非道徳な優しさ――新妻秋保の告解
私は雲雀くんの臨終には立ち会っていないし、死ぬ前の三カ月間は知らない。
そのため、末期の彼の姿を綴ることはできない。だが、その少し前の段階の彼についての印象的な出来事は幾らか綴ることができる。
死の前の彼についてできる限り詳しく記そうと努力する。
何分数年前のことも含めると記憶曖昧で時期に多少のズレがあることも否めない。
私の方で記憶を曲解している可能性もあるのだ。
また、私達の会話の中で特定の人を不快にさせる単語が含まれるが、私達の会話には各々そういったものが含まれていたが、誰かを攻撃する意図はなく、ただ悪趣味なジョークを言い合うのが長年の習慣になっていたのだ。
(会話を正確に表現するには、その時の温度感を知って貰うにはどうしても必要なのだ。)
そういったことを踏まえて頂いた方のみこの続きを読み進めて頂きたい。
今から2年ほど前、
その当時少しだけ流行っていたドラマ――今ではすっかり私はそのタイトルすら思い出されないし、多くの人もきっと忘れていることであろう。
あらすじを簡単に説明すると、心の荒んだ若者が病弱な少女ユカリと出会い、彼女の善良で他者を思いやる心に感化されて成長していく物語である。
私はサブヒロインが当時はまっていたアイドル――ユカリではない、ちょい役だったため見ていた。
私が雲雀くんのお見舞いにいった時間とそのドラマが重なっていた。
「まったく、おセンチでお涙ちょうだいな三文芝居だね。」
雲雀くんは忌々しげに笑っていた。
「その三文芝居で結構な富を得られるんだから儲けものだよ。嫌ならチャンネル替えようか?」
「……いいよ、見ようぜ。なぜなら僕は感動ポルノが大好きだからね。」
私はあまり気は進まなかったが、結局二人でドラマを見ることになった。
この時期の雲雀くんは好人物ではなかった。
私の健康をあからさまに憎悪していたし、
些細なことで怒り散らし周囲に当たっていた。
お見舞いに来た私を気分で追い返し、帰ったら帰ったで叔母を通じて文句を言うような有様だった。
「君みたいな何かと感じ難い人間には僕の気持ちなんて分からないだろうね。もっとも、日頃から馬鹿にされやすいんだから、神が与えた慈悲としての鈍感さなのかもね。」
鋭い皮肉を好んでは相手を傷つける快感に酔いしれていた。
死刑囚の半生を綴った記録や殺人事件の被害者の嘆きなど陰惨な話を好んでいた。
長年の病苦が雲雀くんを意地悪で捻くれた人間にしたことは間違いない。
しかし、私は彼のことを決して嫌っているわけではない。それどころか、私達はとても仲の良い友人――というよりは親戚であっただろう。
「あるところにノロちゃんという女の子がおりました。道を歩けば人にぶつかり、家を出れば死にかける。
ちょいとのドジでは済まされないそのおなご、当然苗字はウスで薄のろであります。」
雲雀くんが戯けて言った。
「やあやあ、あきちゃん。君のことだよ。よっ!薄のノロのノ〜ロちゃんっ!」
私を指していかにも楽しそうな彼の姿。
私はちょっぴり眉を吊り上げて見せた。
私の番といったところだ。
「やあやあ、何を言うかと思えば一人芝居。雲雀くん、そういう貴方は怒りん坊の虚言癖。よっ!笛吹き男!」
雲雀くんの目尻が緩んだ。
「意味のなーいことを!自分で何言ってんのかまるでわかっちゃいないね。どうやら会話で頭脳は使わない主義らしい。」
「そのとーり!さっては、あなた!楽しく話す作法をまるで知りませんのね!」
雲雀くんは黙った。
最後を飾ったのは私。
詰まること私の勝ちだ。
雲雀くんは肩を落として、眉間に皺を寄せたが口元は笑みは隠せていなかった。。
看護師の山田さんが、私達の様子をニコニコとしながら見ていた。
「楽しそうねぇ」
彼女は雲雀くんの部屋の担当であった。
山田さんは瑞々しい苺というよりは熟れすぎて醗酵しかけた無花果なのだが、どういう訳か雲雀くんはこの御婦人にお熱をあげていた。
「僕はもうね、あの人の孫の名前から差歯の位置まで知ってるんだよ。」
雲雀くんはよく得意げに言っていた。
彼の名誉の為に言うが、これはおそらく悪い冗談なので安心していただきたい。
山田さんはとても気さくな人で、会えば私にも柔らかく声をかけてくれた。
暇な雲雀くんの話相手をする忍耐もあった。
彼女がいる限り彼は最後まで孤独ではなかっただろう。
ドラマの話から脱線してしまった。
話を戻そう。
雲雀くんは当初そのドラマをあからさまに馬鹿にしていた。
ユカリと主人公が病室の窓から見える夕日をバックにしんみりと叶わない未来の空想にふける場面や、人前では気丈に振る舞いながらも一人になれば涙を流すユカリの健気な姿。
「あぁ……ユカリちゃん……!」
私は切なさで目頭が熱くなった。
だが、しかし――隣がうるさい。
「ヒューヒュー!!うわぁあっあ!」
雲雀くんは奇声を発しながら布団に潜り込んだ。
そういった場面を見ると彼は囃し立てずにはいられないのであった。迷惑なノイズだ。
だが、そんな彼も次第にドラマに引き込まれるようになった。
ユカリは人間としてあまりに完璧すぎたのだ。
動けない身体でも自分ができることを考え、
周囲に優しい言葉をかけ、
未熟な主人公の感情に寄り添い、
どんな時も周囲の幸福を祈り、感謝の気持ちを忘れなかった。
自分の苦痛は決して見せないよう努力し、それを知っているのは視聴者だけなのだ。
物語りの中盤、主人公は俳人になる夢を追うために地元から離れることになる。
ユカリは主人公と共に行くことはできない。
彼女は置いていかれる身なのだ。
ユカリ役の女優の演技は見事だった。
主人公の前では最後まで笑顔なのだ。
けど笑いきれていない、無理につくった――ふと気を緩めれば泣き顔に変わりそうな弱々しい微笑み。
自身の気持ちを押し殺して、病室から主人公の背中を見送るユカリの表情は痛々しくも崇高だった。
そんな彼女の姿を、雲雀くんといえどもずっと笑ってはいられなかったのだろう。
ユカリに影響されたのか、私への態度は日に日に優しくなった。
前は漫画本を持ってき忘れただけで当たり散らしていたのにえらい違いだ。
それどころか、
「よぉ!いらっしゃい……来てくれてありがとう。今日、ずっとあきちゃんに会えるの楽しみにしてたんだよ……」
そんなこと今まで言わなかったのに。
私は呆気に取られていた。
非情なことに、ドラマが進むにつれユカリの病状が悪化していった。
当然、ユカリは主人公には知らせない。
憧れの地で夢を追いかける主人公と、傍にいない主人公を想い病に蝕まれていくユカリ。
ドラマを見終わった後の雲雀くんは、一言も発さずぼんやりと宙を見ていた。
ある時私は、ネットで見た記事が突然頭に浮かび彼に話した。
「バグってストレスを抑えるんだって。」
「じゃあ、やってよ。」
雲雀くんは、腕を広げた。
声にはほんのり馬鹿にしたような響きがあった。
私は正面から近寄り、軽く抱きしめた。
「どう……?嬉しい?」
「……う〜ん、あんまり。」
私は自分で提案しておいて恥ずかしくなった。
気まずい沈黙が流れ、私は適当な感想を述べた。
「……私は嬉しいよ。最高だぁ。」
突然、彼の私の背中に回した腕の力が僅かに強くなった。
「……僕が死んでもあんまり悲しまないでね。」
その言葉に私は驚いた。
今まで病をちらつかせることはあっても決して、「死ぬ」とまでは言わなかったのに。
今にして思えば彼は、この時から既に自分の運命をぼんやりと悟っていたのだろう。
「……それは無理だよ。寂しいなぁ……しばらく引きずるね。」
それからこの抱擁は、訪れる度の習慣となった。
彼はいつも大人しく私に身を任せていた。
「あったかいね。」
「うん。」
「ひょっとして嬉しいの?」
私がからかうと、雲雀くんはふてぶてしく口を尖らせた。
「……体力がないから、押しのけられないだけだよ」
そんなある日、叔母を通して彼が余命宣告を受けたと聞いた。
叔母には本人には気づかれないようにしてくれとのことであった。
けれど、彼は気づいていた。
「お医者さんも大変だね。僕が予想したより早く死んだらもちろん怒るし、逆に想定より長く生きたら無駄に心配かけたって怒るからね。」
「仕方ない。お医者さんには耐えて貰おう。
私には無駄な心配であってほしいな。」
「僕の人生は何だったのかな……」
「私だって全力で生きても百科事典の染みにもなれないからなぁ。」
「……なんか、僕が今やるべきことってなんだろう?」
「……遺書残すとか?」
「わかった。よし!世界にとって僕という存在を失ったことが多大なる損失だと思わせるように書かないと!これから先間違いなくいろいろ成し遂げただろうに、不幸なことに自分の人生を始める前に死にましたよって!!」
空想することだけは自由だ。
私は美しい花模様の便箋と新品の筆ペン2本を用意した。
雲雀くんが頭を捻りながら文章を考えてる横で、私もペンを持ってウンウン唸った。
「……あきちゃんも書くの?」
「うん。私だって今日にでも風呂で溺れたり、卒中を起こしたりするかも知れないじゃん?」
「じゃあ、できたら見せ合おうぜ。」
そうして、完成したお互いの遺書を見せあった。私は雲雀くんの文才に感嘆するばかりだった。
過ぎ去った美しい日々への追憶、短い生涯で培った人生観、過去の行いへの悔恨と謝罪、あり得た未来への渇望、それから
感謝と残された我々へのエールも忘れない。
この遺書を読んだ人は雲雀くんが実際より偉大な人物に間違いなく思えるだろう。
そうした中、ドラマの展開はどんどん進行していった。
雲雀くんは食い入るようにテレビの画面を見ていた。
目を逸らしたいのに逸らすことはできないといった様子だった。
「あきちゃん………ユカリは……その、死なないっていうか…幸せになれるのかな……?」
画面では、痛みに苦しみユカリが薬剤を投与される姿が映っていた。
私は深く考えずに口を開いた。
「私が思うに、………多分死んじゃうんじゃないかな。今の展開だと主人公はまだ精神的に踏み切れてないしね。そもそも、ユカリちゃんって主人公を成長させるためにいるみたいな感じだし。
ユカリちゃんの死によってそこを乗り越えるのが一番の盛り上がりどころなんじゃない
。」
言った瞬間、不味いと思った。
口を滑らしたどころではない。
私は恐る恐る雲雀くんの様子を伺った。
「ドン引き。………なんか、人として無理だわ。」
彼は血の気の引いた顔で声を震わせた。
怒っているというよりは唖然としているようであった。
私はどう弁明したら良いか考えたが、上手い言い訳は見つからず黙っていると、
「僕が死んだらそれも……自分の……強化素材なわけ……?」
彼の瞳孔は激しく揺れ、苦しそうに顔を歪めた。呼吸が次第に浅くなっていった。
私は必死に声を荒げて、彼の肩に抱きついた。
「違うって!!だって私雲雀くんと会ってぜんぜん成長してないもん!成長するために会ってないよ!!ごめん!ほんとに無神経だったから……」
結局、ユカリは美しいまま画面の中で消えた。
私と雲雀くんの最期の会話は祖父への悪口だ。痴呆で呆けた祖父がみかんを喉に詰まらせかけて死にかけた話を二人で笑っていた。
雲雀くんはドラマのヒロインのように美しくはなかったが、その方がよっぽど人間らしい。
ユカリにも醜いところがあれば、私ももう少し彼女を好きになれたと思う。
ドラマが終わってしばらくした後、主人公役の俳優とユカリ役の女優が結婚発表をした。
雲雀くんはそれに不服だったらしいが、
最後には祝福していた。
「なんだよ、結婚しやがって!」
「えー、新妻の艶かしい魅力が加わったよ!やったね!」
「うーわ、きっっしょ!その言い方!」
「でも、見事ユカリちゃんが結ばれたと思えばー?」
「おめでとう!!!!お幸せにっ!!!」
狭い病室に彼の声が響いた。




