アイムトーキングアバウトラヴィン
「知らない、天井だ」
病室。蛍光灯に手をかざすと、なんだか自分の身体がひどく小さくなったような気がして——違和感に気づく。
自分の身体をまさぐる。異様に柔らかい。筋肉が無い。おっぱいが……ちょっとだけある。
細くて肋骨が少しだけ浮き出てるのが解る。肌がすごくすべすべしてる。いい匂いがする。
オレは走って——痛みに悶え、すぐに歩調はゆっくりになる。そして、駆け込んだ男子トイレ。広い鏡に映る——幼げな少女。
「はぇ……?」
目を見開いたオレ。目を見開いた少女。
腕を動かしたオレ。腕を動かした少女。
……連動してら。目の前の、茶髪で貧相な身体をした美少女は間違いなくオレらしく。
わなわな震えるオレ。キャミワンピの肩紐が外れた。
*
「——というわけで、佐上さんは事故で女の子になってしまいました」
退院一週間後。学校。
女子制服を着て佇むオレ——少女、というよりは幼女と言うに相応しいような姿をした元少年、佐上 ハルカは、教師に促されて黒板の前でぺこりとお辞儀をする。
「きゃーっ! かわいいー!」「くっそう……元男だとは思いたくねぇ……」「ブヒヒッ……TS女児と化したクラスメイト……最高に萌えンゴねぇ……」
きゃあ、かわいい、といったばらばらの……若干の邪悪さが混じった大合唱。
オレは耳を塞いだ。かわいいとか言われても嬉しくないっ!
教壇をバンっと叩いて叫ぶ。
「オレは、男だッ!」
一瞬の間が開いて、教室は笑いに包まれた。
「何がおかしい」
オレの問いに、誰か一人が答える。
「だってさ、こんな小さな子が男だなんて、ねぇ」
だめだ、完全に馬鹿にされてる。
オレは頭を抱える。その姿が小動物のように見えたのか、教室の様子はヒートアップしていく。みんなには一切悪意がなさそうなのがいっそ腹立たしい。
そんな様子を見かねたのか、一人が立ち上がった。
「やめてやれ。みんな。こいつも、好きでこうなったんじゃないだろ」
立ち上がった黒髪の青年は、やれやれといった感じに告げる。そんな様子に、オレは目を輝かせた。
「ソーマぁ……」
さすが幼なじみとだけあって、わかってるじゃないか。よっ、イケメン!
彼の鶴の一声で静まりかえる教室。そのままシームレスに授業が始まった。
「ソーマぁ、さっきはありがとなぁ」
休み時間。オレの言葉にソーマは。
「…………っ」
一瞬だけ顔を赤くして、それからふいっと顔を背け、その場を去る。
……どうしたんだろ、アイツ。トイレかな。
軽く伸びをしたら、肩を叩かれた。
「ハルカちゃんっ!」
「……チトセ。ひさしぶり」
金髪の元気なギャルみたいな子。ソーマと同じく幼なじみの、チトセ。
「ずいぶんちっちゃくなったね」
「悪いか」
唇を尖らせるオレに、彼女は屈託もなく笑みを投げかけ。
「ううん、かわいいっ」
突然抱きついてくる。
「……なんで?」
「女の子同士だったらふつーだよ」
「お、オレは男だっ……!」
チトセの身体、柔らかい。もちもちだ。
「ならなんで抵抗しないのー?」
「にゃ、にゃんでもぉ……」
目を逸らしつつ、しかし心のなかではガッツポーズしていた。
恥ずかしいけど、ちょっと役得かも。女の子になって良かったー!
「……なにニヤけてんのよ」
「なんでもないしっ」
彼女の顔をひと目見てみた。……チトセも人のこと言えないじゃん。
その後も一日、チトセには付きまとわれて。
ソーマには話しかけようとしても避けられ続けた。……オレ、なんか悪いことしたかなぁ。
思い悩みながら歩いた帰り道。
「あ、ソーマ」
偶然にも出くわした。駅までの道。
「…………」
「…………」
互いにしばらく無言で歩く。
やがてオレは口を開いた。
「……なんで、オレを避けるんだ?」
おずおずと尋ねると、彼は少し黙って、それから答えた。
「…………女、だから。今のお前」
「女だから、なに?」
「もしお前が本当にハルカなら、知ってるだろ。——女、嫌いなことくらい」
そうだ。思い出した。こいつ、子供の頃に親戚のおばさんに襲われかけたことがあって、それ以来女が苦手なんだった。
でも。
「オレは男だっ。……身体はこんなでも、心は——」
まだ、女の子になんてなってない。
叫ぼうとした言葉。しかし。
黙りこくって目をそらす彼を見て。
「……ごめん」
ただ一言だけ、謝って。
それからしばらく、無言のまま駅について。
一言も喋らず、その日は終わった。
*
その夜、夢を見た。
三ヶ月くらい前のことだった。
その日、ソーマと一緒に駅までの道を歩いていた。
チトセとはしばらく話していなかった。その日も、彼女は遠巻きにオレを見てくるだけだった。
高台の道。背後は崖。夕日が綺麗に見えて。
「……なぁ、ソーマ」
「なんだよ、ハルカ」
優しげな声に、オレは思わず笑って。
「オレたち、親友だよな。ずっと」
笑って告げた言葉に、彼は少しきょとんとして、それから。
「ああ。……ずっと、な」
微笑んで頷いた。夕陽に照らされた彼の顔は、眩しく映った。
そのとき、金切り音が響いた。
車が迫る。——ソーマに向かって。
「危ないッ!」
思わず叫んだ。
息を呑んで固まったソーマを、オレはガードレールの反対側に突き飛ばして——車を、よけきれず。
「ハルカッ——!」
悲鳴のような叫び声が聞こえた。
オレは、突き飛ばされていた。
ガードレールを突き破り、空中。見下ろすと——十メートルの、コンクリートの崖。
何度かもんどり打って——数度目の衝撃で、気を失った。
目が覚める。
「知らない、天井だ」
病室。蛍光灯に手をかざすと、なんだか自分の身体がひどく小さくなったような気がして——。
目覚めてしばらくしてから聞いた言葉。最先端医療。脳死した子供への脳移植。そういった医者の説明は何一つ頭に入ってこない。
けれどただ一つ、どこか心の中で理解していた。
「おれ、別人に——」
悟ったところで、本当に目が覚めた。
*
教室に入るためのドアは、妙に重かった。
ため息をついて、オレはドアを両手で開ける。
「おっはよー! ハルカちゃん!」
チトセがオレに抱きつこうとしてきた。慌ててドアを閉めるオレ。ドアにぶつかるチトセ。
「ひどいよー……」
涙目の彼女に、オレはため息をついた。
「あのなぁ、オレは男だぜ? もうちょっと距離感って奴を——」
「関係ないもん、そんなの」
一転、屹然と告げるチトセに、一瞬面食らう。
「……で、でも……性別って大事だろ?」
「大事、だけど……それがどうして、近づいちゃいけないってなるの?」
唇を噛んだ。
オレは、やっぱり女の子に——
「——ッ、違う! おかしいのはみんなだ!」
「どうしたの急に!」
走り出したオレ。
違う。オレは別人になんてなってない。オレはオレだ。
なにも変わってなんていない。……周りがおかしいんだ。
急に、関わり方を変えてきた、周りが——。
「ひゃっ」
視界がひっくり返る。足が滑ったらしい。
ひゅっと息がつまり——しかし頭を打った感覚に少しだけ安堵する。
よかった……地面、ある……。
ぜえぜえと息を吐いた。広い校舎の端。理科室には誰もいない。
立ち上がった。——窓に、自分の姿が映った。
女子制服がよく似合う、小さな少女の姿が映っていた。
目を見開きわなわなと震えるその少女は、どうしても自分とは似ても似つかなくて。
その背後に、見慣れた男が映っていた。
「……そーまっ」
「何を泣いてんだ。……そんなにしゃくりあげて」
言われて初めて気づく。
「ひっ、ひぐっ……え、へへ……大丈夫、だいじょうぶ……」
笑おうとした。それでも視界は徐々に揺らいでいく。
ずきん、と痛む頭。くらっとするオレに、ソーマはため息をついて。
「……乗れ」
しゃがんで、背中をこっちに向けた。
「何処につれてくの」
「保健室。足、捻っただろ」
「……自分でいけるし」
「また転ばれても困る。いいから乗れ」
ソーマにおぶられている間、オレはなにも言わなかった。
「……昨日のこと、ごめん」
そんなことを告げる彼に、返した以外は。
「気にすんなよ。……オレたち、親友だろ?」
確かめるような言葉に、彼は何も返しはしなかった。
保健室。
「……ソーマくん、久しぶり」
チトセが、ベッドに座っていた。その膝には絆創膏が貼ってあって。
「お前も転んだのか」
「ハルカちゃんのこと、追いかけようとしてね。急に走り出すんだもん。びっくりしちゃった」
頬を膨らます彼女に、ソーマの背中から降りたオレは「ごめんごめん」とあえて軽薄に謝る。チトセも笑って許して。
「……ソーマくん。顔赤いよ」
チトセの指摘に、彼は目をそらす。
「お前こそ。……興奮してんのか」
「し、してないわよ。あなただって、ハルカちゃんをおんぶして喜んでたんでしょ」
「そんなわけあるか」
……昔から、この二人は犬猿の仲なんだよなぁ。
ため息をついたオレ。しかし。
「——わたしは、ハルカちゃんが好きなだけだし!」
「俺も同じだよ。ハルカが好きなだけ」
なんでオレの名前がでてくるんだ?
にらみ合う二人。オレはそっと保健室を出て行った。頭の痛みは、いつの間にか引いていた。
朝礼の時間になっても、教室に二人の姿はない。
代わりに、スマホが震えた。
「今すぐ屋上に来い」
*
朝礼終わり、オレは屋上まで走って向かった。
屋上に続くドアを開けると、二人がいた。
「……ソーマ。あとチトセも」
呼びかけると、二人は息を呑んだ。
「どうして、オレをここに呼んだんだ?」
尋ねると、ソーマは「選んでほしい」とだけ答えた。
「選ぶ? なにを?」
「あたしたちの、どっちかを」
チトセの言葉に、オレはますます混乱する。
……二人が同時に膝をついた。
「俺たちは、ずっとお前が好きだった。どっちも同じくらいに」
「だから、一緒に告白して、ハルカちゃんに選んでもらおうって決めたの」
そんなシンプルな説明に、オレは。
「ふざけんな」
わなわなと震えた。
「お前ら、急に態度を変えたと思ったらそういうことかよ。女の子の姿になったからって、急に……急に、オレのことを好きになったってのかよ!」
「ちがっ……」
「いい加減にしろよ! 俺の気持ちなんてわからないくせに! 好きでこんな身体になったわけじゃないのにっ!」
「……っ」
「ずっと友達だと思ってた。友達でしか居たくなかった。なのに、なのにっ! お前らは急に、オレを——」
女としてしか見なくなった。
そう、思っていた。
ソーマがオレの唇を奪うまでは。
「っ——」
「……」
数秒間の短いキス。
その数秒が、無限にも感じられて。
「——っ、ハァ」
唇を離し、彼は告げる。
「俺たちはずっと前から——男だった頃から、想ってた。——お前がこの姿になって、踏ん切りがついたんだ」
オレは目を見開いた。
否応なしに変わらなくてはならない場面に来たのに、変わらなかったのはどっちだ。
——変わろうとしなかったのは、どっちだ。
「……ごめん」
一言だけ告げたオレに、チトセは告げる。
「選ばなくてもいいよ。それがあなたの希望なら、あたしたちは身を引くわ」
暗に選択を迫る言葉。——選ばないことも、また「選ばない」という選択だ。
オレは少しだけ俯いてから。
「ソーマ。チトセ。……オレは」
一息間をおいて。
告げた。
「——オレは、どっちも選ばない」
チトセは目を見開き、それから細め。
「……そっか」
背中を向け去ろうとする。しかし。
「待てよ、チトセ。……まだ終わってない」
止めるソーマ。
オレは続けた。
「……まだ、オレは何も知らない。なにも、受け入れられないんだ。女の子になったことも、お前たちがオレのこと好きだってのも。だから、選べない。……その気持ちを、受け止められない」
目を伏せる二人。息を呑んで。
「でも」
確固たる意志を持って、オレは告げた。
「だから、わからせてほしい。二人で、オレに」
「……なにを?」
「女だってこと。あと、その……好きだって、気持ちも」
「誰が?」
「チトセとソーマが」
「…………」
「…………」
沈黙。数秒。
その後に、二人は大笑いする。
「なんだよその笑いっ」
何か変なことでも言ったかな。というかソーマがこんな風に笑ってんの久しぶりに見たな。
むっと頬を膨らますオレに、二人は笑いながら。
『乗ったっ!』
ハモった。
「あ、チトセ。俺の台詞取ったな?」
「ソーマくんこそ! あたしのセリフ!」
喧々囂々。どこか楽しげなケンカを聞きながら、オレは小さく笑った。
*
放課後。駅までの道。
「こうやって一緒に帰るのも久しぶりだね」
チトセの言葉に、「そうだなっ」と答える。
「…………俺は嬉しくないからな」
むすっとするソーマの頬をつついて。
「ツンデレさんめ」
「うっせえばーか」
照れてるぞ。クールぶってても嬉しさを隠し切れてないのが、なんというか大型犬みたいで可愛い。
「というかソーマ、女嫌いはどうしたんだ?」
「……お前らは例外だ」
「こうやって歩いてると、ちっちゃかった頃を思い出すね」
チトセが不意に口にした。
「小学生の頃も、こうやってみんなで一緒に帰ってたっけ」
「……そうだな」
言われてようやく思い出す。
小学校も、低学年頃まではよくみんなで一緒に帰っていた。
いつの間にか、男女でそれぞれグループになって帰るようになって、俺たちは疎遠になっていったんだ。
「よくある話だけど、ちょっと寂しかったのよねー」
チトセの言葉に、俺は微笑んだ。
「これからは、ずっと一緒だ。二人とも、な」
「うんっ」
屈託もなく笑ったチトセ。目をそらしつつも照れるソーマ。
……なんだか、子供の頃に戻ったみたいで。
こんな日常も、悪くないな。
「なに笑ってんのー?」
「なんでもない!」
チトセの呼びかけに答える。
その口元は、どこか嬉しそうに、綻んでいた。
Fin.
面白かったら、ぜひ下の星マークやハートマークをクリックしてくださると作者が喜びます。ブックマークや感想もお待ちしております。




