07 隠された階段
三日月だった月が、段々と丸みを帯びていっている。後どれくらいで満月になるだろうかと何気なく見上げながら中庭に足を踏み入れた。
「転ぶぞ」
「大丈夫! それより本当に大丈夫なの? だって忙しいのに」
「ああ、忙しすぎて嫌になるからこういう事をしても良いはずだ。それに今は有事だ。だからこちらを優先にするのは当然だろう?」
もっともらしいことを言ってのけるヴィンセントの後ろから大きなため息が聞こえてきた。
「という理由を作って、ご自身も楽しまれていますよね?」
「当たり前だろ、エドヴィン。何せこの大神殿に隠されているかもしれない何かが出てくるのかもしれないんだぞ? 楽しまなくてどうする?」
「有事と、ご自身で今おっしゃいましたよね」
「ああ、言った。だからさっさと見つけるぞ」
エドヴィンは片手で頭を抱えたがすぐに顔を上げ、ぐっと顔を引き締めた。目の前のことに集中したのかと見てみれば、クラウスからの視線が気になってしまって仕方がないようだった。
そんなエドヴィンの内情を理解してか、ヴィンセントは小さく肩を揺らし、誤魔化すように視線を中庭に向けた。
「そういえばここ数年、こうしてゆっくりと中庭を見ることは無くなったな」
「前はよく来てたの?」
「時折な。まだ俺が大神官になる前のことだ」
懐かしむようにヴィンセントは琥珀を細め、中庭に植えられている木々や草花を見る。最初に落ちてきた時よりも冷たくなった風が通り過ぎ、小さく揺れていた。
『あら』
祈りの間へと足を踏み入れる前、ヨルが何かに気づいたように声を零した。
「どうしたの? ヨル」
『伊織、あちらを見てもらっても?』
「え、うん。分かった」
器用に細長い尾で先を示したヨルに言われた通り、伊織は草木が生い茂っている箇所へと視線を向けた。
数度の瞬きの後、伊織はそれを見た。
『見えました?』
「……ヨル。あの、あれって……」
近頃、意外にも大神殿のあちらこちらで見かけるようになった視界の端で蠢いているものではない。
ましてや伊織やヨル以外が見えておらず、気づいていないのだから魔術の類でもない。
ただ、見えた瞬間に理解した。あれが、そうなのだと。
「おい、伊織。一体何が見えてる」
『私の一部。もしくは眷属と言えば良いのでしょうか。ああ、こんなところにいたのですね』
ヴィンセントの問いをヨルが代わりに答えた。
伊織はその間にその場にしゃがみ込めば、それがようやく全身の姿を見せてくれた。
それは一見すれば小さな野鼠だった。しかしよくよく見ればわずかに光を薄らとまとっており、瞳は野鼠にはきっと見ないであろう黄金の色を持っていた。
蛇の姿であるヨルに対して怯える様子は一切見せずに伊織の足元をぐるぐると周り、身体全体で嬉しさを表していた。
姿を現してくれたおかげで、ヴィンセント達の目にもはっきりと姿が見えているらしく、同じように視線は走り回る野鼠を追っていた。
「こんな近くにいたなんて……」
『ええ、そうです。この建物のどこかにいるのは知っていたのですが……。まさか、この姿のせいで? あら、違うのですか? ああ……その姿だと、人間達に追い払われるから、致し方がなくここに。しかしこうして会えたのですから今は喜ばなくては』
伊織の耳に野鼠の声は聞こえないが、ヨルは分かるらしい。自身の眷属だからなのか、それならちょっとぐらい聞こえてきても良いのに、なんて伊織は少しばかり羨ましく思ってしまった。
「ね、ヨルの眷属って、この子だけなの?」
『いえ。他にも複数いるみたいです。もちろん、他の眷属達も』
「けど、それならなんでこの子以外姿を見せてくれないの……?」
『……それぞれ理由があるのだと思いたいですね。この子のように』
伊織は見上げる野鼠に手を差し伸べてやれば、躊躇なく手に乗り、あっという間に肩へと登ってきた。
そこで何を話しているのか、小さなヨルの相槌が数度聞こえた。
『伊織。あの階段でのことを覚えていますか?』
「階段って……あの、崩れた部屋のこと?」
『ええ。どうも案内をしていただけるようですよ。この子を通して、ですが』
ちゅう、と耳元でようやく野鼠の声が聞こえた。意味は分からないが、おそらくは任せろと言っているような気がした。
それよりもヨルの言い方に伊織はもしや、と気づいた。
「……あれ、もしかしているの? 幽霊」
『いえ、別の方みたいですが、お仲間のようです』
「そっかぁ。だから大きさが違ったんだ」
視界の端で蠢く黒いそれは複数いる。どれも姿形が異なっているが、何故か真正面から見ようとするとすぐに逃げられてしまう。
もしかしたら、そういうふうにしか見えないのかと伊織は少しばかり面白さを覚えた。
「……霊か。伊織、どの程度見えるんだ?」
「黒い塊みたいなのが、端っこでわさわさしてる」
「……霊、なんだよな?」
「たぶん私の想像力のせい! 幽霊よりも虫の方が良いもん」
「それと一緒にしてやるな」
全うな意見をヴィンセントから言われてしまった。さらに蠢くそれらは今の話を聞いてか、少しだけ動きが小さくなったので、そのうちに見え方を変えようと伊織は考えた。
『伊織。さっそくですが、中へ行きましょう』
「うん」
ヨルは何も言わなかったが、声の調子から若干の呆れが滲んでいた。ちょっとだけその呆れが怖いなと思ってしまった伊織はそのうちではなく、すぐに変えようと心に決めた。
中に入ればやはり変な違和感が全身を包み込もうとしていた。一体何があるのか分からず、つい足が止まりそうになる。
「伊織様……」
「うん、大丈夫」
クレアに精一杯の笑顔を向けるが、どこか歪な事を伊織は自覚していた。
それでも足を止めずにいられたのは、耳元で鳴く野鼠のおかげだろう。ちょっとだけ騒がしい気もするが、何か必死に語りかけてくれるようだった。
『伊織、どうやらこの下にあるようです』
「そ、そうなの……?」
『そこの絨毯をどかしていただいてもよろしいですか?』
ちょうど祈りの間の中央あたりに位置する場所だ。
ヴィンセントは答える代わりに、エドヴィンに視線を向けた。エドヴィンは分かっているように長い絨毯の途中を持ち、横へと大きく軽々とずらした。
ずらしたことによりその下に隠されていたものを目にした伊織は黄金の瞳を丸くした。
「……星?」
「ああ、そうだ」
白い石畳の中、そこには美しい蒼の六つ星を模したタイルがはめられていた。
細かに砕かれた様々な蒼い色の小さなタイルが精密に合わさったものは、確かモザイクタイルと呼ばれるようなものだ。その為どこか歪にも見えるが、それでも美しいと言わざるえないものだった。
「紅星の間はここを模して作られている。あちらはちょうど頂点に紅き星のステンドグラスを嵌めているが、こちらはこのように床に蒼き星が嵌められている」
「へぇ。けど、なんでこんなに綺麗なのに隠してるの?」
「美しいからと、はがしては持ち帰る馬鹿共が多かったらしい。だからこうして絨毯で覆い隠し、ここの管理を任されている者以外は口外しないようにしたそうだ。それこそ王族がこの地へ来た時、あまりにも美しいからとこれを全てはがしたとか。そいつが最終的にどうなったかまでは記録が残っていなかったのが残念で仕方がない」
「うわぁ……」
なんて罰当たりなのだろうか。
伊織はもちろん、ヴィンセントとエドヴィン以外の誰もが絶句をした。わざわざはがさずとも、真似て作れば良いだけの話だと言うのにわざわざはがすという暴挙が信じられなかった。
予想通りの反応だっただろうヴィンセントは一つ頷き、伊織の首にいるヨルに視線を向けた。
「それでヨル、ここからどうすれば良い」
『はい。その星の縁のタイルに細工がされているとのことです』
「ほぉ、なるほど」
大きな蒼の六つ星を丸く囲っている同色の蒼タイルをよく見ようとヴィンセントが床に片膝をつく。少し遅れて伊織もその場にしゃがみ、くるりと視線で縁をなぞった。
「あ、ヴィンセント。その右手の、うん。それ」
「これか?」
『ええ、それです。それを三度、叩いてください。そして次に……あら、縁が回るそうです。ええ、止まるまで。止まったら……伊織、左手側の……はい、それです。それを五度、叩いてください』
ヨルを通して教えてくれる野鼠の言う通り、ヴィンセントが指示されたタイルを指先で三度叩いた後に時計回りに縁を動かした後、伊織が今度は五度、指先で叩いた。
『最後に二つ隣の、いえ逆です。ええ、そこを強く押し込んでください』
「えいっ」
ヨルの指示の通り、五度指先で叩いた箇所を躊躇なく上から押し込むと、案外軽い感触で大きく凹んだ。続いてカチリ、と小さな音が床から響く。
一体何がどうなるのかと伊織が呆気に取られていると、中央の星が僅かにこすれる音と共に下へと吸い込まれていったのが見えた。
驚き固まる伊織を慌ててヴィンセントが立ち上がらせ、蒼の六つ星から大きく後ろへ下がらされた。
地響き程ではないが低く響くこすれる音と共に中央に空間がだんだんと広がり、しばらくしてようやく音が止んだ。
「……こ、これって」
伊織がそれを目の前にし、茫然と見つめる。
美しい蒼の六つ星はすっかり消え、代わりに地下へと続く螺旋階段が姿を現した。下る階段の先は暗闇に満ちて、何があるのか到底分かりはしない。
これはどうするべきか、この先へと行った方が良いのだろうか。
感じる違和感は確かにこの先にあることを伊織は分かった。けれどもどうしてかやはり足はすくんだように動こうとはせず、全身から冷や汗が伝い落ちてくるような嫌な感覚があった。
『ああ、ここなのですね』
「ヨ、ヨル……?」
あまりにもこの場から逃げ去りたいような気持に支配されそうになったが、湧き上がるヨルから伝わる高揚感によって伊織はすぐに意識を目の前の光景から逸らすことが出来た。
代わりに落ち着かずに首に巻き付いている体をうねるように動かし続けるヨルに、別の恐怖を感じた。
『とても、とても懐かしい場所。ああ、私はそこを知っている。だというのに何故思い出せないのでしょう……? 人間が忘れてしまったから……? ええ、きっと、そう。しかし、何故……? けどこれは……』
「ヨル!」
伊織は躊躇なくヨルの体を両手でぐっと掴み、声を張って呼びかけた。
細長い白い鱗に覆われた体はぴたりと動きを止め、しゅるり、と細い舌をのぞかせたヨルはようやく伊織へと顔を向けた。
『……すみません、伊織』
「ヨルはこれ、知ってるの?」
『知っている……はずです。ですが、私は覚えていないのです。この先に何があるのか』
「……ここの人達が、忘れちゃったから?」
『ええ。しかし……何故でしょう。そうしなければいけないものが、あった気がするのです』
「……行くの、止めた方が良い?」
本当は行きたくはない。逃げてしまいたい。けれどもヨルの様子を見るに、行かなければならないのは明白だった。それでも、もし、ヨルが駄目だというのなら諦めようとほんの少しの期待を込めた。
ヨルはもちろん伊織の考えはお見通しだろう。ヨルはまた細長い舌をしゅるりと出し、ふるりと細い尾を揺らした。
『いえ、いえ。伊織。私達に、そのような時間は残されてはいません。ほら、静がおっしゃっていたでしょう? なるようにしかならない、なんて』
「愛娘がそんなこと言っていいの?」
『ふふっ、そうですね。けど、人間らしいと思いませんか?』
「うん、そうだね」
もう見なかったこと、知らなかったことには出来ない。残された時間は後どれだけあるのかも分からない。今はひたすらに進むしかない。
静がこの場にいれば、躊躇なく飛び込もうとしてルイス達に逆に止められそうになっている姿が目に浮かんだ。そしてそんな静の姿を見て、逃げたいという気持ちは消え、無茶をしようとする静の代わりに自分が行くと言っていたかもしれないと伊織は思う。
伊織はヨルをまた首に巻き付かせ、今の騒ぎで服の隙間に入り込んでしまった野鼠がまた肩に乗るのを待ってからヴィンセントに振り返った。
「あの、ヴィンセント」
「ああ、付き合うぞ。こんな面白そうなことを逃すはずがない。エドヴィン、文句はないな?」
「……ええ、ありませんとも。少々お待ちを。鍵と魔術による結界を施してきます」
この場に誰もいなくなることを見越して、侵入してこないようにするのだろう。エドヴィンが動くと、クラウスとアイヴィも続いて動き始めた。
「クレアは、その……」
「もちろん、置いて行くなんてことはしませんよね?」
「……けど、一人じゃ」
「幽霊が一緒だからとおっしゃらないでください! 泣いちゃいますよ!」
ほぼ半泣き状態なクレアに、伊織は余計な事を言わないように口を閉じた。しかし視界の端にいるそれらをつい視線で追ってしまい、クレアをさらに怖がらせてしまったのは言うまでもない。
姿を現した螺旋階段はずいぶんと地下深くまで続いているようだった。
あの地下の書庫へと続く階段よりも幅は比べてずいぶんと狭い。また、壁には一見すればタイルのようなものが一定間隔を開けて壁に埋め込まれていた。伊織が触れたが何も起こらなかったが、ヴィンセントが触れればぽうっと、柔らかい明かりを放ち始めたことから、ずいぶんと古い魔具であると判明した。
その魔具を順番に灯しながらゆっくりと下っていけば、真っ暗な空間の底にたどり着いた。
靴音等の反響から、だいぶ広い空間であるのは肌感覚で分かった。どこかに明かりを灯せる魔具があるはずと、伊織はぐるりと漆黒の空間を見渡した。
「あそこ、何かある、かも?」
「あちらですね」
ぼんやりと暗闇の中でも浮かんで見えたほのかな光を指す。アイヴィは一つ頷き、手元の光を注意深くそちらに向ければ、台座にちょうど握り拳大程の蒼い鉱石が置かれていた。
「これは……」
「おそらく、魔鉱石の原石を使った魔具じゃないか?」
後ろから様子を見ていたクラウスがアイヴィに並び、より広範囲を照らす光を灯す。
台座、そして床に連なって何かが描かれている。模様のような、しかし文字のようにも見えたが伊織でさえ、それは読めなかった。
「こういう物もあるのね。ってことは触れれば良いってことよね」
「だろうな」
アイヴィは独り言のように、問うようにクラウスに話しながら、蒼い鉱石に触れた。
途端、空間に白い光が満ちた。
どうやら天井に発光する魔具がつけられていたのだろうが、先ほどまで暗闇に満ちていた空間にいたせいか、想像していたよりも眩しい光が降り注いできた。
「チッ……、眩しいな」
あまりの眩しさに思わず目を覆っていた伊織の耳にヴィンセントの悪態が届いたが、次に聞こえたのはずいぶんと乾いた笑い声だった。
「……ははっ……、こんなものが地下にあるとはな」
こんなもの、とは何なのか。
ようやく光に慣れた伊織はヴィンセントの視線の先にあるものを追い、黄金の瞳をこれでもかと丸く見開いた。
「……え……?」
空間はとても大きな四角い場所で、そして真正面には一面に壁画が描かれていた。
床に近い場所は全体的に白く、その上には草木や動植物が描かれていたから、これは大地だと分かった。そして天井近くは夜空を模しているのか紺色と点で星が描かれていた。
中央部だが、長い年月のせいか左側が大きく崩落してしまって何があったのか判別が出来ないが、右側には彫像の姿でしか会えなかった天の神、アルカポルスの姿が大きく描かれていた。
彫像よりも少しばかりふくよかさがあるが、紅い瞳を細めてより柔らかな微笑みをたたえながら、顔は崩落してしまった左側を向いていた。
白い衣服を身にまとい、大地に着くほどの長い銀の髪をなびかせる姿は、リディアータによく似ていた。
目の前の壁画を呆然と見上げていた伊織は、ようやく周囲が静まりかえっていることに気づき、見渡してすぐにその理由が分かった。
ヴィンセントはもちろん、伊織以外の誰もが目の前の壁画に向かって膝を折り、一心に祈りを捧げていた。
伊織は祈りの邪魔にならないように音をなるべく立てないよう慎重に入ってきた出入り口まで下がり、小さな声でヨルに話かけた。
「ヨル。あの隣のって……」
『……分かりません。知っている、はずなのですが』
崩落してしまった壁画の下には、ただの瓦礫が山となっている。一つ一つが大きいもので、簡単にパズルのようにつなぎ合わせることは不可能だろう。
『この子も、何かを忘れてしまっているようです』
「……そっか」
ちゅう、と野鼠が小さく鳴いた。
伊織は大丈夫だと言うように、その小さな頭を指先で撫でた。
違和感はこれではない。しかし、ここにある。
全身に感じる嫌なもののせいで神聖な場所であるはずなのに、ちっとも心が澄むような感覚にはなれないでいた。
一体ここに何があるのか。何が隠されているのか。開けてはいけない何かがあることは理解出来た。
まるでここはパンドラの箱そのものだった。
けれども、その中に真実と静を救う手段、そして帰る為の方法があるのだとすれば開けなければならない。
伊織は目の前の壁画を睨み上げるように黄金の瞳を細め、口元を強く結んだ。




