14 白き剣
その二日後、静はまたあの豪華な部屋の、豪華な一人掛けのソファに座らされていた。
内心つらつらと後ろに控えているルイスに文句を垂れ流しつつ、静はなんとかして笑みを浮かべれば、その男、ジェラルドはとても柔和な笑みを返してくれた。
「改めて、ジェラルドと申します。隣にいるのが妻のクラリッサです。そして」
「ご挨拶が遅くなり、大変申し訳ございません。ルイスの母、セレスと申します。静様」
目の前にある二脚の二人掛けのソファにはそれぞれ、ようやく戻ってきたこの屋敷の当主、ジェラルドがおり、その隣にはようやく顔をあわせることが出来た奥方のクラリッサは、青く丸い目を細め可愛らしい笑顔を向けてくれた。この中では比較的に素朴な顔立ちをされており、少し癖のある茶色の髪はより愛らしさを際立たせていた。
そして向かい側にはルイスの母だと名乗る、セレスという女性が座っていた。クラリッサ同様の茶色の髪だが、こちらは綺麗に一つにまとめている。ルイスとそっくりの深緑の瞳に親近感を覚えたが、元の顔立ちのせいだろうか。少しばかり冷たい印象が強いお人だった。ちなみにヴィートはソファに座らずにソファの背もたれ越しにセレスの後ろに立ったままだった。何故か。
静は今、この屋敷の主はもちろん、ルイスのご両親と顔をようやく合わせたのだ。勢揃いで。
せめて一組ずつが良かったな、と目の前にいる方々から感じる妙な圧から気をそらそうとするも、それを許さないと言わんばかりにジェラルドが眉尻を大きく下げつつ口を開いた。
「話は息子のアイザックから聞いております。この度はお手を煩わせてしまい、申し訳ございません」
「い、いえ。その」
「我らに敬語は不要です。もちろん、敬称も」
「……せめて、ジェラルドさんとだけは呼ばせてください」
「はい」
敬語はそのうち取れるはずだ、きっと。
それまでは我慢してもらおうと静は決め、三日前のことを思い出した。結局の所、あれは必要なことだったから対処しただけで手を煩ったとは欠片も思ってはいなかった。
「あれは……見つけたのはそばにいてくれた狼だし、ルイスがいなかったら対処ができなったことだから、手を煩わせたとかそういうのは一切違うというか」
「しかし、体調を一気に悪くされたと」
「無理に力を使ったからとしか。けど結果的にここまで回復しているし、必要なことだったからやっただけです。それにあれについては、わたしとしても早めに対処したかったからだけですから」
静は欠片も一切迷惑とも何も感じてはいない。
むしろ敵がどのような手段を用いてくるのか、把握出来たのだ。そして対処方法も被害がまだ大きく広がっていないうちに知り得たのは幸運としか言いようがなかった。
ジェラルドは少しの沈黙の後、ほんの僅か、困ったように眉尻を下げた。
「承知いたしました。ご寛大なお心に感謝いたします」
仰々しい言い方に静は思わず顔をしかめそうになった。
何とか対面を保ちつつ、早速だが静はこの屋敷の当主であるジェラルドに問うことにした。
「そういえばあれの正体って、呪術なんですけど」
「……ほぉ、それはそれは。そうでしたか。ええ、はい。何でしょうか」
呪術と口にした途端、ルイス達同様にジェラルド達の空気が固いものへと変化した。
魔術とは異なるらしいそれは、分からないなりにも悪質なものだと察しつつ、静は続けた。
「本来、あれは浸食するもの。つまりは呪術の範囲が広がるはずだった。けども範囲は広がらず、大きく変化したのはあの木がほぼ枯れているような状態になった程度だった」
「なるほど。つまり、呪術がうまく施されていなかった、と?」
「いいえ。この屋敷か、それとも敷地内のどこかにユフィアータ由来の何かが、呪術の力を抑え込んでくれていました。だから、この場にいる全員は守られていたんです」
三人が目を丸くしたり、細めたりと反応を見せる。その中で、ジェラルドの表情は変わらなかった。
静は困ったな、と思いながら笑みを深めた。
「何か心当たりは?」
「……心当たり、ですか」
ジェラルドは顎をさすり、まるで何も知らぬと言わんばかりの反応を見せる。それは何か考えがあって、なのか。それとも本当に見当がついていないのか。
と、控えていたルイスが口を開いた。
「伯父上」
「なんだい、ルイス」
「我が一族に伝わる宝剣を拝見させていただきたいのですか」
ルイスの言葉に、ジェラルドは何故か少しだけ笑みを深めた。
「あれかい? あれは我らが神から頂戴した剣という言い伝えではあるけども……」
もったいぶるかのように思案する姿を見せるジェラルドは、くつり、と笑みをこぼした。
「おーい、ジェラルド」
「ああ、すまない。ついね?」
ヴィートが呆れたように顔をしかめれば、ジェラルドはさらに小さく肩を揺らした。そこで静はルイスへと振り返り見れば、いつになく険しく、口角をこれでもかと下がっている表情が見えた。
わ、ガキっぽい。
静がそう思った瞬間、ルイスから視線を向けられ、静はすぐさまに視線を元に戻した。
「もちろん構わないよ。それにちょうど先生もいるわけだしね」
「……先生?」
「おや、ルイス。忘れたのかい? お前の家庭教師として教えてくれただろう?」
そう言えば前に旅をしている学者からいろいろと教わったとかどうとか、リーリアに話していたのを思い出した。
あの時は今よりもずっと距離というか、壁のようなものが薄らとあったが、まさかここまでになるとは思わなかったと、静はついしみじみと思い出に浸りそうになった。
「覚えております、が。何故」
「戻ってくる途中に久しぶりに会えてね。ついでに乗せてきたんだよ」
「……ついでに」
「そう。ついに先生もここに拠点を置いてね、多くの本に囲まれて過ごしてらっしゃるよ」
「そうですか」
そうしている間にもルイスとジェラルドの会話は続く。
なるほど、その学者先生は今、この近くに住んでいて本がとても好きなのだと言う。一体何の学者なのかが気になるところだ。
静はその学者について問おうかと思っていると、まっすぐに静を見ているその人と目が合った。
「静様、昨日は娘達の相手をしてくださりありがとうございました」
「あ、はい。いえ」
その人、ジェラルドの奥方であるクラリッサはふふ、と小花のような愛らしい笑顔を浮かべた。
実は昨日、ルイスの実妹、そしていとこの双子とあの桜の木の下で短い時間だったが話をしたのだ。
どうして聖女になったのかやら、好きなもの、嫌いなもの。ルイスは普段何をしているのか、どうして一緒にいるのか等々。途中でルイスが間に入らなかったら永遠と話が終わらなかった気がする。
何とも元気で輝いている子達を前に、圧倒され続けた静は、部屋に戻ってすぐに眠りについた。それは良い寝つきの良さだったとヨカゼは教えてくれた。
と、続いて反対側からも声をかけらた。
「静様。お聞きしてもよろしくて?」
「え、あ、はい」
今度はルイスの母、セレスだった。ただの微笑みだ。だと言うのに何故だろうか、勝手に背筋が伸びてしまう雰囲気があった。
セレスは口元に指を添えて、小さく笑みをこぼし、ゆるりとルイスと同じ深緑の瞳を細めた。
「何故、ルイスを選んでくださったのか。少し気になってしまいまして」
確かに母としては気になるようなものだろう。昨日だって彼女達にも聞かれたが、あの時は成り行きだったと曖昧に答えた。
だから静は今回も曖昧に答えようと思ったが、この人を前にしてそれが許されないことだと何故か、理解してしまった。
「……その、とても説明がしにくいと言いますか」
「あら、そうですの?」
「刷り込みですね」
セレスは無言でルイスへと視線を向け、上からルイスの大きなため息が良く聞こえた。
「いや、あのですね? ルイスにはいろいろと助けてもらったんですけど」
「まあ、ルイスに」
「はい。で、えぇっと。結果的に、ルイス以外の異性はちょっと駄目と言いますか。話せはするんですけど、それ以外はまぁ、難しいと言うか。だから刷り込みだな、と」
「ねぇ、静様。別の言葉は変えた方がよろしいと思いますわよ?」
「……思い浮かばなくてぇ」
あらあら、とセレスは上品に微笑み、さらに静に問いかけてきた。
「けども、それならば女性の騎士でもよろしかったのではなくって?」
「ああ、うん。そうなんですけど。本当によく分からないんですけど。部屋から出られなくって」
「……出られない?」
「はい。部屋から出ようとすると、過呼吸とか起こしてしまって。ただルイスがいたら問題なかったんですけど」
本当に意味が分からない。ただ恐ろしいというだけなのは分かるけども、あまりにも異常な怖がり方をしていると静は自覚している。
自分のことだというのに、自分ではないような、そんな風にさえ感じられてしまうくらいだ。だが、今、そのことについて考える時ではないと静はその思考を隅に追いやり、眉をひそめて笑った。
「だからルイスがいないと、どこにも行けないんです」
困ったことだとは思っている。けども、それ以上に仄暗い喜びの方が強くて、どうしたって申し訳ないとは全く思えなかった。
だから表面上は困ったと静は装った。それがどう見えているのか分からない。ただセレスは少しの無言の後、ほんの少しだけ視線を落とした。
「そうでしたの。申し訳ありませんわ、お話しにくいことをお聞きしてしまって」
「いえ、大丈夫です」
「ルイスったら、ほとんど手紙を送ってはくださらないの。あっても誕生祝いの時ぐらいで、文章なんて素っ気ないものばかりだから、つい、母親として気になってしまいまして」
知らせがないのは元気である証拠だとも言うが、誕生祝の手紙しか送らないとは筆不精にもほどがあるのでは、と静はついルイスを見上げてしまった。
「……何ですか」
「……もうちょっと手紙送ろうよ」
「……善処はします」
これは絶対に書かないな、と静は確信した。
「ふふっ……話がだいぶ脱線してしまいましたね。早速ですが我が一族に伝わる宝剣をお持ちしましょう」
「お兄様。お待ちになって」
ルイスの返答に対して笑ったのかは不明だが、ジェラルドが腰を上げようとするとセレスが止めた。
「なんだい、セレス」
「実際に、祀られている場所を見ていただいたほうがよろしくてはなくって?」
「……しかしあそこは」
聖女は言え、静は部外者に過ぎない。だから大事な場所であるならばここで宝剣を見させてもらうだけでも十分だった。
ジェラルドがセレスの申し出に顔をしかめるのも仕方がない。だと言うのに、セレスは華やかな、しかしどこか凄みのある微笑みを浮かべた。
「聖女様ですわよ、お兄様。それに、ルイスは加護をいただいている身ですのよ?」
「……ああ、分かったよ。セレスには敵わないね。ヴィート、どうやったら勝てると思う?」
「無理だな!」
「クラリッサ」
「セレス様に勝たれる旦那様はちょっと……」
「そうか。それならば仕方がないね」
ヴィートはあっさりと否定し、クラリッサは控えめにしながらも解釈違いだと伝えた。ジェラルドは僅かに肩を落としつつ、何故かクラリッサの腰にさりげなく手を回し、何故か距離をつめていた。
静は無言でまた、ルイスを見上げる。
ルイスは目元を抑え、息をついていた。
「……静様、慣れてください」
「……はぁい」
なるほど、これがここの日常らしい。
ルイスの気苦労を目の当たりにした静は、そろり、と窓の外の景色を眺めることにした。
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そういえばこの世界で眼鏡なんて初めて見たことに、静は小さな感動を覚えた。
「これはこれは! お会いできて光栄でございます、銀の聖女様!」
件の学者、名をセオドアという男は大きな分厚い眼鏡を押し上げ、ずずいと椅子に座る静に詰めよる。が、その前にルイスが間に入る。
セオドアはレンズの奥にある薄めた青い瞳が丸まり、数歩下がりながらもにんまりと笑みを浮かべた。
「久しぶりですね、ルイス。ずいぶんと大きくなって……。もう少し大きくなるとは思ってはいましたけど」
「余計な一言は健在ですね、先生。静様は異性に対し恐怖心を抱いております。それ以上は近づかぬようお願いします」
「おや、ルイスは平気なんです?」
「はい」
「ふむ。そうですか」
それなら仕方がない言うように、セオドアはとくにそれ以上は何も聞かず、しかし何か含みがあるかのように笑みを深めた。
くるくると癖のある茶色の髪。くせ毛か何かかと思ったら、あれはおそらく寝起きのまま来たのだと分かってしまった。何せ一部凹んでいた。古めかしい少しシワが目立つ簡素な服を身に包んでいるセオドアは静に向き直り、その場からわずかに頭を下げた。
「改めまして、銀の聖女様。僕はセオドア。神話について研究をしておりますしがない学者でございます」
「静と申します。目が悪いのですか?」
「ええ。皆からはさっさと魔術を使って治せと言われるのですが、僕はこの不便さというのが楽しくて仕方が無いのですよ」
「そうなのですね。わたしも先生と呼んでよろしいですか?」
「ええ、もちろん。ああ、無理に敬語なんて使わなくてもよろしいですからね?」
「……そのうち、はい」
やはり聖女という者から敬語を使われるというのは、こちらの国の人達にとっては座りが悪いものがあるのだろう。
とは言え相手は静よりも年上。自然と話すときに敬語が出てしまうのも仕方がなかった。
セオドアをここまで連れてきたジェラルドは、二人の、というよりルイスの様子を眺めていた。しばらく見ていれば、ジェラルドは静の視線に気づいき、わざとらしく一つ、咳払いをした。
「では、案内しよう」
誤魔化すジェラルドだったが、静はしっかりと見ていた。
微笑みを浮かべ、陽だまりのようなまなざしでルイスを見つめていたあの瞳を。
先ほど静達がいたのは何の変哲もない、ジェラルドの書斎だった。
壁一面に置かれた棚には本が埋められており、そのどれもがなかなかに分厚い。真咲が見たら顔をしかめそうだな、なんて考えてしまった。
ジェラルドはその本棚の前に立ったかと思えば、本を抜き取り、手元から鉄の鍵を取り出したかと思うと棚の中へと入れ、カチリと回す。そして中央の本棚が手前へと扉のように開いたのだ。
奥に続くのは地下へと続く階段。わぁ、ファンタジーだ。なんて小並感たっぷりの感想を抱いたのは言うまでもない。
そして静はいつものことながらルイスに抱えられたまま薄暗い階段を下っていた。もはや慣れきったこの状態に、静は疑問も羞恥も抱かなくなってしまい、むしろ今はちょうど良い揺れのせいで少し眠くなりそうなくらいだった。
「静様、寝ないでください」
「眠くなってきただけだよぉ」
さすがにルイスにはばれてしまったらしい。静は誤魔化すことなく素直に伝えれば、溜息をつかれた。
不本意である。
「ふふっ、もうつきますからね。静様」
「はぁい」
前を歩くジェラルドに返事をしようと思ったら欠伸もついでに出てしまった。
上から視線が突き刺さってきたが、静はまるっと無視した。
全ての階段を降りきった先にあったのは、これまた厳重そうな金属の扉だった。
また鍵であけるのだろうかと静はその後姿を眺めていると、一瞬、空気が揺らいだ気がした。一体どこから風が入り込んだのかと、静は周囲を見渡している間にもジェラルドは扉の中央にあった四角い緑色の石に触れ、淡く瞬き、扉が開かれた。
「なるほど。血を鍵にしているのですか」
「こういう鍵だと複製されてしまう可能性があるからね。ああ、もちろんだけど、今は僕しか開けられないようにしているから」
「お次の当主でもあるアイザックはまだ、ということですか」
「僕としては早く隠居して、クラリッサとのんびりと過ごしたいところではあるのだけどね」
ジェラルドが先に入るのに続いて、静を抱えたままルイスが足を踏み入れ、最後にセオドアも扉をくぐる。
中は灰の石で作られた空間だった。年代物であろう書物が棚いっぱいつめられていたり、鎧や剣、槍等々武器が適切に飾られている。その他、絵画や、誰が見ても高価そうな宝飾の類まで様々なものが置かれていた。
「ここは宝物庫にもなっているんだ」
「……上にもありますが」
「あれもそれなりに価値があるけど、最悪は盗られても良いものばかりだしね。それに近頃はヴィートがどこからか手に入れて増えていて困っているんだ。ああ、そうだ。その目でちょっと鑑定って出来ないかな?」
「加護を便利に使おうとしないでください」
「ふふっ」
盗られても良いお宝とはどういうことなのか。
次元の違う話を聞いた静は、貴族ってすごいなぁと二回目の小並感たっぷりの感想を抱くだけにとどめた。
そんな二人が会話をしている横で、後ろにいたはずのセオドアはいつの間にか本が並ぶ棚の前へと移動していた。
「おお、素晴らしい……! もはや大神殿の書庫でしかお目にかかれないものばかりだと思っていましたが……!」
「後でも構わないかい?」
「後でということは」
「もちろん、持ち出さなければ読んでもかまわないよ」
分かりやすくセオドアは目を輝かせ、期待に鼻息を荒くしていた。
「さ、こちらだ」
そしてジェラルドはさらに奥にある木製の扉へと手を向けた。
さらに奥へと進めば、そこは白い石造りの小部屋だった。
目の前には大神殿の紅星の間にあったアルカポルスの小ぶりな彫像が一つ。その後ろには左側がほとんど焼かれ、残っているのは右下半分のみの絵画が飾られていた。そして、彫像の目の前に祀られるように置かれている、鞘も柄も錆の色が見える一振りの長剣が置かれていた。
「これはこれは……素晴らしい。あの絵に描かれているのは愛娘達ですね?」
「そうだよ。それと後ろにいるお方がアルカポルスだと言われている。ただ左側に何があったのか、残念ながら伝えられていなくてね」
「なるほど……。しかし焼かれているとは……」
左下には四人の少女達。あれが愛娘達であるのは髪色と髪形で判別が出来た。ただ、その奥に描かれているのは胸あたりから下までしか残されておらず、ジェラルドがアルカポルスだと言わなければ判断が出来ない人の姿しかなかった。
ほぼ四分の三が焼失されている絵画。何かの事故があったのか。それとも、そうする必要があったのか。ここにネーヴェがいたら教えてくれるだろうか。それか、分からないと言うのだろうか。
今、この場でこれ以上のことを考える暇はない。静は早々に思考を切り上げ、目の前に置かれている錆だらけの剣に目を向けた。
「こちらが我が一族に受け継がれている宝剣になります。静様」
宝剣と言われるくらいだ、美術館で展示されているかのように美しい状態だと思っていたが現実はずいぶんと異なるらしい。
セオドアも興味深げに腰を曲げ、落ちかけた眼鏡を押し上げながらよく見やった。
「ずいぶんと錆びついていますが……。手入れを怠ってしまったのです?」
「まさか。ただ、僕が受け継いだ時はもうこのような状態になってしまっていたんだよ。ただ、鞘から抜けないから、せいぜい鞘や柄の汚れを取り除くぐらいしか出来ていないけどもね」
酷い錆で中が固着しているのかもしれない。状態としてはだいぶ悪いそれに、静は剣から一切視線をそらしはしなかった。
「静様」
「うん。これだね」
ルイスもどうやら見えているらしい。横目でルイスの右目を確認すれば、エメラルドの光が淡く揺らいでいた。
「ルイス。静様によくお見せしなさい」
「はい」
そう言うとジェラルドは素手のまま、宝剣を両手でつかみ持ち上げる。ルイスは一瞬考えたように、一度動きを止めたがすぐにその場に片膝をつき、静を膝に座らせ、空いた手で宝剣を受け取った。
「どうぞ、静様」
「ありがと」
目の前へと差し出された宝剣に、静はまず軽く鞘に触れてみた。
たった、それだけでより強く感じられた。
ああ、やはり、これだ。これなのだ、と全身が教えてくれている。そしてどうしなければいけないか、ということも。
けどもそれをやれば怒られる。もしくは小言は免れない。静は控えめにルイスの様子を確認しつつ、口を開いた。
「あの、さ。ルイス」
「お好きになさってください」
「え、何も言ってないのに」
「何を言っても止められないのは理解しています」
そして後から何故やったのかというお話がついて来ると静は知っている。
とはいえ止められなかったので静は遠慮することなく、実行に移した。
静が両手を伸ばして剣を掴み、軽く引く。とルイスは察したように慎重に手を離してくれた。途端感じる重量感に驚きつつも、落としかける前にしっかりと腕の中に抱え込み、静はそのまま瞼を閉じた。
行うことは簡単なことだ。
今、この身にある力を、剣へと注ぐだけ。
簡単な、しかし一歩間違えればまた、命の危険がある行為。だけれどもやらないなんていう愚かしい選択を静が選ぶはずが無かった。
要領は分かっている。ルイスやリーリアの力を借りた時と同じようにやるだけ。
うまくいっているようで、代わりに胸の内にある痛みが増幅している。さらにこみ上げてくるものを必死に堪え、静はひたすらに力を剣へと集めた。
そうして、腕の中が少しだけ、ほんの少しだけ小春日和に降り注ぐ陽射しのような温もりを感じ、静は瞼を開けた。
僅かに、剣が瞬くように白い光に包まれていた。
静は僅かに震える指先で柄を握り、小さく息をつめ、鞘から剣を抜いた。
漏れ出す眩しい白き光に包まれ、見えたのは白銀の、美しい剣の姿。さすがに全てを鞘から抜くことは出来なかったが、少しでも見えたその剣身を目にし、静はぼやける視界の中、大きく笑った。
「あは、ユフィアータだぁ」
ここに、こんな場所にユフィアータがいた。正しくはその力だが、この気配は紛れもなくユフィアータそのものだった。
光は次第に弱まり、最後は光の粒となって消え去る。残された剣は、あれほどあった錆が嘘だったかのように消え去り、鞘も柄も本来の輝きを取り戻していた。
静はまた剣を鞘へと戻し、きつく抱きしめた。
返さなければいけないと、頭では分かってはいた。これはこの家のものであり、自分の物ではないから。けどもどうしても、遠のきそうになる意識の中、静は必死に離さないと言わんばかりにきつく抱え込んでしまっていた。
ぐらつきそうになる身体をルイスの手が支えてくれる。そして、耳に彼の言葉がするりと入り込んだ。
「……静様、ご安心ください。貴方から取り上げるようなことはしませんから」
「ほんと……?」
「はい」
何とも力強い声に、静はようやく腕の力を少しだけ緩め、くたり、とルイスに寄りかかった。
「ふふっ」
安心したら、今度は強い眠気がやって来た。
きっとあの夢を見る。けども今はルイスの腕の中だし、何よりもこの剣があるのだから、何一つ怖くないなと思い、静は小さく笑みをこぼし、ゆっくりと瞼を下ろした。




