13 隠された絵画
二体のゴーレムは壁画の中央に立つ。それぞれ大きな腕を突き出すようにしてぴたりと掌の部分を壁画に押し付ける。
何が起きるのかと思い、次の動きを観察するように見ていれば、ゴーレムはそのままゆっくりと後ろへと下がった。何かが擦れる音と同時に響き、一体どこからとよくよく見ていれば、ただの壁画とばかりに思っていた箇所が動いたのだ。
ゴーレムが後ろ、正しくは弧を描くようにしながら下がっていくにつれ、隠されていた両開きの扉が姿を現した。
取っ手のようなものもなければ、隙間というものも何もなかった。
「そうか……ゴーレムだからか」
「ど、どういうこと?」
「こいつらは土から出来ている。だから同じように土で出来ている壁を自在に操り、扉を作ったんだ」
「……隠し扉、とかじゃなくって?」
「隠し扉ならもうすでに気付いているだろう?」
ヴィンセントの言葉の通り、隠し扉が最初からあれば伊織は気づいていた。それこそ書庫にあったあの扉のように違和感を覚えたはずだ。しかし今回の扉については今ようやく気付いたものだ。
だからヴィンセトの言う通り、今作られたのだという説明にはすぐに納得が出来た。おかげで壁向こうへの違和感はあっても、出入口となる扉を見つけられなかったのだと。
つまりは、あの黄金の置物のようなものは鍵だったのだ。
ならば何故、鍵が隠された部屋にあったのか。何故、隠す必要があったのか。
それはきっと、この開けられた扉の向こうにあるはずだった。
開けられた向こう側はやはり暗闇に満ちていたが、大きな出入口だった為、今いる場所の明かりのおかげでうっすらとだけ中が照らされていた。
「……ここよりも狭い……?」
「なんだか、物が多そうね」
「え、ふ、二人共、待ってよ……!」
伊織と奈緒が覗き込み、真咲が慌てて二人の服を掴んだ。
「は、入るの……?」
「入るよ。けど、暗いから何か明かりとか……」
問う真咲に迷わず頷き返した伊織は一歩、中へと良く見渡すために入る。奥行はそこそこありそうだが、何か調度品のようなものが見える。
この黄金の瞳のおかげである程度の輪郭が見える中、もう一歩中へと進む。伊織はせめて何かの魔具が無いかと見渡し、それを見て、そして揃って中へと入ろうとする奈緒と真咲を外へと追い出した。
「ちょっと伊織?!」
「ど、どうしたのよ! まさか変な物でも見たの?」
突然のことに奈緒と真咲は当然驚きを隠せずにいる中、伊織は遠まわしな言い方をせずに真っすぐに聞いた。
「二人って、骸骨平気?」
「……え?」
突拍子もない問なのは分かった。けれども聞かなければいけなかった。
「中に、骸骨……というか、たぶんミイラみたいな感じだったけど。三人、いたのが見えたから。だから駄目そうならここで待ってて」
はっきりとは見えなかった。しかしあの形、そして側に見えた幽霊の数ではっきりとそれだと理解出来た。
伊織の真剣な眼差しを前にした奈緒は部屋の奥を見て、伊織へとまた視線を向けた。
「行くわよ。もちろん」
「あたしも行くから! こ、怖くないんだから」
強がっている二人に、伊織は少しだけ眼差しを和らげた。
「ありがと」
とはいえ、怖いものは怖いらしいく、二人はしっかりと伊織の衣服を掴みながら中へと進む。外からの光が届く距離まで進み、上を見上げれば何かがそこの埋め込まれているのが見えた。
「これかしら」
「お、それっぽい」
「そうね。伊織様、これ、問題ないと思われますか?」
後ろから漆黒の三人の声が聞こえ、アイヴィが伊織を呼んだ。振り返り見れば、天井に埋め込まれているものと彼らが集まってみているものがつながっているように見えた。
「うん、大丈夫」
迷わずに伊織が頷けば、アイヴィは即座に壁に埋め込まれているであろう魔具に触れた。
瞬間にぱっと空間に光が満ちた。
ようやく明るくなった室内は随分と多くの物が積まれていた。
触れれば崩れてしまいそうな本達。装飾品の山。おそらく祈りの時に使うであろう調度品の数。財宝と呼ばれるであろう数々の品がある中、どうしても目を向けてしまうのはその中央にある三人の骸だった。
どれほどの年月、ここにいたのか。
まとっていたであろう衣服はすっかりどす黒い色へと変色し、ただの布と化している。血肉があった肉体も、今や骨と皮のみ。彼らはこれまた長い年月により古びてしまった絨毯だったであろう布の上にまるで座禅でも組んでいたかのように座っていた。その傍らには、きっと彼らであろう魂が伊織達を見つめるように浮かんでいた。
伊織は迷わずに中央の骸に歩み寄り、今度はこの国の祈り方を倣い、片膝をついて両掌を握り、瞳を閉じた。
時間にしてわずか数秒程。すぐに伊織は立ち上がった。魂は小さく揺れ、ゆるりと動き出す。こちらだと言うように。
奥へ進もうと後ろにいる皆に振り返り見れば、ヴィンセント達はもちろん、奈緒も真咲も、慣れない姿勢で同じように祈りを捧げていた。
立ち位置のせいだろう。まるで、自分に祈られているかのように思えてしまい、慌てて二人に呼びかけた。
「奈緒、真咲! 奥に何かあるみたいだよ!」
すぐに奈緒と真咲が顔を上げ、立ち上がる。真咲が一瞬躊躇する姿を見せたが、何かを耐えるように前へと進んでくれた。
彼ら三人の横を慎重に通り過ぎ、伊織達はまっすぐに奥へと進む。光る魂が止まった目の前には無機質な木製の大きな棚があった。そこにも無造作に財宝が適当に積まれているが、彼が伝えたいのはこれではなく、この後ろだった。
「ねぇ、クラウス。この棚ってどかせないかな」
「……これを、ですか」
「うん」
すぐ後ろまで来てくれたクラウスに、伊織は少しばかり無茶なことを言っている自覚はありつつも聞いてみることにした。
クラウスは目の前の大きな棚をじっくりと見渡し、数歩遅れて歩み寄ってきていたカルロスに目を向けた。
「カルロス。壊すのは得意だろ」
「おい、俺は別に得意じゃねぇよ。ついうっかり壊すことが多いってだけで」
「適任だろ。この棚をどかせ」
クラウスがわざわざ言い直し、カルロスは何も言い返せずにぐっと唇を強く結んだ。
「どうなっても知らねえからな!」
「危険ですので後ろにお下がりください」
クラウスが伊織達を後ろへと下がらせ、代わりにカルロスが棚の前に立った。
カルロスは気だるげに首をぐるりと回し、そうして拳を振りかぶった。
勢いよく拳が棚へとめり込み、弾けた。
棚に無動作に置かれていた金や銀が周囲に飛び散り、クラウスやギルバートがいつの間にか展開していた結界にぶつかり床に高い音をたてながら次々に落ちていった。
「うっわ……何あれ。え? 殴っただけ、よね?」
「カルロスは魔術を使う事がとても苦手なんです。なのでああやって自身の拳や剣に直接魔力をまとわせ、ああやって威力を高めているんですよ」
「……もう剣なんていらないんじゃ……」
「それでは敵を切り捨てられませんよ。真咲様」
「おい、クラウス! 真咲様に変なこと言うなよ!」
驚きを隠せずにいる真咲に、クラウスがなんてことないことだと説明をしてたが、どう考えてもやはり剣は不要ではと考えてしまうのも仕方がないことだ。伊織もつい、そう思ってしまった。
カルロスがもう一発と、棚に拳を入れながら大声で文句を言い放った。
そして全ての棚が破壊され、そこに見えたものにカルロスはぴたり、と動きを止めた。
「……おいおい、まだ部屋があるのかよ」
すっかり壊れた木製棚の裏側。そこにはさらに奥へと続く部屋に繋がっていた。
カルロスが呆れたように呟きながら、人が通れるようにと破片やら残骸を脇へと投げていく。
「これで良いだろ。聖女様方、先に入られますか。それとも俺が先に確認しましょうか」
「先に入りたいです!」
はい、と元気よく伊織が挙手すれば、カルロスは分かっていたようにすぐさま脇にどいてくれた。
伊織は先へと行く、魂を追いかけるように中へと足を踏み入れた。途端にほのかに壁面の石がぼんやりと光を放ち始め、空間を白く照らす。
一体何があるのか、と見渡すよりも先に誰もが目の前のそれを見て、言葉を発することさえ出来なかった。
ずいぶんと大きな絵画があった。
一体どうやって運び入れたのか分からないほどの巨大な絵画は、壁画と同様に右手側にはアルカポルスが描かれていた。その他に、アルカポルスの前には四人の少女達が描かれていた。アルカポルスと同じくらいに髪の長い少女は祈るように左手に小さな天秤、右手に細長い金の杖を掲げていた。彼女の隣にいた少女は花を抱き、もう一つ隣にいる少女は天を指す。そうして三人の少女達の先頭にいる短髪の少年にも見える少女は、翼を持つ青年へと剣を捧げるように持っていた。
この四人の少女達は愛娘だと、伊織達はすぐに理解した。それならば翼を持つ青年は誰なのか。そして相対する炎をまとうアルカポルスに似た男は一体何者なのか。
絵画の前に古びた本が置かれた小さなテーブルが鎮座している。
伊織は誰もが動かないのを他所に、何かに急かされるようにテーブルへと歩み寄る。一歩遅れて奈緒と真咲も後に続いた。
小動物達はずっと黙ったままだ。伊織達の邪魔をしないようにか、それとも各々が感じているであろう不愉快な感情に耐えているだけなのか。
しかし今は好都合でしかなかった。
「……触っても良いと思う?」
「見るしかないでしょ」
「奈緒がそう言っているんだし、大丈夫よ」
奈緒と真咲がそう言うが、進んで触れようとはしなかったのを見て、伊織は仕方が無くそっと表紙をめくった。
もちろんだが、二人がわざとそうしたのを伊織は分かっていた。なんとしてでも伊織に花を持たせようとしていたのぐらい分かっていたが、ちょっとばかり素直になれずにそんな態度を取っただけだった。
思考が変な方向へとずれそうになり、伊織はめくった頁に書かれている文字を追う。
見たことがない文字だった。だが、頁の厚さのわりに、記載されていた頁はわずかしかなく、難なく全てを読むことが出来た。一字一句、読み間違えないようにじっくりと目を通し、伊織は二人と顔を見合わせた。
真咲と奈緒が神妙に頷く。伊織も頷き返し、未だに絵画に気を取られているヴィンセントを呼び掛けた。
「……ヴィンセント」
「あ、ああ……すまない。どうした」
伊織が呼びかけ、ようやく伊織達の手元ある古びた本に気づいたヴィンセントが慌てるように歩み寄って来た。
「本か。しかし古語とは……」
書かれている文字は古語だと言う。なるほどだから読めたのかと伊織は知った。
「書いてあったよ。神様の名前」
「読めるのか……! それで、なんと?」
「大地の神、ラグマドルス」
「大地の神……?」
「天の神、アルカポルスの兄、だって」
伊織は伝えながら再度絵画を見る。
アルカポルスに向かい合うようによく似た見目をしている男。男は牙をむくように口を大きく歪ませ、太い腕を振り上げている。
憎々しいと言わんばかりのアルカポルスと同じ赤い瞳は大きくかっぴらいており、まさしくこれから戦いが始まろうとしている場面であった。
この本に書いてある通りに。
誰もが絶句したように言葉を発しない中、伊織は古びた本へとまた視線を落とし、文字を指でなぞる。
「ここは二神が座す、国……だった。しかし、大地の神、ラグマドルスは気性が荒く、戦いを好んだ。故に、我らは……天の神、アルカポルスと共に、ラグマドルスへ戦いを挑んだ。天の神、アルカポルスはその時、自身の分身となる愛娘と呼ばれる小さな神々を誕生させた。彼女達は我らが人の為、そして大地の神、ラグマドルスを鎮め、封印するために存在させてしまった。これは我ら人間の罪である」
伊織が今まで勉強の為に神話をいくつか読んできたが、このことは一切書かれてはいなかった。
しかしまさか、愛娘達が人間の罪そのものだとは一切思えなかった。
伊織は続けて読み上げる。
「守る為、生きる為、全ての平穏、平和の為に戦った。そして、一人の戦士に全てを背負わせ、この大地を守り、大地の神、マグラドルスをとある山へと封印に成功した……。これは、今後の神話には語られることがない。そうせざるえないものだ。この神を、忘れる必要があった……。忘却し、力を失わせる必要があった……。しかし、こうして記録を残してしまったのは、私の弱さ……なのだろう」
側に浮かんでいる魂がふるり、と震えた。気づけばもう二つの魂が寄り添い、三つが目の前に並んでいた。
ああ、彼が、彼らが残してしまったのだろう。
「……我らは、ここで死ぬ。これが罪滅ぼしになるか、分からない……。王族が、ここに気づいた……。力を得たいがために……また、大地の神、ラグマドルスを復活させようとしている。ここを戦火で焼き尽くそうとしている……。しかし、希望はある。人は……忘却するもの。故に、長く、長く、耐え忍ぶのだ。忘れてしまうほどに。そして……いつの日か、大地の神、ラグマドルスが復活を遂げようと、それ以上に天の神アルカポルス、そして愛娘達がより強い力をもっていれば……」
どれほどの歳月が過ぎ去る必要があっただろうか。
歪んでいる文字は、その時に抱いていたであろう不安や恐怖を強く物語っていた。しかし一片の希望の為に、罪悪に苛まれながらも今日までずっと隠し通してきたのだ。
「ここを残すことを、お赦しください。我らが神よ。これを壊すことは、到底できません……。我らは……それでも、神の守護を仰せつかった一族なのです。せめてもの、壁画の一部を破壊いたしました。授けてくださった、守護兵はそのまま眠らせ。そして、命をとして……ここを封印することといたしました。鍵は……我らが一族が、隠し持っております。どうぞ、お守りください……」
大丈夫、守ってくれていた。あの暗闇の中でずっと。
読み上げながら、伊織は心の中で答えた。守ってくれていたから、導いてくれたから、ここに来れたのだと。
「我らが神よ。天の神、アルカポルスよ。どうか、この国をお守りください。そして我らが始祖。偉大なる戦士、ジーンの誇りにかけて、我らは永劫、お守りいたしましょう」
文字はそこで途絶えていた。
しかし最後に何かの文様が描かれていた。それはまるで。
「家紋?」
伊織が勉強をしていた時、クラウスが家紋の話をしてくれた。
貴族達が使っている家紋は、アルカポルスや愛娘達の文様を模した家紋を使っていると。だからそれも家紋であるとすぐに分かった。
「ああ、そうだ。以前にエヴァンハイン家が使っていたものだ」
「以前?」
「そうだ。今はこの翼を消され、代わりに草花が使われるようになった」
二対の翼に六つ星と剣。
確か、ルイスの伯父であるジェラルドは翼を奪ったと言っていたのを思い出す。
つまりここにいる彼らこそ、エヴァンハインの人間であると物語るには十分なものだった。
伊織は黄金の瞳を瞬かせ、彼らを見据えた。彼らは答えない。いや、聞こえる耳があれば会話が出来ていたかもしれないが、伊織が持つ力は見ることが全て。
この時ばかりは妙な歯がゆさを感じてしまったと同時、湧き上がる別の感情に、伊織は首に巻き付いているヨルに呼びかけた。
「ヨル」
『……ええ、思い出しました。伊織のおかげで』
この感情は後悔。そして僅かな怒りだった。
ヨルが怒っていた。忘れてしまっていたことであるならば、それは正しいこと、間違いなかったことだ。だが、それでは何に怒っているのか、さすがの伊織にも分かりはしなかった。
『我らは……そう、あの時。生み出されたのです。かの神を封印するために。そして、恒久的に忘却させ、存在すらを無くさせるために』
抱いている怒りを誤魔化すように細く白い尾が忙しなく動いていた。
『だと言うのに、ああ……このような有様になるとは。なんという事でしょうか……。お母様……、ユフィ……』
経った今、伊織は理解した。
ヨルが怒っているのは、己に対してだと。
「……倒せなかったの? 封印とかじゃなくって」
『ええ、そうです。かの神もまた、我々と同じの存在ですから。願い祈られれば殺そうとしても必ず復活を遂げてしまうのです。だから封印をすることにしたのです』
苦肉の策だったのだ。しかし確実な方法だった。
『ジーンは良い人間だったわ。そして、あたし達の力を一身に受け取ってしまったせいで命を落とした』
『果敢で勇猛な戦士だったわぁ。けど、リディ姉様は、ちょっとお嫌いだったのよねぇ』
ディーヴァは当時の思い出したのか懐かしむように絵画を見上げていた。ジーンと人の名を呼んだその先には、絵画の中央にいる青年がいた。
メルもまた同じように懐かしみながら、ふくふくと笑っていた。
急に矛先を向けられたヨルが慌ててメルの言葉に噛みついた。
『し、仕方がないでしょう……?! だって、ユフィに求婚したのよ、あの人間……!』
ヨルが言った言葉の意味を理解するのに伊織は少々時間を要した。もちろん伊織以外の全員も同じだった。
「求婚……? ユフィアータに?」
『そうです……! そのせいで、だから役割も変わったんです……!』
「そ、そうなの……?」
突如明かされる新たな真実が語られ、伊織達はもちろんのことヴィンセント達もまた驚愕の色を見せ、視線はすぐにヨル達へと集められた。
一体何の話だ。人間が神へと求婚した、というのは物語でもありそうな話ではあるが、しかしまさか彼女達の役割さえも変わってしまっていたという事実には、誰もが予想だに出来なかったことだった。
『ええ、そう。そうなのよ。思い出してきたわ。あたし、本当は違う役割だったのよ。あ、言っておくけど、母様から貰った力は変わってはいないわよ』
『そうねぇ。けど私の役割は変わらなかったから、本当にすっかり忘れてしまっていたわぁ』
『でしょうね』
彼女達の会話を聞く限り、メル以外の役目が変わったという。
一体どんな役目だったのか聞いていいのか分からず、伊織はつい無言でヨルを見つめてしまった。ヨルはその視線に気づき、すぐに教えてくれた。
『私達はかの神を封印するために生み出されました。しかし母様は私達が消えてしまわぬようにと、役目をくださりました。私、リディアータが死した魂をより分け、ラウディアータが生まれ行く場所まで導き、メルヴェアータが生まれた魂達を育み、ユフィアータが終わりの時まで守り導く』
メルヴェアータは変わらなかったし、リディアータもまた順番は違えど、大きく役割が変わっているわけではないようだった。
ただ驚いたのは、ラウディアータとユフィアータの役目だ。
神話に書かれている今を生きている魂を導いているラウディアータ、死した魂が眠る場所を守るユフィアータ。それがまさか、役目が逆転しているとは思わなかったのだ。
『魂は常に巡っているのです。死せば生まれ、生まれれば死す。その繰り返しです。その循環が滞りなく行うのが私達の役目。それは今、この役割になっても変わらないのですが……』
ヨルは伊織達の反応に気づいていないようで、少しばかり興奮しているのかぐるぐると尾を回していた。
『あの、あの人間がユフィに求婚なんてしたから……! ユフィはその求婚をもちろん退いておりましたが、今の役割になりたいと訴えてきたのが答えでしょう。ああ、ユフィ……このようなことになるのなら、私は……!』
しゃー、とぐわりと大きく口をぱかりと開け、鋭い牙を見せてしまうほどにヨルは強い後悔と、怒りというぐちゃぐちゃとした感情がうちに渦巻いていた。
伊織は宥めるように滑らかな純白の鱗を撫でる。ついでにこっそりと、もちもちとした感触をここぞとばかりに楽しんでいるのは内緒である。
「止めなくて良いの、あれ」
『しばらくしたら落ち着くわよ。にしても……本当、最悪。先に死んでしまうって分かってたことなのに、ユフィに求婚とか馬鹿よ。こいつ。良い人間だったけど、そこだけはすごく不愉快だわ』
真咲が感情的になり暴れているヨルに若干引き気味だが、対してディーヴァは放置だ。姉妹達だけの前では、そう珍しい姿ではないのかもしれない。
とはいえ、伊織は湧きでるヨルの感情に振り回されそうになるのを耐えながら、どうにか気をそらそうと奈緒に視線を向けた。
少しだけ奈緒が同情の視線を向けてくれる中、何かに気づいたようだった。
「伊織。感じてた違和感なのだけど」
「……うん」
愛娘達はこの場所を忘れていた。だが、忘れていただけで、ここに刻まれた記憶が完全に喪失はしていなかったからこそ、愛娘達にとって禁忌の場所という記憶だけが残された。
さらに言えば、ジーンという人間に対する確執だけはしっかりと覚えていたようだった。だからここに近づいただけで、妙な感情を抱いてしまっていたのだ。
正体が分かった今、何とも私情にもつれていると呆れてしまいそうになる。けども分からなくはないものだったからこそ、黙って受け止める他なかった。
「そういえば、エヴァンハインには宝剣があると聞いたが……」
絵画を見上げ、じっくりと見ていたヴィンセントが思い出したように呟いた声が聞こえた。視線の先にはあの青年だ。
「なるほど。この者が始祖とくれば、ああもなるか。しかしそれならば何故、ユフィアータの剣ではなく、我らが神の剣に……?」
エヴァンハイン家の祖先が、このジーンという人間であることが分かった今、彼らのあの狂信染みている行動にも理解が出来た。
しかしそれは天の神、アルカポルスに対してであり、ユフィアータではない。ヴィンセントが抱く疑問はもっともだった。
ヨルに聞こうにもまだ落ち着かずに細長い体をくねらせ、伊織の両手首に巻き付いていた。
『ユフィはもう剣を持っているのよ。それなのに剣が必要だと思うの?』
『答えは絵画にあるわよぉ』
代わりにディーヴァとメルがしっかりとヴィンセントの呟きを聞いていたらしく、教えてくれたとは言ってもそれはヒントのようなものだった。
改めて伊織達も絵画を見る。剣を青年に捧げようとしているユフィアータの姿。それしかない。その姿しかない。それ以外、何もなかった。
伊織の隣で見ていた奈緒が気づいた。
「盾がない?」
『ええ、そうよぉ。奈緒』
ユフィアータは剣しか持っていなかった。剣と盾の力が持っている、と言っていたと言うのにだ。
『ユフィの盾は母様がくださった力ではなく、あの人間との誓いによって生み出されたものなのよぉ』
「そ、そんなのありなの?」
『すごいわよねぇ。どんな誓いを交わしたのかは分からないけども、ユフィが今まで盾の力を失わずにいたというのは、彼ら人間が今日までずっと誓いを守っていたという証明なのよねぇ。この神話が後世へと途絶えているはずだというのに』
「えぇっと、つまり……エヴァンハインの人達は、アルカポルスを守ると同時に、ユフィアータも守ってたってこと?」
『共に守っていたというのが正しいわねぇ。あの子、守られるの嫌いなのよぉ』
仕方が無いと言わんばかりのメルに、三人の頭の中には静の姿が浮かんでいた。
静も同じように守られるのが嫌いなのだろうなぁ、と。だから申し訳ないが、静にはどうにか守られることに今の内に慣れて欲しいと思ってしまっても仕方がないと思いたかった。
「にしても……まさしく、パンドラの箱だったわね。ここ」
奈緒が思わず、という風に呟いた。
本来ならば知ってはいけないものだ。知ってしまえば、かの神が力を取り戻す何かしらのきっかけになるかもしれなかった。しかし知らなければ、かの神の狙いも、何故このような事態になっているのかも知ることは出来なかった。
そしてまだ諦めるには早いと言うことも。
「ぱんどらの箱? なんですか、それ」
オリヴィアが首をかしげながら聞いてきた。
知らないのも当然だ。何せ伊織達の世界での神話の話なのだから。
「別の国の神話で、経緯とかそういうのは飛ばすけど。パンドラという人が、とある箱を好奇心で開けてしまったのよ。その箱の中身というのが、この世の災難や疫病といった災厄が閉じ込められていたのだけど、開けてしまったことで世界へと飛び出してしまったの」
「……まさしく、今の状況とよく似た神話だな。知ってはいけない禁忌に触れ、しかもかの神の名さえ知ってしまったのだからな」
自嘲気味に笑うヴィンセントに、奈緒は笑みを浮かべた。
「けど、パンドラは慌てて箱を閉めたおかげで一つだけ残ったものがあるの」
「何が残ったんだ」
「希望よ」
奈緒の言葉が瞬いていた。奈緒もまた、同じように諦めてはいなかった。
まだ希望は残っている。彼らの魂がここまで導いてくれたことも。自分達が今のタイミングでいることも。偶然か必然か、静がユフィアータと強い縁があるエヴァンハインへと身を隠していることも。
静の言葉を借りれば、なるようになったのだ。歪んでいた歯車がようやくカチリと嵌められた。後は動くだけだ。
「はははっ、確かに。ああ、その通りだ」
思わずというようにヴィンセントは笑い、ゆるりと琥珀を細めた。その視線の先にいるのは大地の神、ラグマドルスだ。
「我らにはまだ希望が残されている。偶然とは言え、銀の聖女の側にはユフィアータと誓いを交わしたエヴァンハイン家がいる。そして我らが目の前にいる聖女方の力はより強く、強固なものになっていると報告を聞いている。そしてかの神は静寂の山から動けず、完全に復活は遂げてはいない。まだ、まだ時間が残されている」
服のすそを大きく翻し、後ろに控えていた騎士達、侍女達を見据えた。
「さて、お前達。やらねばならぬこと、分かっているな?」
ヴィンセントの言葉に呼応するように騎士達が姿勢を正し、力強い返事を響かせる。侍女達はそれに驚きを隠せずにいたが、しっかりと姿勢を正していた。
誰も彼も、同じように希望の瞬きを胸に宿していた。
「伊織」
「な、何?」
その美しい瞬きに目を奪われかけていた伊織は、慌ててヴィンセントに振り向く。
ヴィンセントは伊織のその様子に少しばかり呆れた顔を見せていたが、いつになく柔らかな眼差しを向けてくれていた。
「この場を見つけてくれたこと。そして、その勇気に感謝する」
まっすぐ過ぎる言葉だった。
見つけたのは本当に偶然に近いし、彼らがいなければ見つけることは出来なかった。それに勇気だなんて、何一つ持ってはいない。ただ流されて、周囲の期待に応えたくて、ひたすらに役立ちたくて。
思い浮かぶ言い訳のような言葉達が喉から出そうになった。
ようやく落ち着いたヨルがするり、と伊織の首元に巻きつく。まるで言葉が溢れてこないようにと優しく結んでいるかのような感覚になり、伊織はただ黙って頷くほか出来なかった。
ヴィンセントはそんな伊織を見て、ほんの少しだけ困ったように眉をひそめながらも柔らかな眼差しは変わらなかった。
伊織はその視線からつい逃れるように、そして何故か妙に早い鼓動を誤魔化す為に、また絵画を見上げるのだった。




