04 遊戯盤は魅力にあふれている
あの時の出来事は、瞬く間に王都全体に広まったらしい。
「こんにちはー!」
「ま、真咲様?!」
「来ちゃった」
いつかは言ってみたい言葉の一つを言いながら、真咲はこれまた久しぶりである食堂の女将へと笑いかけた。
真咲は今、城下町の一角にあるこの世界へ落ちた時に保護してくれた食堂の女将の元へと訪れていた。もちろんながらつい今日、思い立ったわけで事前の連絡なんてものはない。周囲の人々は突然現れた空の聖女に驚いていたし、女将なんてもっと驚いて、手に持っていた皿を落としかけた。
「ごめんなさい。なるべく忙しくない時間を選んだつもりだったんだけど、よくよく考えたら今って準備中よね?」
「え、あ、そ、そうなんですが……。いえ、いつだって来ていただいて良いんですからね?!」
「わぁ、ありがと!」
おそらく完全に邪魔をしにきていることは理解しつつも、真咲はここぞとばかりに甘えに甘えることにした。おそらく、もう何回も会う事が出来なくなるのだ。であれば、今だけはちょっとぐらい赦してくれるだろう、と。
「ねぇ、女将さんの料理食べたいの。駄目?」
ここに来た目的は女将に会いたかったというのが大きな理由だ。そしてもし、以前のように真咲にあの時と変わらないような対応をしてくれたら、ここの料理を食べてみたいというお願いをするつもりだった。
何せあの時、いろいろとあったせいで食べ損ねたのだ。困り果てていた真咲の為にと、女将はすぐに用意をしてあげると言ってくれていたのにだ。
女将は目を丸くして驚きの表情を見せたが、すぐにぱっと笑顔を浮かべた。
「すぐにご用意しますね!」
「ありがと! あの時食べられなかったら、どうしても食べてみたくなっちゃったの。あ、ねぇ、待っている間、あの時の子と遊んでいても良い?」
「は、はい! すぐお連れします……! ちょっと、あんた! あんた!」
女将は慌てて厨房の奥へと引っ込んだ。
真咲は女将の後ろ姿を見送った後、出入り口に集まる想像以上の人だかりを見てから、アリッサへと聞くことにした。
「……あたし一人だけだと食べにくいから、その」
「少々お待ちください」
アリッサは真咲の言いたいことを察してくれたようで、女将の後を取り急ぎついて行った。そしてその後、すぐに女将とそれから男の人の驚きの声が食堂の外にまで響き渡った。
満員御礼。むしろ外にまで溢れ出しそうな人だかりが食堂に押し寄せていた。女将や急遽、手伝いで数人雇った給仕人達が慌ただしく人の波をかき分け、料理を運んでいく。厨房の奥では他所の食堂を営んでいる料理人に急遽手伝ってもらい、料理を提供し続けていた。
その原因である真咲は本当に申し訳なくなった。と、同時に何故こうなったのか意味が全く分からなかった。
いや、ただ思ったのだ。せっかくならみんなで食べたいな、と。そしたら何故か人が押し寄せた。
「やっぱり、これだよなぁ」
「あんたもちゃっかり食べてるし。護衛はどうしたのよ、護衛は」
「してるしてる。あー、うめぇ」
二人分ほど離れた場所でカルロスもちゃっかり食べているし、隅の方にいるイーサンもなんだかんだ食べている姿が見える。唯一食べていないアリッサは鋭い視線で周囲の大人達を圧倒させ、不用意に近づけさせないようにしていた。
対し、子供達だけは真咲の両隣や周囲に集まることを許されており、各々料理を食べていたり飽きて遊び始めようとしていたりと、本当に好き勝手しはじめようとしていた。
「おいしーね!」
「ねー。あんたもごきげんねー」
真咲の隣にちゃんと座っている赤ん坊は、もうそろそろ一歳を迎えるらしい。一人でちゃんと座り、上手にスプーンを握って食べようとは失敗してはぐずり、さらに隣の少女が慌てて食べさせながらあやしている。
反対側には少女と少年が並んで座り、ディーヴァに恐る恐る触れていた。
「そうよ、優しくなでてあげなさいね」
「はぁい」
「とりさん、ごはんたべない?」
「今はお腹空いていないみたいね」
ディーヴァは翼を広げ、小さく羽ばたいたかと思うと、少年の頭の上へと飛び移った。
少年が驚きつつも、落とさないように動かないようにしているその後ろで、また違う少女達が集まり始めた。きゃあきゃあと声をあげるその隣では、カルロスが慌てて立ち上がっていた。
「おい、こら。剣に触るな、怪我しても知らねぇぞ」
「えー!」
「けち!」
「ちょっとぐらい良いじゃん!」
「それに今は、このお方の護衛中なんだよ。邪魔すんな」
「飯食ってたくせに!」
「腹減ったんだから仕方がねぇだろ」
どうやらカルロスの剣に触ろうとしたのだろう。少年達が立ち上がったカルロスを見上げてぶうぶうと文句を言っている。
確かに男の子だもの、騎士というものに憧れを抱きやすいうえに、間近に剣があるのだから触ってみたくもなる。さらにいえば、相手がカルロスだからこそ出来ることだろうと真咲はなんとなしに思ってしまった。
食べていた理由が腹が減ったから、とかいう騎士としてはどうなのかと首を傾げたくなるようなものを当然のように言ってのけた。
確かに護衛のために仏頂面をして側に立たれるよりはずっと良いが、その理由はどうなのかとさすがの真咲も首を傾げたくなる。が、そんなことをしているカルロスだからこそ、子供達は遠慮なくあっという間にカルロスに懐いて集まってくるのだ。
しかもカルロスは子供相手だからと声を普段よりもずっと落としているし、さりげなく後ろにいる子供達にも目を向けては順番に話すようにしているのが傍目から見ていてもよく分かった。
これが普段のカルロスなのだろう。子供達からの憧れと好意を一心に受け止め、ちゃんと一人一人と向き合って話しを聞く姿勢は、物語に出てくる騎士そのもののように真咲の空の瞳には映った。
「えっと、真咲さま」
「うん、どうしたの?」
赤ん坊のお世話をしながら少女は、真咲に好奇心いっぱいの瞳を向けてきた。
「真咲さまたちって、いっつも大神殿にいるんですよね」
「そうよ」
「えっと。いっつも、なにしてるのかなって」
子供らしい、あどけない疑問だったし、当然の疑問だった。
大神殿のさらに奥に真咲達は過ごさせてもらっている。その場所は一般の神官でさえ立ち入りができない、らしい。大神殿に初めて来た時、そんなことを伊織から聞いた覚えがあるが、ほとんど忘れかけてしまっていたことに今更ながらに気付いたが、今はそんなことを考える時ではないと真咲は慌ててあどけない質問について考えることにした。
何をしているだろうかと思い出してみたが、とくに何もしてないな、という結論に至った。
朝起きてから奈緒と一緒に朝食を作る。その後は各自、好きなように動き回っている。昼食と夕食のときは揃っているが、その時は各々何をしたのかという話であったり、こんな噂があるのだとかなんていう下世話な話までしている。
その中でどのあたりが話せるだろうか、とぐるぐると思考を回し、ああそうだ、と思い出した。
「そうねぇ。遊戯盤で遊んでたりしてるわね」
「ゆーぎばん……ええ?」
「あんなのつまんねぇじゃん!」
「面白いわよ。何だったら相手してあげても良いわよ?」
最初こそ暇つぶしで遊んでいただけなのが、まさかここまでのめり込んでしまうとは思わなかった。中途半端なものが少し苦手なだけで、真咲は別に完璧主義でもない。しかし、考えれば考えるほどにどうしてか思考が抜け出せなくなってきていた。
そして真咲はある日、唐突に気づいた。
そうか、これが沼か、と。
クラスメイトの交友がほとんどない女子達が時折、沼がどうの、肩まで浸かっているとかどうの、なんだか聞いていて怖い話が聞こえてきた時があったが、つまりはこれだ。たぶん。
真咲はすっかり、どっぷり、遊戯盤の沼に肩まで浸かってしまっていたのだ。
しかしあの面白さが分かるのは、まだ小さい子供達には難しいようだった。考えることは苦ではない子ならともかく、まだまだ外で遊びたい盛りの子は、つまらない遊びだと思っても仕方がないことだ。
それでも増やしたい。そして面白い勝負がしてみたいと思っている真咲は、以下にして教えるか必死に頭を回していた。
と、人混みをかき分け、一人の老年の男が何かを抱えて歩み寄ってきた。
一体どうしたのかと思ってよく見ていると、その抱えていた物の正体が分かり、真咲はつい笑顔で嬉しさのあまりに立ち上がった。
「遊戯盤でしょ、それ!」
「はい。そうでございます」
大神殿にあるのは、見るからに高価そうな重厚な遊戯盤だったが、老年の男が持っているそれは携帯用に四角い盤を半分の箱状にして、中におそらく駒がしまわれているものなのだろう。
真咲は笑顔で目の前に座るように手で示せば、子供達がすぐにどいてくれて代わりに老年の男が目の前に座り、慣れた手つきでそそくさと用意し始めた。
「おい、トンプソンの爺が出張ったぞ!」
「止めろよ誰か!」
「止めましょ、真咲様! この爺、遊戯盤狂いで有名で……!」
なるほど、トンプソンおじいさん、という方はとても遊戯盤が好きな人らしい。
周囲の大人達が止めようと騒がしくなるが、何故か一気に静まりかえり、数歩後ろに下がった。一体どうしたのかと思い、彼らの視線の先を追うと、何故かカルロスに行きついた。
「あ? どうしたんだ?」
「え、あ、ううん。何でもないわ」
カルロスはいつもと変わらない様子で器用に肩眉をあげ、真咲を見返した。真咲はよく分からずに誤魔化し、今はそれよりも、と気を取り直してすでに用意された遊戯盤を見下ろした。
「えーっと、よろしくお願いします!」
「はい、よろしくお願いいたしますね」
まずは挨拶。そして先手である真咲は、迷わなずに駒の最初の一手を指した。
どれほど時間が過ぎ去ったか。盤上の駒はずいぶんと互いに少なくなり、もう少しで勝敗が着くのではないかという最中、じっくりと考え抜かれたトンプソンの一手がようやく進み、次に真咲の番に移り変わる。
「真咲様、そろそろお戻りの時間が……」
「待って。今いいところなの」
「そうですよ、侍女殿。これはなかなかに……うぅん」
しかし大神殿へと戻らねばならない時間が差し迫っているという焦りの中、真咲は迷いながらも自身の駒を一つ動かす。と、トンプソンの迷わない一手が真咲を窮地に追い込んだ。
ここから巻き返すには一体どうしたら、と考えるが視界の端で珍しく不安な様子を見せるアリッサの姿を見てしまい、真咲はぐっと背筋を伸ばし両手で顔を覆った。
「参りました!」
今日はここまでだ。ここから脱する手を考えるにはあまりにも時間が無さ過ぎる。
真咲は急いで立ち上がり、近くにずっといた子供達の頭をじゅんぐりに撫でまわしながらトンプソンに言い放った。
「次は勝つんだからぁ!」
「早く行きますよ」
まるで負け犬の遠吠えである。
その自覚は持ちつつ、アリッサに促されるまま真咲は食堂を後にしかけ、すぐに戻ってきたかと思えば食堂の女将に抱き着いた。
「ま、真咲様?!」
「また来るわね! 次は、こんなに騒がしくしないから! ありがと!」
忘れずに次の約束と今日のお礼を伝えて、今度こそ真咲は食堂を後にした。
残された女将は笑顔で小さくその後ろ姿に手を振り、人々は真咲と女将のやり取りに心を和ませていた。そして先ほどから遊戯盤の勝負を見ていた者達は難しい顔をして、残された遊戯盤を見つめていた。
「おい、やべぇよ」
「トンプソンの爺さん相手に、あそこまで追い詰めたぞ」
「おい! 誰か、覚えてねぇのか! 記録は!」
「しているわけねぇだろ!」
男達が騒ぐ傍ら、残された老年の男は、小さく唸る。
「うぅむ……。げに恐ろしや、空の聖女様」
小さく呟いた男は次回の為にと、ざわめく周囲をまるで無視し、ただ一人、遊戯盤の検討を始めるのだった。
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「真咲さま! あのねあのね!」
「ねぇ! おうたおしえて!」
「なんで昨日も一昨日もこなかったんだよ!」
馬車から居りた直後、集まってきていた城下町の子供達に囲まれた真咲は順番にこれでもかと頭をわしゃわしゃと撫で回した。
「順番に聞くから落ち着きなさいって。他の場所に行っていたんだから仕方がないでしょ?」
「えー!」
「えー、じゃないわよ」
昨日も一昨日も真咲は孤児院へと赴いていたが、なんとなく行き先は伏せた。おかげでどこに行っていたのだと聞いてくる子供達を何とか躱しながら、食堂の中から顔を出した女将の姿を見て真咲は大きく手を挙げた。
「女将さーん! 場所いつもありがと!」
「いえいえ! おかげでお店がとても繁盛していて、むしろ助かっていますよ!」
真咲がいる場所は、女将が営む食堂の目の前にある通りだ。もちろん人は行き交うし、馬車も時折通るので隅っこの方に寄っているわけだが、そこには即席で作られたテーブルや椅子がいくつも並んでいた。
そこに座っている多くはこの近辺にいる子供達だ。子供達は向かい合うように座り、間にある遊戯盤を揃って見ている。その他にも、真咲から教わった歌を子供達が集まって歌っていたりと、ちょっとした子供の達のたまり場になっていた。
今、子供達の中では遊戯盤と歌が一大ブームになっていた。
遊戯盤はあの日の勝負があまりに白熱した結果、子供達が自分たちもやりたいと言ったらしい。しかも真咲と一対一で相手が出来るものだから、中には大人達もこっそりと練習しているのだとか。
そして歌だが、無邪気に子供達が教えてほしいと集まってきたのだ。もちろん真咲にとっては嬉しいことだったから、遠慮なく教えようと足したところ、とある問題が発生、というよりも新たな事実が発覚した。
どうも不思議なことに、歌はこの力の範疇に入らずに翻訳されずに伝わっていたという。確かにこれ自体はある意味、音の集まりであり、翻訳されればリズムやメロディー自体も多少なりとも変化してしまうわけだから、むしろ変なふうに伝わってなくて安心してしまったのは大きい。そしてディーヴァ曰く、それはそういうもの、らしい。だからこの国の人々が時折詠唱する魔術の言葉が翻訳されないのも、そういう理由だとか。
それを聞いてようやく、アリッサが身体強化の魔術を使ったときに言っていた言葉が分からなかった理由を知ったのだった。
さて、それはともかくも。今日はどうしようかと真咲は周囲を見渡した。
実を言えば昨日、一昨日も孤児院で歌を教えていた。歌を教えても翻訳されないのだが、それでもそれらしい音を頼りに子供達が歌ってくれるので、真咲はそのいじらしさに打ち震えつつも時間の許す限り教え続けていた。
その結果、本日は少しばかり喉の調子がよろしくない。後ろから感じるアリッサの視線と、肩にいるディーヴァのわざとらしいぴぃ、という鳴き声で今日は歌を諦めるしかないと悟った。
ほんの少しだけ視線から逃れようと背中を丸めながら遊戯盤で遊んでいる子供達の近くに行くと、ちょうど勝敗がついたようで少女は頭を抱えてしまっていた。
「うぅ……!」
「ほら、やっぱり弱いじゃん!」
そして少女の相手をしていた少年が呆れたように肩をすくめていた。
こっそり盤上を除けば、少年の圧勝だったことはすぐに分かってしまうほどだった。
「これこれ、そんなことを言ってはいかんよ?」
「だってさぁ」
真咲が二人の間に入ろうかと思っている間に、あのトンプソンと呼ばれていた老年の男。名前は後で知ったが、アンソニーが先に二人の会話に入った。少年が何かを言おうとし、それならとアンソニーは自分の相手をしてくれないかと言うと、少年は笑顔で頷いて席を立った。
アンソニーは遊戯盤狂いと呼ばれるほどに遊戯盤がとても強い。そして今や、子供達にとっての遊戯盤の先生として楽しそうに教えているのだ。
正直、アンソニーの打つ手が気になり、そちらへと足が向きそうになるも、真咲は迷わずに一人残された少女の目の前に座った。
「こんにちは」
「あ、ま、真咲さま……」
目の前に座った真咲が声をかけるまで気づかなかったらしい少女は、目を大きく丸くした。
この子は確か、初めて食堂にお邪魔したときに赤ん坊のお世話をしてくれていた少女だったはずだ。どうやらちゃんと遊戯盤にのめりこんでくれたらしい。その事実に喜びたい真咲だったが、少女の暗い顔を見てしまい、話を聞こうと少しだけ体を前へと傾けた。
「……あたし、いっつも負けちゃう」
「そうなの。皆強いのね」
「ううん。あたしが弱すぎるから……」
どうやら、一度も勝ったことがないらしい。確かにそれでは楽しくないし、そんな顔をしてしまうのも理解出来る。
真咲はほんの少しだけ考え、よし、と決めた。
「あたしとやりましょ」
「え、良いんですか?!」
「もちろんよ。ほら、並べましょ」
少女は笑顔で頷き、真咲と共に急いで駒を並び直した。
とはいえ、ただ遊戯盤で遊ぶつもりは真咲には一切無かった。
「ほら、ここ。ここよく見て」
「え?」
「この駒、次はどう動くと思う?」
「え、えっと……?」
指先で自身の駒を突く。次はこれを動かすし、動かし方も決めている。もちろん正しく対応すれば、その動きは無効化されることも知っている。だからこそ、真咲は少女に問を投げかけた。
少女は投げかけられた問にぐっと眉間にしわを寄せながら、迷うような手つきで一つ、駒を動かした。
ほんの少しばかり違っていたが、良い手だった。
「良い手ね。けど、おしいわ。ほら、こう動いたわよ」
「え、えっと……じゃ、じゃあ……」
「あら、違うわね。ほら、もう一回考えて?」
「うぅ、きびしいよぉ……」
「これが面白いんじゃない。そうね、ヒントはこれを動かすわ。この駒はどう動くんだっけ?」
「え、あ、それはまっすぐだから、こう!」
「そう、正解」
駒の役割、位置。そして想像。これらを駆使して行う盤上の戦いは少しずつであったが、白熱してきていた。
それからどれほど時間が過ぎたか。合間合間に真咲が何度かヒントを指し示しつつ、少女が残り少ない駒の中から一つを動かした。
「あら、負けちゃったわ」
「え?」
「やだ、強いじゃない。完敗だわ」
真咲は何故か自分で打った一手に驚きを隠せない少女を見て、ああそうだ、と手を合わせて微笑みを向けた。
「勝ったご褒美に……そうね。歌なんてどう? どんな歌が良い?」
それとも他のものが良いだろうか。なんて思ったりもしたが、どうやらその心配は必要無かったようだった。
少女は目を一気に輝かせ、大きな声で答えてくれた。
「楽しくなるお歌が良いです!」
「分かったわ」
楽しくなる歌。それならあれが良い。
真咲はいくつもある気に入りの一つである歌を歌うため、大きく息を吸った。
歌い終われば周囲からの拍手と、空から降り注ぐ光が真咲の周囲に満ちていた。
この光はどうやら目に見える奇跡、というやつらしい。ディーヴァ曰く、人間達が考える奇跡の形だとか。なるほどなんて分かりやすい奇跡なのだろうかと思いながら、雪のように舞う光はすぅっと空中に溶けていってしまった。
少女は何度も感謝をし、その後慌てて帰っていってしまった。どうやら家族との約束があるらしい。
残された真咲はその小さな背中に見えないと知りつつも手を降り、さてまだ時間はあるがどうしようとかと考えていれば、横から声をかけられた。
「素晴らしいお導きでしたな。空の聖女様」
「導きって、ちょっと教えていただけよ。アンソニーさん」
どうやら少女との一局を見ていたらしいアンソニーは、なんとも大げさなことを言いながら人の良い笑顔を浮かべていた。
「教えもまた導きでございますよ」
「そうなの?」
「はい」
真咲はあ、と気づいて隣の椅子に座るように手で示せば、アンソニーは深々と頭を下げて静かに腰をかけた。
近くにいる子供達が羨ましそうにこちらを見ているが、それは真咲に対してなのか、それともアンソニーに対してなのかは不明だ。
「少しばかり、この年寄の話を聞いてはくだりませんか?」
「ええ、聞きたいわ」
そういえばいつもアンソニーとは遊戯盤の相手をしてもらっていることがほとんどで、ゆっくりと遊戯盤無しで話をするなんてことはなかったことに今更ながら気付いた。
話を聞くぐらいの時間はまだある。ちょうど良いタイミングだと思い、真咲はアンソニーの話をよく聞こうと無意識に少しだけ前かがみになった。
「おや、真咲様。姿勢がよろしくありませんぞ?」
「ええ、ちょっとぐらい大丈夫でしょ?」
「いえいえ。今のうちに注意をしておかなければ、後悔してしまいますから」
確かに、猫背はいろいろと良くないのだけは真咲だってよく分かっていた。ただ見た目的にすごく悪いくらいしか分かっていないのだが。
けどもアンソニーに言われてしまったからには、真咲は少しだけ上半身に力を入れて姿勢を保つ。アンソニーは満足げに頷き、ようやく口を開いてくれた。
「若かりし頃のお話です。実は、私は指導する側に立ったことがあるのですよ。こう見えて」
「こう見えてって……。すごい人なのね、アンソニーさんって」
「ただ考えることが得意だっただけなのですがね」
考えることが得意なだけで、指導なんて出来るのだろうか。真咲は素朴な疑問を抱いたが、そのまま黙って耳を傾けた。
アンソニーはそんな真咲のそんな姿勢に快くしたのか、朗らかな笑みを深めた。
「答えのみを伝える導きも、もちろんございます。しかしそれでは、経験や、思考力、知見といったものが得られなくなります。その分、時間は短縮出来るような錯覚を陥りますが、導いた者がいなくなった瞬間、使えぬただの操り人形と成り果ててしまうでしょう」
何となくでしかないが、真咲はできる限り理解した。
あれだ。タイパとか、コスパとかのあれだ、と。
だってあの世界では、全部が全部、答えなんて調べれば出てくる。そしてその通りにやっていれば問題なくやっていけた。だってそれが答えなのだなら、間違いなんてなかった。
けども、と真咲は思う。
今まさに、正体不明の敵がすぐ近くにいて、実際に静があんなことになってしまった。そしてまさしく操り人形のようにさせられた人達は、目の前で命をおとした。
疑うことなく、ただ元の世界で答えばかりに求めていたら、命は落とさなくても自分もあんな風になってしまうのだろうか。
真咲は無意識に膝に置いた両手を強く握りしめた。
「実際。私は一度ならず、二度までも、そのような失態を犯してしまいました。ですから三度目がないようにと、一部の教えをあえて言わないことにしたのです」
「え、それって困らない?」
「はい。その通り、混乱ばかりの状況に陥りました。私も、どの部分を教えないようにするかと試行錯誤し、時間はかかりましたが状況に応じて教えず、あえて彼らに考えさせることが出来るようになったのです」
だいぶスパルタに思えてしまう指導方法に、真咲は驚愕した。まだ学生で、社会人ではないからそんなふうに思うだけで、奈緒も静も、同じように指導をされたりしていたのだろうか。
ほんの少しだけ怖いと思った。けども、それが悪い事とは欠片も思えなかった。
「私はようやく理解をしたました。何も、答えばかりが導きではない、と。その道筋を指し示すだけでも、十二分に導きになるのだと」
なんとも優しく、けども困ったような顔をしていて笑みを浮かべているアンソニーは、きっと当時のことを思い出しているのだろう。
ほんの少しだけ間を開け、そしてまたアンソニーは続けた。
「真咲様は最初こそは答えありきなものでしたが、進むにつれて答えはなくなり、道筋を辿らせ、そして星々の小さな光のように点で指し示し、最後はただ黙って見守れられておりました。あの最後の一手、あれはあの子が自らたどり着いた答えでございましょう」
「ええ、そうね。びっくりしちゃった。いきなりあんな良い手を打つんだもの」
「ふふっ、子供の成長というのはまことに素晴らしい。なんとも眩しいものです」
真咲は見たのだ。あの少女が、たった一局だけ相手にしたというのに自分で考えて、考え抜いて決めた一手を。
たかがお遊びの延長線上のものだ。けども、あそこまで成長する姿を見た真咲は、とても綺麗だと思った。目が離せなかった。ただ夢中になって、少女が成長する様を見た。その変化があまりにも色鮮やかなものに真咲には見えていた。
ラウディアータは導くのが役割。それなら、人間のこういうものも近くで見ていたのだろうか。そうであったら良い。そしてこの先、もっと見ることが出来るようにならば、またラウディアータは人間を好きになってくれたら嬉しい、なんてつい余計なことを考えてしまった。
「……導くって、難しいけども。なんだか良いものね」
「その通りでございます、真咲様。しかし、ついつい説教のようになってしまいましたね。話を聞いてほしいと願ったのはこちらだというのに……」
「そんな! とても勉強になったわ!」
今まで通り、元の世界で過ごしていたらきっと聞けない話だった。
いや、聞けたものかもしれないが、きっと素直に耳を傾けようとはしないどころか聞き流し、時間が勿体ないと言わんばかりにそそくさと切り上げてすぐに忘れてしまうだろう。
今この時、真咲はこの世界に来てよかったと心から思った。
「真咲様! おれともやってよ!」
「次、ぼくと!」
「ずるーい! ねぇねぇ、あたしにも教えて!」
アンソニーとの話がひと段落着いたところを見計らっていたらしく、子供達が一斉に集まって来た。
時間があるならば一人一人、ちゃんと話しながら相手をしたいところだが、そうもいかない。それでもやっぱり子供達の相手をしたい真咲は、どうやって時間を伸ばしてもらおうかとすぐに考えながら、子供達に笑顔を向けた。
が、視界に深紅が入り込み、すぐに真咲は顔をあげた。
「悪いな。ちょいと急ぎで戻らねぇといけなくなったんだ。今日はここまでな?」
「ちょっとカルロス!」
「良いから戻るぞ」
強制的に子供達との交流を中断してきたカルロスは真咲を急かしながら、子供達の文句を真正面に受ける。アンソニーもそれに驚きながらも、すぐにいつものように朗な笑みを浮かべ、軽く頭を下げた。
そんなことをされれば大人しく今日は大神殿へと戻る他ない。
真咲は少しだけ肩を落とし、すでに近くに来ていた馬車へと乗り込んだ。
「もう! まだ時間はあったのに!」
「仕方がありません、真咲様」
「仕方がないってどういうことよ」
馬車に乗り込んだ真咲がすぐに文句を口にすると、アリッサは諫めながらいつになく真剣な、しかし何故だろうか、妙に顔が白いように見えた。
「え、ちょっと。アリッサ、大丈夫? その、具合悪い……?」
「いえ、真咲様。どうか、落ち着いてお聞きください」
むしろアリッサが落ち着くべきなのでは、と言いかけたが黙って真咲は頷いた。
アリッサはぐっと何か堪えるような仕草をし、ようやく理由を告げた。
「陛下が、倒れたのとの知らせがありました」
真咲はアリッサの冷たい両手を握りしめ、揺れる瞳を見つめた。
「大丈夫よ、アリッサ。そうね、すぐに戻らないといけないわね」
「……はい」
真咲は国王陛下に対して、さして興味を抱いていない。むしろ敵側だと認識している。だから今の話を聞いたところでなんの動揺なんてない。
だがしかし、アリッサは違う。例え本当に敵だろうが、国王陛下はこの国にいる人達にとって大切な存在だ。それは孤児院や、城下町の人々と触れあって痛いほどに伝わって来た。だからこれほどまでに動揺してしまうのも仕方がないことだと真咲は分からないなりに、そう理解していた。
馬車が一度、大きく揺れ、動き出した。
真咲はずっと大神殿に着くまで、アリッサの手を握りしめ続けた。




