29話「海の迷宮」
俺は最後のオークの死体が崩れ去ったのを確認し、未だカレーの匂いが残る刀を納めた。
現在は7階、4日目である。
いや、少し語弊がある言い方だったかもしれない。
現在、7階の探索が4日目である。
ちなみに6階の踏破には3日掛かった。
つまり、この迷宮に足を踏み入れてから一週間以上経っている事になる。
隣にいるヒノカも刀を納め、呟いた。
「漸く・・・・・・見つけたか。」
ヒノカの視線の先には次の迷宮への門。
6階、7階でこれなら11階以降はどうなってるんだ?
門を見つめながらリーフが口を開く。
「進むか、一度戻るか・・・・・・どうするのかしら、アリス?」
「うーん、戻るにしても距離がねぇ。どれくらいかかるかな、ラビ?」
ラビの持っている脳内マッピング能力はかなり高く、彼女が居なければもうとっくに脱出してしまっていただろう。
今ではすっかり、欠かせないメンバーの一人になっている。
「結構遠いし、戻るより進んじゃった方が良いかも。」
「なら、決まりだね。」
話を聞いていたニーナが飛び上がって喜ぶ。
「やったー!やっと次のところだよー!」
4日間彷徨っただけあって、その喜びも大きいだろう。
まぁ、多分、きっと、次の迷宮でもまた彷徨う事になるのだが。
今いる7階だって、まだ行っていない場所が残っている程なのだ。
次はもうちょっと楽に進ませてくれと願いながら、次の迷宮への門をくぐった。
*****
―――海の遊歩道。
そんな表現がしっくりくる。
まるで海の中にガラスで作った迷宮をそのまま沈めたかのようだ。
壁も、天井も、足元も、海面からの光で照らされた海中の景色が広がっている。
海の生き物もしっかりと再現されており、群れを成して泳ぐ小さな魚、それを追い散らす大きな魚、海底に咲く珊瑚、そこから顔を覗かせる稚魚。
実は水族館です、なんて言われても信じてしまうだろう。
その景色にリーフが感嘆の声を漏らす。
「わぁ・・・・・・素敵ね。」
同じ様な言葉が少女たちの口から次々と零れた。
流石の俺でも、この景色は見事だと魅入ってしまうほど。
ひとしきり景色を堪能した後、さて、と気持ちを切り替えた。
「それじゃあ、そろそろ行こうか。」
一本の道を選び、海の中を歩き出す。
特に何事も無く数部屋の探索を終えた辺りで、この迷宮がただの水族館では無い事をひしひしと感じ始めていた。
俺は少し心配になり、ラビに声を掛ける。
「ねぇ、ラビ。地図は大丈夫?」
彼女の脳内でマッピングされているであろう、この迷宮の地図の事だ。
ラビが少し曇った顔で応える。
「うん・・・・・・今の所は。でも、少し怖い・・・・・・かも。」
一見、綺麗な水族館だが、それが複雑な迷宮だというのが問題なのだ。
壁も床も全面透明ではあるが、部屋の大きさや通路の場所が分からないという程ではない。
だがそれでも、見渡せばその視線は彼方の水底へと吸い込まれていく。
油断すれば一気に方向感覚を失ってしまうだろう。
そして、複雑な迷路の中でそれを失くしてしまうという事は・・・・・・。
嫌な考えを吹き飛ばす為に小さく頭を振る。
「私もそう思う。もう少しゆっくり行った方が良いかな?」
「でも、それだと時間が・・・・・・。」
「迷ってしまえばもっと時間が掛かるし、危険だからね。ここではラビが頼りなんだし、ラビの思った通りに進むよ。」
「・・・・・・もうちょっと、ゆっくりの方が。」
「分かった。ラビは地図の方に集中してて、必ず守るから。」
「う、うん。頑張る・・・・・・!」
決意新たに次の通路へ踏み出そうとした時、俺の手をフラムがキュッと掴んだ。
「ごめんね、少し怖くなっちゃったかな?」
「ぁ・・・・・・ぅ・・・・・・うん。」
「大丈夫、フラムの事もちゃんと守るから。」
「う、うん・・・・・・!あ・・・・・・ぁりがとう。」
フラムの手を握り返し、そのまま次の部屋へと歩を進めるのだった。
*****
声を潜め、ヒノカが呟く。
「6匹居るな。」
「うん、私の方も同じ。」
通路を少し進んだ先には魚人の姿をした魔物が3匹と大きな貝の魔物が1匹、蟹っぽい魔物が2匹。
こちらには気付いていない。
基本的に【千の迷宮】内では通路にいれば、どれだけ近づいても部屋にいる魔物に感知される事はない。
こんな所もゲームと同じ・・・・・・いや、ここまでくれば嫌でも気付く。
【千の迷宮】は”ゲームに似せて”造られたのではなく、”ゲームとして”造られている。
つまり、ゲームの攻略法が通用するのだ。
例えば、今の状況であれば一度部屋の入口に立って魔物達を通路に誘き寄せれば、奴らは馬鹿正直に一列になって突っ込んでくる。
そして、先頭一匹と対峙している間、その後ろにいる魔物は何もしてこないのだ。
まぁ、ターン制ではないのでボーっとしてれば攻撃され続けてしまうが。
「少し多いが・・・・・・あの数ならば問題はないか。」
階層が上がるにつれ、魔物の出現頻度も高くなっている。
今の迷宮では背景に合わせてか、出てくる魔物も海産物をモチーフにしたものにガラリと変わっていた。
勿論、低階層にいた魔物達よりも強い。
「ちょっと待って。どうせならコレを使ってみない?」
そう言って鞄の中から、以前手に入れた雷光玉を取りだした。
部屋全体に雷攻撃する・・・・・・らしいアイテムである。
魔物も水属性っぽいのでよく効くかもしれない。
「ふむ、私は構わんが・・・・・・持って帰らなくても良いのか?金になりそうな物はそれくらいだろう?」
ラビによれば銅貨50枚くらいで取引されているらしいが、鍵の値段には到底及ばない。
焼け石に水程度に赤字を減らすくらいなら、一度威力を確かめておいた方が良いだろう。
「―――と、思うんだけど。皆はどう?」
「そうね、アリスがそれで良いなら構わないわ。」
リーフの言葉と同様に、皆が肯定の意見を述べた。
「それじゃ、使ってみるね。」
玉から伸びている紐を引き抜き、部屋の中へ投げ入れる。
コロコロコロと転がること数秒―――。
――――――バチバチバチバチバチッ!!!!
投げ入れた部屋の中に雷光が迸った。
玉から発生した雷は魔物を穿ち、一瞬で灰となり崩れ去る。
堅い殻を持っていようが、そんな物は関係ないとばかりに蹂躙し尽くし、その部屋には静寂が訪れた。
魔物の気配はすっかり消えている。
「凄いにゃ!今の何にゃ!?」
「・・・・・・思っていたよりも凄かったわね。」
雷光玉の威力に皆が舌を巻いていたが、それもすぐに落胆の色に変わった。
部屋の中に次の迷宮への門が無かった為である。
「ここもハズレだねー。ボク、ここ飽きてきちゃった。」
溜息を吐く皆の顔には、疲労が色濃く出ている。
まぁ、無理もない。この水族館で一週間ほど彷徨っているのだ。
更にまだ聖域の部屋も見つけていない為、ゆっくりと休む事も出来ない。
探索ペースも落としているので食料も心許なくなってきている。
女子供だけとは言え、8人の大所帯なのだ。消費もそれなりに多い。
まぁ、それでも携帯食には殆ど手を付けていない為、まだまだ余裕はあるが。
「今日はここで野営にしようか。」
「そうね、通路は二本しかないし、あちらの角で休みましょう。」
リーフが通路の伸びていない壁で作られた角を指す。
あの場所なら見張りも一人で良いだろう。
思い思いにそれぞれの荷物を置き、腰を下ろす。
眼下では小さな魚が楽しそうに泳いでいるのが見える。
見飽きてしまった光景だ。
フィーがこちらに視線を向けて口を開く。
「きょうのごはんは?」
その問いに、昨日、一昨日、一昨々日と同じ答えを返した。
「・・・・・・海鮮丼、かな。」
答えを聞いたニーナが情けない声を上げる。
「えぇ~~っ!またぁ~!?」
海の迷宮。落ちている食材も海産物なのだ。
*****
―――翌日。
俺達全員はとんでもない倦怠感に襲われていた。
食べた魚に当たった、とかそういう話ではない。
いや、当たりを引いた、という意味では正しいかもしれない。
そういう意味で俺達は当たったのだ。
ゲームではよくある話である。
満身創痍で撤退したが、実はその一歩先がセーブポイントだった。そんな類の話。
昨日通って来た通路とは別の通路を進むと、その先には聖域の部屋が存在したのだ。
聖域の魔法陣の上に腰を下ろしたリーフが溜息を吐く。
「はぁ・・・・・・、何だか一気に疲れた気がするわ。」
皆が沈黙と溜息で応えた。
あまり士気を下げるのも良くはないだろう。
皆に向けて一つ提案を上げる。
「2~3日ここでゆっくり休まない?食料ならまだ余ってるし。」
海産物が多めだが、前の階層で拾った肉も少し残っている。
一週間以上前の物だが、迷宮産アイテムなので腐ったりもしていない。
ここらで英気を養うのも悪くはないだろう。
ニーナが諸手を上げて賛成し、ヒノカもそれに頷く。
「さんせーい!」
「そうだな・・・・・・、結界内でも油断は出来ないが、しばらくゆっくりとしよう。」
そうと決まれば、と荷物を下ろして皆でゆったりと過ごす。
見飽きてしまった水族館も、気持ちが切り替わればまた楽しめるものだ。
滅多に見られる景色ではないからな。
しばらく休憩を取ってから腰に刀を挿して立ち上がる。
その様子を見たヒノカが声を掛けてくる。
「どうしたのだ?」
「次の部屋だけ確認しておこうと思って。」
聖域の部屋にある、もう一つの通路を指差す。
「私も付いて行こうか?」
「いや、何かあった時のためにヒノカは残ってて。」
「・・・・・・分かった。気を付けてな。」
リーフとフラムにも声を掛けてから部屋を出た。
通路は静寂に包まれている。
周囲に広がる鮮やかな蒼も、一人で見ると少し寂しい色に見え、押しつぶされてしまいそうだ。
道は曲がっていたりもしたが、分岐点もなく、次の部屋までは一本道だった。
部屋の中に魔物の気配は無し。
一歩足を踏み入れ、見渡す。
「・・・・・・・・・・・・あったし。」
次の迷宮へと誘う門。
それが部屋の隅に鎮座していた。
*****
聖域の部屋に戻ると、ずっと帰りを待っていたのかフラムが飛びついてくる。
「ただいま。」
「ぉ・・・・・・、おかえり、なさい。」
ヒノカ達も気付き、俺のところへ皆が集まってきた。
「戻ったか。何かあったか?」
ヒノカの問いに、新たな門を見つけたことを伝えると、皆の顔に華が咲く。
やっとこの迷宮から開放されるのだ。
リーフから安堵の声が漏れた。
「良かったわ・・・・・・。これで心置きなく休めるわね。」
「しかし、この先にあったのか・・・・・・。通りで見つからないわけだ。」
一番ホッとしているであろうラビに声を掛ける。
「ラビもお疲れ様。しばらくゆっくり休んでね。」
「うん・・・・・・、やっと肩の荷が下りたよ、あはは。」
「次の迷宮もお願いするよ。」
「うぅ・・・・・・そうだった。でも、頑張るよ!折角ここまで来たんだしね!」
次の門が見つかったことで皆の士気も上がり、一気に盛り返したようだ。
ここはもっと盛り上げていこう。
「肉もまだ残ってるし、今日はバーベキューにしちゃおうか。」
即座に反応したのはフィーだ。
「ばーべきゅー!?」
「やった!ボクもう魚とか飽きちゃってたんだよねー。」
・・・・・・割合的にはシーフードメインになると思います。
*****
バーベキューの片付けが終わり、お腹を押さえながら皆とまったりとした時間を過ごていると、ごろごろと寝転がりながらニーナが声を掛けてくる。
「ねー、アリス。ゆっくりするのは良いんだけど、何もする事ないよね。」
「うーん、そうだねぇ・・・・・・。」
確かに景色は素晴らしいが、この真四角な部屋にあるのは聖域の魔法陣だけだ。
ニーナのように活発な子に「何もしないをするんだ」、なんて言っても通じないだろう。
とは言っても、やれる事と言えば・・・・・・いつもの様に訓練くらいか。
広さは十分にあるので出来ない事もないだろう。
自分の土の刀をチラリと見て、ふとあることを思いついた。
「あ、そうだ――――」
全員に集合を掛け、土で作った武器や防具などを回収を行う。
集まったそれらを見てニーナが首を傾げた。
「こんなの集めてどうするつもりなの?」
「まぁ、見ててよ。」
全ての形を一度崩し、再構成する。
「何、その箱?」
ニーナが箱と表現したそれに、今度は魔法でお湯をなみなみと注いだ。
バスタブの完成である。
「ふふふ、お風呂だよ。」
魔法で身体は清潔に保てるとは言え、疲れを取るなら・・・・・・やはりお風呂だ。
折角休養を取ると決めたのだから、トコトンまでやってやろうじゃないか。
情緒溢れるドラム缶型にしてもよかったが、足を伸ばせた方が良いだろう。
「おぉー凄い!お風呂だー!」
「ふむ、確かに久しく入っていなかったな。・・・・・・丸腰というのが些か気になるが。」
「まぁ、魔物くらいなら私が対処するよ。それより、誰が一番に入る?」
「はいはーい!ボクが一番!」
*****
順にお風呂に入り終え、残るは俺とリーフ。
ヒノカ以外の皆は、お腹いっぱいでお風呂に入って眠くなったのか、外套に包まってスヤスヤと寝息を立てている。
ヒノカは茹った身体を冷ましながら、眼下に広がる景色を楽しんでいるようだ。
俺はまだ残っているリーフに声を掛ける。
「次はリーフだよ。」
「う・・・・・・あ、貴女はどうするの、アリス?」
「ん?私はお湯の温度調節とかあるから最後に入るよ。」
「そ、そう・・・・・・うぅ~~。」
一向にお風呂に入ろうとしないリーフにどうしたのかと問う。
「もしかして、体調悪かったりする?大丈夫?」
「ち、違うのよ・・・・・・その、こんな所で脱ぐの・・・・・・恥ずかしいじゃない。」
とは言っても、この迷宮内で使える土は俺達が持ちこんだ物と限られている。
使える土が豊富にあれば、それこそプレハブ小屋みたいな物でも作るのだが・・・・・・。
さてどうするか、と考える。
衝立の一枚でも作れれば良いのだが、生憎土は全てバスタブに使っているので無理だ。
迷宮内で拾った金属のアイテムも、俺の魔法を受け付けない。
形態変化出来ればコインを何枚か薄く引き延ばして衝立に出来たんだがな。
頭を捻っていると、リーフが意を決した表情でこちらに向き直る。
「そ、その・・・・・・あ、貴女が良ければ、その――――――」
*****
―――うむ、やはり風呂は良い。
少しだけ熱めにしたお湯が、じんわりと身体を温めていく。
ふぅ、と息を吐くと後頭部からリーフの声。
「ごめんなさいね・・・・・・私の所為で狭くしてしまって。」
「ううん、大丈夫だよ。それより、重くない?」
リーフが湯船に浸かり、その膝の上に俺が乗る形になっている。
まぁ、要は一緒に入っている。
二人一緒なら恥ずかしさも軽減される、という事らしい。
「えぇ、とても軽いわ。ちゃんと肩まで浸からないと風邪をひいてしまうわよ?」
「でも、それだと・・・・・・。」
完全にリーフに身体を預ける形になってしまう。
「もう、そんなに気を使わなくていいわよ。」
後ろから手を回され、そっと抱き寄せられる。
ピタリ、とリーフの身体と密着した。
リーフが下ろしている俺の髪を手櫛で優しく梳く。少しくすぐったい。
「やっぱり・・・・・・小さいわね、アリスは。」
「うーん、そうかな?」
「ふふ、そうよ。」
うるさい子達は皆眠ってしまっているので静かなものだ。
チャプチャプと水音が響く。
「・・・・・・ねぇ、アリスはどうしてそんなに頑張れるの?」
「うん?何が?」
「その、勉強とか・・・・・・色々よ。まだこんなに小さいのに、凄いわよね。」
「そんな事ないよ。私の場合はただ・・・・・・。」
「・・・・・・ただ?」
「ん~~、この世界で生きる事自体が趣味みたいなものだから、かな。」
そうだ、この世界に転生した時点で俺は人生のボーナスタイムに突入しているのだ。
強くてニューゲームに膨大な魔力というチートのおまけ付きで。
まぁ、DTは捨てられなくなってしまったが、それは些細な事だ・・・・・・と思うことにしよう。
どうせ元より希望など無かったのだから。
「はぁ・・・・・・、全く意味が分からないわ。」
*****
お風呂から上がり、温風を発生させて身体を乾かす。
心なしか、袖を通した服まで軽く感じられる。
着替え終わり、まだ湯船に浸かっているリーフに声を掛けた。
「リーフ、上がらないの?」
「わ、私の服を取ってくれないかしら。」
言われた通りに、綺麗に畳まれていたリーフの服を渡す。
「ちょ、リーフ!?」
あろうことか、リーフは濡れた身体のまま服を着てしまったのだ。
「うぅ・・・・・・は、早く乾かしてくれないかしら。」
「う、うん。でも、恥ずかしいのは分かるけど・・・・・・そっちの方が逆に・・・・・・。」
エロい。
肌に付着した水分を吸い取り、薄い布地がピッタリと張り付いて透けてしまっている。
安物だから仕方ないね。眼福。
「は、早くしてよ~~~っ!!」




