138話「婚約」
俺の手を握るロールの手は僅かに震え、潤む瞳で俺を見つめる。
結婚・・・・・・か。
リヴィもフラムもそうだが、簡単に口にし過ぎじゃないか? それとも、俺の結婚観が間違ってるのか?
・・・・・・いやまぁ、そうなんだろうけどさ。
結局俺の考えは前の世界の価値観が元になっているのだし。
郷に入っては郷に従え・・・・・・頭では分かっているんだけどな。
「えっと・・・・・・一応確認しておくけど、私が男の子じゃないのは分かってるよね?」
「そ、そんなの分かってるよっ!」
「ご、ごめんね・・・・・・少し驚いて。」
「わ、私の方こそ怒鳴っちゃって・・・・・・ごめんなさい。」
「それで、どうしていきなり結婚なんて話に?」
「いきなりじゃ、ないよ。だって・・・・・・ずっと前からアリスちゃんの事、好きだもん。」
「友達として、じゃなくて?」
「ち、違うよ・・・・・・ホラ。」
不意に握られていた手を引かれ、ロールの大事な場所へと導かれる。
突然の事に逆らえず手の甲がソコへ触れると、ロールが小さな嬌声を上げた。
「んっ・・・・・・んんっ・・・・・・!!」
身体を震わせると、力の抜けたロールがベッドから傾れ落ちそうになり、抱き留めて支える。
「だ、大丈夫・・・・・・!?」
「えへへ・・・・・・アリスちゃんの手だと思ったらこんなになっちゃった。」
ロールの内腿を伝って流れ落ちた蜜が、ベッドのシーツに小さな跡を残していく。
彼女はその姿勢のままギュッと俺を抱き返し、耳元で囁いた。
いつもの彼女からは想像できない吐息交じりの妖艶な声が、耳の奥を震わせる。
「ねぇ、アリスちゃん――」
その言葉を遮るように静かな部屋の中にノックの音が響く。
ロールはそれ以上言葉を続けず、俺を抱いている腕に少し力を込めた。
「・・・・・・あの、誰か来たみたいだよ?」
「いいよ・・・・・・放っておいたら・・・・・・。」
先程までの妖艶さは影を潜め、ロールの声色には暗い色が混じっている。
「・・・・・・で、でも、ロールの事を探しているのかも知れないよ?」
渋々と言った感じで彼女はベッドに戻り、晒していた肌を毛布で覆った。
「じゃあ・・・・・・出るね?」
俯いて影を落とした表情のままコクリと頷く。
邪魔をされて拗ねている、というよりはどこか物悲しげな表情だ。
「・・・・・・ごめんね、アリスちゃん。」
「良いよ、気にしないで。」
扉の鍵を開き、応対に出るとマルジーヌの姿がそこにあった。
彼女の後ろには同じメイド服を着た侍女が二人控えている。
「アリューシャ様? どうして此方に・・・・・・?」
「ロールがテラスで転んでしまいまして。中で治療と着替えをしていたところです。」
「そうで御座いましたか。有難うございます。・・・・・・中に入っても宜しいでしょうか?」
「ええっと・・・・・・はい、どうぞ。」
マルジーヌを中に通すと彼女はベッドの傍らに立ち、毛布を被ったロールに声を掛けた。
「お嬢様、閉会のご挨拶をと、御父上様がお呼びになられております。」
「・・・・・・嫌、行きたくない・・・・・・。」
ロールは毛布を被ったまま拒否の言葉を返すが、マルジーヌの顔色は特に変わらない。
「分かりました。御気分が優れないようですので、私の方から伝えておきます。」
礼をして下がるマルジーヌ。
随分あっさりだな。
「って・・・・・・良いんですか?」
「随分とお酒を勧められておいででしたので、そのようにお伝えすれば問題ありません。こういった催しではよくある事ですので。」
要は飲み過ぎでブッ倒れた、って事にしておくらしい。
飲まされたってのも嘘では無さそうだ。なにせ傍に居るだけで匂いで分かるくらいである。
オトナの付き合いってのは大変だな・・・・・・何処の世界でも。
「アリューシャ様、皆様の客室をご用意させて頂きますので、今晩は此方でお過ごし願えませんでしょうか?」
「それは構いませんけど・・・・・・良いんですか?」
「はい。・・・・・・どうか、お嬢様を宜しくお願い致します。」
マルジーヌとしても、こんな状態のロールを放ってはおけないのだろう。
彼女は深々と頭を下げると、何かを俺の手に握らせた。
手を開くと、そこには小さな小瓶が一つ。
「必要でありましたら、そちらをお使い下さい。私は部屋の前にて待機させて頂きますので、何かありましたら御呼び下さい。それでは失礼致します。」
マルジーヌを見送ってから小瓶を開けてみると、中には軟膏薬が詰まっていた。
その薬からは最近どこかで嗅いだ覚えのある匂いが漂ってくる。
ってコレ昨日の媚薬じゃねーか!
宜しくってナニをヨロシクさせる気だよ!?
・・・・・・・・・・・・と、とりあえず見なかった事にしておこう。
小瓶をテーブルに置き、ベッドで毛布を被っているロールの隣に腰掛ける。
「それで・・・・・・何があったの、ロール?」
項垂れたままのロールの頭を優しく撫でる。
彼女は俺に抱きつくと、声を上げて涙を流し始めた。
「ひぐっ・・・・・・やだよぉ・・・・・・結婚なんてしたくないよぅ・・・・・・。」
「え、ええっ!? さっきと言ってる事違わない・・・・・・?」
「違うの・・・・・・ぐすっ・・・・・・アリスちゃんとが、良いの。」
「えーっと、お父さんから結婚するように言われた・・・・・・ってところかな?」
「う、うん・・・・・・。」
成人のパーティというのも、おそらくその為の口実だろう。
俺なら知らない男と結婚させられるくらいならさっさと逃げ出すだろうが、ロールはそうもいかない。
家を逃げ出したとしても、自らの力で生きていけなければ野垂れ死ぬような世界だ。
彼女にその力があるとはお世辞にも言えない。
「・・・・・・そっか。」
それ以上の言葉を口に出せず、ロールの頭をもう一度撫でる。
慰めの言葉を吐くのは簡単だが、彼女の人生を背負う覚悟もない無責任な事は口にすべきでないのだ。
「ごめんね、アリスちゃん・・・・・・。ダメって、分かってたんだ・・・・・・。でも・・・・・・。」
「良いよ、別に。ロールは、その・・・・・・大切な友達だから幸せになって欲しい気持ちはあるけど、結婚なんて私にはまだ・・・・・・。あ、でも相手が悪い人だって言うなら絶対助けるから。」
「・・・・・・ぷっ・・・・・・あははっ! わ、悪い人なんかじゃないよ。すごく可愛い子だったし。」
「か、可愛い・・・・・・? 相手は女の子なの?」
「ううん、年下でアリスちゃんと同じくらいの男の子だよ。」
って事は相手は七~八歳の子なのか。
よくある親同士が決めた、ってやつだろう。
お互い大変だな・・・・・・。
「その子も学院へ入るからまだ正式には決まってないけど、卒業したら・・・・・・。」
再び俯いてしまったロールにかける言葉も無く沈黙していると、彼女は包まっていた毛布を脱いでベッドから立ち上がる。
「ロール・・・・・・?」
そのままフラフラと歩みを進めると、先ほど俺がテーブルに置いた小瓶を手に取った。
「ちょっ、それは・・・・・・!」
ロールは小瓶の蓋を開けて指で薬を掬いあげると、その指をパクリと咥えた。
薬を口の中で溶かし、小さく嚥下する。
「そ、そんなの口に入れて大丈夫なの!?」
「んっ・・・・・・平気だよ、アリスちゃん。」
意を決した表情で小瓶を握りしめたまま、ロールはゆっくりと俺に向けて小さく一歩踏み出した。




