12 導いた光の先に
外に張られた天幕の一つにカルロスはいた。
初めて入る騎士達がいつも休んでいる天幕の中はとくに何があるというわけではなく、厚手の布が部分的に敷かれており、寒くないようにとそれでも小さな熱を発する魔具が置かれているぐらいだ。そして休んでいるはずのカルロスは何故か起きていて、小さな椅子に座って呑気に剣の手入れをしていた。
「は? いや、なんで真咲様が」
驚くカルロスに、真咲はぐっと顔をしかめた。
もうすっかり元気になっていたことに安心したが、あれほど心配させておいてと、真咲は八つ当たり気味に言い放った。
「なんで起きているのよ」
「なんでって、そりゃあもう平気だからに決まってるからだろ? ってか何で連れてきたんだよ、イーサン」
「そりゃあ真咲様にお願いされちまったらなぁ」
わざとらしく肩をすくめるイーサンの後ろから、中の様子をアリッサが覗き込んだ。なにか考えるように顔をしかめたが、すぐにいつも通り、無愛想な表情に戻り、姿勢を正した。
「真咲様。申し訳ありませんが、他の方々の様子を確認しに行って参りますので少し離れます」
『ねぇ、アリッサ。あたし、お腹が空いたわ』
「承知いたしました。真咲様、ディーヴァ様をお連れしてもよろしいでしょうか?」
「え、ええ。良いけど」
お腹が空いてしまったのなら仕方がないと思い、真咲はちょっとだけ不思議に思いながら鞄ごとディーヴァをアリッサに渡した。
そして続いてイーサンもくるり、とその場で踵を返した。
「それじゃ、僕は周囲の警戒に戻るから」
「あ、おい!」
カルロスが慌てて呼び止めようとするよりも早く、イーサンは足音軽く天幕の外に出ていってしまった。
真咲はたぶん、と思いながら確信した。逃げたな、と。
いや、しかし、おかげで遠慮なく話せるというものだとこの状況をプラスに考えることにした。
「……マジかよ……」
「文句あるの?」
「文句っつぅかなんつぅか……」
この状況に頭を抱えたカルロスはしばらくして大きく息を吐き出し、鞘から出しっぱなしの剣を戻し、そのまま布の上にどかりと座った。
「ほら、真咲様。ここに座れよ。まぁ、座り心地は悪いけどな」
座っていた小さな椅子を魔具の近くへと移動させ、そこに座るように言ってきた。カルロスの癖にそんな気遣いが出来るなんて、と真咲は思いつつも黙ってそこに座ることにした。
じんわりとした熱が頬に伝わってくる。うっかりこの温かさに眠気を誘われそうになり、慌てて真咲は口を開いた。
「もう平気なの?」
「平気に決まってんだろ? だってのに休んでろとか……」
見るからにいつもと変わらないカルロスの姿に、本当は先程の戦いなんて嘘だったんじゃないかと錯覚してしまうほどだった。だが、カルロスが着ている衣服が所々破れているのを見て、嘘ではなかったのだとすぐに現実に戻らされた。
真咲はあの炎を綺麗だと思った。そしてカルロスに似合う、とも。イーサンが教えてくれたカルロスの二つ名も、真咲はとても納得してしまうくらいだった。
「聞いたわよ、二つ名。緋炎の騎士って」
「……誰から」
「イーサン」
「あいつ、だから逃げたのか……!」
後できっとイーサンに文句を言うカルロスの姿が簡単に想像出来てしまった。だが、きっとイーサンはうまくやり過ごして話題を逸らし、有耶無耶にするはずだ。
ちょっとその様子を見てみたい欲が湧き上がるのを感じつつ、真咲は項垂れるカルロスに聞いた。
「なんで呼ばれたくないの?」
「なんでって……」
イーサンは教えてくれた。カルロスは二つ名を持つほどの実力者であり、特に火の魔術を得意としていること。しかし、その二つ名がついたあたりから魔術を使わなくなった。イーサンが聞けば、呼ばれたくないから。それに元々どうやら、火の魔術は好んで使っているわけでもなかったらしい。唯一ちゃんと使えるのが火の魔術だったということらしく、だからそういうこともあって二つ名で呼ばれるのは嫌だったんじゃないかとイーサンは言っていた。
意味が分からなかった。だって二つ名があるだなんてかっこいいの一言だと思ったから。
確かに真咲も、空の聖女なんて呼ばれているが、これはただ単に呼び分けみたいなものだと思っている。なにせ四人いるのだから、どの聖女かというのには瞳の色で呼び分けるしかない。だからちょっとだけ二つ名が羨ましいと真咲は思ってしまった。
カルロスは何か考えるように視線を巡らせ、小さく息をついた。
「……俺さ、半分異国の血が流れているんだよ」
「え? で、でも」
「ああ、見た目な? 俺の親父なんだが、見た目はほとんど変わらねぇ国の生まれなんだよ。とは言え、言葉はやっぱり違うから、それで分かっちまうんだが……」
国が違えば言葉も違う。たったそれの違いと言えば違いしかない。だが、カルロスの何か含んだ言い方から、やはりそれだけでも異国というだけであまり良くは思われなかったのだと感じられた。
違う国なだけで、なんで。
無意識に顔をしかめてしまう真咲に、カルロスは小さく笑った。
「意外にいるんだぜ? 異国出身の奴ら」
「そうなの?」
「ああ、いろんな理由でな。分かりやすいところで言うとロビンだが」
「あ、確かにロビンって異国出身よね。ロビンってなんでこの国にいるの……って、聞いても良いの?」
「聞けば普通に教えてくれたし、知っている奴らも多いから問題ねぇよ。あいつ、金稼ぎに来ただけだし」
「わざわざ?」
「あっちだといろいろと面倒なんだと」
出稼ぎというものだろうが、まさかランスロット付きになるとは思わなかったはずだ。文句は言っていたが、それでも辞めていないのはきっと高いお金をもらっているのだろうな、と真咲は考えた。
「そういう奴らだけなら良かったんだが、他の異国人が問題なんだよ」
「問題って?」
「このロトアロフは北の鉄壁なんて呼ばれているわけだが、つまり言えば逃げ込むのに最適な国ってことだ」
逃げ込む。まるで避難先とか、そういう意味なのだろうか。なんてことが思い浮かんだが、実情はずいぶんと深刻なものだった。
「国から逃げ出さねぇといけなかったり、理由あって追い出されたり、罪を犯して逃げおおせたり。そして、うまく逃げ切れた奴らがこの国に入ってくる。つまりは体の良い亡命先ってことだ。一度入っちまえば、この鉄壁のせいで追うに追えなくなるからな」
そこでようやく、真咲は理解した。
そうか、だからこの国の人達は異国人というだけで表情を険しくするのか、と。
やってきた人達の中に悪い人がいないかと警戒しているのだ。外で犯した罪を、ここでもまた同じ事をやらないなんて分かるはずがない。もし、良い人の振りをして近づいてこられて、気づいたら巻き込まれていたなんてことになれば、笑い事では済まされない。
もちろん見た目だけで判断なんていうのは良くないとは分っている。けども、話そうとした瞬間にひどい目に遭わされたらそれまでだ。
と、そこで何故、今その話にまでなったのか真咲は小さく首を傾げた。そう、確か、カルロスの父親は異国人、だと。
「だから親父はこの国に来た。元いた国で罪を犯し、けど罪に向き合わけねぇで逃げてきた」
予想なんてしていなかった。だってカルロスは大雑把なところはあれど、子供達にも慕われるまさしく騎士そのものなのだ。だから、父親がそうだとは思わなかったのだ。
真咲はなんと言えば分からず、ただカルロスを見ていることしかできなかった。代わりに、カルロスは逆に視線を僅かに落とした。
「親父は祖国じゃそこそこ有名な、それこそ二つ名もあるような騎士だったらしくってさ。そんで火の魔術も得意だったから、ガキの頃にいろいろと教えてもらったんだよ」
「……けど」
罪を、犯した。その罪は一体どんなものなのか。それは仕方のないことだったのか。それこそ、静であれば赦すような、そんな。
「親父は人を殺すことに快楽を覚えるようなクソ野郎だった」
真咲はもはや言葉を無くした。それに対し、カルロスは淡々とした口調でそのまま続けた。
「戦いだけならどれほど良かったか。ただ、それ以外は本当に良い親父だったのは嘘じゃねぇ。いろいろと教えてくれたんだよ。結局、強くなった俺を殺す為だったけどな?」
もう聞きたくないと耳をふさぎたかった。しかし、聞かないといけないものだと真咲は分かっていた。だからカルロスから視線を逸らさずに、ただ黙って耳を傾けた。
「俺はあの時、まだ十四でガキだったんだ。いつもの手合わせだと思ったら、マジで殺しにかかってきてさ。死にたくねぇから、必死に抵抗して、魔術も使って、そんでも敵わなくって、本当にもう駄目だと思ったんだ」
十四歳。十四なんて言ったら、まだ中学二年生あたり。まだまだ子供と間違いなく言える歳に、そんな、そんな事があって良いはずがない。それに子供が大人になんて敵うはずがないし、相手が教えてくれた側であるなら余計だった。
「そん時に、深紅の騎士達が助けてくれたんだよ。お袋が気づいて慌てて呼んでくれたんだ。で、親父はそのまま連れてかれて、俺は俺で保護。そん時に保護してくれたのが、今のレナート隊長な? あの時はまだ副隊長だったけど、全く変わんねぇの」
「……そんなに?」
「マジで変わんねぇ」
ようやく真咲は相槌を打てば、カルロスは笑って答えてくれた。
「……親父の事を後から聞いたらさ、異国で守るべき国民相手に大量殺人をしていたってのが分かったんだよ。そんで親父はそのまま異国に帰された。罪人としてな」
別れの言葉はあったのだろうか、なんて真咲はそんなことを考えてしまった。けども、カルロスのその様子から、きっと別れの言葉なんてものはなかったのだろうと、なんとなくだが察した。
カルロスはわずかにに口を開いたかと思えば、閉じ、しかしすぐにまた開いた。
「……騎士になるつもりはなかったんだ、本当は」
「……けど」
「ああ、なった。レナート隊長が使い方を覚えろと言って、半ば無理やりに入隊させられた」
まさか、無理やり入隊させられていただなんて思わず、真咲はつい目を丸くした。なにせカルロスの見た目はずいぶんと大柄で、それこそあの深紅の訓練場にいた騎士達とそう見劣りしないほどだ。むしろこれで騎士じゃなかったら、何をしている人なのかと疑いたくなるほどに。
真咲の考えてしまっていることが伝わってしまったのか、カルロスは小さく息をついた。
「戦うのなんて、本当は嫌いなんだ。剣も、魔術もな。けど、自分で言うのもなんだが、二つ名が付く程度には実力があるのは自覚しているし、レナート隊長のお陰で骨の髄まで力の使い方は嫌ってほど身についた。が、俺にはあのクソ野郎の血が半分も流れている。だからいつ、どんなことが起きようと不思議じゃない。そういう奴に二つ名だなんてのは、そもそもとして名乗る資格すらないと思ったんだよ」
その見た目から想像すら出来ない言葉だった。しかし思い返してみれば、カルロスは護衛として側にはいてくれたが、とくに何をするわけでもなく本当に側にいるだけだった。時折、相手を脅すように剣を鳴らすような仕草はしていたが本当にそれだけで、すぐに剣を抜くということは一切無かった。むしろ、それだけで済まそうとしているようにも見えた。
「だから呼ばれないように、あの魔術を使うのを止めたの?」
「まぁ、そう言う事だ。下らねぇって言われたらそれまでだけどさ」
「じゃあ……、なんでさっき使ったの?」
「質問攻めだな」
少しだけ茶化すようなカルロスに、真咲はじっと睨めば、素直に口を開いてくれた。
「血の誓いをしただろう?」
「そうね。あれ、許してないから」
「だろうな」
真咲から何か言われると分かっていながら、カルロスは戦いが嫌いなくせに誓った。そう言えば理由をちゃんと教えてはもらえていなかったことを思い出した。
確かに、真咲は決意をした。しかしだからと言って、決意を見せるために命をかけてまでやるほどのものではないと真咲は思ってしまう。くわえて唯一の主だと真咲に言ってのけたぐらいの、とても重たすぎる誓いだ。真咲は今後、絶対に許さないと決めている。どんな理由があったとしてもだ。
「身勝手だと罵ってくれて構わないし、一生許さなくて良い。いや、むしろ、元の世界へと戻ったら俺のことなんて綺麗さっぱり忘れてくれたほうが良い」
その言葉すら身勝手だと思う真咲に、カルロスは続けた。
「俺はあの時、真咲様に光を見た。ラウディアータの、まさしく導きの光のようだった。だから俺は何が何でもこの光をお守りして、元の世界へと送り届けてやろうって決めたんだよ。その為なら、くだらない意地なんてさっさと捨てて、さっさと目の前の魔術使ったほうがよっぽど良いだろ?」
なんていうか、正直とてもこんな状況で聞くようなものではない。
だってカルロスは地面に布を引いただけの場所にあぐらをかいて座っているだけで、姿勢も全くもって悪い。真咲は真咲で、小さな座り心地の悪い椅子に座って、寒いからと魔具の近くに身を寄せて丸くなっている。
これがもし、あの壊された神殿の祈りの間であればまた違ったかもしれない。感動やらして、その場の勢いで許してしまっていたかもしれない。けどもここは天幕の中で、お互いそんな状態なものだから感動なんていうものはずいぶんとかけ離れている。けども、真咲はだから良かったと思ってしまった。
だってこれ以上、カルロスに心を近づけすぎるのは危ないと、真咲は分かっていたから。
「確かにあの血の誓いはやりすぎた自覚はあるけど、正直言うと俺が馬鹿やる可能性がやっぱりどうしてもあってさ」
「……ねぇ、つまりよ? それって、保険ってこと?」
「半分は」
とは言え、少しでも感動してしまったのだが、一気に台無しにさせられた気分になった。
真咲は無言で拳を握りしめれば、カルロスはすぐに両手をあげた。
「よーし、真咲様。とりあえずその拳は下ろそうぜ? 後、こんなときにいうのもあれだけどさ、その握り方だと怪我するから止めようぜ? な?」
「分かったわ。静に聞いておくわね、殴り方」
「それは本当に止めてくれ……!」
戦いが嫌いだと分かった今だからこそ、カルロスは本当に嫌なのだというのがひしひしと伝わってきた。
が、やっぱりちょっと腹立つので真咲は無言でカルロスの頭を両手でぐわりと掴み、そのままぐしゃぐしゃと髪を思い切り乱した。
「お、おい?! 真咲様?!」
「うっさい」
よく目立つカルロスの赤髪は思ったよりも柔らかい上に、指通りも良くって、ちょっとだけ羨ましいと思ったのは内緒である。
「言っとくけどね」
「お、おう」
「あの火の魔術、すごく綺麗だと思ったの」
カルロスが無言で目を丸くし、真咲を見上げた。まさかそんなことを言われるだなんて思わなかったと言わんばかりに。
「カルロスが使ったあの魔術、あたし好きよ」
また、もう一度見たいと思うほどに、本当にあの魔術は綺麗だったと真咲は心から思う。
時間があるときにでも、ちょっと見せてもらえるだろうかなんて呑気に考えていると、妙にカルロスが静かなことに気づいた。
「どうしたのよ、カルロス」
「……いや、なんでもねぇよ」
「そう?」
ちょっと意味が分からないが、何でもないと言うのならそう思うしかなかった。
真咲はまた座り心地の悪い椅子に座り直して改めてカルロスに視線を向けたが、何故か完全に顔を背けられていた。
「ねぇ、ちょっと。何でこっち見ないのよ」
「本当になんでもねぇから」
「意味分かんないんだけど」
「……分からねぇままでいてくれ」
ついぞ、カルロスは片手で顔を覆い、項垂れてしまった。
その姿が妙に面白く見えてしまった真咲は小さく笑ってしまい、なんだかちょっとだけ歌いたくなってしまったから、気分よくほんの小さな声で歌を口ずさむことにした。
歌う歌は、優しい、とても優しい、愛の歌だ。
これは余談だが、実は最初からイーサンは天幕の外で話を聞いていたのだ。
曰く、どうせカルロスは防諜の魔術なんて使えないくせに、あのままデカい声で話すから周囲に確実に筒抜けになる、と。
だからイーサンはわざわざ防諜の魔術を使い、さらに近づいてくる騎士達を全て追い払っていたらしい。その代わりとしてしっかりと話を聞いていたというわけだが、その後が大変だった。
イーサンはカルロスとはそこそこ長い付き合いなのだと言う。それこそ、所属している騎士隊は違えどほぼ同期なんだとか。
そんな二人だが、イーサンはカルロスの過去を今知ってしまい、結果、激怒した。
さすがに殴り合いの喧嘩はなかった。そもそもカルロス自体、争い事を避ける為、結果盛大な口喧嘩が始まった。
ただ真咲は一体どんな口喧嘩をしたのかは分からない。天幕に籠もった二人だが、イーサンがちゃんと防諜の魔術を使った為、外には一切二人の声が聞こえてこなかった。が、翌日は二人して眠そうな、しかしずいぶんとすっきりとしか顔をしていたのでちゃんと決着はついたらしい。
とても気になるところだが、アリッサに首を横に振られた。
これは男同士のものだから、決して関わってはいけない、と。
そういうものなら仕方がないと真咲は納得し、そして次の町へと真咲達は向かったのだった。
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真咲達はだいぶ南へと下ってきていた。それこそあれほど積もっていた雪がずいぶんと少なくなり、今いる場所は雪の気配すらなかった。
とは言え、冷たい風が容赦なく通り過ぎていくので、真咲はそのたびに体を小さく丸めていた。
「なぁ、機嫌直してくれよ」
「ほら、飯だぞ。って、おい!」
そして真咲達は足止めを食らっていたのだ。自身の馬達によって。それも一頭や二頭だけではなく、半分が言う事を聞かない自体に発展してしまっていたのだ。
なだめたり、餌をやろうとしても全く機嫌は良くならずにそっぽを向くばかり。挙げ句に前足を持ち上げて怪我をしそうになる人も出た。
「仕方がねぇ。今日はここで休むか」
さすがに馬達の機嫌が変わらないところを見て、カルロスが言えば、騎士達も諦めたように頷いた。
真咲達がいる場所はとても小さな村だった。家も数えるくらいしかないし、祈る場所も他に比べたらさらに小さいが、ずいぶんと久しぶりにちゃんとまともに祈れた場所でもあった。
なにせ、あれから本当に行く先々で彫像は壊されていたり、半壊、もしくは知らない何かが置かれていたりと、もう見るも無惨な状態だった。それでもまだアルカポルスの彫像が置かれていても、よくよく見れば形だけで誰も祈っていなかったりと、状況はあまりにも悪すぎた。
そしてもちろん、同じように何度も襲われた。
その度にカルロス達は何度も戦ってくれた。カルロスがあの火の魔術は使わずにいられた場合もあったが、それでもどうしたって必要なときもあった。
本当に息をつく暇なくここまでやってきて、ようやく一呼吸を置けたと思ったらこれだ。
いや、むしろ良かったのかもしれないと、真咲は思う。
連日の戦いで皆、表には出さないようにしているがとても疲れている顔をしていたし、空気はどことなく殺伐として痛々しいものだった。ずっと気を張り続けながら常に周囲を警戒し続けているのだ。誰だってそうなるし、カルロスやイーサンも、どことなく目つきが段々と険しく、鋭いものに変化していっていた。
だから今日は、ご機嫌斜めな馬達に感謝をしなくてはいけなかった。
おかげでカルロス達は野営ではあるけども、ようやくゆっくりと休めるきっかけになったのだから。
真咲はのそのそと野営の準備を始める騎士達の姿を眺めつつ、用意してくれている椅子に座り、小さなテーブルに遊戯盤を置いて一人でこつり、こつりと駒を動かした。
手伝った方が良いのだろうか、あの天幕を張るにはかなり重労働でむしろ邪魔にしかならない。だから大人しく座っていることしか出来なかった。
それとタイミングが良く、この小さな村に商団がきているのだと村人が嬉しそうに話してくれた。
それを聞いたアリッサは荷物持ちのイーサンと共に見に行ってしまった。なので今、真咲は珍しく鞄から出てきたディーヴァと共にぽつりと一人でいるだけだ。
「……暇だわ」
つい、独り言が漏れた。
そしたら後ろから、くすくすと小さな笑い声が聞こえてきた。
「手伝わないの?」
「あたしが出来ると思うの?」
「力仕事だしねぇ」
「そうなのよ。アリッサもいないし、だからこうして一人で遊戯盤、を……?」
真咲はそこでようやく気づいた。
聞き慣れた声だった。だから何の疑問も持たずに話をしてしまっていた。だって、会いたくて、どうしようも会いたくて仕方がない人の声だったから。
「それならさ、わたしとおしゃべりしない? 真咲」
真咲は答える代わりに後ろに振り向きながら飛び跳ねるように立ち上がり、そのままその人に腕を伸ばした。
その人もまた、アルカポルスの彫像のように両腕を広げ真咲を受け止め、優しく抱きしめてくれた。
「巡礼しているって聞いた時は驚いたよ。大変じゃなかった?」
真咲は答える代わりに腕の力を強め、その人を首に顔をうずめた。それが面白かったのか、またくすくすと笑いながら、真咲の背中を軽く叩いた。
「うぅん、困ったな……。あ、久しぶり、ディーヴァ。もしかしてわたし達がいるの分かってた? ああ、分かってたの。内緒にしてた感じ? 悪い子だねぇ」
肩にいるディーヴァが小さくぴぃ、と鳴いたのが聞こえた。なんてひどい、黙っていただなんて。だから鞄の外にいたのだと今になって分かった。
けど、今はそんなことどうでも良かった。
「ちょっと腕、緩めてくれると嬉しいかなぁ? 後ね? なんかちょっと重い……あ、まっ、転ぶからっ……!」
そのまま転んでしまえと、ちょっとだけ思った。しかも重いなんてひどい。なんてことを言うんだ。
「ねぇ、真咲。顔見せてくれないの?」
きっと酷い顔をしている。そう分かっていながら、真咲はようやく言われるがままに顔を上げた。そこにはあの日見た黒い瞳のままだったが、その笑顔と眼差しは全く変わらないままだった。
「あっは、ぶさいく」
「ひどいっ……!」
「ごめんねぇ」
そしてこの一言だ。真咲はぼろぼろと大粒の涙をこぼしながら、文句を言えば、楽しそうに目を細めた。
「静、あのね、あたしね……っ」
頑張った。ここまでずっと頑張ったのだと、真咲は静に言いたかった。けども溢れてくるのは涙ばかりで、言葉はつまるばかり。
静は困ったように微笑み、また真咲の頭を抱き寄せてくれた。
ああ、ようやく会えた。
真咲はどこにも静が行かないように、きつくきつく抱きしめながら、まるで小さな子供のように盛大に泣くのだった。




