03 掃除ついでに頼みごと
奈緒はずいぶんと久しぶりになる開発局へ、大きく足を踏み入れた。
何度も通いなれた廊下をずんずんと進みながら、やるべきことを頭の中で並べて行く。
大前提としてユアンに会わなければ話にならない。
あれからずいぶんと日が経ってしまったが、あの時にユアンから言われなければ、こうして前を向いて歩いてなんていなかった。だからまず感謝を伝えることが何よりも優先すべきことだ。
とはいえ、あのユアンであろう。きっと、そう。確実に部屋はとてもひどい有様になっているはずだ。それを目の前にした時、感謝を忘れて怒ってしまう自覚を奈緒はしっかりと持っていた。
そのためレオナには、そうなりそうになったら止めて欲しいと頼んである。奈緒よりも力のあるレオナだ。きっと、ほぼ力づくでも止めてくれるはずだ。
次にやることは、魔具についてだ。
最後に訪れたとき、あの虫型の魔具について説明を受けたっきりだ。あれはつまり監視カメラのような魔具だった。とはいえ、あちら側にはどのような映像が見えているのかは不明だが、おそらく高度な技術を使われているものなのだろうと勝手に予想している。
あんなものがあるのだから当然の事、この世界には通信機のような魔具だってあっても不思議ではなかった。
真咲のおかげで伊織が部屋を出て、ようやく三人が集まった。さらにヴィンセントも加わり、もちろん各々の侍女や護衛の騎士達と交えながら、目の前に大量に並べられた朝食達を必死に片付けた。もうその日一日分の食事と言っても良いくらいな量だったと今でも奈緒は思っている。
そんなことはさておきだ。
その時にヴィンセントから頼まれたのだ。もっと楽に連絡が取れる手段が欲しい、と。魔具、もしくは魔術による連絡を取れる手段はあるが限られるとも同時に話をしていたが、まだまだ難があるらしい。とはいえ、あのような小型の監視カメラのような魔具があるのだ。もしかしたら内々ですでにいくつか開発されていたって不思議ではなかった。
加えて、もう一つ聞くことがあるのだ。
あの監視カメラのような魔具について、王城は何も知らないのか、と。
ランスロットが庭園を調べるために、絵師に頼むわけにもいかないという発言があった。それはそうだ。一か所ずつ、絵にかいて記録するにしても長時間そこにいなければ難しいだろう。加えて植物の知識が無ければ、絵に描きとめる意味がない。
それこそあの監視カメラのような魔具が必要になってくるということだ。しかしランスロットはその存在自体知っていないような素振りを見せた。伊織がいれば確実だろうが、あの様子は嘘や演技には見えなかった。
この開発局には一体どれほど高度な魔具が隠されているのか。
奈緒はそれを最優先で知る必要があった。
「入るわよ」
勝手知ったるなんとやら。
見慣れた扉を目の前にした奈緒はノックなんてせずに、突然開けた。が、もちろん中からの返事はない。それはいつもの事である。そして部屋に踏み入れ、奈緒は笑顔でオリヴィアに振り向いた。オリヴィアは分かっているように音もなく先に進み、獲物を捕獲した。
「きゃああ! な、何するんですか! え、あ、貴方がいるってことは……?」
いつものような悲鳴を上げ、飽きずに縛られるユアンは呆気なく奥から引っ張りだされて床に転がされた。
オリヴィアも最初は丁寧に扱っていたが、もう面倒になったのか扱いはとてもぞんざいになってしまった。
美しい銀の長髪は引きこもっていたせいか、曇り、傷んでいるのがよく分かるほどだ。服だって汚れている。だというのにこの男の美しさというのは全くもって変わらないのだから腹立たしい。
無意識に奈緒は転がされ、見上げてくるユアンを睨み、ゆっくりと微笑みを浮かべてやった。
「こんにちは、ユアン。とっても掃除し甲斐のあるお部屋ね?」
ユアンの美しいご尊顔は大きく歪んだ。
「僕の楽園が汚される!」
「むしろ汚しているのはあんたでしょ! 全く……」
奈緒は一つ息をつき、後ろに控えていたレオナからバスケットを受け取り、そのままユアンへと差し出した。
「ほら、これ」
「……なんですかぁ?」
「お菓子。後は片手間にも食べれそうなもの詰めてきたから」
床からお気長りながら、ユアンは差し出したバスケットと奈緒の顔を交互に見やる。その反応を前に、奈緒はつい居たたまれなくなり、そっと視線を横へとそらしてしまった。
「迷惑かけたわ」
ぶっきらぼうにもほどがあると自覚しながらも、これ以上の素直さというものを奈緒は持ち合わせてはいなかった。
数瞬の沈黙が過ぎ去り、奈緒は恐る恐るユアンへ視線を戻せば、身体が小刻みに揺れていることに気づいた。
「んふ、んふふふふっ……! まさか聖女様から謝罪されるとは!」
「はあ? 何、いらないの?」
いい加減にバスケットを差し出したままの状態が疲れてきた。奈緒はバスケットを持つ手を引っ込めようとする前に、ユアンが両手で素早く受け取り、殊更大事そうに腕の中に抱え込んでしまった。
「駄目ですよぉ。これは僕のものなんですからねぇ」
まるで宝物だと言わんばかりに頬を寄せる姿は少年のようで、しかし浮かべる微笑みはまるで聖者そのもののようにさえ錯覚してしまうほどに美しい姿だった。
奈緒も含めた全員が目を奪われて動けずにいる中、そんなものを知らないというようにユアンは無遠慮にバスケットの蓋を開けた。
「おや、神殿からだから、もっと粗食のようなものかと思いましたが……」
「一応健康とか考えて作ったもの。苦手なものとか、食べれないものがあるなら除けてちょうだいね」
「……作った?」
「何よ」
あれほど察しの良いはずのユアンが何故かどうも察しが悪いようだった。しかしいつものユアンに姿に奈緒は小さく息をついた。
さっきの姿はきっと幻想か何かだろう。何せこの男、性別を超越した美しさを兼ね備えている変人なのだから。
「私が作ったものだけど?」
察しの悪いユアンの為に、奈緒がそう教える。と、ユアンはバスケットを大事そうにそっと横の比較的綺麗な机に置き、その場に片膝をついて両手を組んだ。
「おお、我らが神よ。このような施しをいただけることに感謝申し上げます」
「すっごくわざとらしいわね」
「本当に思っているんですよぉ? 全部僕が頂いて良いということですよねぇ? そうですよねぇ?」
「そのために持ってきたんだけど?」
「我らが神よ……!」
ユアンのこの反応を目の前に、奈緒は意味が分からないと言うように三人に振り返る。三人は何故か妙にユアンのこの行動を納得しているようで深く頷いたり、微笑みを浮かべていた。
三人から視線を外し、今度は足元にいるメルを見下ろした。
にゃあ、とメルが一つ鳴く。まるで自分もよく分からないと言うように。
奈緒は自分も、というように小さく頷いた。
そしてユアンがようやく落ち着いたころを見計らい、ようやく本題へ踏み込めた。
「あのバカ王子と少し話してきたわ」
「おや、そうですかぁ」
ユアンはゆったりといつもの椅子に座りつつ、何故かバスケットは抱えたままだ。そんなユアンの反応はとても薄いものだったが、予想通りだった。だから奈緒は気にせずにそのまま続けることにした。
「このままだと、神殿は王城に取り込まれるそうね」
「でしょうねぇ。今でこそ、ヴィンセント様がいらっしゃるから表向きにはようやく対等にはなりましたが、それも難しくなってくるでしょうねぇ」
「そんなに危ないの?」
「ええ、そうですよぉ。何せ年々、我らが神に対して軽んじる者が増えているのが実情。外からの文化が入り込んでいるのも影響の一つでしょう」
「それは……」
「ですが、我らはこの国で生きておりますからねぇ」
仕方がない、と言うような言葉だ。そしてユアンの言い方はどこか誇らしげで、しかしながらずいぶんと寂しげなものだった。
「奈緒様。何故、我らがこの場所で生きることになったのか、ご存知ですかぁ?」
「……知らないわ」
「そうでしょうねぇ。というより、誰も教えたがりはしないでしょうねぇ。まさか、流刑地だった、なんて」
奈緒はそっと、控えている三人を見る。それぞれの反応を見るに、おそらくは一般常識の範囲であることはすぐに理解した。
しかしその事実を教えなかったのは仕方がないと奈緒は同意するしかなかった。つまり、この国の人々はその罪を犯した人々の末裔と言うことになるのだから。
「ここへと流された人々は凍土しかないこの場所で、ひたすらに祈りを天へと捧げて、そして夜になれば紅き星を導として生きてきたと歴史書には残されておりますよぉ。結果、人々の祈りと願いによって天の神、アルカポルスが目覚め、この地に春を、命を呼び起こしたんですねぇ」
ユアンはゆっくりと立ち上がり、バスケットをそっと椅子の上に少しだけ迷いながら置いた。一番きれいな場所がそこしかなかったからなのかもしれない。
「我らがこの地で生きるには、祈り願う必要があるのはお分かりの通り。強制ではなく、例えるならば呼吸をし、食事を取ることと同じように、もはや生きるための一部となっているわけですねぇ。ですから、誰もが神を軽んじようとも祈り、願うことだけは行うわけですよぉ」
そのままユアンは物が溢れた室内をゆったりと歩き、いくぶんか物が置かれていない場所の前に立つ。
ちょうどユアンがいつもいる机のほど近い場所で、その箇所だけは周囲に比べれば物は置かれておらず、いくぶんか綺麗なままだった。だから奈緒はそのあたりに手を付けたことはない。
両手大ほどの大きさで、正面には小さな扉がついたずいぶんと質素な木箱だった。ユアンは丁寧に細い指先に小さな取っ手をつまみ、静かに開く。
そこには小さな、本当に小さなアルカポルスの彫刻があった。
「ただ、残念なのが祈りの時間、祈り方がより簡易的になってきている風潮がある、ということでしょうねぇ……。こんなにも近くにいらっしゃるというのに」
なるほど、あれは祭壇だったのかと奈緒はすぐに理解した。
ユアンは自身を慎み深い信徒だと言ったが、それは確かに間違いではないのだろう。事実、アルカポルスを見つめる眼差しは、いつもの軽薄さはなく、ただ純粋そのものだった。
「ユアンはどうして祈るの」
だからふと、問いかけてしまった。
彼らに何故祈るのかという問いは愚問だと知りながらも、ユアンならば答えてくれると思ってしまったのだ。
ユアンはアルカポルスの彫刻から視線を外し、ゆるりと美しく微笑みを浮かべた。
「愛のために」
まさか。彼からそんな言葉が聞けるとは思わず、目いっぱいに奈緒は紫の瞳を丸くし、その答えを必死に理解しようとした。
ユアンはわざとらしく肩を竦めつつ、ようやく祭壇の扉をしめて奈緒に向き直った。
「全く、失礼じゃないですかぁ?」
「だ、だって、いきなり、愛とか」
「おやおやぁ? 奈緒様、もしかしてまだそういったものに経験がないとか?」
「あるわよ! 婚約した相手だっていたんだから!」
「……いた?」
瞠目したユアンは奈緒から視線を外さない。
奈緒はいたたまれずに視線をそらし、その先にいたオリヴィアはにっこりと笑みを浮かべた。
「教えてくださいな。奈緒様?」
これは逃げられないなと、奈緒は強く悟った。
「――って、ことよ。何よ、なんとか言いなさいよ」
レオナはすでに聞いている話ではあるが、前回同様の反応をしているのを横目に見つつユアンの反応を待った。
ユアンは言葉を選んでいるのか、視線を何度か左右に動かした後にようやく口を開いた。
「ああ、いえ。なんと言いますかぁ……。その男、きっと後悔なさるでしょうねぇ」
「……するかしら?」
「ええ、しますとも。必ず」
「そうだと嬉しいわ」
「信じておりませんねぇ?」
「ちょっとは信じてるわよ」
何せ、あの純粋な眼差しを見てしまった後なのだから。それでもちょっとなのは、なんとなくまだ絆されていないのだと自分に言い聞かせているだけなのだ。
「あら、オリヴィア様。どうされたのですか?」
「何でもないわよぉ」
後ろの方からレオナとオリヴィアの会話が聞こえてきた。妙にオリヴィアの不機嫌めいた声色が聞こえ、そこに混ざってギルバートの困ったような笑みが聞こえた。
ああ、怒ってくれているのだろうと何となく察したが、何故たろうか。まだ振り向いてはいけない気がするのは。
ユアンも何か察したのか、またバスケットを大事そう抱えながら奈緒へ笑顔を向けた。
「それで、まさか。今日の用事というのは、これをお渡しに来ただけでしょうかぁ」
まるでそうであってほしいと言わんばかりのユアンに、奈緒は満面の笑顔を向けた。
「もちろん掃除もやるわよ」
「せめてっ、せめてここだけは……! まだ途中なんですよぉ!」
「はいはい、そうなのね。けどその前に、あの虫型の魔具について、聞きたいのよ」
「ほぉ、あれについでですかぁ」
掃除から逃れられると思ったのか、ユアンは前のめりに反応を見せてきた。別にやらないという選択肢は残されていないというのに。
ほんの少しばかり、かわいそうな目でユアンを見つつ、奈緒は真っ直ぐ問うことにした。
「率直に聞くけど、王城の方には一切伝えてないの?」
「ああ、そのことですか? 伝えておりませんねぇ」
「なんでよ」
「高度過ぎる技術だからですよぉ。だから開発局では、これについては機密扱いとしていたんですけども、どこからか技術が漏れていたというわけなんですよねぇ」
「……待って。その、ユアン。その技術って」
機密扱い。技術が漏れた。それはつまり、あの時に発見されたような技術ではなく。
ユアンは奈緒の聞きたいことを察し、いつもの軽薄そうな笑みをより深めた。
「ええ。これについては、もうすでに持っていた技術なんですよぉ」
開発局は王族にさえ、この技術を隠していたというのだ。こんな革新的且つ、素晴らしい技術だと言うのに。
何故という疑問が頭の中に浮かぶ奈緒に、ユアンはゆるりと瞳を細め、視線を奈緒の後ろへと向けた。
「ふふっ。気になりますよねぇ、漆黒は」
「……そうね。あの時は、いろいろと起きて詳しく聞けなかったからイーサンとは内密にしておくということにしていたけれども。そんなものがあったなら……」
「ええ、とくに漆黒では役立つ魔具であるのは間違いないでしょう」
そこまで理解しているはずだというのに、開発局は隠した。しかも一切悪びれる様子も見えない。
苛立ち気に睨むオリヴィアにユアンは小さく肩をすくめてみせた。
「エミリオ局長は、争いごとを毛嫌いしておりますからねぇ。だから今、この現状においては秘匿としたんですよぉ。どうせそういう時に大いに役立ちますからねぇ」
たかがその場の状況を映す道具だ。しかし、それだけで十分に脅威になることを奈緒は十分に理解していた。
一番身近なところで言えば盗撮なんてものもある。また監視と言っても、何を監視するのかによって脅威の度合いは変わってくる。ましてやこの世界は魔術なんてものがある。それがどのように使われるかによっては、恐ろしい何かになるというのは想像に容易かった。
それでも、と奈緒はぐっと掌を強く握りしめた。
「それが今、必要って言ったら困る?」
「いえ、むしろ遅かったと思わざるえないと言いますかぁ。ご心配せずとも、すでに局長からは使用の了承をいただいておりますし、魔具はもう製作済みですのでぇ」
拒否されると思ったのだ。だからまさか、すでに許可どころか準備まで整っているとは思わなかったのだ。
奈緒の反応が良かったのか、ユアンはさらに楽しげに身体を揺らした。
「だって先に使われたんですよぉ? 不愉快じゃありませんかぁ」
楽しげに、しかしながらその目は一切笑っておらず、氷のような冷たさが宿っていた。
それならば、と奈緒は遠慮なんてものは即座に止めることにした。
「良かったわ。早速だけど、すぐに使いたいのだけど?」
「ええ、もちろんですとも。我らが紫の聖女様」
「それと連絡が取りやすくなるような魔具が欲しいわ」
「ああ、通信機ですかぁ。それはもうありますよぉ、使われないだけで。ねぇ?」
ユアンの視線の先にいるオリヴィアは、不愉快と言わんばかりに顔を大きく歪めた。
「あんなの使えないわよ。音が無駄に大きいし、魔力の消費も多すぎる。しかも大きすぎ。鳥を使ったほうが早いくらいよ」
「使えても深紅の方だけど、皆面倒だから使わなくってね」
隠密行動が基本の漆黒だけではなく深紅までもが使えないと言うほどだった。魔術なんてものがないあの世界にとっては、それすらも革新的な技術であるはすだが、なるほど魔術はそれよりも上と言うことらしい。
「存じてますよぉ。それについてはより効率的に使えるように再開発をする状況ですねぇ」
「それなら」
「まぁ、それについては僕の担当ではないので実際のところはどうなっているのか不明ですがねぇ」
「使えないわね」
遠慮なく吐き捨てたオリヴィアに、ユアンは小さく身体を揺らした。
ユアンは楽しいと身体を揺らす癖があるらしい。幼い子供のような仕草に、ぐっと奈緒は膨らみそうになる母性を抑え込んだ。
「私は欲しいわ」
「しかし奈緒様は魔力が無いでしょう?」
「そうね。だから魔力を使わない通信機を作って欲しいの」
作り方なんて知らないし、彼らにとっては無茶振りに近いだろう。だか、魔術のない世界でも通信機はあるのだ。出来ないはずかない。
ユアンはほんの僅かに上を仰いだが、その身体はやはり揺れている。
「出来る? ユアン」
「ええ、もちろん。魔石や魔鉱石を使えば、魔力なんて使わずともできますからねぇ」
確かに、と奈緒は小さく頷く。
いつもレオナを呼ぶあのベルの魔具は、魔力の無い奈緒でも使えたのだ。それに部屋の明かりだって同じく問題なく使えるのだ。
ああ、それならば問題がない。不可能ではない。
奈緒は笑みを浮かべた。
「作って。すぐに」
「承知致しました、奈緒様」
ユアンは心底楽しいと言わんばかりに笑みを深めた。
「じゃ、話は終わったから掃除するわね。それ食べて待ってなさいよ」
「え、あ、それはぁ……!」
そして今日も、巣窟の主の情けない叫び声が響き渡った。




