04 はじめての探検
ヴィンセントに言った手前、何とか頑張ろうと意気込んだはいいものの、早々に伊織は根をあげたくなった。
「はい!」
「……何でしょうか、伊織様」
「休憩したいです!」
「先ほども休憩をなさいましたよね?」
「探検したいです!」
「そう言って昨日は戻られなかったと記憶していますが」
クラウスは片手に持っていた分厚い本をパタンと音をたてながら閉じ、小さく息をついた。
「……確かに、魔術についての基礎知識もない伊織様にとっては少々難しい内容ではあることは承知していますが」
「なんていうか、すっごくこう……仕組みっていうのかな。それがいまいちよく分かんない」
「魔力をお持ちではないからなおの事、これについては説明が難しいところではあるのですが……」
仕組みとしてなんとなくだが理解はしている。
内にある魔力を用い、外の魔力でより強化して使う、と。その為には特定の言葉や物を触媒として特定の魔術を使う。上級者となればこれらの触媒は不要とのことだ。
頭では本当になんとなくではあったが理解はできる。とはいえ魔力を元から持っていないのだからこれ以上理解出来るかと問われればそれまでだった。
「難しいよぉ……ヨル」
『私も、役立てれば良かったのですが……魔術に関しては私達もよく分からないもので』
邪魔にならないように首ではなく、机の上で丸くなって見上げているヨルが頭を下げた。
「私達のこの力って、魔術じゃないんだよね……? 前も聞いたけど」
『ええ、そうです。全くの別物です。これについては感覚的なもので……分かることと言えば、魔術とはとても相性が悪いという点でしょうか』
「うーん……」
あの日。ヨルとディーヴァがルイスに力をほんのわずかに与えた時、相当な痛みに苦しんだルイスの姿を思い出す。
相当優秀な魔術の使い手であるからこそのものであれば、対して魔術が使えないリーリアがメルからの力を得た時は眩暈を訴えたくらいの差が出たことも納得がいく。
この世界の魔力が毒であるが、彼女達の力は毒ではない。だからこれはおそらく魔力というものではないとすれば、まさしく神力というものであるのだろうか。よく分からないが。
知恵熱が出そうになり、伊織は横で温かな紅茶をいれてくれているクレアに問いかけた。
「クレアって、その……、魔術って……」
「はい、最低限ですが使えますよ。けど本当に簡単なもので、蝋燭に火を灯したりする程度です。今は魔具を使うのが主流ですので、ついついそちらにばかり頼ってしまって」
「あれって便利そうだよね。いいなぁ、ちょっと使ってみたい」
少しでも使えるのであれば、不足分は魔具でどうとでも補えるらしい。今だってティーポットが冷えないようにと鍋敷きのような平たい円盤の魔具を使い、そこに置いて常に温かい状態を保たせている。よく見かける呼び鈴も、手元を照らす明かりも全て魔具だ。いくつかは魔力が無くても使えるが、しかし基本は魔力があってこそ使えるものばかりだ。
なんて羨ましいことかと、伊織はついに机に突っ伏してしまった。
「伊織様」
「はぁい」
上からクラウスが嗜める声に、いかにもやる気がないと言わんばかりに返事をすれば大きなため息が降って来た。どうじに横からクスクスと笑う声も聞こえた。
「あら、休憩中でしたか?」
このまま不貞寝でもしてしまおうかと考えていれば、窓が並ぶ壁の方から声が聞こえ伊織は頭を上げた。
「……漆黒はいつも窓から出入りするのが一般的なのか?」
「近道だったから、つい。けど、だいたいの漆黒はそうかもしれないわね。これも訓練の一環みたいなものだし」
見れば、いつもと同じく漆黒の騎士服に身を包んだアイヴィが窓から癖のない銀髪をわずかに揺らし、室内へと入ってきていた。
「いけませんよ、伊織様。淑女がそのように机の上でだらけていては」
「疲れちゃって」
「あらあら、それではこちらはもう少し後の方がよろしいようですね?」
アイヴィはわざとらしく、右手に持っていたずいぶんと古めかしい丸めた紙の筒をよく見えるように左右に揺らした。
「え、それって」
「はい。この大神殿の建築図、借りてきましたよ」
「ありがと、アイヴィ!」
伊織はその瞬間、上体を起こし両手をまっすぐに伸ばした。しかしアイヴィは男女共に見惚れてしまうほどの美しい微笑みを浮かべたまま、そっと伊織の手から遠ざけてしまった。
「その前に。今日の分のお勉強、がんばりましょうね?」
「……はぁい」
「……すまない」
「ふふっ」
少々圧が強い微笑みに負けた伊織は大人しく、開いたままの本に視線を向けた。そしてクラウスがため息交じりに礼を言えば、アイヴィは楽し気に笑い声をこぼしたのだった。
それから今日の分の勉強を終えた伊織はアイヴィが持ってきた建築図を広げ、じっくりと見渡した。数は一枚だけではなく、十枚はないが、それなりの枚数があった。
「……やっぱり広いね」
「時代と共に必要なお部屋が増えてきていますから尚更ですね。隠し通路、ないし隠し部屋はおそらくその時に作られているかと思われますので、ある程度は絞れる可能性はあります。この赤で記されている場所が発見された場所です」
黒グローブに包まれたアイヴィの指先が赤で追記がされている箇所をいくつか指す。
数字はおそらく、年月日。そして階段、部屋、とそれぞれ記載がされている。
「改めてこうして見ると……、ずいぶんと偏っているな」
「ええ、その時の情勢にも関わっていると思うわ。これを見る限り、西側が多いようだけど……」
「探すとすれば東か」
「けど、東は居住区だから立ち入りは難しいわよ」
大神殿の西側は執務関係の部屋が多く立ち並び、東側はこの大神殿に仕える者達の為の部屋がある。もちろん伊織達がいる場所はこの奥なので関係が無い。
一枚ずつじっくりと見ながら、伊織はふと気づいた。
「そういえば私、まだ祈りの間に行ったことないんだけど。ここってどんな風になっているの?」
図面の中央に描いてある大きな真四角に、中央には祈りの間と記載がされている箇所を指して二人を見上げた。
信徒達には何度か会った。だが毎回中庭でのやりとりで、建物の中にまでは一度だって入ったことがなかった。
外から見た外観は無機質な白に近い。僅かばかりな装飾が施されているが全体的にのっぺりとした造りだ。ちょっとばかり豆腐の姿を思い出してしまったのは仕方がない。
「……ああ、そうでしたね。信徒達と会う時は混乱を避けるために中庭までとしていましたし」
「うん。だからあそこの中、ちょっと気になるなぁって」
遠まわしに、中に行きたいような雰囲気を醸し出せば、クラウスは眉間の皺を深め、小さく呻った。
「……行かれるにしても、信徒達がいない時間帯でなければ少々難しいかと……」
「そうなると夕方以降ね。けど他の神官の出入りもあるから、夜中の方が都合が良いかもしれないわ」
「わあ、楽しそう! ね、ヨル」
『ええ、そうですね』
夜の探検。なんて面白そうな響きだろうか。
ぱっと笑顔を浮かべた伊織に、アイヴィは僅かに肩をすくめるだけで何も言わず、クラウスはさらに深い皺を眉間に刻んだ。
「念のため、大神官様に許可は取りますので」
「……た、たぶん、大丈夫、だよね?」
「ええ、大丈夫ですよ。きっと」
なんだか悶着がありそうであるが、アイヴィの微笑みが妙に心強く、伊織は大きく頷いた。
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聞いた話によればだいぶあれこれと言われららしいが、無事に許可をもらえたらしい。
一体何があったのか気になるがアイヴィの変わらない笑みに気圧されてしまい、伊織は何も聞けないまま、すっかり夜が更けた時刻に祈りの間がある中庭に来ていた。
「……大きいね」
「ふふっ、外観はとても素朴ですが中はとても美しいのですよ?」
「そうなんだ!」
天上には三日月。その為、隣でクレアが小さな明かりを用意してくれ、足元を仄かに照らしてくれた。大きさは片手に乗せられるくらいの小さなガラス瓶のようなもの。その中にうすぼんやりとした光の球体が浮遊していた。
クラウスとアイヴィはその明かりが無くても問題ないようで、危なげなく先へと歩く。そしてアイヴィは固く閉じられた扉の鍵を開け、ゆっくりと両開きの扉の片側だけを開けた。
「伊織様。どうぞ中へ」
アイヴィに促され、伊織はようやく祈りの間の中へと足を踏み入れた。
黄金を瞬き、周囲をぐるりと見渡し、ついポツリと言葉をこぼしてしまった。
「……何もない……」
あまり言ってはいけない気がしたが、しかしそれほどまでに何もなかった。
入って左右の壁には採光を取り入れる為のステンドグラスが並び、天上には小さな明かりを灯すだけの魔具らしきものが釣り下がっているだけ。壁も天井も白いおかげで、小さな明かりだけでも十分に中の様子がうかがえた。
そして床には入り口の扉から目の前の奥に鎮座しているアルカポルスの彫像まで続く、濃い青の絨毯がまっすぐに敷かれていた。他には足腰が悪い信徒の為に置いているのであろう長椅子がいくつか置いているが、本当にそれだけだ。
たったそれだけ。無機質と言えばそれだけだ。しかし伊織はクレアが言った言葉の通り、美しい空間だと思えた。
真に祈る為だけの場所。そこに威厳や荘厳さといったものを表す装飾は不要。
何もないからこそ、天の神、アルカポルスの彫像がこれほど美しいのだと思えた。
「……けど、綺麗」
独り言のようにまたポツリとこぼした言葉に誰からも返答はなかった。
けれども視界の端にいる彼らの色合いが和らいだものに変化したことに、伊織はちゃんと見逃しはしなかった。
さらに中へ、とアイヴィが無言で手を奥へと向ける。
伊織は小さく頷いて足を数歩進め、すぐに足を止めた。
「伊織様、いかがされましたか?」
隣にいるクレアが問いかける。なんと言えばいいのか分からないが、何故か伊織はこれ以上先を進むことを体が拒否をした。
一体どうしてか、自分の事なのに全く分からなかった。変なものが見えているわけではない。けれどもどうしてか、こんなにも美しいというのに、突然先ほどと打って変わって歪に見えてしまったのだ。
『伊織。外に出ましょう?』
答えない伊織の耳元でヨルの声がするりと入り込んだ。
伊織は小さく頷き、早足にすぐさま踵を返して外に出た。
あまりの伊織の変化に誰もが動揺を隠せないでいた。
祈りの間へと入る前はあんなにも楽しみで仕方がないと顔を輝かせていたというのに、今は不安げに顔を曇らせて外から祈りの間の中を恐る恐るうかがっているのだ。
一体何があったのか。何が見えたのか。
クレアはまさか、と顔をこわばらせた。
「伊織様、まさかご体調が」
「ううん、それは大丈夫。だけど……」
伊織は両手をぎゅっと胸の前で握りしめた。
「何ていうか……その。よく分かんないんだけど……。見えているわけじゃないんだけど。なんか、変、というか」
「変……。違和感ということでしょうか?」
「そう、そうなの」
うまく言語化ができない伊織に、アイヴィが横から問えば、そうだと数度頷いた。
「何かがある、いる? ヨルは何か感じた?」
『……そう、ですね。何か……、不思議なものと言えば良いのか。そう、何かがあるような……?』
「何か?」
『ええ、何かが』
ヨルも何かを感じたようだが、伊織と同じく正体というものには辿り着いていなかった。
何かがある。何かがいる。しかしそれに触れてはいけないような、深入りをしてはいけないようなものがここにはあった。
ちろちろと細長い舌を出し、ヨルは伊織の頬に頭を摺り寄せた。
『……知っていた、ような気がするのです。けれども……』
「思い出せないの?」
『……ええ』
沈んだヨルの声に、伊織は宥めるように白い鱗に指を滑らせた。
『……私達は忘れることはありません。しかし、どうしても記憶というのは薄れ、いずれは消失してしまう時があります』
「忘れないのに、記憶が消えるの……?」
まるで矛盾しているかのようなヨルの言葉を伊織は分からず問い返せば、また長い舌をちろりと動かした。
『……ええ。まさしく今が、そのような状況と言えるでしょう。地下の書庫にあったはずの本が消失し、祈りが歪み、そして遠き昔の神話にさえ語られなかった物事のいくつかはいずれ無かったものとされます。私達は人間ではありませんが、人間は忘れる生き物。そして私達は人間に大きく左右される存在なので、致し方が無いというところはあるのですが……』
「えっと……つまり、人間が忘れたら、ヨル達も忘れるってこと?」
『消えると言った方が正しいと思います。もしくは封じこめられている。そして私達は誰かが思い出すのを待つだけなのです』
「そんな……」
天の神、アルカポルスが眠った。そしてユフィアータが眠り、静が危険から逃れるために大神殿からいなくなってしまった。
全ては人間によって起きた出来事。人間が忘れてしまえば、神もまた、大きく影響してしまうということを伊織は身をもって実感してしまっていた。
もはや何が事実か分からないほどだった。常に暗闇の中を歩いているようなものだった。
『伊織』
「……何?」
『完全に消え去ってしまっていたならば、私も、そして伊織も気づかないものだと思うのです』
何せこの黄金の瞳は全てを見るのだ。ほんの小さな砂粒のような真実さえも見逃すはずがない。
『完全には消え去っていない。消失していない。だからきっとどこかに痕跡が残っているはずなのです。もしくは誰かが覚えているか』
ぐっと白蛇が頭を持ち上げ、伊織の顔をのぞき込んできた。
この黄金の瞳は、さすがに彼女の真意を見ることは出来ない。けれども繋がっているから分かる。
彼女は決して諦めてはいないということを。
「……そうだね。そうだよね!」
『ええ、伊織。私が不甲斐ないばかりに伊織に多くの負担を押し付けているうえで、さらに押し付けてしまうのは本意ではないのですが。それでも、どうか真実を探してはいただけませんか? 一緒に』
一方的なお願いではなく、協力を求めるお願いに伊織は大きく笑顔で頷いた。
「もちろんだよ、ヨル!」
『ふふっ……。ありがとうございます、伊織』
嬉しそうにヨルは長い体を伊織の首に巻き付けてきた。ちょっとだけ締まりかけたような気がするが、完全に気のせいだ。
と、横から小さな咳払いが聞こえた。
「あらあら、伊織様。私達のこと、お忘れになってはいませんか?」
「……あ、えっと、忘れてないよ?」
「それは安心しました」
咳払いをしたのはアイヴィだ。ついうっかり、ちょっとだけ三人の存在というものを片隅に追いやってしまった自覚はあったが、決して忘れてはいない、はずだった。
慌てて伊織が弁明をすれば、アイヴィは微笑ましいものを見るかのように目元を緩め、そして胸元に手を当てて姿勢を正した。
「それでは伊織様。その探し物を見つける為、どうぞ私達をご遠慮なくお使いください」
「……せめて、伊織様が見つけやすいように手助けが出来るよう尽力いたします」
「そ、その……! 側におります!」
アイヴィに続いてクラウスとクレアがそれぞれ姿勢を正す。彼らの言葉に嘘偽りはない。
伊織はその事実に喜びが内から湧き出るのを感じ、我慢できずにクレアに一先ず抱き着くことにした。




