16 自ら動くことに意味がある
エヴァンハイン家が保有する宝剣。
天の神、アルカポルスから授けられたというものは正しくはユフィアータの物であると証明された、らしい。
理由としては、静がそうだと断言したから、とセオドアは鼻息を荒くしつつ説明してくれた。セオドアはとても楽しそうにメモ書きにペンを走らせていた。
その剣は静が力を注いだ結果、錆が消え去り、本来の姿を取り戻した。
白い鞘に柄、そして銀の細見の剣身が美しい剣だ。その見惚れてしまいそうなほどのその剣は今、静の手元にあった。
これについてもちゃんと理由がある。
当主であるジェラルドが言うには、これは銀の聖女である貴方のものであるから、と言って渡してきたからだ。しかし静は素直に受け取らず、あくまで借りている状態にしてもらっている。
何せ静は帰るためにどうすべきかと動いているのだから。
ということで借りている剣だが、残念ながら静が持ち運べるものではない。そもそもとして禄に歩けないような状態だ。むしろ転んで怪我をする。
だから剣は今、ルイスが静の代わりに腰から提げている状態にようやく落ち着いたのだった。
ルイスが剣を提げている。
柄から鞘まで白い剣は、ほとんど黒い服を着ているルイスが持っていると良く目立つ。さらに言えば、初めて見る姿についつい静は何度も後ろを振り向いてしまっていた。
「……何ですか」
「や、うん。目立つなぁって」
「……そうですか」
先程からずっと顔をしかめているルイスは不愉快そうに低い声を発した。
普段から剣を提げていないからというのもあるだろうし、漆黒は騎士ではあるが目立たず、それこそ身軽であることが求められる、と静はそう認識している。だから尚の事、ルイスにとっては今の状況というのは不愉快でしかないだろう。
とは言え素直に聞き入れてはくれている為、ルイスも納得してのことだ。そのうちになれるはず、と少しだけ楽観的に考えつつ、ゆっくりと屋敷の中を歩き回っていた。
目的はない。ただの体力づくりだ。失った筋力や体力は、鍛え直せば取り戻せる。
だから静はルイスと、横にヨカゼをつけてひたすら歩くことにしたのだ。
横からきゅう、とヨカゼが鼻を鳴らす。大丈夫か、と言うように。
静は大丈夫だと言うようにその頭を軽く撫で、そういえばとまたルイスへ、体ごと振り返った
「ルイス。その右目のことなんだけどさ」
「……はい」
「わたし、何も言わないから」
身構えた様子のルイスに、静は他人事のように方針を伝えれば、驚いたように僅かに目を見開いた。
まさに予想通りの反応をしてきたルイスに、静は少し笑いそうになったが構わずに続けた。
「たぶんだけど、ルイスがちゃんと理由を見つけないといけないものだと思うからさ。言わないでおくけど良い?」
「……静様は、原因が分かったのですか?」
「なんとなく」
「では」
「駄目だって、ルイス」
あくまで静の予想であり、想像の範疇に過ぎない。しかしルイスと、そして周囲の様子を見て、なんとなく分かってしまったのだ。
その答えを求めようとするルイスに、静はゆるく首を横に降った。
「……まぁ、確かに。今後の為には必要なのはそうなんだけど。けれども、無理にわたしはそれを使って欲しいとは思っていない。たぶん、無理に使えば負担が大きいものだと思う。ヨカゼ、そうだよね?」
ぐぅ。
「うん。だからね、ちゃんと分かってから使ってほしいわけ」
「しかし、それでは静様のお力が」
「どうしようねぇ」
その時はその時だ。なるようにしかならない。
自分のことではあるが、少し他人事のようについつい考えてしまう静に対し、ルイスは他人事であるはずなのにまるで自分のことのように顔をしかめていた。
それほどまで責任を抱かなくても良いのに、と静は考え、そしてやはり自分はルイスに相当甘いなとさらに自覚してしまった。
「……わたしは後悔したからさ。ルイスにはそうなって欲しくはないなぁって、ちょっと思ってる」
言わないなんて言っておきながら、ほぼ答えに近いことを言ってしまった静は内心自嘲した。
そしてそれを聞いたルイスは、静が言わんとしていることを察してしまったようだった。深緑の瞳は、迷子の子どものように彷徨わせ、ついぞ少しだけ下へと落ちてしまった。
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それから数日が過ぎたある日、窓から入ってきたノーマンがついに静へ苦情を言いに来た。
「静様さぁ」
「なぁに、ノーマン。ルイスの相手してたの?」
「最近、すーぐ機嫌悪くなると手合わせの相手させられるんですよ。こっちは」
「けどジェイクは楽しそうにしていたけど?」
「やっている間は、ですよ。その後なんかうだうだして面倒くさいし」
「考えてるねぇ」
まだ考えていたのかと静は内心呆れつつも、見守ることしか出来なかった。けどまさか、これほどまでに時間がかかるとは思わなかったけれども。
「すごくルイスに甘いのに。なぁんで意地の悪いことしているんですか」
「なんでも甘やかすわけないでしょ」
「……普段、相当甘やかしているくせに」
呆れるノーマンに、静は無言で笑って誤魔化してみた。そしたらノーマンは大きく肩をすくめ、大きくため息をついた。
甘やかしている自覚はある。実際、結局答えを言ってしまった。けれども、それでもそれ以上のことは、ちゃんと理由があって言わないと決めていた。
静は背もたれに深く寄りかかり、ノーマンが先程入ってきた窓の外へ目を向けた。
「ちゃんとね、自分で考えて、決めて欲しいなって思ったんだよ」
「……静様って、見た目は子供だけど、本当に大人なんですね」
「大人のフリを頑張ってるだけのガキだよ」
「そしたら僕なんてもっとガキになるじゃないですか」
ガキの自覚があるなら、まだノーマンのほうがより大人に近づいていると静は思う。
どうせガキなのは変わらない。だからどうやれば大人と呼ばれるような人間になれるか、装えるか考え行動するしかない。
「で、ルイスは?」
「ようやく行きましたよ」
呆れたような、けれども嬉しそうに笑みを浮かべるノーマンからの報告に、隣に控えていたリーリアが安堵した表情を浮かべた。
「良かったですね、静様」
「うん」
静は素直に頷き、笑みをより深め、ゆっくりと肩を下ろした。
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何一つ、その人は変わらなかった。
たかが数年程度だ。そうそう変わらないだろうに、何故か安堵してしまったことにルイスは内心驚きを隠せなかった。
「いつぶりかしらね。こうして二人で話すのは」
その人、母のセレスは口元に薄く笑みを浮かべていた。
室内にはルイスと、セレスのみ。使用人達は紅茶の用意をした後、静かに皆出ていってしまった。そのため、この場にいるのは二人のみだ。
セレスは紅茶を優雅な所作で一口飲み、小さな音を立てて置いた。
「漆黒のことは、あまり聞いてはいけないものだったわね」
「……はい。隊の性質上、秘匿すべきことが多いので」
「そう」
話をしたがっていた、とライナスからは聞いていた。ただ、どんな話をしたがっているのか、ルイスには何一つ分からないままだった。
同じ深緑の瞳が真っ直ぐにかち合い、ルイスはつい視線を落とした。
「どのように過ごしていたの?」
なんとも当たり障りのない、本当に雑談とも取れるような問いかけをセレスがしてきた。ルイスはとっさになんと答えれば良いのかと言葉をつまらせれば、セレスは指先を口元にあて眉尻を下げてしまった。
「ああ、これも難しいことだったかしら」
「……いえ。なんと、言えば良いのかと……」
別に過ごし方については漆黒とは関係のないものだ。だからルイスは今までの記憶を掘り返し、言える範囲のものを思い出す。結果、強く記憶に残った出来事を話すことにした。
「……何故か、よく分かりませんが。こぞって指導しようとしてくる者が多く」
「あら、そうなの? 教えることがお好きな方々が多かったのかしら」
「そうかもしれないです」
本当に理由は分からない。ただおかげで出来ることが一気に増えたのはなかなかに面白かったとルイスは記憶している。
「この前いらした方。異国出身なのね」
「はい。父上と同じ国の出身です」
「そうなのね。にしても、殿下付だなんて驚いたわ。あちらはこちらよりも異国に対して厳しい目を持っていたはずだというのに」
「いえ、その通りで間違いないです。ですが以前よりも良くなったようには思います」
初めて一人で王都に訪れた時のことをルイスはしっかりと覚えている。
異物を見るような目。明らかに敵意を持つ目。奇異と好奇心が入り混じった目。想像をはるかに超えたそれに、ルイスは何度も心が折れそうになった。けれどもなんとか踏みとどまり、そうして今に至ったのだ。
おかげですっかり慣れてしまったが、それでもあの目を前にするとつい視線をそらしてしまいそうになるのだけは変わらなかった。
「……あちらで、何かあったの?」
「大したことではありません」
セレスがそのように聞くのも当然だったし、何も無いなんてことは絶対にありえないことだった。
だからルイスは素直に、けれどもなるべくぼやかして答えることにした。
「この見目ですから。ある程度は覚悟していたことです」
「エヴァンハインという家名は、貴方にとっては枷にならなかった?」
「全く、とは言い切れませんが、些細なことです」
「本当に?」
「本当にご安心ください、母上。全て相応に対処しましたので」
「あら、まぁ。ルイスが?」
エヴァンハイン家の人間としてはある程度は想定の範囲内だろうというのに、何故かセレスは口元に指先を当て、目を丸くした。
「何故驚かれるんですか」
「だって貴方、いつもライナス達の後ろばかりにいて。それかシェリー達の相手をして……」
ずいぶんと昔のことだったし、家を出る直前はそのようなことはしていなかった、はずだ。おそらく。
ルイスは昔の思い出に浸るセレスの姿に少しの苛立ちを思えつつ、なんとなしにあの時に聞けなかったことを聞くことにした。
「……今だから聞きますが。何故、王都へ行くのを許可してくださったのですか」
「すぐに帰ってくるものだと思っていたのよ。ほら、あちらは厳しいって聞いていたし。なのに全く帰ってこないどころか、手紙なんて漆黒に入隊したっていう知らせと誕生祝いだけ。まさかこんな親不孝に育つだなんて思わなかったわ」
まさかのセレスからの答えに、ルイスの苛立ちはさらに増した。
この人はあの時のルイスの決断をずいぶんと甘く見ていたらしい。ということはジェラルドも同様だと思われる。なるほど、だからあんなに簡単に許可を出したのかと今になって知ってしまった。
ただ手紙の件については本当に弁解のしようがないので、ルイスはとにかく口を閉じることにした。
「ふふっ、けどまさか、銀の聖女様のお傍にいただなんて夢にも思わなかったわ。それにこうして、ルイスを連れて来てくださるだなんて……。何度も我らが神へ感謝をしても足りないくらい」
「……大袈裟です」
「大袈裟だなんて。親としては当然じゃないかしら?」
いつになく優しい眼差しに、ルイスはどうしてか直視することが出来なかった。更に言えば、今すぐにでもこの場から出ていきたくなる衝動に駆られたが、それと同時にどうしてか、ついもう一つの功績のようなものを語りたくなってしまった。
「……一応、ですが」
「何?」
「静様に付く前は、非公式でしたが、ヴィンセント様にも付いていました」
あくまでも非公式なものだ。だから功績としては残るようなものではないし、側にいたのだって半年程度。数年も殿下付として動いているロビンに比べたら更けば飛ぶようなものでしかないものだった。
と、セレスからの反応が何も無いことにルイスは遅れて気づき、恐る恐る見やれば、更に目を丸くしていたセレスの姿が目に入った。
「……母上?」
呼びかけた瞬間、セレスはずい、と体を前に傾けた。
「お兄様に自慢しても良いかしら? 良いわよね?」
「止めてください、母上。ヴィンセント様の職権乱用による非公式で半ば無理やりに付くことになったので。それに漆黒とも兼任なのでそれどころではありませんでした」
「だって仕方がないでしょう? ルイスがまさか大神官様にも仕えていらしただなんて。それほど優秀ということなのでしょう?」
「まだ未熟の域を出ません。本当にあれは偶然です」
本当に偶然だった。
どうしても大神官に届けなければいけない書類を渡しそびれた云々で、半ば無理やりにルイスが持っていくことになったのだ。時折大神殿からの任務も漆黒が請け負うことがあるため、別に驚くことではなかった。が、それにしたって目の前にいたからという理由で押し付けるのはどうかと今でも思っている。
で、いつものように最短距離で書類を渡しに行けば何故か面白がられ、その場で今から大神官付だと言われた始末。本当に意味が分からなかった。
これをどう説明しようかとルイスが頭を悩ましていると、有り難いことにセレスが話題を変えてくれた。
「静様はどんなお方なの?」
とても抽象的な問いだったし、どうやったって一言では説明出来ない難しいものだった。
ルイスは僅かに瞳を左右に揺らし、前提としてまずは確認をすることにした。
「母上は、静様が俺より年上なのは聞いておられますか」
「あら、そうなの?」
「……父上と伯父上はご存知ですが」
「あらやだ。クラリッサと一緒にお話しをしなければいけなくなったわ」
不敵な笑みを浮かべたセレスに、ルイスはさりげなく視線を逸らした。この確認は不要だったかもしれないと、ルイスは少しだけ後悔したが、黙っていた二人が悪いだけなのですぐに思考を切り替えることにした。
「静様は、とても寛容なお方です。こちらが呆れてしまうくらいには」
「あら、それは困ってしまうわね」
「しかし、売られた喧嘩は全て買う主義だとおっしゃられていました」
「まぁ、素晴らしい」
好戦的な面で言えば、きっとセレスと気が合うだろうとルイスは予想していたが、やはり好意的な反応を見せてくれた。
「静様はあちらではどのように過ごされていたの?」
「いつも、静様は部屋から外を眺めておりました」
「良いわね。けど、お庭の散策にはいかれなかったの?」
「……体調を崩されておりましたから」
「……そうなの」
大神殿に来てから、そう日が立たず、静は体調を崩した。本当にそれは日に日に悪くなる一方だった。
あの時からもうすでに、静は魔力の毒にやられてしまっていた。それはつまり、ユフィアータの力が大きく揺らぎ始めていたという証拠だった。今であればそれに対してどのように動くべきかと考えられるだろうが、あの時は本当に何も出来なかったとルイスは振り返る。
と、その中で、ルイスは静がその中でも、どんな風に過ごしていたかと思い出した。
「静様は、良く笑っておられました」
「そうみたいね。シェリー達からもよく笑っておられると聞いているわ」
「はい。だから……いえ」
「ルイス?」
あまりにも幼稚な疑問だと思い、すぐに取り消そうとした。が、セレスからの少しばかり感じる圧に負け、ルイスは素直に口を開いた。
「……何故、あのような状態だというのに笑っておられるのかが、分からないのです」
「ご本人にお聞きしたの?」
「聞いては、おりません」
「お聞きしなさいな」
セレスからの正論に、ルイスはつい口を閉ざした。何も言えることがなかったからだ。
ルイスのそんな様子を目にしながら、セレスは困ったように眉をひそめた。
「貴方はとても聡い子だから、見ればだいたい理解してしまうのは良いところだけども。だからって話さないままでいるのは悪い所よ? 本当、小さい頃から変わらないわね」
「……成人は迎えています」
「私からしたら子供だわ。もちろんライナスもだけど」
そんなことを言われてしまったルイスは、何も反論することが出来なくなってしまった。
ルイスはセレスからのその、変わらない眼差しから逃れるように視線をそらし、さりげなく棚に置かれている時計を目にした。
「そろそろ静様の元へ戻る時間?」
「……すみません」
「なんで謝るのかしら」
静の元へと戻る時間はとくに決まっていない。だからまだ話せる時間は残されていたが、ルイスはセレスの勘違いを否定することしなかった。代わりに、話しを無理やり切り上げるようなことをしてしまったことに謝罪を口にすれば、セレスは小さく微笑んだ。
「楽しかったわ、ルイス」
ルイスは母の微笑みの前に、ほんの小さくだけ、はい、と返事をした。
部屋の外へと出てすぐ、ルイスは扉の脇にいた人物を見て舌打ちをこぼしかけた。
「……いつからいたんだ」
「ついさっき。まだ話してるんだなぁって思ってさ」
そこにいたのはライナスだった。まだヴィートではないだけ良かったと思うべきなのだろうが、まさかこうして待ち構えられているとは思わなかった。
一気に機嫌が悪くなるルイスに気付いてか、ライナスは僅かに口角をあげた。
「母上は何だって?」
「……楽しかった、と」
「そっか」
ライナスはそれだけを聞くと裾を揺らし、そそくさにその場から退散してしまった。
本当に一体なんのようだったのか。
ルイスは遠ざかるライナスの背中をしばらく眺めながら疑問を抱く。が、一向に答えが見つからなかった。
そして、だからルイスはとても不本意ではあるが、もし、タイミングが合えばになるが、その時に聞こうと長考の末、ようやく決心したのだった。




