

 まぁ、他に人も居ないしやっちゃっても良さそうだが。

 足を伸ばして天井の無い空を見上げていると、カラカラと扉の開いた音が聞こえた。

 おや、こんな時間にお客さんのようだ。

 人の事を言えた義理ではないが。


「やっぱりここに来ていたのね、アリス。」


 声の方へ振り向くと、小さなタオルで肌を隠したリーフの姿があった。


「リーフ・・・・・・?どうかしたの?」

「い、いえ、その・・・・・・目を覚ましたら貴女の姿が見当たらなかったから。」


「皆寝てたから起こさないように出て来たんだよ。書置きでも残しておけばよかったね。」

「そこまではしなくても・・・・・・。私なら起こしてくれても良かったのだけれど。」


「一番ぐっすり眠ってたからね。」

「ぅぅ・・・・・・。」


 顔を赤くして俯いてしまうリーフ。


「それより・・・・・・お風呂入らないの?」

「え?」


「あれ?お風呂入りに来たんじゃないの?」

「いえ、貴女を探しに来ただけだから・・・・・・。」


「まぁ、折角そんな恰好してるんだし、入っていけば良いんじゃない?」

「じゃあ・・・・・・その・・・・・・隣、良いかしら?」


「うん、勿論。」


 リーフの立てた波紋で、また湯船に映った月が揺れる。

 肩が触れるか触れないかの距離でリーフが隣に座った。


「ふぅ・・・・・・温かいわね。」

「月も星も、良い眺めだしね。」


「いつもと変わらないと思うけれど。」


 二人して空を見上げる。

 そこには優しく光を放つ月と星の海が広がっていた。

 リーフの言う通り、いつもと変わらない空。

 それもそうだろう。リーフは星の光が届かない空を知らないのだ。


「リーフ、今日はありがとうね。」

「な、何よ・・・・・・急に。」


「魔法を使ってくれていなかったら、私とサーニャは大怪我していたかもしれないし。」

「別に・・・・・・咄嗟に身体が動いただけだもの。私が何かしなくても、貴女ならどうにか出来たのでしょう?」


「いや、今日は本当に危なかったんだよ。魚を引き上げようと、そちらに集中していたからね。」

「本当に・・・・・・そうなの?」


「嘘なんて言っても仕方ないでしょ。」


 それを聞いてサッと顔色を青くするリーフ。

 全長三メートル近い個体。

 あんなのに体当たりされていたらと思うとゾッとする。

 もしあの長い上顎に貫かれていれば、怪我だけでは済まなかっただろう。

 相手が魔物じゃないだけに正直油断してしまっていた。

 休暇中の旅行先で死亡なんて、笑い話にもならない。


「まぁ、皆無事で良かったよ。」

「”良かったよ”じゃないでしょ、もぉ・・・・・・。」


 リーフが深い溜め息を漏らした。

 これ以上藪を突かないように話題を変える。


「冬休みも、もう終わっちゃうね。」

「そうね、宿題は終わっているの?持って来ていないようだけれど。」


「量も少なかったし、旅行前に終わらせてるよ。」

「それなら良いけれど・・・・・・あの子達はどうなのかしら?」


「一緒にやったから、そっちも大丈夫。今年は。」

「そう、なら戻ってもゆっくり休めそうね、今年は。」


 最終日になって宿題に追われる、というのはお約束ではあるが、狙ってそうしようとも思わない。面倒だし。

 去年の事は・・・・・・あまり思い出したくない。


「あ、そうだ・・・・・・リーフ。」


 声をかけたのと同時に、不意にリーフが肩にもたれかかってくる。

 一瞬ドキリとして上擦った声でリーフに問いかけた。


「リ、リーフ・・・・・・?」


 返事は無く、返って来たのはすぅすぅという寝息だけだった。


「まぁ、今度でいいか・・・・・・お疲れ様、リーフ。」

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