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白銀に踊る ~四人の聖女達は愛に貪欲に生きることにした~【第1部連載中】  作者: tamn
第1部 落とされた四人の聖女達 六章 白銀は御旗を掲げる
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11 黒くてどろり

 ちゃんと扉から僅かに肩を上下させて迎えに来たルイスに、静は笑いかければ思い切り顔をしかめられた。

 何か文句を言いたげながらも、側にいるリーリアに向けて話をする。と、リーリアは慌てて立ち上がった。ジェイクとフィルがそろってリーリアを止めようしているが、あの様子では止められないだろう。

 男達三人がそろって静に視線を向ける。

 静は小さく息をつき、ジェイクを呼ぶ。と、それだけで理解したらしく、ジェイクは片手で顔を覆った。



 むっつりとしているルイスに、いつもように抱えられている静は腕の中でけらけらと笑った。


「そんな不機嫌そうな顔しないでよ、ルイス」


 庭園を駆けるルイスはチラリと静へ視線を向け、さらに顔をしかめた。

 困ったねぇ、と胸元にいる小さなゴーレムと白い蝶に話しかければ何故か無反応だった。と、言うことは自分がちょっと悪いらしい。


「はいはい、分かったよ。大人しくしているね」


 しかし何故だろう。こんなにも小さいというのに、まるであちらにいる友達、もとい保護者達と話しているような気分になるのは。

 大変不服である。

 なんで反応しないのかと静は無言でゴーレムの頭を突いていれば、いつの間にかルイスは足を止めていた。


 ……――シズ、――。

「ああ、うん。ここだねぇ」


 静は途端、痛みが強まったことで理解することが出来た。

 気を抜いてしまえば痛みで意識が飛びそうになりながら、笑みをより深めて目の前を見つめた。

 この場所で待機していまロビンの他、見知らぬ二人の男達が見ているがそんなものは無視だ。


「なんだっけ。えぇっと……庭園の魔術、だったかな」


 けども、どうしてか。何となくでしかないけども、この場所は明らかに異質だと静は感じた。

 今まで感じた魔術のようなものだった。しかしどうして、この場所へとたどり着いたとたん、まるで粘りついたものが肌に引っ付いたような感覚だった。

 けふり、と小さく咳をこぼす。口の中に変な粘り気を感じた。おそらくはまた血が混ざってしまったのだろうなぁと思いながら唾液と一緒に飲み込んだ。

 そして静は、顔を僅かに歪めるルイスに薄い笑みを浮かべた。


「平気だよ。それより、ルイスもなかなか厳しそうだけどねぇ」


 後ろにいるリーリアは、ジェイクに支えられながらやっとの思いで立っている様子だった。さすがにネーヴェが眠っている籠はフィルが持っているままだった。

 改めて目の前の、何というか。例えるならば植物園にでも来たかのような乱雑とした庭園を見る。奥のちょうど中央あたりには何かの木が一本植えられている、ただ残念なことに葉は一枚もない、ただの枯れ木のように見えた。

 一体ここには何があるのか。静は一先ずルイスの反応を見るため顔を僅かに上げて見れば、ルイスは目を細め、じっと目の前を見ていた。

 静はルイスの色が変化している右目を見つめた。右目はエメラルドの光が僅かに揺らめき、左右に素早く動いていた。

 何かを見ているのか。何かが見えているのか。

 それを問いかけた所で言葉が通じない以上、意味のないものでしかない。

 さて、どうしたものか。

 静は一つ息を薄く吐き、大人しくルイスの足元に座り、見上げてくる黒銀の狼を見下ろした。


「聞くけど。彼には見えてるの?」

 ぐう。

「そうかぁ……。わたしにも見れるようには出来る?」

 ぐぅ。

「出来るのね。お祈りすれば出来る?」

 ぐぅ……きゅう。


 どうやら祈るだけでは難しいらしい。

 さて、どうするべきかと考えていれば、視界が一気に低くなった。

 少しばかり身体を持ち上げられたかと思えば、しゃがんだルイスの片膝に器用に座らせてくれ、そして落ちないように片腕か抱き寄せるよう、腰に回されてた。

 おかげで見下ろすことなく狼と意思疎通が出来る。静はわしゃりと、狼ではなくルイスの頭を撫でた。


「ありがと、ルイス」


 すごく顔をしかめられた。

 もしかしたらこの狼と同じ扱いだと思われたかもしれない。確かにちょっとわざとな所はあったけども。

 だって思ったよりも顔がすぐ近くにあって、思わず仰け反りそうになったのを必死に堪えようとした結界、ちょっとふざけてしまっただけというただの言い訳を誰に向けるでもなくつらつらと並べた。

 静は今度こそ狼へと向き直り両手でわしゃわしゃと撫で回した。


「見えている彼もお祈りすれば見れる?」

 ぐぅ。

「……彼が祈らなくても、力借りれたりする?」

 ……がぅ。


 そうかぁ、と静はさて、と考える。

 祈ってもらうにしてもやはり言葉が通じないから、ほぼ選択できない。と言うことは、力を借りる必要がある。が、どうやって、やるべきか。

 と、膝に何かが連続して落ちてくるような感覚がしてみろおして見れば。ゴーレムが必死に何度か膝の上でちっちゃく飛び跳ねた。大変可愛らしい。

 何を主張しようとしているのか分からずにいれば、狼が頭を低くもたげた。


「ん? ああ、はいはい」


 つまりはこういうことだな、と静はゴーレムを狼の頭の上へと置く。と、狼は軽い足取りで静から離れたと思えば、後ろに待機していたフィルの目の前まで歩みより、お座りをした。

 フィルは何度かゴーレムと狼を見て、最後にひどく困惑した顔で静を見つめてきた。


「大丈夫だからねぇ、フィル」


 静が笑いながら頷く。と、フィルは何故か上を向いて、下を向いてと忙しく動く。痺れを切らしたようにジェイクがフィルの手に持っていた籠を片手で奪うように持った。そこでようやく覚悟を決めたのか、フィルは恐る恐るゴーレムへと手を伸ばした。

 ゴーレムは小さい体で半ば落ちるようにフィルの手の中へと着地し、両腕をあげて振り回している。とてもご機嫌なようだ。

 あのまま落ちたらゴーレムって割れるのだろうか。なんて不穏なことを一瞬だけ考えてしまったのは内緒である。

 狼はまた軽快な足取りで静の隣に戻って来て、利口に静の前でお座りをした。良い子と言うように頭を撫でまわせば、狼の尾がまた大きく左右に揺れる。

 と、耳にルイスのため息が耳に入り込んだ。


 ……――。

「ため息つかないでよ。それより手、貸して」


 ちょっとだけ文句を言いつつ、静は自由になっているルイスの手へと両手を伸ばす。ルイスはかなり不審げな目を向けながら、大人しく手を差し出してくれる。だから静は遠慮なく手を掴んだ。

 確かこちらの祈り方はこうだったなと思い出しながら、大きな手に比べて小さな手を絡ませ、そして逃さないと言わんばかりにルイスの手を挟み込んだ。


 ――、――。


 慌てた様子で言葉を発するルイスだが、静はまるっと無視し、大きな手が逃げないようにと強く握りしめた。

 ふぅ、と静は肺の中にある空気を押し出す。

 痛みの中、僅かに残っている力をこの手の中に集めるように意識を巡らせる。何がどうして回復しているのかは未だに分かっていないが、やはり白い蝶とゴーレムのおかげなのだろうと結論付けている。

 そんな彼等に感謝をしながら、さらにぐっと力を掻き集め、溶かして、ルイスの見えるという力を混ぜ込む。

 そして、それから。

 静はふと、思い出した。銀の子狼が言った、自身の力について。

 剣と盾。

 盾。盾とはどんな物か。重厚な鉄の盾であろうか。背の高い壁であろうか。それとも、結界、と呼ばれるものだろうか。 よくファンタジーの話の中で登場してくる、あの薄い膜のような。

 そして静は思考を反転させる。

 そう、例えば、結界というもので覆いかぶせてしまうのも良いのではないか、と。

 静がそう思った瞬間、握りしめた手にずいぶんと懐かしい温もりを感じた、気がした。



 ――。


 誰かが、何かを言った。静は視線をあげ、目を丸くした。

 白い雲がちらほらと浮かぶ、青い空だ。だというのに、どうしてか晴れ渡る天上から白い花弁のようなものが、ふわり、と舞うように落ちてきた。

 一つ、二つ。数える間もなく、それは一体を覆うようにゆっくりと降りはじめた。

 雪が、突如として降り始めた。

 まるでスノードームの中にいるみたいだ、とぼんやりと思いながら静は視線を落とし、ほんの僅かに眉をひそめた。

 美しく降る雪の白とは相反する黒が、地面を這いずっていた。

 どろり、としたヘドロのような黒は、べちゃりと植物達を染め、あたりには太い蔦のようなものがゆるく動いている。周囲には黒い胞子のようなものが漂い、白と黒が入り混じっていた。

 静は恐る恐る、何の温度も感じない祈っていた手を解いた。

 雪はそのまま止まずに降り続いていたのを確認し、ルイスに目を向ける。この異質な場所の近くにいるからか、堪えるように顔をしかめたままのルイスは何一つ変わっていない。つまりは、うまく力だけを借りるだけに留められたらしい。

 代わりに胸の内に広がる、鈍器で殴られたような鈍い痛みに呼吸が止まりそうになる。くわえて、強い眠気がこんな時だというのに背中を掴んでくる。

 きゅう、と横から狼が一つ鳴いた。

 静は平気だと言うように、微笑み、そして口を開いた。


「フィル!」

 ――?!


 静に呼ばれ、大きくフィルが返事をしながら肩を跳ねさせた。あまりの驚きっぷりに笑いそうになるが、代わりに咳が連続して出てきた。あげく、片手で押さえていればそこに粘ついたものがびちゃり、とついたのが分かった。

 ルイスが焦るようによりきつく静を抱きしめ、その場から移動しようとする。が、その前に狼がルイスの両肩に前足を乗せて無理やりその場に留めさせた。

 本当に利口な狼で助かる。とはいえ、これは本当に駄目なものだと理解しながらもすぐに顔を上げて、汚れていない方の手で先を指す。

 笑え。気丈に笑みを浮かべ、そして姿勢をなるべく伸ばし、はっきりと言葉を紡げ。


「フィル、行け」


 少しだけ泣きそうな顔をしたフィルは、隣にいるジェイクに肩を捕まれ何かを言われている。フィルは手の中にいるゴーレムを見下ろし、大きく頷いた。


 ――シズ、――!


 フィルがにっ、と笑みを浮かべ駆け出した。少し遅れてジェイクも行く。

 残されたリーリアは、少しふらつきながら静の傍らに駆け寄り両膝をつく。ふわりと広がるスカートの上に籠を丁寧に置き、すぐに静の赤く染まった手をハンカチで拭ってくれた。

 静に僅かに微笑みを向けるリーリアは不安を隠しきれずに揺れる瞳を、駆ける二人の背中へと向けた。



 二人が足を踏み入れた直後、太い蔦のようなものが大きくうねった。

 ぐわり、と鞭のようにしなったかと思えば、一斉に二人に襲いかかる。ジェイクとフィルは軽々と避ける中、ジェイクがその一本に触れた途端、その手が一気に黒く染まった。さすがのジェイクも顔色を変えて下がるも、それでもしつこくジェイクを追いかけようとしている。

 と、ジェイクと蔦の間に背の高い土の壁が突然に出現した。

 同じように避けていたフィルはとても驚いた顔をしていて、手元のゴーレムを見下ろしていた。

 一体、この狼もゴーレムもどこまでを理解していたのか。

 静はこの戦闘を一瞬も目を離さずにいながら、そんなことを考えてしまいそうだった。


 ――!


 ルイスが声を張り上げた。

 次いで、ロビンが前に滑り出ると同時、地面から勢いよく伸びてきた黒い蔦を両断する。

 手にはただの糸に見える、魔力の糸を待ち構えていた。


 ――、ルイス――。

 ロビン――、――。


 ロビンとルイスが何かを言い合っているが、邪険なものではない。


 ――。

 ……――。


 さらに二人が話す中、ロビンは見知らぬ二人をさらに下がるような動きを見せる。そして、両腕を横に広げ、宙にいくつもの水の刃を出現させた。


 ――。


 ルイスが言い放つ。同時、ロビンは地面に刃を突き立てれば、地面が盛り上がり、まるで苦しむように蠢く蔦が姿を現した。

 そこから別の蔦がまた顔を出すが、容赦なく水の刃は落とされていく。凄まじい行きおりで、まるでそこから水が湧き出ているかのようにさえ見えた。が。しかし何故だろう、貫かれている蔦が膨らんでいる気がしなくともない。たぶん気のせい。

 その脇から細い蔦が飛び込んでくる。しかし、黒銀の狼がぐわりと口を開けてそれを引きちぎった。何とも頼れる狼だ。

 静は何とか眠らないようにと、ぐっと手のひらを握りしめながら、奥の二人へと再度目を向けた。



 フィルはゴーレムと共に中央にある樹木の手前までたどり着きそうな所までいた。

 これが見える前はただの、葉も何もない枯れている樹木のように見えていた。だが、この結界により見えた姿は、あまりにもひどい状態だった。

 ほとんどが黒いヘドロに包まれ、幹には黒く丸いものがいくつも果実が実っているかのように連なっていた。

 そして、フィル達がさらに一歩進んだ時、黒いヘドロがどろり、と意思を持っているかのように動き出す。

 それはどろり、どろりとそれらは一つの塊になっていく。肥大化する粘つくような黒い塊は、脈を打つように波打ちながら徐々に形を見せた。


「……伊織は好きそうだなぁ」


 なんて、静は思わず言ってしまったのも仕方がないだろう。何せ、目の前に現れたのは巨体な大蛙だったのだから。

 真っ黒い大蛙はぐわりと大口を開け、そこからどす黒い煙が放出される。黒煙に包まれた植物達は瞬時に色鮮やかな緑がくすみ、しおれて枯れていく。

 あれでは近づけない。静はすぐに祈らなければと、両手を握りしめる。が、その両手をルイスの手が覆った。


 ――シズ、――。


 こちらにまっすぐに視線を向け、僅かに首を横に振った。

 ああ、そうだね、と静は無言で笑みをこぼし、両手を下ろした。そして再度、目の前へと今度こそ信じて見つめ直した。



 黒煙を前にした二人に、背後から性懲りもなく蔦が襲いかかる。ジェイクはこの短時間でずいぶんと慣れたようで軽い身のこなしで避け、やはり素手のまま上から蔦へ掌底を食らわせる。が、蔦は地面が凹むほどに強く叩きつけられただけで、ジェイクの手は何一つ変わった様子はないように見えた。

 ちょっと意味が分からなかった。けど、あれは魔術だからそういうものだと静はなんとか理解した。

 そしてもっと意味が分からないことが目の前で起きた。


「……え、でか」


 ジェイクが全ての蔦を相手にしている間、フィルは動かずに大蛙と相対していた、と思うと地面から土の巨大な槌がゆっくりと出現したのだ。

 さすが異世界。さすがファンタジー。けどもあれはやり過ぎというやつではないだろうか。いや、けどもあれぐらいじゃないと大蛙は潰せない。と、静は思わず自分の思考を止めた。

 いや、まさか、そんな。

 自分の思考を否定しようとした。が、巨大な槌は静の思考そのままに、フィルが腕を大きく下ろすと同時に大蛙へと振り落とされた。

 大地が大きく揺らぎ、衝撃で風が横を通り過ぎる。そしてヘドロが集合体であった大蛙の残骸は、まるで水風船が破折したかのようにぷくりと一瞬膨らみ、破裂。黒い液体が周囲に飛び散った。

 大蛙が倒されたことにより、ジェイクや先ほどからも懲りずにこちらへと襲いかかってきている蔦も一気に動きが止まり、力尽きたかのように地面に落ちていった。

 どうやら、一先ずは大きな原因を倒すことが出来たらしい。

 しかしまだ、全てを解決しているわけではなかった。


「ルイス」


 静はルイスの袖を軽く引き、フィル達がいる場所へと指す。

 本格的に眠気が襲ってきているせいか、少しばかり舌が回らない。早くしなければ。

 ルイスはとても渋い顔をしたが無言立ち上がり、静をまた横抱きに抱え直して前へと歩を進めた。



 フィルは両手でゴーレムを持ち、ちょっとだけ泣きそうになりながらも笑顔を浮かべていた。

 静は笑顔を返し、地面にへばりついた黒いヘドロと、未だに樹木の枝に残っている黒い果実を見やり、早々にこれを排除しなければならないことを理解した。

 ヘドロだけであれば後日、ということでも良かったかもしれない。問題はあの果実だ。

 とにかく、あれはよろしくない。理由は不確かではあったが、今すぐここで対処しなければいけないものだった。

 ぐぅ、と狼が何かを言いたげに小さく唸った。

 ルイスは分かっているようで、すぐに先ほどと同じようにその場にしゃがんでくれ、片膝に座らせてくれた。


「また、同じく、祈る?」

 ぐぅ。

「わたしだけ?」

 きゅう。

「誰と?」


 狼は顔をリーリアへと向けた。

 静はそうかぁ、と小さく頷いた。もはや今の静にこれ以上考えるほどの余裕なんてものはなかった。


「リーリアぁ」


 欠伸が出そうになりながらリーリアを呼べば、すぐに傍らに駆け寄ってきてくれた。

 静は両手をリーリアの手へと伸ばす。リーリアはすぐに分かってくれたようで先ほどと同じように籠をふくらんだスカートへと優しく起き、静の片手を包み込むように握りしめてくれた。静もまたリーリアの片手を包むように挟むこむ。


 ――。


 ルイスが何かを言う。きっと、大丈夫かとでも言っているのだろうか。しかしそれはリーリアに向けられたものらしく、リーリアが無言で笑みを浮かべて答えているのを見る限り、少し違っていたかもしれないと静は思った。


 ――。


 リーリアが何かを静に言った。とても優しい微笑みで、けどもその視線は強い光が宿っていた。


「……うん。ありがと」


 先ほどの吐血を見ているというのに、リーリアはそれでも力を使おうとしている静を止めようとはしない。信じてくれているのだろう、きっと。

 であるならば、ちゃんと成さなければ。

 静はまた、深く息を吐きだした。

 やることは先ほどと同じ。結界の内側にあるものを排除すること。

 今は雪により正体を暴いた。では、暴いた正体をいかにして消し去るか。

 リーリアの手と共に握りしめている手から、また久しい温もりが伝わってきた。温かな日差しの中にでもいるかのような心地にさせてくれる。やはり先程の温もりは嘘ではなかったことに安堵し、そして唐突に思いついた。

 消し去るのではない。ただ、洗い流すのはどうだろうか、と。春先の、清らかな雪解け水に流れるがままに。

 ふっと、静は空を仰ぐ。と、そこには白い雪はなく、代わりにしとしとと降る雨があった。けども不思議なことに、誰もが雨には濡れておらず、ただ宙に漂う黒い胞子や、植物にかかっていたヘドロがゆっくりと洗い流されていく。そしてあの果実もぽろぽろと、音もなく落ち、姿を消していく。

 せり上がりそうになるものに耐えながら、静はまだ、まだだと雨を降らし続ける。

 そして静はふと、それに気づいた。

 目の前の樹木。その樹肌は少しばかり特徴的で、とても静にとっては見慣れたものだった。

 いや、けどもここは異世界。とは言え、まさか、こんな場所にあるというのか。

 最後の果実が地面に落とされる。

 瞬間、当たりに涼やかで、清廉とした空気が一気に広まり、光が空に舞った。


 眩しさを覚えるほどの光は周囲に広がり、思わず静は一度だけ強く瞼を閉じ、ゆっくりと開く。そして、そこには見慣れた、美しい薄桃色の花を満開に咲かせた樹木の姿がそこにあった。


「は……? はぁ?!」

「あ! おい、リーリア、平気か?!」


 ロビンと、続いてジェイクの言葉がはっきりと伝わった。

 手を握りしめていたリーリアの手はいつの間にか緩まり、顔はどこか青いながらも心配をかけまいとほほ笑みを浮かべていた。


「だ、大丈夫、です……、はい。目眩を少し……」


 リーリアの頬に、心配するかのように白い蝶がとまった。リーリアはくすぐったそうに口元を緩めた。

 見上げれば雨は役目を終えたように少しずつ小ぶりになり、そしてゆっくりと止んだ。

 周囲の植物は枯れていたのも含めて青々としげり、まるで黒く染まっていたのが嘘のようだっただ。

 そして静はルイスを見る。ルイスはといえば、呆然と目の前の樹木をみつつけていた。さすがにいきなりこんなものを見せられてはそうなるよなぁ、と静は思いながら口を開こうとし、その前にまた小さな咳を零した。

 ぱっとルイスは顔をあげてすぐに、静の頬に触れた。


「……やはり、まだ……」

「まだって?」


 ぴたり、とルイスの動きが止まった。さらに言えば、周囲の声も一気に静まり返り、静寂が一気に満ちた。おかげで遠くから聞こえてくる、おそらくこの騒ぎに聞きつけて集まって来た人達の声が薄らと耳に入り込んだ。が、中でもヘクターの声がよく聞こえてきた。


「どうしたの、ルイス」


 その前におはようとでも言っておくべきだっただろうか。なんてのんびりと考えていれば、ルイスの視線がとても鋭いものに変化したのを見て、静はすぐに思考を切り替えた。


「お話があります」


 これは小言が始まるやつだった。

 静はほとんど力が入らない腕でルイスの胸元を押すが、無駄な抵抗と言わんばかりに腰を抱くルイスの腕はより力強くなった。


「ルイス。ルイスさん。少し待ってください。わたし、疲れました」

「そうでしょうね。私も疲れました」

「わぁ、おそろい」

「で? どこまで把握なさって、このようなことを行ったのですか?」

「やだぁ、こわぁい……あ、はい。ごめんなさい。真面目に言います。言うけど、怒られること前提になるというかぁ」

「自覚があって助かります。それで?」

「ほとんど分かってない」


 容赦なく舌打ちを向けられた。

 これ、あれだな。若干の八つ当たりも入っているな、と静は理解した。


「分かるわけないでしょ。言葉通じてなかったし、ここどこかも分かんないし」

「私の生家です。しかしこちらの狼とは意思疎通が出来ていたようですが」

「利口だよねぇ。なんで狼が一緒にいるのか、全く分かんないんだけど」

「途中からついてきました」

「あ、そうなの」


 静はルイスの返答に軽く流した。詳しく聞く必要はあるだろうが今ではないと思い、後回しにした。

 そして続くルイスのお小言に少しだけ耳をふさぎたくなった。


「分かっていないのに、勝手に動いていた、と」

「勝手はひどいなぁ。ちゃんとこの子について行ってねって言ったでしょ」

「存じ上げません」

「そうだろうね」


 何せ言葉が通じていなかったのだから仕方がない。とは言え、ルイスはちゃんと察して動いてくれたのだから、存じ上げないだなんて嘘をつかれても困ってしまう。

 静はそろそろ動かなくなってくる頭を必死に動かしながら口を開いた。


「わたしが把握していたのは、不愉快なものがあるということだけ。場所は分からないから、この子に見つけさせた。後はまぁ、うまくいくことを祈ったぐらいだよ」


 とても簡単に、簡潔にまとめて言えば、ルイスはしばらくの無言の後、小さく息を吐き出した。


「そんな呆れないでよ。わたしが出来ることなんてこれぐらいしかなかったんだから」

「やろうとしないでください」

「おかげで早く済んだでしょ?」

「そうですね。結果的に」

「ね? それより戻りたい。というか、なんかよく分かんないけど、すっごく眠い」


 また強く睡魔が襲ってきているのか、瞼が段々と重くなってきている。

 ぐらぐらと傾きそうになる体をルイスは自分の方へと引き寄せながら、今度は大きく息を吐き出す。


「承知しました」


 前と変わらず、本当に仕方がなさそうに言ったルイスに、静は安心してそのまま瞼を下ろした。

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