05 憧れの人
大神殿へと戻った時、空気はとても殺伐としていた。
奈緒と伊織はもう先に聞いたらしく、今は各々の部屋へと戻っているらしい。本当は二人から話を聞きたいところだった真咲だが、さすがにそれは難しいと思い、大人しく自室に戻ることにする他無かった。
が、それでもやはり気になるのは変わりなかった。
「ねぇ、イーサン。他に何か聞いてないの?」
「今のところは何もありませんね」
「そうなの……」
ずっと俯いたままのアリッサは、無言で手をきつく握りしめている。あのカルロスも先程からずっと顔を強張らせており、国王陛下が倒れたということがどれほど重い事態なのか、嫌でも真咲は分かってしまった。
「……大丈夫、よね。ディーヴァ」
『そう願うしかないわね』
願われる側のディーヴァはさほど興味がないように答えた。それはそうなのだろうが、もっと違う言い方があるだろうとつい思ってしまう。が、内心同じように思ってしまっていた真咲は何も言えず、これからどうすれば良いのだろうかとぐったりとソファに寄りかかった。
「あ、少し窓開けますよ」
「え、あ、うん。良いわよ」
いつもと様子が一切変わらないイーサンは、空気の入れ替えをしてくれるのか窓を一箇所、大きく開けた。かと思うと、外から黒い大きなものが飛び込んできた。
「すみません、本当に緊急なもんで」
その黒い影はとても軽い調子で、欠片も申し訳なさそうに言ってきた。
「あ、あんた」
「はいはい、ランスロット殿下付きのロビンですよぉ。今日戻ってきたばっかりだっていうのにさぁ……」
入って来たのは漆黒、そしてランスロットの側にいつもいるはずのロビンだった。
どこにいたのか分からないが、衣服はイーサンが来ている漆黒の騎士服とは異なり、ずいぶんと目立たない、それこそ平民と同じ格好をしていた。
「なんだ。わざわざ報告しに来てくれたのか?」
「そういうこと。ああ、伊織様と奈緒様にはすでにお伝え済みだからな」
「だろうな。で、陛下の容態は」
「それはまだ分からないってのが現状だな。本当、いきなり倒れたらしい」
報告をしにきてくれたと言う割には、ほとんど分からないと言う。それなら何故、そうも急いで真咲のいる部屋に飛び込んできたのか意味が分からなかった。
ついつい不機嫌を顔に出してしまう真咲に気づいたロビンは、困ったような笑みを浮かべた。
「で、真咲様にどうしてもお伝えしないといけないことがありまして」
「何よ」
「そう警戒しないでくださいって」
いつものような軽い調子は変わらず、しかし姿勢はただし、胸元に手を当ててまっすぐに真咲を見据えてきた。
「静様にお会いしてきました。ちゃんと、目覚めております」
一瞬、理解するのに時間がかかった。
ロビンは今、なんと言った。会ったと。誰に。静に。
「ほ、ほんと……? し、静、生きて」
「はい、生きておられます。それでルイスを……なんていうか、すげぇ困らせてましたよ」
「そう、なのね……。静ってば何してんのよ……」
こんな状況で喜ぶことではない、と真咲はそう理解していた。しかしどうしても喜ばずにはいられなかった。
生きていた。生きていた。
最後に見たのは、血を吐き、真っ白い顔と、虚ろな黒い瞳でどこかを見ている静。ほんの少しの何かが起きたらすぐに命がかき消えてしまいそうな、そんな姿だった。
それが、目覚めた、と。そして前以上にルイスを困らせているというハチャメチャっぷりをしているのだからつまりは相当元気だということだ。
きっと、そういう事だ。
『良かったわね、真咲』
「っ……うん……!」
迷いなく、心からディーヴァは真咲に言った。
そこでようやく、真咲は素直に頷けた。
溢れ出る涙を慌てて拭おうとすると、横から見慣れた綺麗な花の刺繍が施されたハンカチが差し出された。
「真咲様、どうぞ」
「あ、ありがと……、アリッサ」
「いえ」
先ほどまで不安の色を見せていたというのに、アリッサはもうすでにいつものように仏頂面で真咲の側にいた。真咲は遠慮なくアリッサからハンカチを受け取り、目元を急いで拭ったがすぐにハンカチを取り上げられてアリッサが優しく涙を拭きとってくれた。
そんな真咲に構う様子を見せず、イーサンはすかさずにロビンに話しかけていた。
「静様にって……そんなところに行っていたのかよ。しばらくいないってのは聞いてたけどさ」
「殿下からそういう命令をもらったから仕方がなく。本当さぁ、急いで戻ってきたと思ったら、こんなんだし。誰か変わってくれねぇかなぁ」
「あー、ほら。あれだ。ロビンの実力を殿下は認めてるってことだろ? ほら、これやるから気張れよ」
イーサンが腰から提げていた小さな鞄から、これまた小さな小瓶を取り出しロビンに手渡した。
ロビンは一瞬だけ怪訝そうな顔をするが、それが何か分かったのだろう。すぐに満面の笑顔を浮かべ、胸元にしまいこんだ。
「助かるわ、イーサン」
「使いすぎるんじゃねぇぞ」
「分かってるって。じゃ、お邪魔しました」
そしてロビンは先ほど入って来た窓から軽い音と共に外へと出て行き、すかさずにアリッサが窓を閉めた。そこそこ良い勢いだったような気がしたが、きっと気のせいだろうと真咲は見てみぬふりをした。
「なぁ、イーサン。それ、怪しい奴じゃねぇよな」
黙って様子を見ていたカルロスは、先ほどの小瓶が気になったようでイーサンにこそっと聞こうとしていたが、声はしっかりと大きいので真咲にも良く聞こえた。
「怪しくないって。疲労回復用のちょっとした薬。ただ使いすぎると反動がすごいことになるから扱いは注意しないといけないけど」
「やべぇ奴じゃねぇか。なんでそんなの持ってるんだよ」
「そいつは秘密だな」
とても強い栄養ドリンクとか、そういうやつなんだろうなと聞こえてきた会話から真咲はそう理解した。
イーサンがカルロスに一本渡そうとしていたが、カルロスは全力で拒否していた。なんだかそれが妙に面白くて、つい真咲は笑みを零してしまった。
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国王陛下が倒れたという知らせから、伊織は変わらずに過ごしつつも、どうやら祈りの間で祈ることを始めたらしいとアリッサから聞いた。そして奈緒は王城へは行かずに開発局へ。確かに今、王城へ行くのはきっと危ないのだろうと真咲は知らないなりにそう思っていた。
伊織も奈緒も、こんな状況になろうと変わらずにやれることをやっている。だから真咲も、変わらずにやれることをやり続けることにした。
「真咲様。少しお疲れのようですけども……」
「大丈夫よ。ただそうね、近頃歌いすぎて喉の調子が悪くって」
「それはいけません! どうぞ、ここではゆっくりお過ごしください!」
今日来ているのはいつものニーナがいる孤児院だ。
嘘はついてはいないが、どうしてか大神殿にいるだけでほんの少しだけ疲れを感じるようになってしまい、むしろこうして外にいる方が今の真咲には気が楽だった。
大神殿の中のあの雰囲気が、どうしたって逃げ出したくなるようなものだった。
だから余計に、気持ち少しだけ外にいる時間を増やした。
どうも、国王陛下が倒れたことは外には秘密にされているようだった。
アリッサの様子をずっと側で見ていたからこそ、真咲はそうしなければいけない理由がよく分かっていた。きっと知られたら、皆混乱してしまうし、不安がって何もかもが手につかなくなってしまいかねない。そうならないように教えないようにしているのだ。
ある意味逃げているようなものだと言われればそれだけなものだと理解しているから余計に、知らず知らずにうちに精神的に疲労が積み重なってしまっていた。
ニーナが今日は大人しく過ごしましょうね、と子供達に言って聞かせている。その様子を真咲は子供達用の丸太をそのまま利用したベンチに腰掛け眺めていれば、ディーヴァが二度ほど顔の横で羽ばたいた。
一体何だとほんの少し視線を動かせば、いつの間にいたのか、ジルが目の前に立っていたことに気づいた。
「なぁ、真咲様」
「どうしたのよ」
「……その」
何か言い淀んだジルは、しかしすぐに口を開いた。
「銀の聖女って、どんな人」
まさか、そんなことを聞かれるとは思わず、真咲は一瞬だけ目を丸くした。だが、すぐに答えた。何せ、その答えは決まっていたからだ。
「喧嘩上等。見た目は子供。中身は大人。いつもたくさん考えていて、食べ物で釣れる」
「……聖女、だよな?」
「もちろん、あたしと一緒よ? なぁに、気になっちゃったの?」
殺戮のなんたら、と呼ばれてしまった彼女。しかも国王陛下が捕まえろというお触れなんて国中に出しているらしいのだから気になってしまうのも仕方がない。と、思ったら、どうも違うようだった。
真咲の答えにジルは素直に顔を歪め、ふい、とニーナの方を見たかと思うとジルが内緒話をするように真咲の隣に並び、小さな声で教えてくれた。
「……先生に黙ってろって言われたけど。つい一昨日、城の騎士が来たんだよ。それで見つけたらちゃんと報告しろって言われて」
「……そうなの」
わざわざここまで騎士が来ている。確かにここはまだ王都だ。行方知らずの静をきっと王都中駆けずり回って探しているのだろう。
しかし静は今、王都にはいない。だからこの王都を探し回ったところで見つからないのは当然の話だった。
目を覚ましたとロビンが言っていた。しかも困らせてしまっているくらいだと。きっと元気なのだ、そうだと信じたい。信じなければ。静が、いつもしていたように。ただまっすぐに、信じなければ。
「ジルは捕まえたいの?」
「違うっ……! ただ、その……あの話、違うとは思うけど。真咲様から聞いた方が、早いって思って、それで」
「そうだったの」
流れてくるあの話は嘘だと思っているのは確かなのは真咲も分かる。ここの子供達も、ニーナも皆、最初から真咲達を信じてくれていた。ただ騎士が来たことで少し不安を覚えてしまったのかもしれない。だから真咲に直接聞くことにしたのだろう。
横で俯くジルを横目で見つつ、真咲を遊びたがっている子供達を必死に説得しようとしているニーナの困り顔を眺めながら、真咲は先ほどの続きを言った。
「……そうね。静は……、とてもまっすぐな人よ」
「しず、様?」
「そう、名前は静。あたしよりも年上だから、そこは間違えちゃ駄目よ」
「けど、見た目は子供って」
「そうなのよ。見た目は子供に間違えられるくらいに幼いの」
こちらの子供用の服がとてもよく似合っているくらいに幼いし、一番背は低いし、体型も子供に近かった。本人的には諦めているようだったが、やはりかなり気にしているのは節々で感じるし、ちょっとばかしいじると、とても良い反応が返って来た。
けどあんなふりふりの服が似合うのが悪い。それにルイスも似合うと言っていたぐらいなのだから、あのまま可愛い服を着ていればよかったのに。勿体ない。
なんて、この王都にいない静に思いをはせた。
「それでね。静が言っていたの。なるようにしかならない、って」
「なにそれ」
「今は、なるようにしかならない。だからこそ今、出来る範囲で望む未来になるように、その中でやれることをやっていく。半分諦めみたいなものだって言っていたけど、絶対に諦めじゃなくって覚悟とか、決意とか、そういうものだと思うのよね。ジルはどう思う?」
静はかっこつけたがりなのだ。そして事実、中身は打って変わって本当にまっすぐでかっこよくって、とても優しい人だ。
「……かっこいい」
「でしょ?」
目を輝かせるジルに、真咲はふっと笑いかけた。
「あ、会えたりとか」
「……それは、ちょっと難しいかもしれないわね」
「……そっかぁ……そうだよな。あんなの、出されているし」
もし、静の体調が崩れていなかったら一緒にこうして孤児院に訪れても良かった。が、すぐに、静のあの男性恐怖症は少年も入ってしまうのかつい、心配してしまった。
いや、たぶん。けど話すくらいならきっと大丈夫。周りは少女達で取り囲めばきっと。
一人で小さくうんうん頷く真咲に、ジルは少しだけ怪訝そうな顔を向けつつも真咲に聞いてきた。
「真咲様はさ、やれることやってるのか? その、静様が言うような奴」
「今やっているわよ。あたしが出来ることなんて、ちょっとしかないもの。だからこうして皆に会いに行ってお話して、歌って、遊戯盤で遊んでる」
「それさ、真咲様が楽しんでいるだけじゃねぇの?」
「そうかも。今、すっごく楽しいもの」
出来ることを今、やる。たったそれだがまさか、こんなに大変だとは思わなかった。けども、こんなにも一日一日が過ぎ去るのが惜しく、毎日がとても早く過ぎていくように感じてしまうとは思わなかった。
楽しんでいる余裕はないとは分かっている。けども、この国の人々と会って、話して。そして子供達と遊ぶ日々が、ただひたすらに楽しかった。
薄らと、帰らなくても良いのではないか、と思ってしまうほどに。
「オレさ。騎士とか、憧れてるんだよ」
「あら、良いじゃない。ちょうどそこに騎士がいるわよ。話聞いてきたらどう?」
「……け、けど」
「ねぇ、カルロス! ジルが騎士について聞きたいって!」
慌てて止めようとするジルを無視し、真咲はカルロスを呼んだ。呼ばれたカルロスは真咲と、そしてジルを見比べててから、これまた良い笑顔を浮かべながら歩み寄り、ジルの肩を掴んだ。
「騎士について聞きたいって?」
「あ、え……その」
「ほら、あっちに行こうぜ」
そしてそのまま逃さないと言わんばかりに軽々しくと片手で肩に担いだ。
ジルは突然のことで慌てる中、何事かと子供達が集まり、自分もやってとカルロスを取り囲んだ。遅れて気づいたニーナが困り顔でどうにか落ち着かせようとしている様子を真咲は外から眺め、そして静かに強く思った。
この景色を守らないと、と。
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そして今日は打って変わり城下町。いつもと変わらない喧噪の中、遊戯盤を挟んで目の前にいるアンソニーが器用に肩眉をあげた。
「何やら、お忙しそうですな」
「少しね」
先ほどからミスを連発している真咲に何かを察したようで、アンソニーは一度手を止めた。
ほんの少しばかり考えるように視線を少しだけ上へと向けたかと思うと、すぐにまた真咲へ優しいまなざしを向けた。
「前から少しばかり気にはなっていたことなのですが。真咲様は、相手に合わせて打つ手を変えてらっしゃいますね」
「え、どういう意味?」
「そうですな……」
言葉を選んでいるのか、腕を組み、片手を顎に添え、アンソニーは答えた。
「真咲様はとてもお強いと思われます。ええ、それはもう何度冷や汗をかいたことか」
「けど一度も勝ったことないわ」
「ええ、そこなのです」
それがとても不思議なのだと言うようにアンソニーは力強く頷いた。
「真咲様は間違いなくお強い。それは断言いたします。ただ、後一歩足りない。そして他の方々ともお相手している様子を何度も拝見しておりますが、何故か私と相手をなさっていたような鋭さは一切感じられず、そのまま押し切られるのが常。時折白星をあげておりましたが、黒星が多い」
「そ、それは」
しっかりとアンソニーに分析されていたことに、真咲は妙に恥ずかしさを覚えた。いや、恥ずかしいことではないし、初心者以外には基本的に手を抜かないで相手をしていた、つもりだった。だからここは怒っても良いくらいだが、何せアンソニーが相手だ。
ここは素直にまず話を聞くべきだとぐっと真咲は耐えた。アンソニーはしかし、そんな真咲の様子を一歳気づかず、断言してきた。
「だからこのように思ったのです。真咲様は無意識に勝たないようにしている、と」
目に見えない鋭い剣が胸の中心に突き付けられたような気分だった。
「理由は存じ上げませんが……そうですね。真咲様はとても素直なお方でありますので」
「……よく言われるわ。皆に」
「素直なのは良いことですぞ」
「そうかしら」
「はい。ただ、それが盤上にも出てくるので、そこは学ぶ必要があるかもしれませんが」
はーい、先生。と、ふざけて言いそうになったのを真咲は反射的に飲み込んだ。
さすがに今、アンソニーにふざける時ではないことぐらいしっかりと分かっていたし、今まさに真咲の弱点をしっかりと教えてくれようとしていたのだ。
例えこの場からすごく逃げたくなっても必死に耳を傾けなければ、今後二度と聞くことが出来なくなりそうだった。
「勝つことは苦手ですか?」
「勝てるなら勝ちたいわ」
「ふむ。では、重い、とお思いですか?」
何が、とはアンソニーは問わなかった。しかし、真咲はアンソニーの問いを理解してしまった。
聖女という立場は重いか、と。アンソニーは聞いてきた。
真咲は答えられず、視線をついそらしてしまった。
意識をしないようにしていた、ずっと。やはりどこに行っても真咲はこの国の人々にとっては聖女で、頼られる存在だった。けどもその目が、心のどこかでは怖いと思ってしまっていた。だから、なのかもしれない。
出来ることをやろうという気持ちに嘘はない。ただちょっとだけ、ほんの少しだけ、逃げたくなる気持ちはどうしてもあった。だから、負け続けていたのだろうか。まだ、自分は頼れるような存在ではないと言うように。
「そうですか」
アンソニーはいつものようにゆったりとした口調で朗に微笑んだ。
「良いのですよ、真咲様。貴方は貴方らしくあってよろしいのです」
「……けど、あたしは聖女だもの」
「しかし彼らの前では、きちんと貴方を出していらっしゃる」
彼らとは、いつも真咲の側にいるアリッサやカルロスだ。イーサンも側にいるが、今も姿を隠してどこかから護衛をしてくれている。
ずっと側にいてくれている。本当の聖女じゃないと知ってもなお、ずっと。だからついつい甘えて、いつも本音で話をしていたが、それを今この場にいる皆にも見せるとなると、どうしても恐ろしく感じてしまった。
「こ、困らせちゃうかも」
「いじわるしてしまうのですか?」
「……ちょっとだけするかも」
「側にいらっしゃる侍女殿からお小言をいただくかもしれませんな」
「嫌だわ。アリッサの小言、しつこいのよ」
背中に妙に鋭い視線を感じた。肩にいるディーヴァが呆れたのか、真咲の顔側の翼をわざとらしく広げてきたが無視をした。それよりも今はアンソニーとの話が優先だ。
「それに……、最近だけど、悪いこと知って」
「お聞かせしていただいても?」
「喧嘩って買うの、面白いわね」
「おや、一体どなたから学んだのですか?」
「静……。えっと、銀の聖女から」
「銀の聖女様からですか」
流石に予想していなかったらしく、アンソニーは目を丸くして驚いていた。
やっぱりその反応をすると分かっていたとはいえ、真咲はアンソニーの分かりやすい反応についつい笑ってしまった。
「あのね。静って、すごくまっすぐで、かっこ良くって。よく小言ばっかり言われてたわ。すぐに無茶しようとするし、喧嘩なんか買おうとするから」
「ずいぶんとお転婆なのですね」
「そう。それでね、全部、守ろうとしてくれてた」
巻き込まれなければ、ただ同じバスに乗っているだけの赤の他人で終わっていた。だってあの時の静ときたら、どこかの学生とそう違いがなかったのだ。ただぼんやりと、私服だから大学生なのだろうなと思っていたぐらいで、話したいとは全く思わなかった。
何故巻き込まれなきゃならなかったのか、という重いはやはり消えない。恐ろしさはより積み重なっていく。けども、この世界にこれて良かったと思ってしまうし、そして静と会って、話せたことは真咲にとって大きな出来事だった。それこそ、憧れに近かった。
「あたし、あんな風になりたい」
「うぅん。それはよした方が良いかと」
「どうして?」
「是非後ろをご覧ください」
視線の鋭さが何故か妙に増したことに気づいたが、真咲はアンソニーに言われてしまい、しぶしぶ振り返った。
「本当にお止めください」
「止めてくれ」
「……冗談よ」
そこにはアリッサはもちろんだが、いつの間にか側にいたらしいカルロスもいて、二人揃って止めろと懇願してきた。それはもう、とても真剣に。真咲はその圧に押されるように今の言葉を冗談にしておいたが、二人の視線は鋭いままだった。
真咲は慌ててアンソニーに向き直れば、少しだけ口元を隠して肩を小さく震わせていた。
「……アンソニーさん?」
「おっと、これは失礼いたしました」
わざとらしくアンソニーは咳払いし、姿勢をこれまたわざとらしく正した。
「それでは真咲様。この遊戯盤をするときだけは、空の聖女ではなく、真咲様として行うというのはいかがでしょうか?」
「……んん? えっと」
真咲はアンソニーの提案の意味が分からずに大きく首をかしげた。アンソニーは嫌な顔なんて一切せずに、とても丁寧に説明をしてくれた。
「これはお遊びの一つではありますが、皆、とても真剣に行っております。もちろん真咲様も、私も。そこに身分や立場なんてものはないと私は思うのです。それこそ神殿のお教えの通りに」
アンソニーの微笑みは変わらない。だがしかし、その目はとても真剣なものだった。
「ここにあるのは勝つか、負けるか。たったそれだけでございます。確かに、聖女というお立場である真咲様が喧嘩を買われるというのは少々外聞が悪いわけですが、要はやり方なのです。いかに穏便に、そして目立たず、しかし確実に喧嘩を買い、追い詰めるか。まさに遊戯盤はそれに適しております。周囲から見ればただこれで遊んでいるだけに見られるだけですから」
何故だろうか。どうしても静の姿が浮かんでくるのは。
真咲がなんとも言えぬ表情をしている中、アンソニーはそれはもう楽しげに教えてくれた。
「これも一つの戦い方。武器なのです。そして素晴らしいのが、一対一で相手が出来、邪魔されることがない上に怪我の心配もありません。せいぜい出来ても精神的に追い詰めるだけです」
「……どうしよう。すごく静を思い出すわ」
「おや、静様はこのような喧嘩の買い方をなさるのです?」
「静はちゃんと拳が出るわよ。ただ、その前に言葉で追い詰めて、ちゃんと拳が出ても良いようにするらしいわ」
「素晴らしい」
アンソニーは何度も頷き、しかも小さく拍手をしていた。ここで真咲はふと、思ったのだ。
この人、本当にただの平民なのか、と。
経験してきたからこその深みは話しをしていれば感じるし、知識だってとても深い。物腰はとても柔らかく、紳士的だ。そして城下町の人々にとても慕われている。とはいえ、遊戯盤狂いと呼ばれるだけあって、常に携帯用の遊戯盤を小脇に抱えているのだが。
ただ、少し気になったのだ。ほんの僅かなことだが、ちょっとした仕草や、真咲に対しての姿勢への注意や、対応の仕方。それらがどうしても他の平民達とはだいぶかけ離れているような違和感があった。
とはいえ、深くそれについて聞こうとは思っていない。いずれ、ここを離れてしまうのだ。さすがにこれ以上、親交を深めるつもりは真咲には無かった。とはいえ、予想以上に親交を深めてしまったが、こういうときもある、と思いたい。
「やり直しても良い?」
「はい。もちろんですとも」
気を取り直し、真咲はそれならばとアンソニーにお願いすれば、快く聞き入れてくれた。
この時だけ。この遊戯盤をしている時だけ、聖女という肩書は忘れる。そしてただの真咲として、この目の前の人に勝つ。だから例え、どんな汚く、卑怯な手を使ったとしても、これはそういう戦いなのだからと言い切ればそれだけの話しだ。何一つ、怖いことはない。
また最初に戻された盤上を見下ろす。
真咲は一つ、小さく息を吐き出して駒を一つ、前に進めた。
「次は絶対に勝つんだからぁ!」
「申し訳ありません。ついつい本気を出してしまい」
けどもアンソニーの方が一枚も二枚の上手だったことを痛感した真咲は、本当に悔しすぎて半泣きになったのをアンソニーはなんてことなく変わらずに微笑むだけだった。
そんな余裕そうなアンソニーにさらに一言を向けようとしたが、アリッサにしっかりと腕を捕まれ、引きずられるように半ば無理屋に帰りの馬車へと乗せられてしまい、この場を後にした。
残されたアンソニーと、観戦していた人々は一気に集まり、一つの遊戯盤を取り囲んだかと思うと、ああでもない、こうでもないと先程の一局を検討しはじめるのだった。




