婚約破棄された傷物令嬢を救ったのは、怒れる幼馴染でした
「正座なさいッ!!」
怒号のような声が晩餐会を進行していたモリアーティ邸の中央広間全体を揺らした。
食事をしていた招待客たちも、歓談していた婦人たちも一瞬ビクリとしてから、その音源に視線をやった。
そこには声の主、幼馴染の公爵家令嬢リリーナ。正座をするモリアーティの伯爵令息モーリス。そして私、ロレッタ・カーンがいた。
ふーっと深い息を吐いたリリーナは、正座をしているモーリスと顔が触れそうなほど近づいて、まくしたてた。
「よーく聞いてもらうわよ、このポンコツ男! 二度とロレッタに近寄るんじゃないわよ! 近づいたらアンタを灰にするわ!! ロレッタの仲間に近づいても消す! アンタの代わりに誰かが動いてもアンタを潰す! アンタにその意思がなかろうとアンタを壊す! ロレッタにおかしな噂が流れてもアンタを砕く! ロレッタが今日までの日常を送れなくなることになったら、真っ先にアンタを沈める!!」
ふうっとリリーナはモーリスから顔を離して、今度は落ち着いた声でモーリスに語りかけた。
「……しかし、当初の約束通りロレッタを生涯愛し、守るっていうのならば――話は違うけれども?」
「……あ、ああ」
頭を下げるモーリスにリリーナの冷ややかな声が飛ぶ。
「アンタの土下座に興味はないわ。今の二択の答を聞いているのよ?」
「に、二度とロレッタには近づかない。勘弁してくれ、いや、ください……」
か細いうめき声がホール全体に響き渡った。
「あ、そう。……ロレッタも何か一言言いなさい」
振り返ったリリーナの言葉で停止していた私の身体は動かされた。
「……えっと、モーリス様が私との婚約……それを破棄したこと。受け入れたいと思います」
私の声は小さかったが大広間の人間は誰一人として口を出さなかったため、大広間全体にその声は行き届いた。
言葉を出し終えた私は急速に思考回路が動き出し――走って大広間から出ていった。
「ロレッタ!?」というリリーナの声が背中から聞こえたが、私の足は止まらなかった。
大袈裟なことをやってしまった恥ずかしさもあった、しかしそんなことはもはや関係なかった。
私は今にも泣きだしそうだった。それを人に見られたくなかった。
間違っていた! 勘違い女……!!
私は左頬の大きな火傷跡に触れた。去年負った醜い傷跡。
みんなは優しくしてくれた、同情してくれた。そして距離を置かれた。それが悲しかった。それが惨めだった。
今となっては愚かな話だが婚約相手だけは、私の立場を熟慮して接してくれたように思っていた。
モーリスが他所の国から来た貴族に熱をあげているという噂話がたっても、私は何も気にしなかった。
私は正真正銘の馬鹿女だった。
この一年間が走馬灯のように頭に流れる。
辛い記憶しかなかったが、それでも私は泣きはしなかった。それが私の矜持だった。
◆
どこをどう走ったのかも分からないが。私は夜の前庭園に出ていた。空は綺麗な満月だった。その月明かりは、腕を組み私の到着を待っていたリリーナを照らしていた。さすが幼馴染。私を先回りして動くなんて容易なものね。
「ねえ……」
と口を開いたものの。私は困ってしまった。一体何を聞こうか。
「リリーナはなんでここにいるの?」
「ここ?この前庭園?ロレッタが来ると思ったからよ」
「そう、なんだ……」
会話が止まる。
「……しかし、まあ。婚約破棄も受け取り用によってはロレッタに悪いことばかりじゃないわよ」
「え?」
リリーナは満月のある空を指さした。
「力を示したのよ、精神力を」
「力?」
私は彼女の言葉をそのまま聞き返した。
「自分の婚約者を火事の現場から救出する想いの力!その負傷による中傷を無視する忍耐力!婚約を破棄されると宣言された時に毅然とした態度を見せた精神力!」
リリーナは天を指した指を私に向けた。
「別に慰めじゃないわ。ロレッタのこの一年は報われているのよ。良かったわね。……良かったんだと思いなさい!」
その言葉を聞いている最中、私はついに涙をこぼしていた。
目の前にいる一人の幼馴染が私をそう認めただけ。私にとってはそれで十分だった。
◆
私が泣き止むまでリリーナは黙っていた。
私が泣き止んでもリリーナは黙っていた。
風が前庭園を走って草木をざわめかせる。
「……ねえ、リリーナ。今からとっても嫌な話をしていいかしら?」
「うん?別に構わなくてよ」
「私のこと嫌いにならない?」
「それは聞かなきゃわからないわ」
いつものカラッとした口調で彼女は答えた。
「あの日……いったい誰が悪かったのかな? ――書庫で誤って火事を起こしたモーリス。立ち上る煙を見てまずは館の方へ走ったリリーナ。燃える書庫にモーリスがまだいると勘違いして火事の中に入った私」
「……」
リリーナは黙った。本気で考えているのだろうか?我ながら酷い質問をしたものだ。
「その中には悪いやつはいないわ」
「なんだか貴方らしくない答ね」
「そうかしら?でも悪いやつならいるわよ」
「へぇ、それは?」
「貴方を治療した医者よ。正確にはその医者のウデが悪いのよ」
フフ、と私は思わず笑った。
斜め上の解答だけどリリーナらしい。
そしてその解答はなんだかひどく優しい気がした。うん、もう大丈夫。
「そろそろ戻りましょうか。大人たちを困らせるのは良くないわ」
「飛び出して行ったのは貴方でしょう。ちゃんとゴメンナサイするのよ」
◆
二人で中央フロアに戻ると全ての視線をその身に受けた。
感嘆すべきはリリーナである。
「えー-っと!あのですね!」
彼女は何の躊躇もなく話しだした。なんという強い子だろう。
しかし、私は彼女の肩に手を置くことで止めた。
「……皆さま、先程は取り乱してしまい本当に申し訳ございません。驚かれたでしょう?どうか、そんな日もあると、仕方のないことだと、捉えていただければ幸いです」
私はここで言葉を切った。その間、誰もしゃべることなくフロアの人々は続く言葉を待っていた。
「……ちょっとした事件が人生を好転させることってあると思うのです。それと、その逆も。私は後者だったようです。はは……参ったなぁ。そんな日もあります。本当に仕方のないことけど……参ったなぁ」
私は渾身の限り笑顔を作ってみた。きれいに笑えているかしら?
するとリリーナはパチパチパチと手を叩いた。乾いた音。それを皮切りに晩餐会に参加している方々が拍手をした。
ああ、こんな時ってどうすればいいのであろう?そう悩みながら私は拍手が止むのを待った。
「モーリス」
私に名を呼ばれた男性は遠くにいた。遠くにいてもビクリという反応は見て取れた。私は遠くの彼に言葉を送る。
「リリーナは優しい子です。貴方を灰にしたりはしません。安心してください」
「ちょっと!」
反発したリリーナを腕で制する。
「モーリス、貴方が視界に入ることを許可します。貴方の声が耳に入ることも許可します。貴方が婚約破棄することも、もちろん許可します」
◆
あの晩餐会から半年が経った。
今、私は帝国大学の医学部の手術室で横になっている。
麻酔は既に打たれて、フワフワとしたいい心持ちだ。
手術を担当するのは有名な外科医である。
相場の医療費の十倍、二十倍もの金額を要求するとんでもない人物である。しかしこの先生が施す治療は唯一無二の完璧な出来であるという。
当然そんな金額を私の家が出せるはずもない。
出資してくれたのはモリアーティ伯爵だった。しかし事の詳細は当人である私にも伏せられている。モリアーティ伯爵が私を不憫に思ったのか、それともモーリスが働きかけてくれたのか。私としては伯爵が動いてくれた方がいい。モーリスに借りを作りたくはない。むしろ負い目を持ち続けて欲しいくらいだわ。ふふ、私ってばなかなか悪い女ね。リリーナが晩餐会で大爆発したことも効いているかもしれない。なんせ公爵令嬢だもの。
「さぁ、お嬢さん。その傷跡ともお別れだ。どうだい、最後に」
そういって先生は手鏡を差し出した。噂通りの変わった先生だわ。
私は鏡を受け取り焼跡の残る顔を見る。映し出された私は涙を流していた。しょうがないじゃない。この顔になってから、あんまりにも色々あったから。
「一年ちょっとの付き合いだけど、貴方のおかげで私は成長したのよ。ありがとう」




