始まるのはまだ先で……
「五月晴れ、か。」
僕は一人、家の前で呟いた。
梅雨に入って雨が続いているので、こんなに晴れ渡った空は久しぶりだ。
雲一つない青い空を見ていると、自然と気持ちも晴れてくる。
だが、今日は月曜日。週が始まる日だ。そんなに簡単にこの憂鬱な思いは消えない。
学校に行っても何一つ楽しいことはない。ただ勉強して、帰るだけなんだから。
成績はあまりよくない。それなりに勉強しているのだが。
「はぁ……」
僕は誰もいないこの道を歩き出す。
遅刻ギリギリの時刻に出たから、いないのは当然。
聞こえるのは鳥の囀りのみで、人の声は聞こえない。
向かうのは勿論僕の通っている中学校。
朝方まで雨が降っていたのか、固い道が濡れている。この天気だとすぐに乾くだろう。
住宅街を抜けると、騒がしい車の音が耳に入る。同時に排気ガスの匂い。
大通りを抜け、少し狭い道を歩いたところに、学校はある。
治安が悪く、大人も基本クズしかいない。そんなところで育った子供も、クズになる。
成績なんて、いつも平均五十の僕が一位という状態。真面目な生徒は、三十人のクラスに、五人くらいじゃないだろうか。
……まあ、どうでもいい。
僕が教室に入ると同時に、チャイムが鳴った。
朝礼の始まりを知らせるチャイム。今は耳障りな音でしかない。
先生は来ない。来ても、話を聞く生徒は誰もいない。
今も、誰も席に座ることなく好き勝手にしている。
そうして迎えた一限目、先生は一応来るが、椅子に座って煙草を吸っているだけだ。
どうしてこんなのが教師になれるのか、よくわからない。
現代でこんな学校は、ここだけだろう。多分。
今日僕は、一言も口を開くことはなかった。
話す相手がいないし、話す気もなかった。
話をする同年齢の人間なんて、一人しかいない。
「ねぇ、学校楽しかった?」
幼馴染みの女子だけ。楽しそうに彼女は言う。場所は校門前。
彼女とはクラスが違うので、いつもここで待ち合わせする。
今日は僕のほうが早かったので、待っていた。
「いや、特に。」
素っ気なく僕は答える。
「私は楽しかったけどなぁ。」
クスクスと、可愛らしく笑う。
こんな学校のどこがいいのか、僕には分からないが。
「君はいつも楽しそうだね。」
笑う彼女に、僕は言う。
「人生、楽しまなきゃ損だよ?」
そう言ってウインクする。
「君の性格が羨ましいよ。」
そんな彼女に僕は言う。
その後、僕らは黙った。
重い雰囲気ではない。ただ、静かに歩きたかっただけ。
こんなに天気がいいときは滅多にない。
何となく、暖かい日光に当たりながら、風に当たりたかった。
不思議と、今日は風が吹かない。
大通り、信号機が赤になって歩みが止まった時、やっと風が吹いた。
優しく、頬を撫でるそよ風。
気持ちよくて、思わず頬が緩む。
「気持ちいいね」
前を歩いていた彼女が、満面の笑みで振り返った。
その姿は、一瞬赤い影になって目に映った。
僕は驚き、目を擦った。なんともない、いつもの光景。
気のせいか? でも……どこかで……
僕が思考を巡らしている間、彼女は信号機が青になったのを確認して、歩き出していた。
「どうしたの?」
彼女は振り向き、不思議そうに突っ立ったままの僕を見る。
「別になんにも……」
その先は言えなかった。
車が、彼女を撥ね飛ばした。
彼女は数メートル吹っ飛んだ後、地面に頭から激突した。
血で地面が赤く染まる。
「え……」
僕は呆然と立ち尽くした。
どう……なった?
「なあ、今、君なら助けられたんじゃないの?」
後ろから聞こえた少年の高い声。
僕はゆっくりと、振り返った。
ジーパンのポケットに両手を入れて、マフラーを付けている。そのマフラーで口は隠れる。
年はその少年より僕のほうが下に思えた。
一番目を引いたのは、紫色の髪。
「その能力があれば、世界を救えるんだ、僕と一緒に来ないかい?」
僕は言葉を発しない。発することができない。
「君がいいのなら、この鈴を、今から半年後の冬に鳴らしな。そしたら、僕が迎えに行くよ。ほら、手を出して。」
そう言って右手を差し出すと、僕の手に握らせた。
……黒い鈴。
「じゃあね。待ってるよ。」
そうして去っていく少年の背中は、赤いシルエットに見えた。
この話で完結させていただきます。すみません、あんまり長く引っ張れなくて。次か、その次くらいが本編になります。