12 今日も変わらず掃除をする
「ふふっ、ふふふふっ……! 待っていましたよぉ!」
「これあげるから大人しく掃除させなさいよ」
「もちろんですともぉ!」
ご機嫌にバスケットを掲げるユアンを放置し、奈緒はこの見事に散らかっている室内を見渡し、目を細めた。
通信機のあの一件からなるべく日を開けずに、二日か三日に一度のペースで来ているわけだが、何故だろう全く片付かないのだ。しかもきっちり元に戻っている。さすが巣窟の主だと言わざる得ない。とても納得は出来ないが。
「ちょっと、これ何よ」
「あ、それはまだ開発中のっ」
「はいはい。じゃあ、こっちね」
「奈緒様がようやく御慈悲をっ」
「捨てるわよ」
「捨てないでぇ!」
もはやいつものこととなってしまった一連のやり取りを繰り返しながら、今日も今日とて何故か山になっているよく分からない物を一つずつ片付けていく。それでも以前の、それこそ本当にここに落ちてしまった時に比べたら雲泥の差なのは明白だ。
本当に綺麗になった。人間が活動していても、ギリギリ問題にならないくらいには。
「全く。いつになったら片付くのかしら、ここ」
「諦めた方が早いと思いますけどねぇ」
「あのねぇ。この際だから言うけど、私達帰るつもりでいるのよ? いつまでもいないんだから」
この巻き込まれた原因が解決できれば、奈緒達は元の世界へと帰る。それは今も変わらない目的であり事実だ。
ユアンはそれを理解はしているようで驚かずにバスケットの中身から焼菓子を取り出し、一口咀嚼しながらふっと遠い目をどこかに向けた。
「……そうでしょうねぇ。奈緒様達にとって、魔力は毒だそうですし」
独り言に近いようなものだった。だが、それは奈緒だけではなく、この場にいた全員の耳にしっかりと届いた。
「待って、ユアン。その話、一体誰から」
「……おっと、これはついうっかり」
ユアンは焼き菓子をつまんだ指をぺろりと舐めつつ、明らかにやらかしたと言わんばかりに視線を大きくそらした。
魔力こそが毒である。これを知っているのはこの場において、レオナしかいない。更にいえばオリヴィアとギルバートには、その毒のことすら伝えていないのが現状だ。
視界の端で顔つきが一瞬にして変化した二人の様子に焦りを覚えつつも、何故ユアンがそれを知っているのかが全く持って意味が分からなかった。確かにユアンは驚くほどの情報通だが、それを知っているということは身近な誰かと深く関わりを持っているということに他ならない。それならば何故、隠す必要があるのかと奈緒が思考を必死に回す。
が、対してユアンはすぐに切り替えたのかいつものように、にんまりと笑みを浮かべて奈緒に視線を戻していた。
「僕、パトロンがいるんですよぉ」
「そうなの。で、それ今関係ある?」
「ありますよぉ。僕のパトロン、エヴァンハイン家なんですからねぇ」
一瞬にして必死に回していた思考を強制的に止められ、奈緒はぴたりと固まった。
「正しくは、ヴィート・エヴァンハイン。ルイスの父君が僕のパトロンになります。もちろん彼は知らないことですし、知ったのはあの夜会があった日ですよぉ」
「……ねぇ、もしかして。エヴァンハイン家の協力者って」
「ああ、僕のことでしょうねぇ。ルイスには、すぅごく嫌な顔をされました」
とても想像が出来る。まさかまさかの協力者が、これだとは誰が予想できただろうか。いや、出来ない。
なるほど、だからルイスにあれほど興味を抱いていたのかというのが今、ようやく理解出来たがそれにしたって、あの聞き方はよろしくなかったと奈緒は思う。
「それじゃあ……」
「ええ、彼から聞きました。まぁ、聞いたときはとても驚きましたけど、静様に毒が効かないという話も聞いていたので案外すぐに納得はしましたよぉ。それに、奈緒様達に魔力がなくても生きていける理由とかも」
確かあの時、ルイス達はこの王都にあるというジェラルドの屋敷へと一時避難をしたはずだ。つまりその先でユアンと出会い、話をしたのだろう。
しかし、だからといってどうして黙っていたのか。話すタイミングがなかったのか、それとも本当に話す気がなかったのか。先程、ついうっかり、とユアンが呟いていたのを察するに、本当に言わないつもりだったのだろう。確かに全てを話すことは必要がないことを奈緒は理解しているが、やはりどうしても何故、と問いたくなってしまっていた。
が、更にそこにもう一つ驚きの事実が上から重ねられた。
「静様はもう目覚めたらしいですねぇ」
「それも、誰から聞いたの?」
「殿下の側にいる漆黒ですよぉ。僕の情報源のお一人でしてぇ」
確実に思い当たる人物が一人いた。
「あいつ……」
「ほら、今は抑えて。ね?」
奈緒の背後から、怒りを抑えるオリヴィアと宥めるギルバートの声が聞こえてきた。とても振り返って様子をうかがえるようなものではなく、奈緒は聞こえないふりをすることにした。
「さて、どれから聞きますかぁ?」
「……まずはロビンのことからにするわ。彼、漆黒でしょう? たぶんだけど、結構厳しいんじゃないの? そういうのは」
「ええ、もちろん。だから内部のことは別の方から聞いているんで、それはご心配はなく」
やはり気になってしまいロビンのことを聞けば、漆黒としての責務はしっかりと果たしていることは分かったので良い、はずだ。例え、別の誰かからユアンが聞いていても、それは奈緒の知らないところの話だ。きっとオリヴィアが後で深く調べるなりするだろう、きっと。
「彼からは城下の話を聞いているんですよぉ。そのついでに大神殿周りのことを少しばかり」
「そうだったの。けど、どうやって?」
「彼が欲しい情報を渡してやったり、薬を渡したりですねぇ」
情報交換というのは、漆黒としても有り難いことなのだろうが続いて出てきた薬という言葉に、奈緒は小さく首をかしげた。
ユアンはふむ、と小さく頷いたかと思うと、近くの様々な形と大きさの瓶が並んでいる棚から一つ、つまむように本当に小さな小瓶を持ち上げた。
「これとか」
「何、その瓶」
「媚薬ですよぉ」
そんなものを堂々と見えるところに置かないでほしい。うっかり知らないうちに倒して、中身がこぼれたときとかどうするつもりなのか。直接触れなければ問題ないかもしれないが、それにしたって危険極まりない。
「彼、娼館に好みの方がいるらしいようで、そのお相手に使うらしいですよぉ?」
「全く知りたくなかった話ね。ってうか、そういうの持ち込んで良いわけ?」
「もちろん禁止ですよぉ。けど、だぁいぶ良い仲らしいので相手も許しているらしいんですよぉ」
本当に知りたくない話だった。確かに雰囲気的に、女性から好意を向けられやすそうだとは思っていた。しかし、まさかその相手が娼館の相手だとは思わなかった。なにせ相手は、仕事で相手をしているわけだ。それが仕事を飛び越えた仲ともなると、なかなかに大変そうだと純粋に思うと同時、これを聞いたのが奈緒だけで良かったと心底、奈緒は思ったのだった。
「……それじゃ次に、そのパトロンっていうか……」
「あの日、何をしていたか?」
「もちろんだけど、話せる範囲で構わないから」
「話せる範囲ですかぁ……」
ユアンは大きく頭を傾け、しばらく視線を上へと向ける。と、すぐに奈緒へと向き直った。
「それほどありませんよぉ。あちらで僕が行ったことというのは、パトロンであるヴィート殿に頼まれていた魔具を納品をしたことと、現状の確認ぐらいですねぇ。それから静様にお会いしたことぐらいですが」
「……静は、その時……」
「眠られていましたねぇ」
「眠っていただけ?」
「ええ」
本当にそうだったのか、それともそれ以上話す気がないのか。
しかし口を閉ざされた以上、これ以上を聞くことは難しいだろうと思い、奈緒は聞き入れることにした。
その奈緒の様子にユアンはくつり、と何が面白かったのか、小さく笑みをこぼした。
「しかし、今は目覚めていらっしゃる。つまりはご無事ということに他ならないと思いますけどねぇ」
「……そうね、そうだと良いわ」
だって最後に見たのは、あれほどまでに死が近い状態だったのだ。そこから目覚めたというのだから、回復をしているというのは間違いがないだろう。しかし、どこまで回復をしているのかというのは未だに不明ではあったが。
「ところで、後ろにいらっしゃるお二方が何か聞き出そうにしておりますよぉ?」
わざと振り返らず、そして気づかないふりをしていた奈緒だったが、ユアンはわざとらしい笑みを浮かべていた。なるほど分かっていたからこそ、わざと促したらしい。
後でちゃんと仕返そうと思いつつ、奈緒はようやくオリヴィアとギルバートに振り返り見て、奈緒は困ったように笑みをつい浮かべてしまった。
「黙っていてごめんなさいね、二人とも」
二人して、信じられないと、信じたくないというように顔を歪めていた。そして追い打ちをかけるように奈緒が謝れば、それが真実であるとようやく二人は理解したように、さらに顔を歪めてしまった。
「そう……そうなんですね……」
「なんということだ……」
魔力はこの世界にあって当然のもの。まさにこの空気に、水と同等の存在。それが奈緒達にとっては毒であると急に真実を突き付けられたのだ、どうやったって受け入れがたい真実であることには変わりなかった。
レオナだって受け入れるのに数日を要していた。けれども今は真実を受け止めている。ここは奈緒が何か言うではなく、きっとこの世界の誰かから言葉をかけた方が良いのだろうが、レオナは二人を見てなんと声をかけようかと迷っている様子を見せていた。
ああ、どうすれば。と、思っていると、後ろから大げさに息を吐きだす音が聞こえた。
「まぁったく、そんなにうろたえるとは。護衛の騎士としてはどうなんだか」
「ちょっと、ユアン」
もちろん、そんなことをしたのはユアンだ。
呆れたように大げさに肩をすくませ、緩く首を横に振った。
「別に奈緒様達は今、たいへん元気に過ごされているうえに、今は静様だって目覚められているわけですよぉ? 何故、そのように動揺しているのですかぁ?」
まるで煽りともとれるようなことをするユアンに、オリヴィアは鋭い視線を向け、ギルバートは笑みを浮かべてはいたが、目は一切笑ってはいなかった。
ユアンはその二人の変化に殊更面白そうに大きく口角をあげ、ゆるりと瞳を細めた。
「ふふっ……いけませんねぇ、そのような目をされては。ついつい遊びたくなるじゃないですかぁ」
「ちょっと、ユアン! 何言っているのよ! というか遊びたくならないで!」
「言葉遊びって意味ですよぉ。それともなんですかぁ、僕があの二人に勝つとでも? 即座に負けますよぉ?」
言葉遊びだろうが何だろうが、より怒らせて反応を楽しもうとするユアンを奈緒は慌てて止めた。ちゃんと自己判断が出来るだけ良いのかもしれないが、それにしたって自信満々に負けると胸を張るのは何か違う気がしてならない。
「よくお考えになってみてくださいよぉ。僕らが敗れれば、この方々の命運は冗談なく消え失せるのですよぉ、ここで。魔力が毒であろうとなかろうと、今更な話ではありませんかぁ?」
話しながらユアンは音もなく椅子から立ち上がり、奈緒の横を通り過ぎ、二人の目の前へと歩み寄った。
「それが毒と分かれば、やることはただ一つ。早急に元の世界へと無事に帰すこと以外、何があるというんです? ねぇ、お二人共」
ユアンが今、どのような表情をしているのかは分からない。ただ、その言葉はあまりにも普段のものとは違い、しっかりと強い意志、もしくは決意のようなものが十二分に聞こえてきた。
「……嫌になるわ。護衛として失格だわ、こんなの」
「申し訳ない。無様なところを見せてしまって」
「いえ、僕としては大変面白いものを見られたのでよろしいですよぉ。奈緒様はどのようにおっしゃるかは知りませんけどねぇ」
と、すぐにまたいつもの調子に戻ったユアンが、にたりとした笑みを奈緒に向けてきた。
性別の枠を超えた美しさを持つユアンだが、その笑みのせいで美しさがどうも半減していまうのがとても惜しい。いや、だからこそ、目の前にいても平常心を保てるのかもしれないと奈緒は今更ながらに思い、ユアンの後ろにいる二人に視線を向けた。
「気にしていないわ。たぶん、そういう反応されるだろうから私からは言わないつもりだったし」
「おやおやぁ、ということは僕はとても良い情報をうっかり流してしまったというわけですねぇ」
「何がとても良い、よ」
むしろ不安の種をばらまかれたようなものだ。だが、きっとこの話はいずれどこからか伝わるに決まっている。まさに今、ユアンがうっかり口に出してしまった結果、知られてしまう場合だってあるのだ。
「ユアン殿、良い情報を教えてくれて助かった。これで心置きなく奈緒様をより一層お守り出来るよ」
「これ、イーサンやアイヴィは知っているのかしら。貴方、知っている?」
「二人同時に話しかけないでくれませんかねぇ? 何かの嫌味に聞こえるんですがぁ? それに僕が知っているとでも?」
文句を言いながらもユアンは二人に返答をし、そそくさといつもの定位置に戻り、どかりと座る。その顔はとてもつまらなそうなもので、迷惑と言わんばかりだ。
「なんですかぁ、奈緒様」
奈緒はふと、思ってしまったのだ。もしや、この男は、と。
「貴方って、結構世話焼きよね?」
「はあ? どこがですかぁ?」
ユアンは全くもって不愉快と言わんばかりに顔を大きく歪めている。だが、奈緒はおそらくその通りなのだろうと確信をしていた。
もちろん奈緒程ではないし、相手をわざわざ揶揄って面白がるというのは良いものではないにしても、何だかんだとちゃんと丁寧に接しているのだ。ただ普段の雰囲気や話し方等々でかなり勘違いされやすいのだろうが。
「……世話焼きかどうか、分かりませんけど」
「何か思い当たるところあるの? オリヴィア」
にこり、とオリヴィアはとても綺麗な笑みを浮かべていた。
「ああいう夜会とかって、大体はその家の当主が招待されるんですよ」
「そうなのね」
「けど、ユアンのところは何故か当主ではなくって、ユアンか出席しているんですよ。代理で」
「そうなの?」
「はい、有名ですよ。ね、ギル」
わざとらしくギルバートに話題を振る。ギルバートはこれまた素晴らしい笑顔を見せていた。
「形式的にですが、僕の家も行う時があるんですよ。その時もユアン殿が代わりに出席してくれまして」
「へぇ……」
そんな二人に対し、そっと距離をとったのはレオナとメルだった。奈緒も少しだけ、今だけはこの場から離れたい衝動にかられそうだった。
「貴方方、分かっていて言ってますよねぇ?」
「あら、私は事実を言っているだけよ?」
「そうそう。事実を言っているだけだよ」
これは完全なユアンへの仕返しだった。
ユアンは不機嫌を隠さずに大げさに顔を歪めれば、二人の笑みはより一層深まった。
ああ、逃げたい。だが、とても興味がそそられる話に奈緒は何度もついユアンを視線を向けてしまった。そう何度も視線を向ければ当然のことながら気づかれ、ユアンはこれまた大きく大げさに息を吐き出した。
「奈緒様。勘違いしてほしくないんですけど、こちらにだって事情があるんですよぉ。と言うか、聞いてくれません?」
「良いわよ」
まさかのユアン自ら話してくれるらしく、奈緒が間を置かずに返事をすればユアンはまた息を吐き出して、話し始めた。
「義父なんですけどぉ」
「……待って、養父?」
「ああ、そこからでしたねぇ。僕、養子なんですよぉ。生まれは伯爵家で、そこから子爵家に養子に出されまして」
話を聞くにしても、そんな前提のある話があるとは思わず、つい奈緒はいきなり話の腰を折ってしまった。ユアンの様子から見るに、これについては知られていて当然のことのようで、むしろ説明すら忘れていたようだった。
「ほら、僕って美しいでしょう?」
「……そうね」
養子になる経緯の話となると身構えたが、ユアンからのその一言に、奈緒は少し遅れて頷いた。
ちゃんと自身の容姿に自覚はあったらしい。が、それならそれで最低限、清潔感のある身なりはして欲しいとつい思ってしまっても仕方がないと思いたい。
「この美しさに嫉妬やら羨望やら、争いの火種になりかけるわ。僕って元からこうなので気味悪がられるわで、絶対に断らることのない養父に押し付けたんですよぉ。あの方、本当に甘ったるいと言うか……。ああ、良い方なのは間違いありませんよぉ。こうして好きにさせてもらっていますから」
「良かった、わね? それで、その方がどうしたのよ」
「それはもうお人好しすぎると言いますかぁ」
美しさが罪だなんて、本当にあるのだな。なんて、素直な感想を抱いてしまった。
いろいろと詳細が気になるところではあるが、無理に聞く話ではない以上、奈緒は話の続きを促した。するとユアンは少しだけ姿勢を前のめりにさせた。
「貴族だと言うのに、人を疑うことをしなさすぎるお方でして。何度も騙された上に借金を背負い、没落寸前にまで至ったか。だからああいう貴族の集まりになんて行かせられないんですよぉ」
「とても苦労しているのね……」
「でしょう?」
想像を超える甘ったるさだったことに、奈緒はさすがにそれは、とつい引いてしまいそうだった。しかも没落寸前にまで陥っていただなんて、全くもって笑えない。更にそれが一度ならずに何度も。
いや、もうそれは絶対にそうなると奈緒さえも理解してしまったくらいだ。
ユアンはその当時のことを思い出したのか、額を抑えながら深く椅子に座り直した。
「まぁ、しかし。とても優秀な義弟がおりますので、あと数年すれば義父を隠居させて当主を交代させられるので、それまでの辛抱なんですがねぇ」
「義弟さんが当主になるってこと?」
「ええ、もちろん。僕が務まると思っているんですかぁ?」
それはそれはとても美しい貴族の当主が誕生するのだろうが、全くもって想像することが出来なかった。むしろ巣窟で変わらずに開発に勤しんでいる姿しか考えられないほどだ。
「なので。僕は世話焼きではなく、家が破綻しないようにと動いているだけに過ぎないんですよぉ。ご理解いただけましたかぁ?」
「ええ、理解したわ」
血のつながっているならともかく、ユアンは養子。しかも、伯爵から子爵へと位が下がったわけだがユアンは一切そのあたりは欠片も気に留めていないようだった。ただただ、養父のその甘さに日々頭を悩ませている姿は、まさしく家族を心の底から心配しているものだった。
そして結果的には家族の世話をずいぶんと焼いているようだったが、本人は強く否定している為、奈緒は何も言わないでおくことにした。
少しばかりのうっぷんを吐き出したおかげか、ユアンの表情は少しばかり明るくなり、あ、と小さく言葉を漏らした。
「そうそう。それで、奈緒様のご家族というのはどういう方々なのですかぁ?」
「え、私?」
「僕のだけを聞いて終わりだなんて、不公平だと思うんですよぉ」
なるほど、奈緒の家族構成に好奇心が湧いたらしい。
しかしと奈緒は頭を悩ませた。何せ、奈緒は本当によくある一般家庭の生まれなのだ。これといった大きな出来事はせいぜい弟の反抗期と自身の浮気ぐらい。いや、両親が一度大喧嘩したぐらいだが、あれは翌日すっかり仲直りしていたので、これも話すことではない。
「とくにこれと言って話すことはないわよ? 別にどこにでもいるような一般家庭で、こっちで言うと平民になるわね。父、母、私、それと弟が一人いる四人家族。後、犬が一匹」
『猫じゃないのぉ?』
「母が猫苦手なのよ。私は好きだけど」
『あらぁ、残念』
奈緒は猫が好きだ。あの自由気ままに過ごし、好き勝手している所が本当にたまらない。が、どうも母は猫のあの液体にまでなってしまうほどの柔らかさが苦手らしい。そこが良いのに、本当に残念で仕方がない。
「可もなく不可もなくって感じで、何か面白みのあるようなものは何一つないのよね。ただ私が婚約していた相手に浮気されたっていうくらいね、大きな出来事があったと言えば」
「赤の他人のことなんてさっさと忘れてしまえばよろしいと思いますよぉ。ほら、今なんて考えることがいっぱいありますからねぇ」
「本当、その通りだわ」
まさしく、いい加減にあのことはきれいさっぱり忘れるべきだ。と言うか、この話になってふと思い出したくらいには思い出さなくなった程度まで薄れてしまっていた。
この状況下だからか、それとも目の前の彼のおかげのせいか。きっと両方のおかげだろうと、奈緒はそう決めつけることにした。
そしてこれからやること、やりたいことを順番にあげていく。
「アンジェリカとお茶をしたいのよね、仲良くなったし。それと、次にユアンに持ってくるお菓子の種類をどうするか考えないといけないわ。後は伊織が最近悪いことを覚えたからどうやって叱ろうかっていうのも考えないといけないもの」
「おや、伊織様が?」
「ええ、そうなのよ。最近、ヴィンセントと大神殿の隠された通路を探し回ったりしているわよ。おかげで二人の護衛は大変みたいよ」
「それはそれは、大変愉快なことになっておりますねぇ。で、見つけたんですかぁ?」
「ええ、一つね。ただ場所は私も知らないのよ。教えてくれないし」
「おやぁ、もしや二人だけの秘密の場所、とかですかぁ?」
ユアンがにやりと口角をあげる。対し、奈緒はそっと視線をそらした。
本当にそんな可愛らしい理由だったなら、どれほど良かっただろうか。
「場所は教えてくれなかったけど、理由は教えてくれたのよ」
「その理由とは?」
「悪い幽霊に取りつかれるから、だそうよ」
伊織はたった一言、それを教えてくれた。様子は一切変わらなかったが、その日だけはずっと奈緒の隣にくっついてきて、入浴も一緒で、就寝も一緒だった。ただ翌日はすぐに元に戻ったので良かったが、代わりにヴィンセントが伊織をよく気にかけるようになった。
一体何が起きたのかは奈緒は知らない。せいぜい共にいたヴィンセントと、クレア達のみだが皆、誰も言わなかった。
きっと聞かない方が良いものだった。
「と、これ以上は邪魔になるから掃除再開するわね」
「お願いですから、これは絶対に触らないでくださいよぉ……!」
「分かったわよ」
ユアンもそれ以上は何も聞かないでくれる上に、またいつものようにやり取りをしてくれた。
なので今日はいつもよりも簡単に片付けだけをして終えようと決め、奈緒はさっそくこの目の前の山へと目を向けた。
そしてよくよく見れば、オリヴィアに頼んで捨ててもらった失敗したと言う魔具の残骸が何故かあるのを発見し、奈緒は笑顔でユアンに振り向いた。
「ユアン?」
「何ですかぁ?」
「これ、捨てたはずよね?」
「あ」
「あ、って何よ! あ、って!」
「そ、それはぁ! っていうか、なんで分かったんですかぁ!」
「そんなの私に記憶力が良いだけに決まってるからでしょ!」
「素晴らしい記憶力ですねぇ。是非とも別で活用した方がよろしいのでは?」
「誰のせいよ!」
今日も今日とて紫の聖女はこの巣窟の掃除をしている。巣窟の主は何か言いわけを並べるがしかし、いつもの冴えた言論は一切消え去り、論理は破綻している始末だ。
「明日、来るわね?」
「な、何故?」
「来るわね?」
「ああ、我らが神よ。どうか僕にご慈悲を……!」
わざとらしく祈るユアンを放置し、奈緒はまた山へと向き直った。
考えなければいけないことはたくさんある。本当に、たくさんだ。しかしどれもこれも、煮詰まっている上に奈緒が考えるにも限度がある。
この世界の住人ではない。全てを知っているわけではない。伊織のように全てが見えるわけでもなければ、巡礼へと行った真咲のように動くわけでもない。ましてや静のように戦えるわけではない。そして力を好んで使いたいわけでもない。
ないない尽くしだ。だが、だからと言って立ち止まるわけにはいかないし、自暴自棄になるなんて論外だ。だから一つ一つ、可能なところから確実に片付け、次の出来そうなところを考え、また一つ片づけるのみだ。
「そうだわ、エミリオさんに相談しましょ。さすがに廃棄したものを漁るだなんて考えられないもの」
「だ、だからぁ、それは必要になったと言いますかぁ」
「だから確認したでしょ!」
本当に、何故この彼に対してこのような想いを抱いてしまったのか、奈緒自身不思議でならない。が、抱いてしまった以上は仕方がない。
残されている時間はあと僅か。それまでに一切の憂いを無くすために、奈緒は今日も今日とて片付ける日々に奔走していた。




