12 一人で無理なら
一夜明け、伊織達三人はヴィンセントの執務室へと集めさせられた。
集められた理由は分かっている。昨日のアウグストから聞いた話についてだ。
「……ねぇ、伊織。あの机に置いてある紙の束って」
「お仕事の書類だって」
「……ねぇ、私の癒しの力とか試してみない?」
「不要だ!」
室内に入ってまず目に入るのが、ヴィンセントがいつも座って執務をこなしている机の上の書類だ。前見た時よりも山が一つ増えているし、高くなっていた。
力を使えるようになった奈緒が気を使って言うと、ヴィンセントは速攻断った。
「紅星の間は底冷えがひどいからここに呼んだが、こうもそろえば手狭だったな。次の春にでも暖房設備を増やすか」
「そんなに寒いの?」
「廊下の方がまだましなぐらいだ」
外にいるよりかはまだ暖かいらしい。
それならば仕方がないとずいぶんと狭くなった執務室を見渡した。
ソファーには伊織達が三人に、ヨル達は伊織の空いている場所に集まりじゃれついていた。その他、侍女達に各々の深紅、漆黒の騎士も勢ぞろいだ。そしてもちろんヴィンセントは自身のいつも座っている椅子に座り、すぐそばにはエドヴィンも控えている。
これほどの大人数がいることを想定していなかっただろうが、静達がそろっても問題ないぐらいの余裕はあった。
「さて早速だが本題に入らせてもらう」
「昨日のその神、とやらのことよね」
「ああ、そうだ」
確認する奈緒に、ヴィンセントは一つ頷き返した。
「奴の居場所は把握した。しかしすぐに動けるわけではない。不愉快極まりないが、明らかにこちらの時間も人も、全てが遅く、不足しているからな。しかしそれに対抗できる手段はまだ残されているわけだが……」
「巡礼よね」
奈緒は言い淀みそうになったヴィンセントの代わりに分かっていたように続けた。
「行く以外に選択肢は残っていないんでしょ」
「……だが」
「危険なのは分かるわよ。相手からしたら狙いやすいわけだもの。けど、だからってここで何もしないわけいかないじゃない。ただ問題なのは、私達全員で行くのか。それとも誰かが行くのかってことでしょう?」
肯定するようにヴィンセントは沈黙を選んだ。
いつもならば快活に応えるが、今のヴィンセントは酷く迷っているようだった。
薄暗い陰が背後にあった。地下へと続くあの階段のような、すでに埋まってしまった隠されていた部屋のようなものだった。
「……それ、なんだけど」
「真咲?」
意を決したように、真咲が口を開いた。
「あたしが行ったら駄目、かな……なんて」
誰とではなく、自分だけがと言った真咲に、控えていたカルロス達も驚きを隠せないでいた。
「真咲様。もうちょっと考えろって。そんな簡単に」
「簡単に考えていないわよ。大丈夫、すごく危険な事だって分かっているわ。けど、あたしから言ったことだし、それに……きっと、あたしが行かないといけないものだと思うのよ」
真咲は伊織の隣にいる空色の鳥へと視線を向けた。
「そうよね。ディーヴァ」
『そうね。だって導くことこそが役割だもの』
ディーヴァは止めることなく肯定した。止める理由なんて彼女達にないことぐらい、伊織は十分に理解したし、伊織自身もまた止めることは出来ないと思っていた。
「本気……なの?」
「ええ、本気よ。伊織なら分かるでしょ」
動揺を隠せない奈緒に、真咲は強く頷き、伊織を見つめた。
迷いが見えない美しい空色は、冬が訪れる前にずっと天上に広がっていた青空にそっくりだった。
「うん。分かるよ」
「止めないでくれる?」
「止めないっていうか、止めても無駄かも」
そこには空色の宝石があった。美しいダイヤモンドに似た輝きを放っている様は、まさしく固い決意そのものだった。
伊織の言葉に、奈緒はすぐに諦めてからヴィンセントに目を向けた。
「私も伊織がこう言ったぐらいだから止めないけども」
「……聖女がそう望んだ以上、俺が止められると思うか?」
危険と分かっていながら、やはりヴィンセントは止めることはしなかった。
だから今、おそらくいかに安全に巡礼が出来るようにと策を巡らせているのが見て取れた。何故分かるかと言えば、また腹痛に襲われているからだ。
「エドヴィン。すぐに編成を整えろ」
「承知いたしました」
それでも表に出さないように取り繕うヴィンセントはエドヴィンにたった一言だけ指示をする。当然エドヴィンは当然のように驚きもせずに受け入れ、恭しく胸元に手をあて返事を返した。
それから奈緒が何かを思い出したのか、すかさずにヴィンセントに問いかけた。
「その巡礼へ行く日だけども、いつぐらいになりそうなの?」
「準備等で早くても五日後だな。真咲、それで構わないか」
「大丈夫よ」
真咲は迷いなく頷いたが、その後小さくたぶん、という言葉が聞こえた気がした。
しっかりと聞こえていた奈緒はそんな真咲を安心させるように肩に触れて耳元で小さく何かを囁いた。真咲はぐっと顔をしかめた後、奈緒の膝を軽く叩いていた。
伊織はヴィンセント、そして真咲達のやり取りを見て、ふと自分を見つめた。
残り、少なくてももう五日しか残されていない。真咲はすでに強い覚悟を決めている。奈緒もまた、その残りの時間を聞いた後に何かを決めたように見えた。
皆が、昨日の出来事からさらに先へと進もうとしていた。
だというのに、自分は一体なにをしているのだろうか。
昨日もそうだった。ずっと見ているだけだった。いつもそうだった。見ていることしか分からなかった。見えすぎるからというよりも、今まで誰とも関わってこなかったから、なんて言えばいいのか分からなかった。この方法が一番良いと思っていたし、間違ってはいなかった。
けど何かしたくて、二人には言わないで行動し、確かに見つけ、しかし意固地になって未だに何があったのかはっきりとは伝えてはいない。
あれが重要なものだというのは明らかだった。
手の甲に、ひんやりとしたものが這った。
見下ろして見れば白蛇が伊織が無意識に握りしめていた手の上に身を寄せていたのが見えた。
美しい黄金の瞳が、伊織の黄金の瞳を映す。
その瞳は伊織に問うていた。
本当にそれで良いのか、と。
伊織はすぐにそれを否定した。このままではいけない、と思った。
「あ、の……その」
「どうしたの、伊織」
「何よ。そんな顔して」
奈緒と真咲が言い淀みそうになった伊織に、心配そうに声をかけてくれた。
尻込みそうになった伊織は無意識にヴィンセントに助けを求めるように視線を向けそうになるも、ヴィンセントはわざと視線をそらしていた。しかも口元にはしっかりと笑みを浮かべて。
ああ、これは伊織が何を言おうとしているのか分かっての行動であると、しっかりと理解してしまった。
「……その。祈りの間のこと、なんだけど」
「あら。もしかして話す気になったの?」
「……うん」
「話、長くなりそう?」
「ううん、短いというか……お願いっていうか。一緒に、祈りの間に来て欲しいの。うまく説明が出来ないから、たぶん一緒に来てもらった方が早いの」
「そう。それって真咲もよね」
「うん、もちろん。ただ夜になるんだけど」
視界の端でカルロスがクラウスにそっと近づき、会話をしている。またオリヴィア、イーサンもアイヴィの傍らに立って、それぞれ聞き取れない程度の会話をし始めている。
一体どういうことか、と聞いているのだろう。だが、二人は伊織の意向をしっかりと守り、口は閉ざしたままだ。
「だから、あの。ヴィンセント」
「ああ、構わない。そういうことだ、お前達。説明はその時に話す。以上だ」
ヴィンセントが強制的に話を終わらせる中、真咲がこそっと伊織に問いかけた。
「ね、伊織」
「何?」
「……ゆ、幽霊がいるって」
「大丈夫! 見てくるだけだし、助けてくれるから!」
真咲は無言でぐっと顔を強くしかめた。
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そうして夜。
すっかり白に囲まれた中庭に集まった面々の中で、伊織が木々の影に視線を向けていた。
「おい、伊織。何を見ているんだ」
「幽霊達だよ? 奈緒と真咲もいるからなんだか集まってるみたい」
「……ちなみに聞くが、見え方は変わったのか」
「うん! 虫が嫌だったみたいだから、白っぽいふわふわのまぁるい感じになった」
「……まぁ、まだマシか」
伊織が笑顔で答えれば、ヴィンセントは呆れたように額を押さえていた。
「ディーヴァ……! お願いだから離れないで!」
『離れないわよ。っていうか、見てくるだけなんだから怖くないって言ったでしょ?』
「それでもよ……!」
真咲が空色の鳥を腕に抱えている横で、奈緒は落ち着きながら周囲を見渡していた。
「……本当に見えるのね。オリヴィアは平気なのね」
「ええ、もちろん。見えない、触れてこないのなら、アンデッドとか他のそういった魔物の方が厄介なんで恐れることはありませんし」
「心強いわ。ほら、レオナ。オリヴィアの隣にいなさいよ」
「す、すみません……っ」
全く恐れている様子が見えないオリヴィアが快く、怯えているレオナの手を笑顔で握りしめた。
各々、幽霊がここにいるという伊織の発言に様々な反応を見せる中、エドヴィンは祈りの間の扉を開け、ゆっくりと開いた。
「どうぞ、中へ」
「行くぞ、お前達」
さっさと中へ足を踏み入れるヴィンセントの後を、伊織は慌てて追いかけて中に入る。少し慣れたがまだ残っている違和感にいつも顔をしかめてしまう伊織は、あ、と慌てて二人に振り返った。
真咲、奈緒ももうすでに中へと足をすでに踏み入れ、そしてそろって顔を見合わせて、伊織を見た。
「何ここ」
「……伊織。これって」
「……うん」
真咲も奈緒も、伊織と同じように違和感を覚えたようだった。
少しだけ及び腰になった二人が恐る恐る足を進める。
「真咲様……? どうしたんだよ」
「……なんか、ここ。嫌な感じがするのよ。よく分かんないけど」
一気に様子が変わった真咲に、カルロスが問う。真咲はその違和感を答え、伊織は内心少しだけ驚いた。
違和感、というよりも真咲はどこか嫌悪感に似たものを感じていたらしい。奈緒は真咲の言い方に小さく首を傾げた。
「嫌な感じね……。私はなんて言えばいいのか分からないけど……。そうね、何故か分からないけど、すごく悲観的になりそうだわ。伊織はどうなの?」
「……違和感、なんだけど。すごく、ぐちゃぐちゃしてくる。私が、私じゃない感じ」
何度も祈りの間で祈りを捧げた。その度に感じる違和感は、知らない感情が沸き上がってくるようなものだった。
「けど分かるわよ。ここ、何かあるわね」
「そうね。で、伊織はそれを見つけたっていうこと、よね?」
「……たぶん」
ただ共通して、二人ともここに何かがあるというのを感覚的に分かっていた。
伊織は曖昧に答えるぐらいしか出来なかった。何せ、あの壁画はこの違和感の正体ではないのだから。
ヴィンセントが何か言いたげに伊織を見ているが、何も言わずにエドヴィンに視線で指示し、青い絨毯をどかさせた。
その下に隠されていたモザイクタイルで作られた蒼い星に知らなかった面々がざわつく中、伊織はその傍らに立ち、そして首に巻き付いているヨルに泣きついた。
「ど、どうやるんだっけ」
『ええ、大丈夫。覚えていますから』
たった一回で開け方を覚えていられるほど、伊織は記憶力が良い方ではない。ヴィンセントが無言で呆れているのが見え、無意識に伊織は頬を膨らました。
「伊織、これ何? 何するの?」
「今から開けるの。けど開け方、忘れちゃったからヨルに教えてもらおうと思って」
「へぇ……。けど勿体ないわね。綺麗な雪の結晶の模様なのに」
真咲が何気なく、これを星ではなく雪の結晶だと言った。
確かに見ようによってはそのようにも見えた。
蒼という色だから余計に雪に近しいものだった。雪の結晶は六角形で、確かに星に見えるような形も存在していたような気がしたのを伊織は思い出す。
「え、違うの?」
「分かんない。私は星だなぁって思ってたから」
「う……確かにそうかも。ごめん、間違えたわ」
謝る真咲に大丈夫だと伊織は笑顔を見せるが、なんとなくもう一度そのモザイクタイルで作られた蒼い星を見下ろし、なんとなく真咲の隣に移動して足を止めた。
「……あれ?」
「どうした、伊織」
ヴィンセントが問う中、伊織は背後から降り注ぐステンドグラスからに光を見て、もう一度足元の蒼い星を見下ろした。
「雪だ」
「……どういうことだ?」
「ここから見ると、雪の結晶が見えるの。ほら」
伊織はヴィンセントをさらに隣に立たせてやれば、黄金の瞳が丸くなった。
一見すればモザイクタイルで作られた蒼い星。しかしステンドグラスの淡い月明りとその配置、さらには蒼のタイルの表面の凹凸により、雪の大きな結晶が姿を現していたのだ。
「……ああ、これは。うまく出来ているな」
「ど、どういうこと? 私にも見せて」
奈緒がさらにそこに加わって同じよう見て、納得したように声を上げた。
「これ、すごいわね。見る角度と……後は光の当たり方? それで雪の結晶が浮かんで見えるのね」
「そのようだな」
ヴィンセントが言いながら手元に光の球体を出現させれば、強すぎる光のせいで凹凸の影が消え去り、ただの蒼い星へと姿を消した。
絨毯のおかげで今まで誰も気が付かず、無くても強すぎる光では見えない隠された雪の結晶。伊織は真咲の手を握った。
「すごい! 真咲がいなかったら全然見つけられなかった!」
「そ、そう?」
「うん!」
偶然に見つけられたようなものだが、しかし真咲がいなかったら見つけられなかったのは間違いなかった。
真咲は何故か喜ぶのを耐えているが、それでも内心跳ねるように喜んでいるのを伊織には丸わかりだった。
「雪、か……。となると、これはユフィアータに関連しているものだったのか。しかし……いや、まずは……伊織。さっさと開けろ。いや、俺が開けるか」
「私がやるから大丈夫!」
「覚えていないんだろう」
「ヨルに教えてもらうから!」
ヴィンセントが開けようと身をかがめる前に伊織が慌てて止めて、その場にしゃがみこんだ。
ヨルが耳元で小さく笑ったのが聞こえ、伊織はその小さな頭をちょいちょいと突いた。
ヨルの指示通りに蒼い星。もとい、青い雪の結晶の枠を順番に動かせば、前回と同じように地下へと続く螺旋階段が姿を現した。
そしてヴィンセントが先頭になって進もうとしたのをさすがに抑え、エドヴィンが先頭になって伊織達は地下へと降りて足元に注意を払いながら降りて行く。
二度目ということもあり、伊織はゆっくりと周囲を見渡しながら進んでいけば、周囲には何かしらのものがあるのに気づいた。
それは幽霊であったり、また別の何かであったり、おそらくは魔術であったり。
しかし今ここで行ってしまえば、相当の騒ぎになるのは間違いないため今は黙っておくことにした。
そうこうしているうちに、あっという間に暗闇が満ちる空間へと着く。
一体ここはどこか、と伊織の後ろにいる奈緒や真咲が身を寄せてくる間に、エドヴィンが近くにある魔具の装置に触れ、一気に空間を照らした。
「ええ? な、何あれ……何あれ!」
『ちょっと落ち着きなさいよ、真咲』
「これは……だいぶ、古いものね。あれってアルカポルス、よね? そうよね、メル」
『ええ、そうねぇ……。ああ、これがあっただなんて、今思い出したわぁ』
騒ぐ真咲に対し、ディーヴァが翼を羽ばたかせて落ち着かせようとするも、ディーヴァもまた騒いでいるようにしか見えなかった。
対して奈緒は唖然と、この場に初めて来た騎士達や侍女達と同じように見上げているだけだった。
「さて、伊織。何も真咲が巡礼に行ってしまうからという理由だけで、この場を話したわけではないんだろう?」
「……うん」
周囲がざわめく中、わざとらしく声を張りながら問いかけるヴィンセントに、伊織は小さく頷いた。
「ここに何かがあるの」
「この壁画ではなく、か」
「そう。だからその……二人に、一緒に、探してほしいと思って」
本当は一人で探そうと思っていた。もちろん、クレア達とではあるが奈緒や真咲の手を借りずとも探しきりたかった。
けどもそれではいつまで経っても終わらないような気がしたし、真咲が巡礼の為にここから離れる前に見つけることが出来るとは思えなかった。
だから意固地になるのを止めて、二人に協力してもらうことにした。
ちょっと情けない結果になったし、二人にはまだ言えないだなんてかっこつけちゃったりして恥ずかしいことをしてしまっていた。けども二人が迷わずに周囲の手を借りて進んでいる姿を見て、なんだか馬鹿らしくなったのだ。
なんでまた一人になろうとしているんだろうか、と。
伊織は二人を見る。奈緒と真咲は互いに視線を合わせ、同時に頷いていた。
「当たり前でしょ、伊織。それにしてもすごいわね、ここを見つけたなんて」
「宝探しってことよね。そういうの大好きよ」
奈緒はやはり褒めてくれ、真咲はむしろ楽しそうに笑った。
分かっていた。二人がこうして反応をしてくれることぐらい。
だから、と伊織は決めた。
次は二人に頼ってもらえるぐらいになってやる、と。
広い空間には何一つ調度品のようなものは置かれていない。それどころか彫像というものはない。
壁画以外にあるものとすれば、アルカポルスの隣の壁画が崩れてしまい、山になっている瓦礫ぐらいだ。
「なぁ、イーサン。これって元に戻せると思うか?」
「思えないし、古すぎる。たぶんやっている途中でまた崩れる」
「だよなぁ」
瓦礫の前にいるカルロスとイーサンが何やら話をしていると、後ろからアイヴィとギルバートが集まってきていたのが見えた。
「この瓦礫の中に隠されている、とかはありそうよね」
「それはあり得そうだけど……なかなかに重労働になりそうだし、聖女様方の様子を見る限り、どうも違うご様子だよ」
アイヴィの言葉通り、確かに何かを隠すためにわざと崩して埋めたという考えは出来る。だがギルバートの言う通り、あの中に無いことを伊織達は何となくだが分かっていた。
違和感は別の場所にあった。
伊織は壁画が書かれている壁に汚れることもいとわずに指先で軽く触れながら首をかしげる。
「……うーん……」
「何かありそうか」
「……たぶん? けど……」
隣に立ったヴィンセントに視線を向けず、伊織は壁画を見上げた。
一番はやはりこの壁画から感じていた。
しかし強すぎる違和感と、ぐちゃぐちゃになる不愉快な感情のせいでどこからというのは全くもって分からないままだった。
『伊織、無理はなさらないように』
「……がんばるね!」
無言で呆れるヴィンセントとヨルに笑って誤魔化しながら、湧き上がる不愉快を押し込める。
同じように真咲と奈緒も壁画の前に立って見上げたり、下を見たりと探している。
二人に頼んでおいて自分だけ休むだなんていう甘ったれたことなんて出来るはずが無かった。
伊織は数歩だけ壁画から離れて、そこから全体を見渡す。
白い雪が積もった大地が中央に近づくにつれて草木が芽吹き、アルカポルスの足元には花々が咲いている。白い衣に身を纏い、白銀の足元まで届きそうな髪と赤い瞳を持ったアルカポルスは左側へと顔を向けている。アルカポルスの頭上には星空が広がっている。
「……何のために、これって描かれたんだろ」
『後世へ残す為なのだろうと思います。絵とは、そういった役割があるそうですよ』
「そうなんだ」
もう少し全体的に見ようと思い、もっと遠ざかろうとしてふと、あの明かりをつけるための魔具に目が入った。
全くそこから違和感というものはない。だがずいぶんと複雑な色合いを放っており、たかが明かりをつけるにはずいぶんと手が加えられているものだった。
なんとなくだが伊織は歩みより、触れないようにじっくりと見る。
読めない文字を刻まれた黄金で作られた台座。文字は床まで広がり、途中で途切れている。だが、ふとそこの床板だけ何かがいるような気がした。
「今度はそれか。何が見える」
「えっと、この文字、なんだろうなぁって」
「……文字?」
ヴィンセントが小さく首を傾げた。どうやらこれは伊織の目だからこそ見えていたものらしい。
「どのように見えている」
「えっと、この魔鉱石の周りによく分かんない文字がぐるって刻まれてて、そこからずっと床に続いてて……、ここまで書いてある」
書いてある場所まで移動し、ぴたりとその場所まで伊織は止まり振り返った。
ヴィンセントは口元に手を当て深く思考をしつつ、先ほどの伊織と同様に台座をじっくりと見やった。
「……明かりを灯すだけ、にしては……確かにこれは不自然だ。しかも上ではなく、下に……?」
天井に輝いている明かりだけであれば普段大神殿でよく見かける小さなもので十分だ。そうでなくても古い技術と考えればおかしくはない大きさなのかもしれないが、よく分からない文字はそれならば上でなければいけない。
ヴィンセントの疑問はもっともなものだった。
伊織はまた台座の近くまで歩みより、正面から右側へと回ってみて、おかしなくぼみがあることに気づいた。それはまるで、いかにもここに何かを嵌めてくれ、と言わんばかりのもの。
それを見つけた瞬間、伊織は目を大きく見開いた。
「ああ、これ!」
「どうした、いきなり大声を出して」
「これ、これ! 見てよ、ヴィンセント!」
伊織はその存在を思い出し、ヴィンセントを呼びながらずっと仕舞いっぱなしにしていたそれをポケットから取り出した。
「ほら、これ!」
「それは……。ああ、そういうことか」
取り出したのは、あの書庫へと続く途中の秘密の小部屋で見つけた黄金の置物のようなものだった。
変な凹凸が特徴的で、それでいて台座のへこみの大きさとほとんど同じだった。
伊織の大きな声に慌ててアイヴィやクラウス、クレアはもちろん、奈緒達も集まってきていた。
「ちょっと伊織、どうしたのよ。何か見つけたの?」
「うん! これね、えーっと……いろいろあって見つけたやつなんだけど」
「そのいろいろについては後で聞くわ。それで、それがどうしたのよ」
今詳しくこれについて説明する暇はないし、真咲もそれを分かっているおかげで続きをすぐに促してくれた。
「これね、ここにぴったりはまりそうなの」
「……ねぇ、それ。嵌めたら何か起きる奴よね。絶対」
「たぶん、そうだと思う。だから嵌めようと思ってるんだけど」
「ちょっとは躊躇しなさいよ」
一切迷いのない伊織に、真咲は何故か引いていた。
さすがにそんな反応をされるとは思わず、伊織は首を傾げつつ不安げな視線を向けてくる奈緒に視線を向けた。
「どうしたの、奈緒」
「……だ、大丈夫……なのよね。それ」
「どうだろ?」
「ど、どうだろ……?」
何かが起きるのは分かっている。しかしそれがどうなるかは分からなかった。何せ書いてある文字が読めないからだ。
「何か起きるのは分かるよ。私しか見えてないみたいなんだけど、文字みたいなのが書いてあってね。それが……あ、えーっとカルロスさん。もうちょっと後ろ下がって……そこ。そのあたりまで続いているの」
「カルロスは呼び捨てで良いわよ。よし、今嵌めて」
「待てって! 俺がいるだろ!」
意地悪なことを言う真咲に、慌ててカルロスが戻ってくる。それを確認してから、伊織は誰も止めないことを確認し、では、とくぼみにはめ込んだ。
黄金の小さなそれはまた外せるようにだろう、指で掴めるくらいの幅を残して止まり、かちりという音が聞こえた。
一瞬の静寂。
そののち、台座の上に置かれていた魔鉱石の水晶が銀に輝いた。
文字のように見えていたそれらが動きだす。くるりくるりと姿を変え、ようやくそれを読むことが出来た。
「……まもりし、もの……?」
読めたのはそれだけで、文字は途切れていた場所へと瞬く間に吸い込まていく。そして、突如としてそこが大きく盛り上がった。
エドヴィン、そしてクラウス達が瞬時に一番前へと出て臨戦態勢になる。アイヴィ達はその後方で手元に魔術を展開する為に魔力を練り、伊織達を後ろへと下がらせる。
その間にも床はさらにどんどんと二つが大きく盛り上がり、その姿を見せた。
「ゴーレムか……!」
ヴィンセントがその名を呼ぶ。
目の前に現れのは二体の白い石のゴーレムだった。太い手足に対して小さな頭というこの状況でなければ、どこか可愛らしいとぼんやりと思えたが、今はそんなこと思えるはずがなかった。
何か間違えたのか。しかし、それならば何故、彼らは伊織にあの黄金の欠片を渡したのか。
ぐっと伊織は唇を強く引き締める。
首から伝わるヨルのうろこの感触のおかげで少しだけ心が落ち着いた。
低い地鳴りのような音と共に動き、一歩、ゴーレムが前へと進んだ。
小さな悲鳴がいくつも聞こえた。ヴィンセントが伊織の前に出た。その間も、伊織は目の前の二体のゴーレムから視線を外さぬに見て、見て、その一点を見つめた。
それは小さな頭にはめられた石の目だ。片方のゴーレムは金、そしてもう片方は銀の瞳を持っていて、何とも見慣れた輝きだったことに、伊織はようやく気付けた。
「大丈夫。敵じゃないよ」
「……本当か、伊織」
「うん」
半信半疑のヴィンセントに、伊織は大きく頷いた。
「リディアータと、ユフィアータの眷属、だよね。ヨル」
『ええ、そうです。ああ、いけない。彼らのことを忘れてしまっていただなんて……私は一体、なんてことを』
伊織が嘆くヨルを宥めるように頭を指先で撫でながら、改めてゴーレム達を見上げた。
「教えて。守っているものを」
素直に聞いてくれるか分からなかった。
しかしゴーレム達は伊織の声に反応を示し、巨体をゆっくりと動かしながら壁画へと向いた。
騎士達は少し遅れて臨戦態勢を解いたが警戒までは解いていなかった。
「い、伊織……」
「大丈夫だよ、真咲。行こ。奈緒も」
「……そうね」
不安げな顔を見せる真咲の手を握り、奈緒を呼び掛ける。奈緒は隠し切れない不安の色を見せながらも、素直に頷いた。




