18 紅き瞳
静は差し出された短剣を眺め、ルイスからの報告を聞き、ぐっと顔をしかめた。
「良いなぁ! わたしも宝探ししたかった!」
「させませんよ」
「いや、駄目ですって。あそこ、触っちゃ駄目な奴けっこうありましたから」
ルイスだけならともかく、まさかヘクターからと止められるとは思いもよらず、静は小さく首を傾げた。
「何があったの?」
「触っちゃいけない仮面とか。たぶん開いちゃ駄目な本に、身につけたらやばそうな首飾り」
「うん、行かない」
ヘクターがそこまで言うほどだ。これは素直に聞き入れなければなるまいと思い、静が頷けばルイスからの視線に鋭さが増した。
静は気づかないふりをして、短剣を両手で握りしめる。
両手の中で、短剣がふわり、と淡く白い光が瞬き、ほんの少しだけ手の中が温かくなった。
『静に会えて嬉しそうよ』
「やったぁ」
短剣の気持ちを教えてくれるヨカゼを頭を撫で、そして静はルイスに短剣を渡した。
「よろしいのですか」
「うん。わたしにはもう剣があるし」
ユフィアータの美しい純白の剣は今、ベッドの上に置かれている。そして隣にはネーヴェが眠る籠が置かれている。
あれは元々ユフィアータの力そのものだ。だからネーヴェの側に置いておけば、もしかしたら、なんて希望的観測で隣に置いてみているだけだった。
何か言いたげのルイスの口元が僅かに歪むのを見つつ、静は控えているヘクターに笑いかけた。
「だからヘクター、預かってて」
「え、良いんです?!」
「うん」
ヘクターお得意の直感というやつだ。おそらく、これはヘクターが持つのに相応しい眷属だと静は何故か確信に近いものを抱いた。
ルイスは何も言わず、短剣をヘクターへと手渡した。ヘクターは両手でしっかりと受け取り、じっと短剣を見つめている。
「ヘクターに、ですかぁ」
「ジェイクには合わないもの」
「そうでしょうけど」
不満げに声を漏らしたジェイクをなだめれば、そうだぞと言うように白い蝶がジェイクの鼻先へと止まった。
あまりにも似合わない組み合わせに、静は笑うのを堪えつつ、忘れる前にとヘクターに再度視線を向けた。
「あ、お名前つけてあげてね。ヘクター」
「やった!」
まるで少年のように両手で振り上げたヘクターは慌てて短剣を大事そうに抱えつつ、無造作に窓を開けた。
「そんじゃ戻ります!」
「はぁい、いってらっしゃい」
「はい!」
窓枠を軽く蹴って外に出たヘクターの姿はあっという間にいなくなり、リーリアが困り顔で窓を閉める。
やはり窓からの出入りについては少しばかり思う所があるらしい。
どうしたものかな、と静は考えつつ、小さな欠伸を零した。
「眠るならベッドへ移動してください」
「ただの欠伸だよ?」
「昼寝はされなかったのですか」
「してないねぇ」
文句ありげな視線を向けてくるルイスに、静は笑って誤魔化した。
眠いのは眠い。けども、なんとなく、眠りたくなかったというだけの話だった。そんなことを言ってしまえばルイスは意味が分からないと一蹴して寝かせにくるのは分かっていた。
さてはて、一体どうしたものか。
ねぇ、と静は見上げるヨカゼに視線を向けた。
『ちゃんと寝ないと駄目よ、静』
「あれぇ? ヨカゼ、わたしの味方してくれないの?」
『だって力をまたちょっと受け取ったでしょう? ちゃんと眠って馴染ませないと駄目だわ』
「ああ、うん。そういうことね」
だから一気に眠気が強くなったと静はようやく理解した。けれども眠りたくないなぁと思案していると、すぐ横から見慣れた腕が視界に入ってきた。かと思えば、気づく間もなく静はいつものようにルイスに抱えられていた。
「寝てください」
「まだ眠くはない」
「声が寝そうですが?」
「気のせいだよぉ」
そんなはずはない、と思いたかったが何故か急に睡魔がすぐ真横までやってきていた。
ルイスが静をベッドへと問答無用で横たえる。その隙にリーリアが籠を静の枕元へ、剣を静の横へと移動させてくれた。
まだ寝ない、と静が言うよりも前に手套が外された手が静の両目を覆った。
「それで簡単に寝ると思うなよぉ」
「さっさと寝てください」
呆れているルイスの声と、リーリアの困ったような笑い声が聞こえた。
けど本当に、よく分からないけども眠りたくないのだ。分からない。ただ、突如として眠ってはいけない気がしていた。
だけどもこの手の温もりのせいで、静の意識は少しずつ解けてようとしていた。
まぁ、うん。ルイスがいるから良いか。と、静はもう諦めて意識をすぅっと手放した。
そうして。
静はまた夢の中で瞼を開け、息を呑んだ。
目の前に広がる荒廃した大地の割れた地表から、黒く、どろりとした何かが溢れ始めていた。
静は逃げようとし、ふと何気なく視線を上へと向け、全身に冷たいものがかけられたかのように血の気を引いた。
紅。あまりにも、大きな紅い目が一つ、静を見下ろしていた。
紅い目は静を見て、そうして笑うように細められた。
たった、それだけ。
それだけで静は何故か生きた心地というものがせず、全身がみっともなく震え始めた。黒く、どろりとした粘液のようなものが静を覆い尽くそうとしている。だから逃げなければいけないのに、どうしてか体が動かなかった。
その時、突如として目の前に二本の手がどこからともなく現れた。手は静の両頬を包む。まるで、大丈夫だと言いたげに。
静はその手を知らない。しかしどうしてか知っている、と確信をしてしまったと同時、どうしてか安心と畏怖を抱いた。
何がどうして、まるで相反する感情を抱いてしまっているのか分からずにいれば、手はゆっくりと頬から首元へと降りていく。そして、静の首を思い切りに締め上げた。
静は本能的に手をどかそうと藻掻く。だが、さらに手は締め上げは強くなる一方だった。
夢の中だ。だというのに、まるで現実の中にいるかのように呼吸ができず、苦しさで喘いだ。
本当に、このままだと死ぬ。少し前なら喜んで受け入れた。けども今は、あの子の為に生きようと静は決めている。だから抗い、涙をこぼしながら天上の紅い目を睨みつけた。
紅い目は一度瞬くと、何故かゆっくりと閉じていった。
あの声が聞こえる。しかし、その声は静を呼ぶではなく、こう囁いた。
ラグマドルス。
そこで、静の意識は浮上した。
何が、どうなっているのか分からなかった。
瞼を開ければ、目の前に顔を歪めるルイスがいた。ルイスは何故か静の両手を強くベッドに押し付けており、身動きが出来なかった。
「……静様……?」
「うん……?」
まるで確認をするように、ルイスは静を呼んだ。静は意味も分からずに頷けば、ルイスは大きく息を吐くと同時に静の両手を自由にし、静の上半身をそっと起こした。
一体何がどうなっているのか。
ベッドの傍らには青ざめているリーリアと、寄り添うヨカゼ。そしてジェイクがそんなリーリアの肩を支えながら、険しい表情を浮かべていた。
それらを見て、静は首から感じる違和感に気付いた。途端、腹の底がぐるりと回ったような、冷え切ったような感覚がした。
「……わたし、何してた……?」
ルイスを見上げ、問う。ルイスは答えたくないのか、視線を逸らすが静は許さないと言うように遠慮なく胸ぐらを掴んだ。
「教えろ」
「……ご自身で、首を……絞めようと」
一瞬、静の思考が止まり、思わず手を離した。両手を見下ろす。いつもと変わらない両手。けども、夢の中では静のものとは異なる手が確かに、絞殺しようとしてきて。
「ははっ」
思わず、静は笑ってしまった。笑うにおかしなことだと言うのに、どうしても堪えられなかった。
「ああ、そう。そうなんだ……へぇ……」
両手で顔を覆い、また小さく噴き出すように笑みがこぼれた。
そう。そうか。けども、おかげでよく分かった。
静は両手を下ろし、笑みを浮かべながらルイスを見上げた。
「ラグマドルス。聞いたことはある?」
「いえ」
そうだろうな、と静は即座に頷き、続けた。
「雪山。紫の花。白い石の祭壇。黄金の天秤。夜空。夢で見た場所だよ」
夢で見た景色。それら全て愛娘を象徴するものであるのはすでに明らかなものだった。そして当然のことながら、ルイスは即座に気づいたように口元を強く結んだ。
「紅い目をしていた」
「……先ほど、静様が乗っ取られている時、瞳が紅に染まっていました」
「じゃあ、それだな」
ルイスに何かを言ったのか、それとも何も言わずにいたのかは分からない。だが、その時のことを思い出したのかルイスの表情が寄り険しくなった。
何か声をかけるべきだろうが、静は変わりに問いかけた。
「調べられるね?」
「承知しました」
明瞭なルイスからの返事に静は笑みを深め、ようやく大きく息をついた。
途端、急に両手が震え始めた。静は誤魔化すように両手を強く握りしめるが、どうしても止まらない。
分からない。なんで急に、どうして。
「静様」
ルイスの大きな両手が、静の両手を包んだ。
「さむいのですか?」
寒いはずはない。それを分かっているはずなのに、ルイスはとぼけたようなことを聞いてきた。
けどもだから静は素直に頷けた。
「うん、さむい」
これは寒いだけ。だから手は震えてしまっているだけ。そう、強く思い込んだ。
「リーリア殿とヨカゼがおりますから」
「うん」
「すぐに戻りますので」
「うん」
震えはまだ止まらない。それを見て、ルイスは一度手を離した。何をするのかと眺めていると、ルイスはジャケットを脱ぎ、それを静の肩にかけてくれた。
「今は、これだけでもよろしいですか」
「……うん」
嫌だ、なんて言えなかった。だってさむいだけなのだから。
静は肩にかけられたジャケットを震える手で握りしめなが、きっと歪んでいるであろう笑顔を浮かべて頷き、リーリアへと顔を向けた。
「リーリア、ヨカゼ。さむい」
「はい、静様」
『寒いの? 静。ねぇ、ベッドに乗っても良い? 良いのよね?』
リーリアがすぐさまに静を抱きしめる為に両腕を伸ばす。そして遅れてヨカゼが何も言われないことを確認してからベッドに乗りあげ、静の背中に回って頭を押し付けてきた。
静は二つの温もりに身を委ねる。
視界の端で、ルイスがジェイクと共に部屋を後にしようとしていた。その直前、ルイスが一度静へと目を向けてくれた。
静は軽く手を挙げて、小さく左右に振る。ルイスは胸元に手を添え僅かに頭を下げ、扉を閉じた。
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訳が分からない。
俺達はただ、言われた通りにしていただけだった。
確かに俺達は表じゃ言えないようなことばかりをやっているし、恨みも山程買ってきた。だけども、それは俺達だけに限った話じゃない。
それに俺達には神がついていらっしゃる。俺達は神から天啓を受けたのだ。だから俺達は正しい。
そのはずだと言うのに、俺達は何故こうも追い詰められなきゃならねぇんだ。
黒い影が追いかけてくる。
建物の間を駆け抜け、飛び、いくつも俺達しか把握していない場所を通り抜けたはずだというのに、しつこく見失う様子すらなく真っ直ぐに影が直ぐ後ろにまで迫ってきていた。
何が一体どうなってやがる。
だって俺は俺達は。
突如、別の黒い影が落ちてきたのを目にした瞬間、強烈な痛みと共に意識が落とされた。
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雪が積もらない地域だからこそ、夜はより一方寒さが身にしみてくる。白い息を吐き出し、寒さに身を震わせながらフィルは、ヘクターの肩に腕を回した。
「すげぇな、それ。下手に毒使うよりも楽だわ」
「だろ?」
ヘクターは短剣を持ち上げ、月にかざした。見れば見るほどに何の変哲もない短剣だ。しかし掌に乗っている小さなゴーレムのゴズは楽し気に両手を振り上げている。この眷属はどうも調子に乗りやすい。さっきだって何度か落ちかけた。
「良いなぁ。ねぇ、名前決めたの?」
「もちろん! ベルンって名前にした!」
すぐ近くでしゃがみこみ、見上げるノーマンが唇を尖らせる。ヘクターは一切そんな様子に気付かずに楽し気に名を答えた。
が、その名にはフィルはもちろんノーマン、そして黙って聞いていたジェイクも目を細め、それぞれ顔を見合わせた。
「いや、まぁ、悪くはないんだろうけどさ」
「……なぁ、その名前ってさ。あの犬っころの飼い主だよな」
「むしろよく覚えてたね。ヘクター」
そう悪くはない、とフィルはちゃんと思う。しかし元の名であるのはヘクターという犬を飼っていた人間の名であることをジェイクもまた覚えていらしく、ノーマンに至ってはむしろ呆れながらも覚えていたことを褒めた。
ヘクターは三人の様子に首を傾げつつ、にかりと笑った。
「だってさ。あいつらいっつも一緒だったじゃねぇか。だからこれで丁度良いだろ?」
もう何も言うまい。フィルは掌にいるゴスの楽し気にしている様子を眺めることにした。
「逆転してる……。いや、むしろちょうど良い……?」
「……まぁ、ヘクターが満足しているなら良いんじゃねぇの」
フィルが言わなかったことをつい口にしたノーマンに、ジェイクは何も問題ないと何度か頷いた。
「あ、ジェイク。そろそろと起こした方が良さそう」
「ん、ようやくか。おら、さっさと起きろ」
ヘクターが周囲を見渡しながら言う。ジェイクは当たり前のように聞き入れ、そして地面に転がしていた二人の男達をぞんざいに足蹴しながら起こす。
もちろん男達は身動きが取れないように魔力の糸で強く縛られていて身動きは出来ない。
「遅くなった」
ジェイクが起こしている途中、暗闇から声が聞こえてきた。
フィルは顔を上げ見れば、こんなに寒いと言うのに上着を着ていないルイスがそこにいた。その後ろには、少し遅れてジェラルドとヴィートの姿が暗闇の中から出てきた。
「いや、そんなに待ってねぇよ。静様は?」
「リーリア殿と一緒に寝ていた」
ジェイクが強めに男の足を蹴り上げながら、器用にルイスと会話をする。その衝撃にさすがに目が覚めたらしい男が大きなうめき声をあげた。
ノーマンは片耳を抑えながら立ち上がり、折りたたんだ紙をルイスへと手渡す。
「これ、先に聞きだしといたよ」
ルイスは手元に小さな光を灯し、軽く目を通す。それからルイスは振り返り、ジェラルドへと手渡した。
ジェラルドは当然のようにそれを受け取り、そのまま同じようにじっくりと目を通した。
「……驚くほどに優秀だね。君達は」
「これぐらいは当然です」
「当然か」
ジェラルドは目線を上げ、ゆるりと微笑んだ。
「もう少し教えて欲しいことがあるのだけども。ヴィートは何かあるかい?」
「おう、そりゃあな?」
今夜は少し長引きそうだとフィルがそう考えていれば、ルイスが光を消し、また周囲は闇に包まれた。
と、同時に耳障りな男の声がよく周囲に響いた。
「もっとうるさくしてどうするんだよ、ルイス」
「手が滑った。それにこれぐらいで人は死なないし、最低限の治癒は出来る」
「うっわ」
見れば、男の足に銀色のナイフが刺さっていた。どうやらルイスがうっかり投げてしまったらしいが、それにしても騒がしく、ノーマンが不満を漏らした。
ルイスはナイフが刺さった男をそのままに、もう一人の男を見下ろした。
「お前達が素直に吐けばすぐに終わる。凍死はしたくないだろう? それとも見捨てるか? こいつを」
どうやらルイスは片方を見せしめとして使うらしい。
さすがは漆黒にいるだけはあるなと思いつつ、フィルはそっとルイスから視線を外した。
「うわぁ……ルイスの笑顔、こわ」
理由はノーマンが言った通り、ルイスが満面の笑顔を浮かべていたのだ。しかも器用に目は吹雪の日のように冷たいものだった。
ジェイクもまたフィルと同じく視線をそらしている。見てはいけない何かだった。
が、ヘクターは変わらず、むしろ楽し気に元気よく報告した。
「なぁ、ルイス! この短剣、ベルンって名前つけた!」
「……ああ、ベルンか。良い名じゃないか?」
「だろ? でさ、何か手伝うことあるならやるぜ?」
手伝うと言うが、本当はベルンを使いたくてたまらないのだ。やはりまだまだ遊び足りなかったらしい。
いつもの無表情に戻ったルイスは思案するように口元に手を当てつつ、藻掻こうとする男の頭を遠慮なく踏みつけた。
「そうだな。少し手を借りたい」
「やった!」
ヘクターが声を上げてルイスの元へと向かう。フィルはその背中を眺めつつ、二人の会話を耳に入れた。
「……なぁ、ジェラルド」
「本当にあんなに立派になって。落ち着いたらちゃんと成人の祝いをしなくては。そうだろう、ヴィート」
「……そうだなぁ」
ジェラルドにはとても好印象なようだが、ヴィートはしっかりと引いているらしい。
ヴィートの反応の方が正しいと思うが、けど漆黒だしなぁ、とフィルは内心大きく息をつき、一先ずはと周囲の警戒をすることにした。




