117話「はじめての」
幾度目かの夜を森の中で明かし、後輩たちの課外授業も後半戦に差し掛かるところ。
燻ぶる焚火の前に座って朝食の携帯食を取り出して齧り、お茶で流し込んだ。
昨日は何も獲れなかったので今日の朝食はこれだけである。
本来の目的である魔物との邂逅は未だに果たせていない。
おっかなびっくりだった後輩ちゃん達の間にも弛緩した空気が漂っている。
野営の後片付けを行い、点呼をとった。
全員問題は無さそうだ。
「さて、そろそろ折り返して良い頃会いかな。」
「少し早くありませんこと?」
「それくらいが丁度良いんだよ。合流できないと置いて行かれちゃうからね。」
学院まで自力で戻れば良いだけなので大した問題では無いが、まぁ説教は受けるだろう。
荷物を背負い直し、これまで来た道を逆に辿って進んで行く。
帰り道ということもありペースは快調で、陽が傾く前に先日使った野営地まで辿り着いた。
「あれ、ここ昨日のとこにゃ?」
「そうだよ。随分早く着いちゃったけど、今日はここで野営かな。」
「ま・・・・・・まだ進めるのではありませんか? わ、私も・・・・・・まだ歩けます。」
そう言うリヴィアーネの呼吸は乱れ、汗で髪が額に貼り付いている。
ペースアップした分、疲れも溜まってしまっているのだ。
「そうだけど、今の速度で進んでも次の野営地に着くまでに暗くなっちゃうからね。今日はゆっくり休もう。」
俺の言葉を聞いて、パッとサーニャが振り向く。
「じゃ、狩り行って来ていいにゃ!?」
「いいよ。晩御飯までには戻って来てね。」
「行って来るにゃ!!」
そう言ってあっという間にサーニャは森の中へと消えていった。
ここ数日ですっかり慣れた後輩ちゃん達も黙ってそれを見送る。
「それじゃ、私達も準備しようか。」
とは言っても作業もさほど時間は掛からなくなっている。
ララとルラが示し合わせたようにスルスルと木に登り、瞬く間にテントを張ってしまった。
驚くべきは二人の身体能力。
道中でもオドオドとした二人からは想像出来ないほどの健脚ぶりを発揮している。
リヴィアーネとネルシーがバテバテになっていても、ララとルラは汗一つ掻かず、息も乱していないのだ。
あまり目立たない二人なので俺も最初の内は気付いてなかったが。
テントも扱い方を覚えてからはご覧の通りである。
「「お、終わりました、アリス先輩。」」
「なら後は・・・・・・自由時間かな。あまり離れなければ森の中を散策しても構わないよ。」
「おっ、じゃー食べられそうなの探してきまーす。」
ネルシーがひらひらと手を上げる。
野草や茸でも探しに行くつもりだろう。
それがあるだけでも携帯食のみよりはマシになる筈だ。
「ララとルラで着いて行ってあげてくれるかな? 何かあったらすぐに知らせて。」
「「わ、わかりました!」」
本当なら俺が着いて行ってやりたいところだが、サーニャも居ない状態で此処を空けるわけにもいかない。
まぁ、あの二人が付いていれば大丈夫だろう。
「ん~、私達はお茶でも飲もうか、フラム。」
「ぅ、うん。」
「リヴィアーネさんもどうかな?」
「・・・・・・頂きますわ。」
サッと魔法でお湯を作ってお茶を淹れる。
お茶で満たしたカップを二人に渡し、自分のカップを手にとってから腰を落ち着けた。
隣にちょこんとフラムが座る。
「随分と仲がおよろしいのですね、貴女方は。」
「ぅ、うん。えへへ・・・・・・。」
純粋に嬉しそうな反応をするフラムに毒気を抜かれ、溜め息を吐くリヴィアーネ。
「二人は幼馴染・・・・・・なんだよね?」
「よ、よく・・・・・・一緒に遊んでた、の。」
「昔の話・・・・・・ですわ。」
二人はそれきり口を開く事は無く、夕食の時間を迎えた。
*****
肉の焼ける匂いが焚火の熱で広がり、鼻からお腹の奥を刺激する。
「う、美味そうだにゃ~・・・・・・まだ食べないにゃ?」
「もー少しですよー、にゃー先輩。もー少しで一番美味しい状態になりますー。」
いつもは澄ましているリヴィアーネでさえもゴクリと生唾を飲む。
携帯食ばかりだったのでそれも仕方ないだろう。
「それにしても、野ウサギ二匹なんて運が良かったね。」
「フフン、あちしにかかればこんなもんにゃ!」
うむ、いかんな。俺の腹も早く食わせろと催促している。
「できましたよー。熱いうちにどーぞ。」
出来上がった料理を盛られた皿を受け取る。
小さくぶつ切りにしたウサギの肉と、茸と野草を炒めただけのシンプルなものだ。
まずは一口。
ジュワリと肉汁が口の中に広がり、一緒に口に入れた野草と茸に染み込んでいく。
それぞれの素材の味が主張する中、少量だけ振られた塩がそれらを統率し、舌の上を踊らせる。
「どーですか、先輩?」
「美味しいよ。塩しか使ってないのに凄いね。」
気付けば手に持った皿は綺麗に空になっていた。
サーニャは空になった皿をペロペロと舐めている。
気持ちは分からんでもない。
俺は皿と箸を土に戻して立ち上がり、ぐるりと周囲を見渡した。
近づいてくる魔力を感知したのだ。
「サーニャ、数は分かる?」
「一匹、ヴぉるふにゃ!」
俺とサーニャのやりとりに首を傾げるリヴィアーネ。
「ど、どうかしたのですか?」
「魔物が近づいてきてるんだよ。匂いに釣られたかな?」
これで課外授業の目的は達成できそうだ。
「ま、魔物!? 何を呑気にしているのですか!?」
「あー、そうだね。こら、サーニャ。いつまでもペロペロしてないの。・・・・・・というかもう味しないでしょ。」
サーニャの皿を取り上げ、土へ戻す。
「あう~・・・・・・あちしのご飯~・・・・・・。」
「私とサーニャで相手するから、皆は焚火の傍を離れないようにしてね。」
「いいえ、私がいきますわ・・・・・・!」
リヴィアーネが立ち上がる。
「い、いや・・・・・・相手は魔物だよ?」
「だからこそ、私の力を証明するに相応しいですわ!」
今まで良い所を見せられなかった分をここで挽回したい、というつもりなのだろう。
「・・・・・・分かったよ。それじゃあよろしくお願いするね、リヴィアーネさん。」
息巻くリヴィアーネを止める理由も無く、とりあえず任せる事に。
まぁ、そのための課外授業である。生徒の自主性を重んじる、としておこう。
彼女の実力であればヴォルフ一匹に後れを取ることもない筈だ。
こちらもきちんとフォロー出来る態勢をとっておけば大怪我させる事も無いだろう。
俺はフラムとサーニャにこっそりと耳打ちする。
「二人とも。他の子達はお願いね。」
それだけで意図を解した二人はコクリと頷いた。
*****
ギラギラとした瞳で睨め付け、鋭い牙を剥き出しにしてリヴィアーネを威嚇するヴォルフ。
普段見かけるものよりも一回りほど大きいが、毛並みも悪く身体はガリガリ。
先の戦いで逃げた内の一匹で、碌に食べていないのだろう。
だが、その空腹分が上乗せされ、異様な殺気を放っている。
向こうも必死のようだ。
対するリヴィアーネの膝は小さく震え、表情は青く、歯も噛み合っていない。
・・・・・・これはちょっとダメそうだ。
リヴィアーネの近くに触手を待機させ、いつでもフォローできるように準備しておく。
「ぁ・・・・・・ぁ・・・・・・”水弾”!」
リヴィアーネの魔法が発現し、俺に見せた時よりも大きく威力の高い水弾がヴォルフに向かって一直線に飛び出した。
しかしあっさりと躱され、水弾はヴォルフの背後にあった木を穿って消える。
立て続けに二発目、三発目と放つが、それらは容易く避けられてしまう。
いくら威力が高くても散発的で単調な攻撃であるため、特にヴォルフの様に素早い相手であれば効果が無いのと同じだ。
ヴォルフはリヴィアーネの魔法を躱しながらも距離を詰め、あっという間に剣の届く間合いにまであと少し、というところまで達してしまった。
だがリヴィアーネの身体は恐怖で凍り付き、迫るヴォルフに対応できそうもない。
年端もいかない女の子が、魔物を相手に命の奪い合いをしようと言うのだ。
本物の殺気に当てられ、身が竦んで動けなくなるのも当然だろう。
・・・・・・こんなところか。
俺は一斉に触手を動かし、今まさに飛び掛かろうとするヴォルフを絡め取って締め上げる。
断末魔を残す間もなくヴォルフの身体はあらぬ方向へと曲がり、折れ、絶命した。
「大丈夫、リヴィアーネさん?」
「ぅ・・・・・・ぁ・・・・・・。」
腰を抜かしてしまっているが、それ以外は問題無さそうだ。
「怪我とかは・・・・・・してないみたいだね。それより邪魔しちゃったかな、二人とも?」
「「い、いえ・・・・・・! そんなことはありません!」」
慌てた様子でララとルラは構えていた短刀をいずこかへと仕舞った。
俺が助けに入らなければ、二人が割って入っていたかもしれない。
この課外授業の目的を鑑みれば二人に譲っていた方が良かったか?
「まぁ、いいか。立てる、リヴィアーネさん?」
「ほ、放っておいて下さいまし・・・・・・!」
「はいはい、それじゃあ皆の所に戻りましょうね・・・・・・っと。」
地にへたり込んでいたリヴィアーネを抱え上げる。
「な、何するんですの!?」
「お姫様抱っこ。」
「ば、馬鹿にしないでくださいまし!」
「しないよ。初めての実戦お疲れ様。頑張ったね。」
「フン・・・・・・!」
リヴィアーネを焚火の前に座らせ、俺もその隣へ腰を落ち着けた。
膝に顔を埋める彼女に誰も声を掛けられず、パチパチと火の爆ぜる音だけが静かに響く。
・・・・・・こういう時はさっさと寝かせちまった方がいいだろう。
そう思って口を開きかけると、フラムが腰を上げ、リヴィアーネの前に立った。
「ぁ・・・・・・あ、あのね・・・・・・リヴィ・・・・・・す、すごかった、よ。」
フラムの言葉にリヴィアーネが顔を上げ、キッと睨み返す。
「・・・・・・随分と皮肉がお上手になりましたわね。」
堪えていた涙が堰を切ったように溢れ、リヴィアーネは嗚咽を漏らしながらまた顔を埋めてしまった。
「ち、ちが・・・・・・あ、あの・・・・・・・・・・・・ご、ごめん。ごめん、なさい・・・・・・ぐすっ。」
「ちょ・・・・・・ちょっとちょっと、二人とも泣かないで・・・・・・ね?」
泣き出してしまった二人の間に慌てて入る俺。
「え、えーと・・・・・・と、とりあえずフラムの話を聞いてあげてくれるかな? フラムも、ちゃんと話してくれるかな?」
涙を拭いながら頷くフラムと、俺の言葉に反応を示さず顔を埋めたままのリヴィアーネ。
ま、まぁ聞いててくれるだろう。
「それじゃあ、フラムはリヴィアーネさんの何がすごいと思ったのかな?」
「あ、あのね・・・・・・私、は怖くて、アリスが居ないと出来ない、けど・・・・・・リ、リヴィは一人で、戦って、それで・・・・・・。」
「一人で魔物と戦ったリヴィアーネさんは凄いねって言いたかったのかな?」
「ぅ、うん・・・・・・!」
「えーと、そういう事だから、フラムはリヴィアーネさんを侮辱する気なんてなくて――」
「そんな事・・・・・・分かってますわ。」
ふらふらとリヴィアーネが立ち上がる。
「今日は・・・・・・一人にして下さいまし。」
そう呟き、覚束ない足取りでテントの中へと入っていった。
いや、そのテントは他の子達も使ってるんだけど・・・・・・。
他の後輩ちゃん達は「どうしよう」と顔を見合わせる。
「はぁ・・・・・・。小屋を広げれば問題無いから、ネルシー達は私達と一緒でお願いね。」
「はーい。」
気付けば、辺りはすっかり夜に呑まれてしまっていた。




