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みえない光  作者: 久乃☆
7/7

7.強く優しく

 小学三年生になった頃、光に変化が現れだした。


 それまでの光は、誰にでも優しく、気遣いのできる子だった。


 常に母親である由香里のそばにいて、遊びに行っても暗くなる前には帰ってきた。


 言われる前に宿題をこなし、進んで手伝いをした。


 由香里が買い物に行くときは、必ずついて歩き手を引いた。


 重いものでも、文句を言わずに持ってくれた。


 総太は、そんな光の頭をなでながら、常に言って聞かせてきた。




「お母さんは目が見えない。お父さんがいる時は、お父さんがお母さんの目になることができるが、いない時はお前がお父さんの変わりにお母さんを助けるんだ。できるか?」




 幼い頃から言われ続けた言葉だ。


 光は、物心ついた頃から父の期待に沿うべく頑張ってきたのだ。


 どんな不満が隠れていようと、どんなにわがままを言いたくても、全てを飲み込んで、母を助けることだけに一生懸命になった。


 しかし、どんなに良い子であっても、必ず通る道がある。




 6月。


 光が生まれて9回目の梅雨が来ていた。




「もうすぐ光の誕生日ね」




 毎年、友達を呼んで誕生会をしていた。今年も同じように誕生会を開くつもりだった。


 そのために、由香里はどんな料理がいいだろうかと、考え続けていた。


 だから、光がいるはずの部屋で、光に声を掛けた。



「光、今年は何人お友達を呼ぶ?」




 三年生になってから、二回は誕生会に呼ばれているのだ。これからも、呼ばれるだろう。


 それをみこして、こちらからも呼んでおかなければならない。


 光の誕生日を知っている友達が、今年は呼ばれなかったからと、その後呼ばれなくなったのでは可哀相だ。




「どんなものを作ろうか。から揚げがいいかな。どう思う?」




 どんなに話しかけても光の答えが返ってこない。


 由香里はじっと、様子を伺っていた。


 部屋の中の空気が動けば、音がなくてもいるのが分かる。


 本を読んでいるのなら、紙の音がする。


 けれど、何の音もしないのだ。




「光? いるんでしょ?」




 いれば返事をするはずだ。


 由香里はじっと待った。


 待ちながら、最近の光のことを思い出していた。


 三年生になってから、どことなく変わってきている。


 学校から帰ってきても、ただいまを言うことすら面倒なように部屋に入って、静かにしているのだ。


 友達と遊びに行くことは相変わらずだが、帰宅時間が遅くなることもある。


 お手伝いもイヤイヤやっているような気がする。


 そんな光のことを総太に相談すると、笑って『反抗期だな』というだけだった。


 確かに、三年生ともなれば反抗期の入り口なのかもしれない。


 今まで良い子できたのだから、それなりに反抗したくもなるだろう。


 しかし、見えない由香里にとって、光の変わりようが怖かった。


 見えていれば、見えさえすれば、光の状態がわかるのに、見えない自分には音を頼りにするしかないのだ。


 いつまで待っても、返事の返ってこない光に不安を覚え、光の部屋に入っていった。


 いるような気配はあるのだが、音がしないのだ。




「光? いるんでしょ? 返事をしなさい」


「……」


「光! 返事をしなさい!」


「……お母さんは、ボクがいることが分からないの?」




 小さな声だった。


 暗く、曇った声だった。


 母親に自分の存在が見えていないことに対する不満。


 由香里は刃で切り刻まれる痛みを感じた。




(見えない母親が嫌いなの? それが、光の不満なの?)




 そんな言葉が浮かぶが、それを口に出したのでは、光が可哀相だ。

 

 由香里は努めて明るく返事を返した。




「見えないよ。見えないけど、音は誰よりも聞こえてるよ。知ってるでしょ」


「でも、ボクの呼吸すら分からないじゃないか」




 息を殺すような呼吸音。


 それではさすがに分からない。




「ねぇ、今年は誰を呼ぶ? どんな料理がいいかな? お母さん考えたんだけど、タコさんウインナーと、から揚げと、たまご焼きと、ケーキでどう?」


「……キャラ弁みたいなの作ってよ」


「キャラ弁?」




 料理の本を見れば、それがどんなものかは分かる。


 TVを見ていれば、どんなキャラクターがいるのかが分かる。


 しかし、由香里には見ることができないのだ。


 だから、自分が育った頃の料理を作るしかない。




「そうだよ。他のお母さんは作るよ。ボクのお母さんは、そういうのは作れないの?」




 静かな批判。




(作れないよ。ごめんね……)




「そっか~。光はそういうのがいいのか。じゃぁ、おばあちゃんに頼んでみようか」




 こうなれば、目の見える母に頼るほかない。由香里はとっさに母に助けを求めようと考えた。

 

 すると、光は鋭い声で返してきた。




「お母さんが作らなかったら意味がないんだよ! 何でわかんないんだよ!」


「あ……でも、ほら。誕生にお弁当ってのもね。だから、お弁当は練習しておくから」


「作れないくせに。もういいよ! 今年は誕生日なんてやらない! 誰も呼ばないよ! 出ていって!」




 そう言うと、強い力で由香里を部屋から追い出した。


 ぴしゃりと閉められた扉は、由香里の心をえぐり、血を流させた。




 もう、何も手につかなかった。


 反抗期なのだから、仕方がないのだと自分に言い聞かせるが、どうしても悲しみから開放されない。


 いつもなら、時間で部屋の電気を点けるが、今日は電気を点けることもできなかった。


 暗い部屋の中にいようと、明るかろうと、由香里には何も見えないのだから、同じことだ。


 そのまま時が止まったように、由香里も光も動かなかった。


 ただ、時々光の悔しそうな泣き声と、呟きが聞こえてくるだけだった。


 しかし、扉を閉ざした部屋の奥からの呟きは、由香里の耳には届いていなかった。




(光、ごめんね。見えなくて、ごめんね)




 涙が頬を伝っては流れた。


 いつの間にか、時計が七時の鐘を打ち鳴らしていた。




「ただいま~。誰もいないのか?」




 そう言って、帰ってきた総太が、部屋の明かりを点けた。




「なんだ、いるんじゃないか。どうした? 酷い雨が降ってるのに、洗濯物はそのままだし、部屋は暗いし、出かけてるのかと思って心配したよ」




 その声で始めて、何もしていないことに気がついた。


 確かに、耳を澄ますまでもなく、外からは雨の音が聞こえてくる。


 由香里は慌てて、総太にタオルを渡すと、ベランダへと急いだ。


 急いで動いたために、テーブルにぶつかり、床に置かれた本につまずいてしまった。


 いつもなら片付けてあるはずの本が、どうして出ているのか分からない。


 それでも、転ばずにベランダへ行くと、大雨の中洗濯物を取り込みに掛かった。


 行動を起こすときは、慌てずに考えながら。それが、由香里の行動パターンだ。


 しかし、総太が帰ってきているのに、何もできていない焦りから、洗濯物を取り込むという行為すら思うように行かない。


 見かねて、総太が手伝いに来た。




「オレがやるから、由香里は入ってなさい」


「ごめんなさい」


「びしょぬれだな。もう一度洗濯するか?」


「ええ、ごめんなさい」


「いいよ。光はどうした?」




 答えられなかった。


 光のことを言おうとすると、涙が先になりそうで、何も言えないのだ。


 総太は、洗濯物を全て取り込むと、由香里に手渡した。




「慌てなくていいから、これを洗濯機にもっていきなさい」


「ごめんね」


「大丈夫だよ」




 総太の優しい声で、余計に泣きたくなる。


 そんな由香里を見ていて、何を思ったのか、総太が光の部屋の扉を勢いよくあけた。




「光! こっちにきなさい」




 由香里の体が硬直する。


 心臓をわしづかみにされたような痛みが走った。




「あなた、怒らないで」




 そう言おうとしたとき、頬を叩く音が聞こえてきた。


 由香里は何者かに、体をつかまれたように、動くことができなくなっていた。




「光! お父さんがいない時は、お父さんの変わりになれとあれほど言っていたのに、お前は何をしてるんだ! 雨の中で、洗濯物は干しっぱなしだし、お母さんは目が見えないんだから、危ないのは分かるだろ!」


「……」


「しかも、床の上に本を出しっぱなしにしてはいけないと言ってあるだろう。何で、危ないと分かっていながら、出しておくんだ!」


「あなた、やめて……やめて……」




 やっと、由香里がそれだけ言うと、光の泣き声が聞こえてきた。


 今まで聞いたことのない、赤ちゃんのような泣き声だった。


 さすがに、そんな光の泣き声を聞いたことがなかった総太は、驚いたようで、怒声を上げるのを止めた。




「お父さんは、そうやって何でもボクにやれって言う……だけど、ボクだって、頑張ってる。でも、なんでお母さんにはボクが見えないんだ! 他のおか……お母さんは、ちゃんと見えるのに、どうしてボクのお母さんは見えないんだ……。ボクのお母さんだけ、どうして見えない……。お母さんは、何か悪いことをしたの?」


 


 泣きながら、父にしがみつく。


 そんな息子のやり場のない怒りを、驚きながらも、ぐっと受け止める総太がいた。


 しばらく光の泣き声と怒りを聞いていた父は、力強く光に言って聞かせた。




「お母さんは何も悪いことなんてしていない。生まれたときから見ないのは仕方がないことなんだ」


「だって、みんなが。みんなが言うんだ。光のお母さんは、悪いことをしたから、目が見えないんだって。お母さんは生まれる前に、たくさん悪いことをしてきたから、だから見えないんだって……」




 そんな苦しみを抱えていたのかと思うと、由香里はその場に座り込んでしまった。




「なんてバカな! 光。お前は自分の目で見て、お母さんが悪いことをする人だと思うか?」




 光が大きく顔を左右に振った。




「そうだろう。光のお母さんは誰よりも優しくて、誰よりも光を愛してくれている。それが分かるのは光自身だろう。それなのに、お母さんのことを知らない人が、心無いでまかせを言ったからって、お前はそんな言葉にだまされるのか?」


「だって……」




 総太は光をソファーに座らせると、ゆっくりと噛んで含めるように話して聞かせた。


 二人の話を離れたところでぼんやりと聞きながら、由香里は考えていた。




 見えるから、目で見る。


 私は見えない目で、何を見てきたんだろう。


 光が苦しんでいることすら気がつかずに、一体何を見ようとしてきたんだろう。


 手で感じて、耳で聞いて……。


 心で見ることを止めていた。


 私は、一番大事な心を置いてきていたんじゃない?


 光の姿を見たい。顔を見たいと思うあまりに、一番大事なものを見落としていた。


 私にしか見えないものを忘れていたんだ。




 そう思い至ると、いてもたってもいられず、由香里は立ち上がると声のする方へと進んでいた。


 


―――見えないからこそ、心を見なければいけないのに。




 由香里がゆっくりと、手を差し出した。




「光……。ごめんね。お母さんが悪かったわ」


「由香里、どうした?」




 総太が由香里に気がつき、光の隣に座らせた。


 


「あなた、私が悪かったのよ。私がちゃんと光を見ていなかったから」


「由香里はちゃんと見てるじゃないか」


「そうじゃない。心で見てなかった。だから、光の心が見えてなかったの。やっと、気がついたわ。ごめんね、光。そんなに苦しんでいたなんて、気がついてあげられなくて、ごめんね」




 涙が頬を伝って流れた。


 光が驚いたように由香里を見上げた。




「もう、忘れないよ。お母さんは、目が見えないけど。見えないからこそ、お母さんにしか見えないものがあるんだ。それは、心。光の心だよ」


「おかあ……さん。ごめ……んな……さい。ボク、ボク、辛かったんだ。みんな……からいろいろ……言われて、お母さんを守って……あげたかったけど、どうしていいか……分からなくなっちゃったんだ。だから……意地悪言っちゃった」


「いいの。もう、大丈夫だよ」




 今まで、小さな体で必死に母を守ろうとしてきたのだ。


 頑張りすぎてたんだ。


 由香里は、全てを受け止めると、小さな声でこういった。




―――神様。

    光を与えてくれて、ありがとう―――



fin

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。


明日からは、別の作品をアップしますので、良かったら読みにきてください^^

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