08 務めを果たすだけ
ヴィンセントはぐっと顔をしかめた。きっとまた腹が痛いのだろう。
「王城へ行く、とは。意味が分かっているのか」
「当然。陛下を癒しに行くわ」
「……一体どういう風の吹き回しだ」
ユアンとのやり取りから結局数日が過ぎ去った。
通信機関連の技術はもちろんだが、映写機についての技術についても結局話すことになり、そこにエミリオも加わり、二人からの質問攻めにあい、それどころではなくなったからだ。
話過ぎた気がしなくもないが、二人ならばきっとうまく使ってくれるだろうと奈緒は信じていた。なにせ王族相手にさえ技術を秘匿していたぐらいなのだから。
「考えてたけど。やっぱり陛下に直接聞いた方が早いと思ったのよ。けど、聞こえてくるのは容態が悪化っていう話ばかりでしょ」
「だが」
「大丈夫よ。その為に二人がいるわけだし」
ね、と奈緒は控えている二人に振り返り見た。
「いざってなれば抱えて逃げますんで!」
「漆黒は慣れているだろうけど、窓からの出入りなんて僕はしたことないよ?」
漆黒のオリヴィアはともかく、深紅のギルバートがそんな冗談か本気か分からないようなことを言うとは思わず、奈緒はつい内心驚いてしまった。
「漆黒もだが、深紅のお前も窓から出入りをしようとするんじゃない。行っても良いが兄上をつけろよ。おい、不愉快そうな顔を見せるな」
「仕方がないでしょ? けどそうね、そっちの方が早く済みそうだわ」
またあのような人間達が寄ってこないとも限らない。
とは言え、今回はまさに彼らの願い通りのことをするわけだが、目的が異なるのだ。笑顔で流しきれるほどに余裕なんてない今、壁になってくれそうな人が一人いるだけでも道中の安心感は大きく違うはずだ。
「何?」
「いや。何もない」
何か言いたげのヴィンセントはそっと視線を外に向けて、さっさと行けと言わんばかりに掌を何度か揺らされた。
奈緒は小さく肩をすくめるだけに留め、さっそく王城へ向かおう踵を返した。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
長い長い渡り廊下の先には、ランスロットがもうすでに一人、奈緒達を待ってくれていた。
「すまない。奈緒様のお力を借りるつもりはなかったんだ」
「勘違いしないで。これは私達の為にやるのであって、貴方達の為ではないわ」
「……ああ、分かったよ」
先だってオリヴィアが鳥を飛ばしてくれたおかげで待つことなく落ち合う事ができたが、こうも急な対応をしてくれたことには内心感謝しかなかった。
「こちらだ」
普段であれば何か一つ褒めるなりをしてきたランスロットだったが、今は言葉少なく、奈緒達をすぐに案内するためにすぐに踵を返した。
オリヴィアから聞くに、王城内はとても荒れているらしい。
何せ国王陛下が倒れてしまっているのだ。誰もが次の国王について考えしまうのも仕方のないことだろう。順当に一番有力候補であるランスロットが次期国王となるだろう。だが、もう一人の王位継承者を支持している者達にとっては面白くないはずだ。
今ここは、その二つの対立が表面上にも出てきているとのことだった。
とは言え、そのことに奈緒は何一つ関与するつもりはない。そんなもの勝手にやってくれ。それよりも今は四人揃って、元の世界へと帰ることだけが重要なのだ。
伊織と、真咲と、静と。四人で。
その為に奈緒は忍び寄る恐怖に目を向けず、この力に向き合ったのだ。
大神殿よりも複雑な順路で奈緒達はようやく大きな扉の前までたどり着いた。
なんとも重厚そうな呆れるほどに大きな扉の両脇には、警備か、それともこの扉を開けるためにいるのか深紅の騎士達が立っていた。ランスロットの後ろにいる奈緒の姿を目にし、まるですがりつくような視線を向けてきた。
どうか、どうか。
奈緒は口元だけの笑みを浮かべ、すぐに視線は開かれた扉の中へと向けた。
先に入るランスロットに続いて奈緒もそこに足を踏み入れ、一瞬だけ身体がぴたり、と固まってしまった。しかし一気に集まったいくつもの視線のおかげで奈緒の身体は動き出し、足を進めた。
突き刺さるようなその懇願の視線が、奈緒の心をこれでもかとざわつかせるには十分過ぎた。
どうか、どうか。
この湧き上がるほのかな怒りが、奈緒を奮い立たせる。怒りが頭を冷めさせる。
さっさと終わらせよう。
そう奈緒は再度心に決め、ランスロットの隣に並び立った。
室内の空気はとても重苦しいものだった。中には侍従が数名の他、窓の近くには深紅の騎士達が並び、どこをどうみれば休まるのか疑問に思うほどだった。だが、そんなことを気に出来るほどの容態ではないことを奈緒は一目見てすぐに理解した。
「父上。紫の聖女様をお連れしました」
ずいぶんと大きなベッドに横たわる国王陛下はランスロットの言葉に何も反応を示さずに、苦しげに呼吸を繰り返し、おぼろげに天井を見上げているだけだった。顔色は青白く、シーツの上に出ている手は骨と皮ばかりに痩せこけていた。
あの時の静の姿が頭の中に過ぎ去った。
奈緒はそれを振り払うように強く自身の両手を祈るように握り締め、その場に片膝をつき、目を閉じた。
やり方はすでにメルから聞いている。
祈り、願う。
やることは本当にそれだけ。そしてメルは言った。
信じること。愛すること。祈ること。願うこと。どういった命であれ、生きることは苦しむこと。だからこの力はわずかでも苦しみが和らぐようにという、ほんの些細なものから生まれたものだと。
だから奈緒もまた祈り、願う。どうか目の前にいる命の苦しみが和らぎますように、と。
ふと、奈緒は何か違和感を覚えた。いや、違和感というよりも、今まで感じたことのない感覚と言ったほうが正しいのかもしれない。何か、そう。例えるならば、それが消え去ったような、そんな感覚だった。
「光が……!」
すぐ近くにいたランスロットの声に奈緒は瞼を開き見れば、白い光が周囲に散じており、そして雪が溶けていくようにすぅっと消えていってしまった。
一体何が起きたのか、誰もが呆然と見つめている中、わずかに布がこすれる音と共に、呻き声が響いた。
「……うぅ……」
「父上!」
「陛下!」
ランスロットとおそらく医師なのだろうか、青い衣装を身にまとった白髪の老年の男が一気に駆け寄り、少し遅れて侍従達も集まった。
いつの間にかそばにいたオリヴィアが奈緒に手を差し伸べてくれていた。奈緒はその手を遠慮することなく重ねて立ち上がり、改めてベッドの中央にいる人間を見やった。
つい先程まであれほど意識が混濁している様子だったというのに、今はランスロットの目をしっかりと見つめていた。しかも顔色だって一気に血色を取り戻しているほどの変化に、奈緒はやはりこれは恐ろしいものだと再認識することになった。
ああ、いやだ。これではメルヴェアータにより祈りや願いが向けられなくなりそうだ、と。
「……一先ず、今日はこれで戻るわ」
「ああ、渡り廊下まで送るよ。父上、また後で」
引き止めあられる前にさっさと退散しようとすると、ランスロットは予想に反して快く送りとどけてくれようとしてくれた。
他の侍従達は逆に引き留めようとしていたのか、ランスロットに控えめに何かを言っているがランスロットはそれらを全て無視してさっさと扉へと向かっていった。
一体どういうことか分からなかったが、これ幸いと思い、奈緒は慌ててその後をついていくことにした。
まだ王城内は静まり返ったままで、その中を足早にランスロットは奈緒がついていけるほどの速度で急ぎ足を進めていた。
「どういうことよ」
耐えきれずに奈緒はランスロットに問えば、その肩が小さく揺れた。
「どういうことっていうのは?」
「さっさとあそこから逃がすような真似をしたことについてよ」
分かっているだろうにあえて問い返された奈緒は少し苛立ち紛れに再度問いかけた。
「ああ、やっぱり不自然だったね」
「当たり前でしょ」
足早に進んでいたランスロットの足が、ようやく会話をするのに苦労しない程度に緩んだ。しかしランスロットは奈緒に振り返ることなく、その足は止まることはなかった。
「こちらの問題になるべく関わらせたくはなくってね」
「ああ、王位継承とかそういうの?」
「そうだね」
それも含めての問題ということなのだろう。これ以上の詳しいことを話すつもりはないらしく、ランスロットはそれきり口を閉ざしてしまった。
気にならないというわけではない。だが、これ以上首を突っ込むんではいけないことぐらい奈緒は理解していた。口を閉ざされるということには意味がある。ならば触れないことがもっとも重要なことだ。
「また明日、同じ時間に来るけど」
「良いのかい?」
「あれ一回でちゃんと癒せたかどうか気になるもの。さすがに」
「そうか……。うん、分かったよ。同じ時間に待っていよう」
いつになく味気ないやりとりだと思ってしまったのは、ランスロットがこちらを見ないからだと気づき、奈緒はわずかに顔をしかめた。
事が済んだら、ちゃんと話をしなければ。
後少しで大神殿に続く渡り廊下につく。それまでの間、奈緒はざわついた心をどうにか落ち着かせようと一先ず、明日の朝食について考えることにするのだった。
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結局のところを言えば、治癒の力はあの一回だけで十分な程の効果があった。
「後は陛下自身の回復力に祈るしかないわね」
「すごいですよね、そのお力」
「万能ではないけどもね」
「そうなんですか?」
「ええ、そうね」
確かに癒すことは出来ていた。しかしまだ、会話すらままならない。
この力は確かに苦しみの原因となるものを取り除くことができたが、までも癒されるというわけではないようだった。
今朝ほど、朝食を作っている最中にこっそりと包丁で自分の指を本当に薄く傷をつけてみた。薄っすらと血が滲んだ箇所に集中すれば、あっという間に傷は見当たらなくなった。メルは何をしているのかと呆れて見ていたが、これは大事な確認の一つだった。
苦しみは外傷も含まれる。そして外部的要因の苦しみも。後、試せていないのはそれこそ病気の類であるが、おそらくこれも含まれるだろう。何せ愛娘達の力によって真咲の牛乳アレルギーさえも無効化にしてしまうくらいなのだから。アレルギーも病気の一つ。ならば拡大解釈かもしれないが、この力もまた病気に対抗できるということだろう。
このうちのどれかが該当するならば、と奈緒は静を思う。
奈緒達にとって魔力は毒。その魔力を体内から取り除くことが出来れば、もし、再会した時にもまだ苦しんでいたならば、この力を使って癒そうと奈緒は心に決めていた。
「ランスロットは忙しそうね」
「そうみたいですよ。ロビンも慌てて外に飛び出していきましたし」
用事を終えた奈緒達はまだ、長い王城の廊下を歩いている途中だった。昨日同様にランスロットがまた渡り廊下まで送ろうとしていたが、白い服を着た文官が慌ただしく駆け寄ってきたのだ。そしてその手に持っていた書類か、書状か。それをランスロットに見せると、彼は一気に顔色を変えた。
すぐにランスロットは申し訳ないと言いながらも、すぐに踵を変えて王城の奥へと姿をあっという間に消してしまったのだ。
おかげで今は奈緒達のみという状況だ。昨日はランスロットが良い虫除けの代わりになったが、今は先頭に立つギルバートのおかげで、こちらを見た瞬間に誰もが身体の向きを思い切り変えるのだ。
一体どういう訳かは分からない。きっと聞いてはいけない何かがあるのだろうと、奈緒はそれについての思考を放棄していた。
と、ギルバートは急に足を止めた。
数歩ほど距離があったためぶつかることはなかったが、それでも前をきちんと見ていなければ気づかずに背中に衝突してしまっていたかもしれない。
「奈緒様に何か御用でもおありでしょうか、アンジェリカ様」
ギルバートが発した名前に、奈緒は慌てて後ろからのぞき込んだ。
そこには薄い青のドレスを身にまとう、波打つ美しい金糸の髪が目を惹く可愛らしい女性が立っていた。あの夜会で見たいくつかのドレスよりは控えめであるが、ふんだんにレースを惜しみなく使われており、布の光沢感からも一目見て高価なものであることはすぐに見て取れた。
アンジェリカ。ランスロットの婚約者である彼女を正面からようやく目にした奈緒は、何故このようなお方がいるのに自分に一目惚れなんてしたのか理解に苦しんだ。
「も、申し訳ありません。その……」
アンジェリカはギルバートの温度の無い声色に驚いてか、紫の瞳を下に落としてしまった。だがすぐにまた上へと視線をあげて、胸元に両手を握りしめながらわずかながら声を張り上げた。
「お、お話をさせていただきたく……!」
怖気づいてしまいそうになりながらも逃げずにいるアンジェリカに、奈緒はゆるりと笑みを深めた。
「良いわよ。けど歩きながらでも良いかしら?」
「は、はい! ありがとうございます!」
何か言いたげのギルバードがオリヴィアに視線を向ける。オリヴィアは仕方がないと言わんばかりに肩を竦めただけで。レオナは困ったような表情を僅かに浮かべるだけ。レオナの腕の中にいるメルに至っては関係ないと言わんばかりに眠ったままだ。
誰も異論がないことを確認し、奈緒は前にいたギルバートの横を通り過ぎ、さっそくアンジェリカに並び歩き始めた。もちろん意地悪で早く歩くつもりはなく、ゆっくりとなるべく長く話すことが出来るように時間をかけて。
「ちょっと疑問なのだけど、お一人?」
「あ、いえ。侍女は……、別の場所で待っていてもらっておりまして」
「そうなの。けど、危ないでしょう? こんな場所で一人でいるのは」
だってどこに誰がいるのか分かったものではないのだ。そしてその誰かさえ、敵か味方か判断が出来ないような人間達がいる中に、可憐な彼女が一人でいるだなんて危険極まりない。とはいえ自分よりは慣れているだろうし、ランスロットの婚約者である御令嬢なのだからそのあしらい方も身に着けているはずだ。
とはいえ湧き上がる心配のままに言ってしまったわけだが、アンジェリカは少しばかり驚いたように目を丸くしていた。
「な、奈緒様は気づかれて……」
「空気が悪いことだけよ。分かっているのは」
アンジェリカが驚いた。と、言うことはつまり――。
「何か知っているの?」
このような巣窟の中で、一体何が起きているのか。
誤魔化されるだろう、と奈緒は内心思っていたが、アンジェリカは少しばかり周囲を見渡した後、声を潜めた。
「夕暮の虫です」
「夕暮の虫?」
一体どういうものなのか。虫というからに伊織が好きそうなものではあるが、何かの隠語であろうか。奈緒は後ろに控えている三人に視線を向け、そっと視線を前に向けた。
理由は明白だ。護衛二人の雰囲気が見てはいけないものだったからだ。ただつまり言えば、それはあまりにも良くないものだということだ。
奈緒はそれを知っているふりをしたまま、さらに問いかけた。
「何故、貴方がそれを知っているの?」
「偶然、聞いてしまって……。あ、姿は見えなかったので、誰かまでは……」
「気にしないで。それより貴方が無事で良かったわ」
おそらく一目見てしまえば、命に係わる事態となっていたはずだ。何せ後ろからの圧が凄まじいこと。これについては詳しく聞いてはいけないと奈緒は本能で察した。
「ああ、奈緒様からそのようなお言葉をいただけるなんて……」
後ろからの圧に一切気づいていないアンジェリカは僅かに頬を赤く染め、小さくはにかみ、しかしすぐに視線を落としてしまった。
「やはり……私よりも、奈緒様の方が……」
ぽつりと、アンジェリカから聞き逃してしまいそうなほどの呟きが奈緒の耳に入り込んだ。
勝手に聞こえてしまった手前、どういうことかと聞いて良い。
「……奈緒様は、その、ご存知でしょうか。私が、ランスロット殿下の……」
「婚約者なのでしょう? ごめんなさいね、いつも借りてしまって」
「い、いえ! このような状況ですし……その、殿下も奈緒様にお会いすることをとても楽しみにされておりますので……」
婚約者としてはとても面白くはない状況であるのは間違いないはずだ。けれどもアンジェリカはそれに対して憤る様子はなく、むしろとてもひどく申し訳ないと言わんばかりに肩を小さく丸めていた。
「わ、私……、決してお二人の邪魔をいたしません。ただ、婚約の交わしてしまった手前、すぐに破棄はできないと思いますが、それでも早急に破棄をいたしますので。だから」
「ちょっと待ってくれない?」
奈緒は慌てて足を止め、アンジェリカの言葉を遮った。
彼女は一体何を言ったのか。婚約を破棄すると、そんな馬鹿馬鹿しいことを言ったのか。
「アンジェリカ様。いえ、アンジェリカ」
「な、何でございましょうか。奈緒様」
「誤解しているようだけど。私、別にランスロットのことは好きでも何でもないわよ。っていうか、結婚したい相手ではないのは確実」
あくまでも恋愛的な意味では、ランスロットを欠片もそのような想いは抱いてはいなかった。ましてや結婚ともなれび、おそらく彼が背負う多くのものが奈緒にも降りかかってくるのは確実だ。そんなもの共に背負おうなんて奈緒は欠片も思わなかった。
「そ、そうなのですか……? しかし……」
「しかし?」
「……ランスロット殿下は、国王になるべく、ひたむきに研鑽を積み重ねているお方でもございます。それにとてもお優しいお方で……、きっと奈緒様のことをとても大切になさります。それに聖女様が国母となられることを国民はきっと強く望まれることでしょうし」
「そうね。ランスロットはとても良い人なのは分かるわよ。それに聖女が王妃になるっていうのは、国の人々にとっては喜ばしいことなのも理解出来るわ」
「それなら」
「けど、なんでそれが私である必要があるのかしら?」
一般的に考えても、王族と聖女が結ばれるというのは、どのような物語であってもまさしくハッピーエンドそのものだろう。もちろんその二人が愛し合っていることが前提だが、そうでなくても周囲の人々は祝福するだろう。人の為にいる王族と、神に仕える聖女が共になるのだ。誰もが思うはずだ、ああ、この国の未来は明るい、と。
そう、他人事に思うのだ。
そんな他人事に、何故自分の人生全てを差し出す必要があるのだろうか。
「ランスロットのこと、本当に何も思っていないのよ。ああ、良い仕事相手だとは思っているくらいだけど、それ以外はないわね」
「そんな……! それではランスロット殿下は……」
「何故、当然のように好きになると思っているの? 貴方が身を引かなければならない状況になっているっていうのに」
アンジェリカはより人々が祝福し、ランスロットが喜ぶであろうと思い、身を犠牲にしていた。そして当然のようにランスロットに愛されているから幸せだろうと、奈緒に人生を捧げろと無邪気に言ってのけたのだ。
「もう一度言うわよ、アンジェリカ。私はランスロットを好いてはいないし、何とも思ってはいない。貴方は、貴方と私の心を無視して、ランスロットだけが幸せになる為だけに願っているのよ」
人を想うことが愛というならば、それはそれで構わない。しかし愛しているから赦されるなんてことは何一つ理由にはならないし、自分だけならともかくも、他人にそれを強要するなんてことはあってはならない。
傲慢な彼女に、奈緒はさらに追い討ちをかけた。
「それに私は人々の為の聖女じゃないわよ?」
「え……?」
ああ、やはり知らなかったのだと、奈緒は頭のどこかが冷めていく感覚を覚えた。
「私はメルヴェアータの聖女よ。例え人々が求めてこようとも、メルヴェアータがそれを是と思わなければ私は何もしないわ。愛されているから? 勝手に愛しているのはあっちなのに? それでなんで見返りがあると思っているのかしら?」
全ては我らが神の為。全てはメルヴェアータの為。
目的は元の世界に帰ることなのは変わらない。その為に、メルヴェアータに祈り、願ってもらう必要があるのだ。その為に必要な施しは行おう。しかし、これらは全て人間達の為ではなく、メルヴェアータが為に。
「それに、この国の人々はユフィアータと銀の聖女に、何をしたのかしらね?」
彼女は目を見開き、両手で口元を隠すように覆った。その顔色はだんだんと青ざめ、身体が僅かに震えているが奈緒の知ったことではない。
「混沌と、殺戮だなんて呼んで。あっちから静とユフィアータに、罰を与えよと歪んだ祈りと願いをしたくせに、一体どうして何も知らぬ存ぜぬと、自分達に罪なんてないという顔で過ごしているのかしら」
そんな人間達がいる国の母になれだなんて、まるで何かの罰そのものだ。
奈緒はアンジェリカに詰め寄り、震える肩にそっと触れて微笑みを浮かべた。
「ねぇ、アンジェリカ。静はとても大切な人なのよ。その大切な人をそこまで侮辱しているこの国を、一体どうすれば愛せるとでも言うのかしら」
アンジェリカは答えない。答えられないと言うのが正しいのかもしれない。
「理解、してくれたら嬉しいわ」
奈緒はそれだけを言い、足早にアンジェリカを置いたままその場を後にした。
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長い渡り廊下を抜け、ようやく大神殿へと足を踏み入れた瞬間、奈緒は大きく息を吐き出した。
「……完全に八つ当たりだったわ」
「え、あれ八つ当たりだったんですか? すっごく真っ当だと思いましたけど」
「ううん。八つ当たりだった」
オリヴィアが驚いた声をあげるが、奈緒はゆるく首を横に振った。
初対面の、しかも年下相手に何をしているのか。身に危険が及ぶ可能性があるというのに一人で奈緒に会いに来てくれたのだ。
せめてもう少し柔らかく対応をすれば良かったという後悔が襲ってくる。かわいそうなことをしてしまった。しかし、沸き上がる感情はそれ以外、何もなかった。
「悪いとは思っているわ。けど、謝る気にはなれないのよね」
長い渡り廊下のおかげで怒りは収まっているはずだというのに、不思議と謝罪という言葉はこれっぽっちも浮かばなかった。
「良いと思いますけど、それで」
「そう?」
「はい。だって奈緒様にとっては欠片も望んではいないものを押しつけようとしていたわけですからね」
奈緒に強く肯定してくれるオリヴィアは、護衛の騎士だからということもあるのだろうか。いや、護衛の騎士であろうとオリヴィアはちゃんと意見を言える人だ。
そう言えばユアンのところで浮気されたという話をした時、だいぶ機嫌を悪くしていた。そして今もあの時と同じように機嫌がどこか悪いように見えた。
「オリヴィアってこういう話、あまり好きじゃないの?」
「……好きじゃないって言いますかぁ」
言葉ではそう言うが、図星だったらしくオリヴィアはバツの悪そうな顔を浮かべた。
「王城の方では知られているんで、話しちゃうんですけど。良いわよね、ギル」
「構わないよ」
何故か、オリヴィアはいきなりギルバートに確認をとった。しかもずいぶんと親しげに名前を呼んだのだ。
一体何を話されるのかと思えば、次に出てきた言葉に奈緒はもちろんレオナも驚きの表情を浮かべた。
「実はギルと私、元婚約者同士だったんですよ」
「え、元?」
「はい。けどギルが悪いんじゃないんですよ。私、元は貴族なんですけど、没落したんです。だから婚約は白紙になって」
「所謂、許婚というものですよ。だからお互い幼い頃からよく知っていてるんです。けどもあれはオリヴィアのせいではないからね」
「今なら防げたわ」
「今ならね」
おそらくは、オリヴィアが騎士になる前の出来事なのだろう。二人の様子をみる限り、もう吹っ切れた関係なのだろうが、やはり心の何処かでは気まずさというのはあったのではないか、とつい考えてしまった。
「そ、その……なんと言えば良いのか……」
「本当に気にしないでくださいね、奈緒様。全く気まずいとかはありませんから」
「そうですよ、奈緒様。むしろ感謝をしたいくらいなんですから」
しかし二人はそろって気まずさというものを否定し、ギルバートに至ってはなんとも甘い微笑みを浮かべたのだ。
あ、と奈緒はもちろんレオナも気づいてしまった。この二人の関係性を。
「婚約は白紙になりましたが、僕の想いは今も変わらず、オリヴィアを愛しております。なのでこの状況は願ってもない幸運なことなのです」
「そのせいでほぼ絶縁されているじゃないの」
「困ったね」
「笑いごとじゃないのよ?」
「オリヴィアと共にいるためなら何だってやるよ。知らなかった?」
「知ってるわよ」
今までずっとひた隠しにしてきたからか、余計に二人の距離がぐっと近くなっていた。
ギルバートの言葉に翻弄されるどころがオリヴィアはさらりと流しているあたり、これがいつものやりとりなのだろうというのはすぐに理解出来た。
オリヴィアが軽くギルバートの腕に触れたまま。そう、触れたまま、困ったように笑みを浮かべた。
「つまりはこういうことなんですよ。だから何ていうか……、そういう話を聞くとちょっと思うところがあるだけなんですけど」
家の都合で婚約が白紙になったが、それでも抱いた想いはそのまま変わらないまま。だからまた婚約をと望んでも家がそれを許してはくれない。
だが、二人はそれを承知で一緒になろうとしているのだ。
ああ、それは、なんて――。
「な、奈緒様?」
「話聞かせて」
「え、なんの……?」
「二人の馴れ初めとかそういうの」
奈緒は遠慮なくオリヴィアに詰め寄った。いつにない勢いを感じたのだろうオリヴィアは身体を後ろにのけぞらせて、半歩程下がってしまったがすぐに奈緒はその距離を素早く詰めた。
絶対に逃さないと言わんばかりに。
「私、そういう話聞くの大好きなのよ! 良いわぁ、なんでもっと早く教えてくれなかったの? もう今のやりとりだけでも十分おいしいけど、遠慮しないで良いのよ? 私、壁になるから……!」
「奈緒様、ちょっと落ち着いて! 壁になるって意味が……。レオナ、なんで頷いているの?」
「気になさらず。私はいないものとしてお二人で存分にお話していただけるだけで十分ですので」
「その時は渋い紅茶が欲しいわね」
「ご用意いたしますよ、奈緒様」
よく分かっている自分の侍女に、奈緒は思わず強い握手を交わしたくなった。
そんな二人のやり取りを目の前にしたギルバートは神妙な顔つきで一つ頷いた。
「オリヴィア」
「な、何? ギル」
「奈緒様がご遠慮なさらなくて良いとおっしゃられたから、今後はいつも通りに接しても良いよね?」
「仕事中!」
堂々とオリヴィアの腰に手を回すギルバートに、オリヴィアはすかさず叩き落し、その喉元にナイフの先を突きつけた。
ギルバートは困ったよう笑い、さりげなくナイフを退かそうとオリヴィアの手を握りしめている。オリヴィアは無言でギルバートの足を踏み、睨みつけている。
初々しい空気感も良い。しかしこの互いに慣れたが故の気怠げな空気感というのも、また味わい深いものだった。
「良いわ」
「ええ、本当に」
奈緒とレオナはそろって二人から三歩ほど離れ、壁に徹しつつもつい声が漏れてしまった。
レオナとは相性がとても良いと思っていたが、ここまで話が合うとは思わなかった。さっそく後で恋についての話をしなくてはならないだろう。それもレオナの好きなお菓子も交えて。
「レオナ、後でお茶をお願いね。お菓子作るから」
「はい!」
この後のことを考えると頭が痛くなるが、今だけはちょっとばかり休んだって良いだろう。きっと。
目の前の二人にはほんのちょっとだけ申し訳なさを思いつつ、奈緒は心の底から目の前の二人のやり取りを見るのを楽しむことにした。
ちなみに後からオリヴィアからのありがたいお小言をもらったのは言うまでもない。




