13 未詳もあれば秘密もある
ふっと見た窓の外はとても良く晴れていた。
ああ、こんな時にお花見なんてしたら最高だろうに。なんて思考を明後日の方向へと向け、目の前の現実から逃げようとした。
『ねぇ、お名前くれないの?』
「うん。今、考えてるところ」
『うふふ、そうなの? 楽しみだわ』
無邪気に軽やかな声を発する目の前の黒銀の狼は、にんまりと狼らしく笑っているかのように歯をむき出した。大変可愛らしい。
撫で回したい衝動を必死に抑えながら静は狼に問いかけた。
「先に貴方の事、教えてくれない?」
『そうね。えぇっと、どこから……もうだいぶ昔のことだから、だいぶ忘れてしまっているのだけども良いかしら?』
「大丈夫。話せる範囲で良いよ」
だいぶ昔とは、どれほど前のことだろうか。
そもそもとしてこの狼がどれほど生きているのか分からないが、普通の狼であれば寿命はだいたい十年か、そのあたりと短いはずだ。比較的小柄だと思われる狼は、まだ数年という見た目。
しかし話す狼だ。きっと長く生きている可能性が高かった。
『私、生まれはこの国じゃないの』
「そうなの? どこ?」
『あの桜がある国よ。私、そこで神様に仕えていたの。神使って言えば分かる?』
ということは日本に近い文化を持つ国だろう。しかも神使、とは。静はすぐに狐やらの動物の姿が思い浮かんだ。
「あー……うん。分かる、大丈夫。けど狼、かぁ……。狐とか蛇もいるの?」
『ええ、いるわよ。よく分かったわね』
「わたしがいた国とよく似ているなぁと思って。多いのは狐だった」
『私のところもそうよ。けど、やっぱり違うわね。匂いが全く違うわ』
「うん。異世界から来たからね」
『そうなの。どうやって?』
「魔鉱石がいきなり側に落ちて来てね。ぴかって光って、気づいたら落ちてた」
『あら、一緒。すごいわね、違う世界まで巻き込んでしまうのね』
思わず、静は口元を手で覆った。
この狼は、あの召喚術によって連れてこられた。ただ静達と異なるのは、世界を超えてはおらず、国を超えて。同じ世界であれば帰ることは可能。しかし、それはいつで、どこに召喚されたのか。
室内の空気が妙に張り詰めたのを肌で感じる中、どうしたのかと小さく首を傾げる呑気な狼に静は手をおろし、微笑んだ。
「……いつから、ここに?」
『いつから……? そうねぇ、この国の季節はちょっと分かりにくいけど……百年は超えているかしら?』
静は思わず明後日の方向へと目を向けてしまいそうになった。
百年。まさかの百年とは、全く持って想像していなかった。だが、おかげでジェイク達が関わっていたものとは関係のないものだとはっきりと分かっただけでも今は良しとした。
「落ちてきた場所って、どんな場所だった?」
『雪の中よ。すごく深い雪の中。たくさん魔物がいたけど、この国の小さな神様達。ほら、あそこにいるゴーレムや蝶もそうだけど。たくさん側にいてくれたから寂しくなんてなかったわ』
「……そっかぁ」
誰もいない雪の中。召喚術を行った人間と遭遇はしていないのはきっと幸運だと思えた。もし、その人間達の元に落とされてしまえばどうなっていたか、想像には度し難いことになっていただろう。狼も、そして静達も。
思考が逸れそうになるのを急いで止めて、静はさらに問いを続けた。
「どうしてついて来てくれたの?」
『ユフィアータと貴方の為よ』
「……ユフィアータのこと、知っているの?」
『ええ、知っているわ。たまに森の中で一緒に遊んでいたもの』
なんて無邪気なのだろう。この狼もだが、ユフィアータも。一体どうやって遊んでいたのかは後で聞こうと決めた。
「けど、なんでわたしもなの? ユフィアータの為ならともかく」
『だって貴方、死んでしまいそうだったじゃない』
「否定はしません」
『それにね。ユフィアータが愛している人間よ? 今までのお礼をたくさん返したいのよ』
一瞬、静は何故か言葉がつまった。理由は分からない。けども、どうしてか、胸の内が締め付けられるような、そんなものを感じた。
「……それなら、早くユフィアータを起こさないとだ。きっと貴方が傍にいることを驚くよ」
『そうかしら? そうだと良いわ』
無邪気に狼は声をはずませる。声は大人の女性のようだったが、相反して幼さが残る少女のような反応がとても愛らしい子だった。
『ねぇ、それよりお名前は?』
「……そうだねぇ」
黒銀の美しい狼だ。
安直に色の名前にしようか。それとも、けどユフィアータと仲が良いらしい。月と雪のユフィアータ。雪はネーヴェに渡した。では月は。けどもそれは味気ない。夜。ああ、そう、あれにしようと、静は思い浮かんだ名前を口にした。
「ヨカゼ」
『ヨカゼ?』
「夜の風って意味」
日本語ではそのままの呼び名ではあるが、こちらでは少しは違うように聞こえているだろうか。
きっと夜に駆ける姿は美しいだろうな、なんていう安直過ぎる想像からつけてみた。狼は何度か耳を小刻みに動かしたあと、ぱっと口をぐわりと大きく開けた。
『素敵だわ。ヨカゼ、ヨカゼ。ふふっ、ユフィアータに自慢しちゃっても良いかしら?』
「良いと思う」
とても気に入ってくれたらしく、頭をぐしぐしと膝に押し付けてきた。
そして狼、もといヨカゼは耳を器用に片方だけ揺らし、鼻さきをリーリア。正しくはリーリアの膝の上に置かれている籠へと向けた。
『あら、そうなの?』
「どうしたの?」
『こちらの蝶の方もお名前が欲しいそうよ?』
もっと詳しく言えば、籠の縁にいる白い蝶だった。蝶は止まったまま、そうだと言わんばかりにもどかしいほどにゆっくりと羽を動かした。
「……あの、静様。もしかして何ですけど」
続いてフィルが酷く困ったように手を挙げた。視線を向ければ、肩にいるゴーレムが器用にその場に跳ねている。
静はそれを見てすべてを察した。
「フィル、名前あげて」
「俺ですかぁ?!」
他に誰がいるのか。何故か悲愴な声をあげるフィルを放置し、静はリーリアに笑顔を向けた。
「リーリア」
「し、しかし……!」
「だっていつもリーリアのそばにいるもの」
だからリーリアが名前をあげたって問題はず。それに白い蝶だってそうだと言わんばかりに軽く羽ばたき、また元の位置へと戻る。
そんな動きを見てしまったリーリアは困ったように頬に手を当てた。
「そうですね……。では、ヴィラなんてどうでしょう?」
戸惑いながらもリーリアは名前を渡せば、白い蝶は一瞬、ほんの一瞬だけ羽が淡く光を帯びたように見えた。が、気のせいだったか瞬きする間もなく光はなく、いつもの白い蝶の姿のままだった。
リーリアが名前を付けたことに、フィルは観念したようでゴーレムを手に乗せて、うんうんと何度も頭を傾けていた。
「……じゃ、じゃあ……ゴズ、とか」
なかなかに勇ましい名前だった。そして響きからゴーレムに大変ぴったりな名前に、ゴーレムも嬉しいようで両手をぶん回していた。
「良いなぁ。なぁ、ルイス。ここ、他に眷属とかいねぇの?」
「ねぇ、その目で見えないの?」
様子を見ていたヘクターとノーマンは真っ先にソファーの背もたれ越しにルイスへと集まった。
ルイスは顔をしかめ、無言を貫いている。その目は面倒だと言わんばかりだ。
眠ってしまっている間にずいぶんと距離が縮まっているなぁ、とちょっとばかし微笑ましく思いつつ、そういえばと静はヨカゼに聞くことにした。
「あの黒いものって何か分かる?」
『ああ、あれ? あれは呪術よ。とーっても面倒な呪術』
魔術。ではなく呪術。一体何がどう違うのかはさすがに分からないが、ルイスはもちろんジェイク達も僅かに表情を変えた。
「面倒って?」
『あれは浸食するのよ。かわいそうに、桜を媒体にしたものだったわ。それでね、周囲の命を吸い取るのだけど。ここってすごく守られているのよ。だから今までずっと広がらなかったし、私も近くに行くまで分からなかったわ』
「守られているって?」
それほどまでに強い結界のようなものがこの屋敷に施されているのだろうか。それとも魔具のようなものなのか。
しかし、静の予想とは大きく異なっていた。
『ユフィアータの力がここにあるから、ここに来たんじゃないの?』
きょとん、とヨカゼは大きく首を傾げた。
静は一度ルイスへと視線を向ける。ルイスは小さく頷いた。
「場所は分かる?」
『……うぅん。実は、気配がいっぱいに広がっているから、よく分からないのよ』
「けど、あるんだね?」
『ええ、あるわよ』
それならば、次やることは決まった。
静はヨカゼによくやったと言うように、思い切りわしゃわしゃと撫でまわした。
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その後、静が一つ、小さく欠伸をこぼしてしまったことで話はそこで終わりとなった。欠伸一つでなんて大げさに反応するのかと思ってしまうが、何せ未だに一人で歩けないのが現状。しかも言葉が通じるようになったのなんて昨日からだ。
誰だって心配するな、と静は嫌でも納得してしまった。
そしてルイスが一人、静を部屋へとそのまま運び、ベッドへと下ろしてくれた。せっかくだし、このまま本当に眠ってしまおう、なんて思う直前、ふと、ちゃっかりとついて来ているヨカゼに聞いてみたのだ。
何故、ルイスの目には見えなかったのかと。
そして狼は答えた。
『力をちゃんと使えていないもの』
「ちゃんと?」
『見ようとしていないもの』
「何を?」
『全部』
ルイスの顔に、僅かに影が落ちたのが見えた。
静はベッドの縁に頭を乗せて撫でられ待ちをしているヨカゼに手を伸ばし、一度だけ頭を撫でた。
「うん、分かった。ありがと、ヨカゼ。教えてくれて」
『うふふ。ねぇ、それならたくさん撫でてくれない?』
「後でね。ちょっとルイスとお話をしたいから、リーリアのところにいてくれる?」
『……仕方がないわねぇ』
「あ、他の人達の前では話さないようにね」
『ええ、もちろん。分かっているわよ、静』
ヨカゼはたっと、扉に向かった。ルイスは遅れて扉を開けてやれば、僅かに開いた扉の隙間に身を滑り込ませてさっさと出て行ってしまった。
静はそれを見届けた後、よいしょとベッドの縁へと身体を滑らせるように移動し、隣を何度か叩いた。
「ルイス。ここ、座って」
「……はい」
別に怒るつもりは一切ない。ただの確認というだけだ。確かに、この流れで言えば怒られる前提と思われるのも仕方がない。
さて、どうするべきかと考えながら、素直に隣に座ったルイスの横顔を見上げて音もなく、息をついた。
「その力、リディアータと、ラウディアータの力を少し使えるっていう理解であっている?」
「……はい」
「リディアータは見る力。で、ラウディアータは導く力。見るのは分かる。けど、導くっていうのは?」
「眷属まで導かれる、とだけ……」
「ああ、ごめん。責めているわけじゃなくって、今のは確認なだけであって……」
これでは何を言ってもルイスを責めているようにしかならない。
静はどうしたものか、と思いながら少しだけ後ろへ重心へと移動させた。がすぐ、体のバランスが後ろへ大きく引っ張られてしまい、そのままふかふかのベッドに背中からダイブした。
わぁい、やわらかぁい。
と内心ふざけたが、ルイスからの呆れた視線に少しだけちょっとだけ穴に入り込みたくなった。
「……何をしているのか、聞いても?」
「や、バランス崩したというかね?」
まさかこんなにも筋力が落ちているとは思わなかった。確かにこの腕はずいぶんと細くなってしまったし、服で隠れているがこの体はずいぶんと貧相なものになってしまっていた。
鍛え直さないといけない。だが、その前に食事だ。あの食事さえどうにか耐えきれば、きっとすぐに元通りになるはずだ。
と、思考が段々と逸れていく中、ルイスが無言で静を起こしてくれた。が、何故かそのまま抱きかかえて膝の上に座らされた。ちょっと意味が分からなかった。
「これでよろしいですか」
「ルイスさん、あそこにソファーがあると思うんですが」
「どうせここに運ばないといけないので」
「面倒ってことね」
にしても、何故抱えられる必要性があるのかは不明だ。しかしこれが一番安定するから良いかぁ、なんて動きが少しだけ鈍い思考を回して納得した。
「見たくないものでもあった?」
「……分かりません。この目に見えるのは、眷属のお姿がほとんどだったので」
ルイスは先ほどよりも話しやすくなったのか、よどみなく答えてくれた。
「あの狼。いえ、ヨカゼがいたから、眷属まで迷わずに行けました。結局のところ、導くお力をいただいていたのに、何も……」
自身を普通の狼だとも言っていたが、百年は生きている上に言葉も問題なく話せ、且つ元いた国では神使だと言っていたくらいだ。
それならば神に近しいもの、もしくは魔術を見つけるには最適と言える存在だ。
出会えたことが幸運と思えた。しかし、だからこそルイスは自身の不甲斐なさを積み重ねていたのだろうか。
相手は人間ではない。より神に近しい存在に対して、人間であるルイスが同等の力を扱えると静は欠片も思ってはいない。けども、今そんなことを言ったところで無意味。泡が弾けるかのように消え去る。
こういう時はどうするべきか。
静はなんとか頭を回そうとしたが、どうやらそろそろと難しくなってきていた。
「……なんというか、わたしが言うのもあれなんだけどさぁ。ちゃんと、休んでる?」
「適宜とっておりますが」
ルイスの適宜は信用できないと、静は以前に丸三日ほど眠り続けてしまった時のことで学習していた。それに馬車の中でふっと目覚めた時とか、ルイスは比較的眠ったままの時の方が多かった気がする。確かにやることが無ければ寝るしかないのだが、それにしたってよく眠っていた。
ということで、静は決めた。
「お昼寝したいです」
「その為に戻られたわけですが?」
「うん。で、一緒に寝よ」
「は?」
「とりあえずちゃんと寝てから考えよう。ね、ルイス」
えいや、と後ろに思い切り寄りかかって見たが全くこの背もたれは動かない。もう少し体力及び筋力が戻ったら少しぐらいは動かせるだろうか。
「睡眠って大事なんだよ」
「そうですか」
興味なさげな返答に、静はでは、と疑問を抱いていたことを聞くことにした。
「思ったんだけどさ」
「何でしょう」
「ルイスってちょっと小柄だよね。ちゃんと寝てる? 食べてる?」
「余計なお世話です」
「ははっ」
明らかなにルイスの声色が低くなった。少々気にしていたところらしい。
けども仕方がないと思いたい。ルイスの父、兄と出会ったわけだが、二人はルイスに比べて背が高い方だ。父のヴィートに似ているから、と言えばそれだけだが、それにしたってルイスはさらに細見だ。並ぶと分かるくらいに小柄なのが正直すぐに分かってしまうほど。
確かに十六と言っていた。だからまだまだ、もう少しは成長する時期だったはず。とても勿体ないと、年上らしく考えてみた。
「膝枕したし、何だったら馬車の中でわたし抱えたまま寝てたでしょ。今更じゃない? ね?」
「……それは、ですが」
「面倒だな。さっさと寝ろ」
何故今更になって躊躇するのか。あれか、実家だからとかいうあれか。確かに見つかったら気まずいものな。
やっぱり止めておくべきかと静は冗談だと言う前に、ルイスは静を抱えて立ち上がり、そのまま静をベッドに寝かせた。そしてルイスはジャケットだけ脱ぎ、静に触れないよう離れて身体を横たえた。
「これでよろしいですか」
「うん」
わぁ、顔近い。失敗したかも。
不本意と不機嫌さを一切隠さないルイスは、表情を一切変えないまま何を思ったのか、静の目を片手で覆った。
「何すんの」
「さっさと寝てください」
「はぁい」
どうやらルイスはこれで静が寝ると覚えたらしい。
確かに何度も同じことをされてきたし、実際に寝た。けど、感触が違うのでこれはちょっと不愉快だった。
「ルイス、ルイス」
「何ですか」
「これ、嫌いです」
しばらくの無言の後、手が外されてしばらくし、また今度はちゃんと素手で覆ってきてくれた。
目を閉じれば、もはやもう何も分からない。分かるのはふかふかのベッドに、なめらかなシーツの感触。それと目元を覆う優しい手。この手さえあれば、何も怖くなかった。
だから静は安心して、すぐに意識を深く沈めた。
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そうして、静は瞼を開ける。が、目の前に広がるのは別の光景だった。
そろそろと見飽きた景色だ。けども少しずつ、確実に変化し続けている景色に、静は夢の中で一つ息をついた。
「……どうするかなぁ」
見上げれば月の無い夜空。僅かに光る星々。それからふわり、ふわり、と雲が無いのに降って来る雪。そして目の前にはやはり、壊れた祭壇に、土ばかりのひび割れた大地。
ひび割れた隙間から、黒いもやのようなものが漏れ出し、僅かに鼓動するかのように震えていた。
本当に、もう時間がないのだな、と静は飽きずにその場に座り込み、両耳を強く塞ぐ。
静、静。と、男か、女か。分からない声が下から、上から、ずっと囁いて来る。声はだんだんと、ほんの僅かだったが日を追うごとに強くなってきていた。
静は歯を食いしばり、はっと笑った。
大丈夫。まだ、大丈夫。耐えられる。だって今日は傍にルイスがいる。それにリーリアも、ジェイク達も、眷属も、狼もいる。何一つ、揺るがされない。
決して。
ぽたり、と何かが地面を濡らした。
分からない。大丈夫。ほら、笑っている。ちゃんと笑えている。
静は歪む視界さえも無視して、一人夢の中で笑い続けた。




