04 墓守は語る
夕暮時の空は瞬く間に夜の色に染まろうとしていた。
暗くなる前について良かったと思うと同時、いつの間にこんなにも時間が過ぎていたのだろうかとルイスは何気なく思った。森は確かに時間間隔を失う。ただ、それにしたって森の中を歩いていた時は常に明るかったと記憶していた。それは左目で見た景色も同様だった。
この右目だけでは見ることのできない何かが、まだあそこにはあるのだろうかと考えていると、足に小さな衝撃が伝わった。
「ああ、そうだな。助かった」
足に頭突きをしてきた黒銀の狼と目線を合わせるためにしゃがみ言えば、尾をゆらりとまた揺らした。そして何を思ったのか、静とリーリアがまだ乗っている幌馬車へと向かったと思うと、器用に前足をあげて中を覗き込んだ。中から驚いただろうリーリアの小さな声が響く。
狼は乗り込もうとはせず、ただ覗き込んでいるだけだが、何故か尾は大きく左右に揺れていた。
「……なぁ、ルイス。あれさぁ……」
隣に歩み寄ってきたジェイクが何か言いたげに口を開く。ルイスは立ち上がり、しばらく見つめた小さく息をついた。
「……一先ず、ここに人がいないか確認をするのが先だ」
「……だな」
襲う気はないのは見て取れた。それにもし襲う気になっても、いるのは一頭のみ。ヘクターとノーマンが狼の側にいるのを確認し、ルイスは改めて神殿へと視線を向けた。
もちろんだが、ルイスは他の神殿にも訪れたことはある。その神殿も似たような造りだったが、やはりここはどこか異質に感じた。言葉には出来ない何か。もちろんそれは居心地の悪いようなものではなく、むしろここは安全であると本能的に語りかけてくるような感覚にさせる。
一体、ここに何があるというのか。
と、思案していると正面の両扉の片方がゆっくりと動き、影の中から一人、姿を見せた。
「全く……、妙に外が騒がしいと思えば」
そこにいたのは白髪を蓄えた老年の男だった。ルイスはすぐに、姿を現した男が墓守であると理解した。その理由はとても単純なもので、男は神官の衣服ではなく、墓守がよく身にまとっている服を着ていたからだった。
老年の男はぐるり、と目の前を見たかと思うとまっすぐにジェイクを見て、盛大に顔をしかめた。
「ああ? お前、まさかあん時の奴か?」
「よぉ、覚えてたのか」
「当然だろうが。一気に食料を食い尽くしたと思えば、泣き言言いやがるような奴ら。忘れると思ったのか?」
「それは忘れろよ……!」
ずいぶんと墓守の口調は荒く、しかしジェイクに対してはとても親しげな雰囲気で会話をする。ただ内容は文句だったが。
ジェイクが慌てる姿を見て、墓守は小さく鼻を鳴らし、次にルイスを見やったかと思うと目を僅かに細めた。
「迷ったのか? 見た所……、商人、のようだが?」
「迷ってはおりません。こちらに用があり、立ち寄らせていただきました」
「こんな場所に? ほぉ、ずいぶんと物好きだな。しかもそいつらと共に、か。見た所、随分と良い身分のようだが……」
墓守はあくまで幌馬車や、ルイス達の衣服等々を見て判断していた。しかもだ、ルイスを見る目が嫌悪のようなものではなく、ただの警戒であったことにルイスは少し新鮮な気持ちになった。
まさかちゃんと、自国民相手にするような反応をしてくるとは思わなかったからだ。
「申し訳ありません。俺は神殿に仕えておりますので、身分については差し控えさせていただきたく」
「ほぉ。異国人が我らが神に? ずいぶんと時代は変わったもんだなぁ」
「いえ、俺はこの見目ですが生まれも育ちもこの国になります。あそこにいる父は異国出身ではありますが」
「おっと、それは悪い。いや、駄目だな。見目で判断しちまうってのは」
とはいえ、多少はそういった目を持っていたらしい。
むしろ安心してしまうほどの当然すぎる言葉に、ルイスは落ち着いて答えれば、老年の男は申し訳なさそうに頭を掻き、じろりとルイスを見上げた。
「で、なんの用でここまで来た」
そうして本題に切り込もうもする老年の男の問いに、ルイスは焦らずに、入る前の確認作業を行う。
「御仁は、ユフィアータについてこの者達にお教えくださったとお聞きしました」
「ああ、そうだな」
「何故、彼らに教えたのですか? 我ら神ではなく、凍土の揺り籠たるユフィアータについて」
とくに、人間が恐れを抱く死に近い愛娘。心身ともに限界に近い状態でたどり着いたジェイク達に、何故あえて話をしたのか。生かそうとするならば、導いてくださるラウディアータについて話をするだろうに。
ルイスの問いに、老年の男は眉間に深い皺を寄せた。
「おかしな事を聞くもんだな。そいつらから話は聞いているなら、俺が墓守だって知っているんだろう?」
「はい。お聞きしております」
「生きてりゃあ誰だって死ぬんだ。定められた先で心穏やかなに過ごそうが、迷いながらも進もうが、最期はこの凍土に眠りにつく。どう足掻いたってこれだけは変わらん摂理だ」
神であろうと覆せない自然の摂理。逃れようにも逃れられない。それが死だった。
「だからってな。こいつらはまだ生きることが出来るってのに、今すぐにでも死を選ぼうとしてやがる。墓守である俺としちゃあ、こんな所で死なれたら墓の用意をせんきゃならんだろう? しかも四人分! たまったもんじゃない!」
老年の男は苛立ち交じりに吠えた。確かに、とルイスは納得し、一つ頷いた。
ここにいるのは本当に老年の男一人だけなのだろう。それがいきなり四人の墓を用意しろなんて状況になったら、とてもじゃないが対応なんてしきれない。
ルイスはジェイクを見やる。ジェイクは居心地が悪そうに顔をしかめていた。
「だから言ってやったんだ。ここは眠られたら者達の為の場所で、死ぬ為の場所じゃねぇ。死ぬなら他を選びやがれってな。そんで空腹だって言ったから飯を食わせたら食い尽くされる始末。あのぐらい飯が食えるってのに死を選ぼうなんざ、呆れたわ」
はんっ、と老年の男は鼻で笑い飛ばした。
ジェイクから聞いた話とは少しばかり違うような気がしたが、記憶というものはそういうものだろうとルイスは理解した。
しかし、ジェイク達が行ったことをその老年の男が知った時、どんな反応を見せるだろうか。なんて少しばかり思考が反れそうになり、軌道修正する為にルイスはまた問いかけた。
「銀の聖女について、ここまで話は届いておりますか?」
「当然だろう? ああ、しかし、聞けばお体が弱いとかどうとか。なんともおいたわしい……。くわえて、町の奴らはおかしな噂に踊らされている始末。全く、ユフィアータと銀の聖女様に知られてたらどれほど悲しまれるか……」
さすがにこのような場所でも話は届いていたらしい。と言うことは、老年の男は外とのつながりがあるという事だ。
一体どうやってここで暮らしてあるのから不明だが、今は考えることではない。
「……まさか、これを聞くためだけに来たんじゃないだろうな?」
「いえ、今のはただの確認です」
最低限の確認作業を終えたルイスは、老年の男に対して姿勢を正し、胸元に手を沿わした。
「銀の聖女である静様の護衛兼侍従をしております、ルイスと申します」
ルイスが名乗れば、老年の男は目を見開き、穴が開くほどに凝視してきた。
それに構わずにルイスは続ける。
「静様がこちらで安全に過ごすことが可能かという確認をさせていただいた所存です。非礼をお許しください」
「こちらで、安全に……?」
「目的ですが、神殿で祈りを捧げさせていただきたく。それと、申し訳ありませんが一晩だけ、こちらの敷地の片隅をお借りさせていただけないでしょうか」
「祈りは……ここは神殿だから、好きに……。いや。いえ……、別に空き部屋はあるから、それを使っても。いや、そうではなく」
「感謝いたします」
ルイスは驚愕したままの老年の男に畳み掛けるように了解を取り、綺麗に一礼をする。
そして老年の男と、何故か慌てた様子のジェイクを残し、静がいる幌馬車へと踵を返した。
黒銀の狼はいつの間にか姿を消していた。
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「全く、勝手に俺の名前を使いやがって! おかげでどっちを呼んでいるのか分からんわ!」
老年の男。もとい墓守の怒声が神殿内に轟いた。
「それは悪かった、けど」
「これはただの文句だ! 謝罪なんて面倒なものを押し付けてみろ、追い出すぞ! だいたいお前達は何を馬鹿げたことを仕出かしたんだ! この大馬鹿共が!」
若干の理不尽さを感じるような怒声はジェイクに続き、他三人にも向けられた。
と言うのも、何故、お前達がまさか銀の聖女と共に行動しているのかという素朴で当たり前な疑問から墓守はジェイク達を問い詰め、素直に話をしてしまったからだ。まさか命を狙っていた。それにかこつけて死のうとしていた。そのどれもが墓守の逆鱗に触れた。
結果、今は神殿内で全員そろって墓守から説教を受けていた。
「へぇ……元は名無しで番号に、そんで供物、なぁ……」
片隅で様子を見ていたヴィートは、ルイスから聞いた彼らの出生を聞き、ゆるく笑みを浮かべていた。が、その目は一切笑っておらず、ルイスは無言で視線をそらした。
もちろんだがルイスは素直に話をしたわけではない。が、何せ相手はヴィートだ。口で未だに勝てた事なんて一度もない。だからこそ無言を貫いていたが、それでも勝つのがこの父だ。ルイスの弱みを利用なんてことはせず、鋭すぎる推測等々をつらつらと語られるものだから、ついにルイスは根負けしてしまったのだ。
静も比較的鋭い方だったが、ルイスの様子を見て止めていたので、まだ助かったし、これほど性根がひん曲がっていないのが救いとも言えた。
「沈黙は守れよ」
「守れなかった奴が何言ってんだよ」
「聞きだしたのは父上だろう」
「おう。悪いな」
にこやかに笑う、決して悪いとは思っていないその顔を見て、ルイスは隠さずに堂々と目の前で舌打ちをこぼした。
長い説教を終えた四人はそそくさに神殿の外に出ていってしまった。おそらくそのまま外で休むのだろう。続けてヴィートもせっかく部屋があると言うのに、外で休むと言って出て行ってしまった。
あれはおそらくジェイク達と取り留めのないくだらない話でもしにいったのだろう。ルイスはヴィートの背中を見届けた後、備えられている椅子に座った墓守の隣に歩み寄った。
「墓守殿、この度は本当にありがとうございます。この御恩は必ずお返しいたします」
「不要ですわい。こんな辺鄙な場所にこうして聖女様にお会い出来ただけで十分。それに……あの馬鹿共のことも」
「ジェイク達ですか」
ずっと怒声を発していたせいで疲労の色がうかがえる。墓守は重く長い息を吐き出した。
ルイスは墓守に少し待つよう言い残し、神殿の奥の部屋へと足早に進む。そして木製の大きめのコップに水瓶から水を注ぎ入れてまたすぐ戻る。がその前に、ルイスは空き部屋で休んでいる静の様子を確認する。
とくに何も変わりないことを共にいるリーリアから伝えられた。ルイスはなんと言葉を返せば分からず、無言で小さく頷くしか出来なかった。
それからすぐに神殿の祈りの間へと戻り、墓守へ水を差し出した。墓守は少しばかり申し訳なさそうにしつつも受け取り、一気に半分まで水を飲み干してしまった。
墓守がそこでようやく一息をついたのを見計らい、ルイスはようやく口を開いた。
「本来、ジェイクという名は貴方のお名前だと聞きました」
「ええ、まぁ。しかし何故あいつがその名前を名乗っているのか……」
「……静様が、名前の無い彼らに好きな名を名乗れと仰ったのです。墓標に記す名前が無いと困る、と」
「……それは、確かにそうですなぁ」
まさか、その為に名乗らせるとはさすがの墓守も想像していなかっただろう。墓守はなんとも言えぬ顔をし、口元を僅かに歪めた。だが少ししてふっと吐息のような笑みをこぼした。
「それで、あいつはジェイクと」
「はい」
ルイスが頷けば、さらに墓守の笑みは深くなった。
「馬鹿だな、あれは」
「そうでしょうか?」
「ええ、大馬鹿者ですわい」
小さく肩を揺らす墓守が何故そんな反応をするのか、ルイスには理解が出来なかった。しかも大馬鹿者だと。
確かにジェイク達が行っていたことは大馬鹿者と呼ばれても仕方がないのかもしれない。だがきっと、ルイスがそう思う意味と墓守の言った言葉の意味はまるで違うのだろうということだけは、なんとなくだが理解、したと思う。
いつだったか。ヴィンセントに多くの者と関わりを持てと言われたことを何故か今、思い出した。
もし、ヴィンセントの言葉通りにより多くの者達と関わっていれば、墓守が言った意味を正しく理解出来たであろうか。そして、よりもっと多く言葉を交わしていれば、きっと。
もし、静がこの場にいたらどうするだろうか。
ふと思った。だが、ルイスは何も思い浮かばなかった。
あれほど側にいたおかけで、次に静がしでかしそうな行動はすぐに予想が出来た。だと言うのに、何故か静が何を話すのかまでは何一つ分からなかった。
そう言えば、とルイスはまたヴィンセントとの会話を思い出す。静と話しているのか、と。
結局あれからまともに一対一で話をしたのなんて、静が本当の願いを口にした時ぐらいだった。リーリアや、他の聖女達との会話は聞いていたがそれだけ。
けども、これだけは分かった。
きっと、静は墓守の言葉を聞いて笑うだろう、と。少しばかり、困ったような顔をして。
「銀の聖女様が、何故お眠りになられたままなのかお聞きしてもよろしいものでしょうか」
残った水で喉を潤した墓守が問いかけてきた。
ルイスは瞬時に思考を巡らせようとし、否、と沈黙を止めた。
「ユフィアータがお眠りになられたのです」
「お眠り、に?」
「はい。それ故に、静様もあのような状態になられてしまいました」
墓守は驚きのあまり、手に持っていたコップを落としかけた。寸前、ルイスが受け止め、一先ずは誰も座っていない椅子に避難させた。
「何故、大神殿は」
「……あそこは、静様にとって危険な場所になってしまいました。ですから、我々はこうして静様を安全な場所へとお連れしている最中なのです」
「なんと、愚かな……!」
怒りのあまりか墓守は椅子を倒しながら立ち上がり、そしてすぐにこの祈りの間にあるアルカポルスの彫像を見上げた。
「ああ、しかし、私が出来ることなんぞ……この場を守る他ないというのに……」
怒りは一瞬で消え去り、墓守はそのまま祈りを捧げるためにアルカポルスの彫像へと膝づき、頭を垂れた。
ルイスはその後ろ姿を目に映しつつ、小さな背中へと問いかけた。
「何故、墓守殿は、この神殿におられるのですか。神官は」
「亡くなりましたよ。ここで眠っています」
寿命か。それとも病か。墓守は語ろうとはしなかった。
「新しい神官は……」
「私が追い出しました」
「は……?」
そして続けざまに問いかけ、返ってきた答えにルイスはつい、間の抜けた声を出してしまった。
まさか、神に仕える為にいる神官に対して、そのような愚行ともとれるような行動をとっていたことが信じられなかったのだ。何故、とルイスが問うその前に、墓守は続けた。
「あいつは、我らが神であるこの彫像を破壊しようとしたのです。故に追い出しました。また来るかと思いましたが、それ以降は神官はやっては来ませんでした」
ついぞ、ルイスは言葉を失った。
あまりにも現実味の無いような話だった。しかし、墓守の重苦しい言葉が現実なのだと強く語った。
墓守はようやく立ち上がり、ルイスへ振り返った。
「こちらに」
ルイスは墓守に言われるがままに、その後ろについて行く他なかった。
墓守に案内された先にあったのは裏手の墓地だった。
月明りの下に整然と並ぶ墓。そして周囲には森の中で見た光の粒子が漂っているのを右目が映した。
「ここにはこれだけの魂が眠っている。というのに、何一つ周囲にいる獣はおろか、魔物にさえも荒らされることがなく、ましてや賊なんぞも立ち入ったことがありません。ここはそれほどに平穏なのです」
「それは……貴方がいるから、では」
「他の神殿の墓標は悲惨ですよ。墓守がいても、たとえ名の知れた神官がいようと獣や魔物に荒され、金品目当ての賊が時折やってくる。さらには愉快犯なんて者もいるくらいだそうです」
漆黒として王都の外の様子を耳にしていたが、そんな話は一切聞くことはなかった。神殿側の領分だからなのかもしれないが、兼任でヴィンセントに仕えていた時でさえ聞かなかった話だ。
もし、ヴィンセントがこれを知っていて隠していたのだとしたら。と、一瞬考えたが、即座にルイスは否定した。何せそうなったら腹痛を訴え始めるだろうし、さらにルイスにひたすら愚痴を聞かせ続けると容易に想像出来てしまったからだ。
「ご存じでしょうか。他の地域にある神殿はもはや腐敗していることを」
「それほどまでに……?」
「はい。ここに定期的に顔馴染みの行商人がやってくるので、その時に聞いた話になるのですが」
墓守は語った。
町や村の小さな祈りの場は荒れ果て、アルカポルスの彫像の姿がない。あっても、人々は祈ることを止めてしまった。我らが神、と口にしながらも何故かアルカポルスへは見向きをしなくなった。神殿にいるはずの神官がいなくなった場所もあった。神官が自ら命を絶ち、赦しを乞う文面が残されていた。
他の神へ祈っていることは否定しない。この国には他にも神がいるのだから。
ああ、そうか。と、ルイスは理解した。
これが今まさに立ち向かおうとしている敵の姿なのか、と。敵は静かに、しかし確かに、この国を飲み込もうとしていた。それは王都の外。そして我らが神、アルカポルスに仕えるエヴァンハイン家がいる領地の外から全て行われていた。
何故、気づかなかったのか。気づけなかったのか。これほどまでに分かりやすい侵攻が行われていたと言うのに。
「そして。これらは全て、聖女様方がいらっしゃってから起きたことなのです」
ルイスは思考をぴたりと、止め、顔を片手で覆った。
つまりは、敵はずっとこの時を待ち望んでいたということか。それとも。
「……おかしな憶測を言うつもりはないので、これ以上話すことはないのですが……。申し訳ありません、お辛い状況だと言うのに」
「いえ。むしろお教えくださり、助かりました。墓守殿」
そう、それとも。聖女と言う存在に焦りを覚えたか。
ルイスは一つ深く呼吸をし、一先ずは状況の整理をしなければとならないと手をおろし、また目の前の墓標へと見やる。
ユフィアータは眠っている。しかし、目の前にある墓標は穏やかで、静寂と光に満ちていた。
まだ、力が失われていない。まだ、まだ間に合うのだと、ルイスは自身を奮い立たせる。
眷属がいるかどうか、その為だけにこの場に訪れた場所だった。もちろんそれもまた重要な事であることは変わりないが、そのこと関係なく、この場に訪れることできたことに我らが神、そしてラウディアータに感謝を胸の内から捧げた。
それと、ついでにノーマンにも薄っすら感謝した。本当に薄っすらと。絶対に本人に伝えはしないが。
胸の内に満ちていくものが何かは、ルイスには分からない。
けれども、それは雪解けの日に目にした光のようなものだった。
それはあの日。静がネーヴェと共に、大神殿へと向かう馬車へと乗り込む時。ルイスに振り返り、またね、と告げてくれた時に感じた、こみあげる何かだった。未だにあれの正体は分からないが、あえて言葉にしなくても良いような気がした。
ふと、ルイスは視界の端から白い影が横切り、瞳を細めた。
「どうされましたかね」
「……いえ、あそこに鳥が」
「鳥……? どちらに?」
夜だというのに、一羽の鳥が音もなく墓石に降り立った。鳥は夜目が効かない。だから魔術のそれかと思ったが、墓守には見えていないようで顔をしかめた。
その反応を見て、ルイスはこれが右目か通した方で景色であることに気付いた。
右目にほのかに熱が集まる感覚がする。痛みというのはない。ルイスはその場で片膝をつき、祈りを捧げる。
心より感謝と、一つの願い。
ほんの僅かでも静に救いの手を差し伸べていただけないか、と。
鳥の周囲に光が集まり、大きく翼を広げた。
ルイスは慌ただしく扉をノックし、返答を待たずに勢いよく開けた。
「ど、どうされましたか……?!」
一つしかないベッドに、静の隣で休んでいたリーリアが目を白黒させながら慌てて飛び起きる。ルイスは申し訳なさを感じながらも、この時ばかりはこちらを優先させたかった。
「リーリア殿、眷属がいらっしゃった」
ルイスは少し遅れてきた墓守がリーリアに見えるように身体を横にずらした。墓守は身を固くしながらも前に進み、肩に乗った鳥の眷属を静の元へとお連れした。
「そちらのお方が……。ああ、静様、鳥の眷属様がいらっしゃいましたよ」
リーリアは眠る静の身体を僅かに起こす。黒髪に止まっていた蝶が羽ばたき、リーリアの肩に移動した。鳥はそれを大人しく待ち、続いて静の肩へと軽く羽ばたいて移動した。
小さな頭を静の白い頬に寄せる。と、そこから光が溢れ、静の身体へと包み込むように吸い込まれていった。
リーリアにも、墓守にも見えるその光景はあまりにも美しいもので、その最後との一欠片が消えるまで誰もが口を開かずに見届けた。
室内はまた夜の暗闇と静寂に満ちた。静に変化がないか、より見ようとベッドの足元に置かれた明かりの魔具にルイスは手を伸ばしかけ、静の指先が僅かに動いたのを目にした。
指先が、小さな手が僅かに何かを握るように動いた。ほんの少しばかり、寝返りを打つように肩に乗る鳥の方へと頭を傾け、そして、ゆるりと、瞼が開かれた。
変わらず、瞳の色はあの銀の輝きを取り戻してはいなかった。くわえて目覚めたばかりということもあってが、焦点は全くあっておらず、ずいぶんと眠たげに瞬きを繰り返したかと思えば、また瞼は静かに閉じられた。
ほんの僅かなことだった。声すらかけられないほどに、瞬くに過ぎさった。
たったそれだけの時間。それだけの瞬間でしかなかった。しかし、十分すぎるものだった。
ルイスは自然とその場で跪き、両手を強く握り、我らが神と眷属へ祈りと感謝を捧げ、見上げる。リーリアは無言で涙を流し、器用に微笑みを浮かべて静を抱きしめていた。
「……次は、ジェイク達も呼ばなければな」
「そう、ですね。そうでなければ、四人共、拗ねてしまいますから」
本当は今すぐにでも呼ばなければならないと分かっていた。けども、何故かどうして、今だけは邪魔をされたくないと思ってしまった。同意してくれたということは、きっとリーリアも同じことを考えているのだろう。そう勝手にルイスは想像しながら、わずかに深緑の瞳を細め、口元をほんの僅かだけ緩めた。
「ああ……、なんたる奇跡が……。我らが神よ、我らがユフィアータよ……」
その横で、墓守は両膝をつき深く頭を垂れる。深く深く、我らが神と、そしてユフィアータに祈りを捧げ続けた。




