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白銀に踊る ~四人の聖女達は愛に貪欲に生きることにした~【第1部連載中】  作者: tamn
第1部 落とされた四人の聖女達 二章 喪失に眠る
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03 王太子殿下は微笑む

 静は今、心の底から自室に戻りたいと思った。

 自室に戻り、何やら昨日、ルイスがいつの間にか用意していた窓際に置かれていた椅子にゆったりと座り、温かな日差しの中、惰眠をむさぼりたかった。

 この際、あのフリフリの服を着たって構わない。それぐらいには心底自室に戻りたくなった。


「急に、そう。頭が痛くなったから戻っても良いと思うのだけど」

「奈緒ぉ。一人で逃げようとしたら駄目だからね」

「そうよ。逃がさないんだから」


 閉じたままの扉を目の前にした奈緒は踵を返そうとするが、両脇にいる伊織と真咲にしっかりと手を掴まれている為逃げることが出来ないでいた。

 奈緒からの無言の視線を向けられるが、静は気づかないふりをしたままルイスが扉を開けたのを待ち、室内へと一歩踏み入れた。

 初めて入る部屋は会談によく使われるような印象を抱く部屋だった。楕円のずいぶんと大きな机が中央に置かれ、囲うように肘掛けのない椅子が並んでいた。

 上座も下座もないように見えて、さりげなくあるらしい。すでにヴィンセントは奥へと座っており、そして一番扉側に近い席に座っていた人物がすぐに立ち上がり、振り向いた。

 短く切りそろえられた黄金の髪。琥珀色の瞳がゆるりと細まり、朗な笑みを浮かべる男は、静達に対し恭しく頭を下げた。


「お会いできて光栄です。聖女様方」


 その人、この国、ロトアトフの王太子殿下、ランスロットはヴィンセントと似た顔で、しかしヴィンセントとはずいぶんと異なる柔和な笑みを浮かべた顔を見せた。



「大神官殿のお許しがなかなか通らず、このように遅く参上してしまったこと、お詫び申し上げます」


 開口一番、早速ランスロットは謝罪の言葉に近い文句を口にし、ヴィンセントが顔を盛大に歪めた。


「そう言っておいて勝手にのこのこやってきた奴が何を言う」

「あれは偶然だと存じ上げますが?」


 実の血の繋がった兄弟であることは一目見れば分かるほどによく似ている二人だが、まとう空気が違えば、その立場の違いか、兄であるランスロットが至極丁寧に対応をしていた。


「さて、では会談といきましょう」


 ランスロットが軽く手を挙げたかと思えば、後ろに控えていた深紅の騎士が軽く手を横に凪いだ。

 たったそれだけであったが、静は妙な感覚に陥った。

 静は室内をぐるり、と見渡した。おかしいところはない。人も、見えている数だけだ。しかしどうしてか、部屋の中が急に、肌で分かるほどに何かが変わったのだ。そして加えて言うと、先程から控えている深紅の騎士服を身にまとっている男が妙におかしいような気がしていた。

 何故だろうかときょろりと銀の瞳を瞬かせていれば、隣から遠慮がちに袖を引かれ、伊織に顔を向けた。


「どうしたの?」

「えっと……もしかして、なんだけど……。静も分かった?」

「……そう、だね。そうみたい」

「わっ、一緒だ」


 こそこそと話をするが、伊織の隣にいるヴィンセントの耳にはしっかりと届いてしまっていたようだった。


「……伊織はその目があるから見えるだろうとは思っていたが、静も分かるものなのか」

「え、何が……?」

「魔術だ。今、そこの者が防諜の魔術を展開したところだ」


 そこの、とヴィンセントの掌で指された騎士は軽く頭を下げる仕草を返した。表情は何一つだって変わらない、ような気がした。

 そして真咲、奈緒はと言えば一体何がどうなっているのか分からない様子で、二人して周囲を見渡し、顔を見合わせた後に静と伊織に視線を向けてきた。


「何それ、ずる。あたし分かんないのに」

「伊織の目なら見えるのは分かるけど、静も分かるのね。どんな感じ? 同じように見えるのかしら」

「あのね。私には、すっごく薄い膜がいきなり部屋いっぱいに広がってきたの。静はどう?」


 何かしらを遮断するためのものと考えれば、膜のように見えるのも納得だと静は思いつつ、無意識に自身の腕をさすった。


「なんか……肌がざわざわする感じ? たぶん慣れたら平気かも」

「そうなの? ちょっと無理そうなら早めに言うのよ?」

「はぁい」


 まるで母親のような物言いをする奈緒に、ついつい甘えたような声で静は返事を返してしまった。そんな静に奈緒は少しだけ困った顔を見せたが、何も言われることはなかった。

 静は改めてランスロットを見やれば、綺麗な顔に少しの憂いを見せるように眉をわずかにひそめ、静をまっすぐに見ていた。つい、静は視線をそらしそうになったがそれよりも先にランスロットが口を開いたのだった。


「申し訳ありません。銀の聖女様、この立場ということもある他、人払いをすませているとはいえ、どこで誰が聞いているのか分かりませんから」

「あ、いえ。はい」

「銀の聖女様。敬語は不要でございます。もちろん、名で呼んでいただいてもよろしいですので」


 それならば恭しく、銀の聖女様と呼ばないでほしいと言いそうになったが、そう言えば名を名乗っていなかったことに気づいた。それならばと思ったが、ランスロットが言い終わるや否や、ヴィンセントが何よりも先に、横から口を出してきた。


「いい加減にその胡散臭い話し方は止めてもらっていいか。殿下」

「殿下と呼ばないでくれるなら、ですよ? 大神官殿」


 苛立ち交じりのヴィンセントを、ランスロットは何故かどことなく面白そうに声をわずかに弾ませて返答をした。

 おちょくっているようには聞こえず、ただランスロットが楽しさを隠しきれていない様子だった。それに相反するようにヴィンセントの機嫌はさらに下がっているように見えた。伊織がそっと視線を知らしていたので間違いはないだろう。

 ヴィンセントは何度か口を開閉し、意を決したように口をようやく開いた。


「用件すんだらさっさと戻れ。……兄上」


 その瞬間、ランスロットは何とも美しく、これ以上なく楽しいと言わんばかりの笑顔を浮かべたのだった。


「いやだな。せっかく弟とこうして話せるんだ、理由作ってでも長く居座らせてもらうよ。ヴィンセント」

「だから嫌だったんだ……!」

「それにほら、紫の聖女様とこうして再会させていただいたわけだしね。ふふっ、我らが神はなんと僕に良き日を与えてくださったのか。心の底から感謝いたします」

「さっさと帰りなさいよ」


 嘆くヴィンセント。そして急になんとも分かりやすい好意を向けられた奈緒は、嫌悪感でいっぱいだと言わんばかりに吐き捨てた。

 だというのにランスロットは楽しそうに口元を軽く隠しながら笑いつつ、後ろに控えていた騎士に振り返った。 


「お前も変装を解いたらどうだ? おそらくバレているぞ、金の聖女様と銀の聖女様に」


 無表情で立っている騎士は僅かに視線を鋭くさせる。だがすぐに大きく息を吐きだし、両肩を思い切り下げて顔を俯かせた。

 一気に身体の力を抜いたような仕草を見せたかと思うと、何かがパチン、と弾けたような音と共に、深紅の騎士服はそのままに、中身の人物が全く違う人物へと姿が変わっていた。先ほどまでは茶髪だった髪の色は紺へと変わり、なによりも袖から見える肌は白から褐色へと一目見て分かるほどに変化をしていた。

 ゆるり、と男は顔を上げる。ぐっと背筋をのばし、しかしながらなんとも気だるげに姿勢を崩して青の瞳を細めた。


「どぉも。ちょっと諸事情で変装しています漆黒所属のロビンって言います。そこにいるルイスの兄貴分みたいな感じでーす」

「勝手にそう名乗っているだけです」

「ひでぇな。ってか、よく分かりましたね。俺、そこまで魔術が下手ってわけじゃなかったんですけど。そんなに分かりやすかったです?」


 分かりやすく唇を尖らせ、肩を竦めさせる仕草をするロビンに、妙な愛着を感じそうになる。けれども妙に鋭い視線だけは変わらず、静はそれから避けるように伊織へと視線を向けた。


「えっと、私はただ見えるだけというか……。あ、でも、静はなんで?」

「えー……? なんでだろ。違和感というか、肌感というか……? そんな感じだからなぁ」


 伊織は一目見て、何かが見えたのだろう。そして静は、本当になんとなくでしかなく、どちらかと言えば直感に近いようにも思えるほどだ。はっきりと答えることが出なかったが、ロビンはそれだけでも十分だったようで、髪をがしがしとかき乱した。


「んー……精進しねぇとだな。こりゃあ」

「これ以上にかい?」

「何言っているんです。俺、漆黒ですよ?」


 何を当たり前の事を、とロビンがむしろ意味が分からないと言わんばかりにランスロットに言い返した。ランスロットは小さく肩を竦め、そしてようやくヴィンセント達に身体を向きなおし、姿勢を正した。


「さて、和やかにお茶でもしたいところではあるんだけど。残念ながら時間があまり無くてね。早速だけれども話をしても良いかな?」

「さっさとしろ」

「いいのかい? せっかくお兄様が来たって言うのに」

「帰れ」


 無遠慮なしに実弟であるヴィンセントからの言葉を楽し気に受けつつ、ランスロットはようやく話す姿勢を見せた。


「ヴィンセントはもう聞いてはいるだろうが、聖女様方はどこまでご存じで?」

「全くだ」


 何についての話か、という主語は無いと言うのに、二人はさも当然分かっていて当たり前だろうと言う体で僅かに言葉を交わした。

 ランスロットは小さく頷き、静達に視線を向けた。


「我らが神、アルカポルスからのお告げがあった日を境に、一部の貴族達の動きが少し活発になってね」


 静達が聞く体制に入ったのを感じ取ったのか、ランスロットは僅かに目を細め、口角を上げた。 


「とは言っても、そこまで目立つものではない。何せ聖女様方がいらっしゃるのだから、それなりに動くものが出るのは当然のことだから慌てる話ではない。とはいえ、あれ以来、妙に見慣れない顔ぶれが増えたと城内でちょっとした話を耳にしてね。神殿側の人間と名乗っているらしいが、ヴィンセントの方でその話はないだろう?」

「何のためにそちらに行っているのかは知らんが、そのような報告は全く聞いてはおらん」

「だろうね。他にも報告があるから、一先ずはこの話はここまで。そして次、銀の聖女様を捕えていた男についてだ」


 ランスロットは少し何故か躊躇をするように横目で静を見やり、また正面にいるヴィンセントを見やった。


「独房で自死した」


 静は今の言葉の意味を理解するのに、数秒程の時間を要した。銀の瞳を右へ、左へと動かしながら、止まりかける思考を必死に動かそうとするがほとんど頭が回らず、ぽん、と浮かんだ言葉をそのままに投げかける他なかった。


「いつ、の話ですか」

「敬語は不要です、銀の聖女様。昨日になります」


 端的な答えに、静は深く息を吐きだした。そして深く椅子に座り、ひじ掛けに寄りかかる。膝のいる子狼が後ろ脚で器用に立ち上がり、前足を静の胸元に手をついて下から顔を覗き込んでくるので、その小さな身体を一つ、優しく撫でる。そしてもう片方の手で目元を抑え、深く息を吐きだした。


「――分かった」


 少しの間の後、静はそれだけを言ってまた口を閉ざした。

 言葉尻がほんの一瞬震えてしまったが、誰もがそれに対して何かを言う事はなかった。


「兄上」


 しかし誰もが静の様子を気にかけてしまうような空気の中、ヴィンセントが軽く指先で天板を叩いた。


「ああ、すまないね。それでね、確かに僕は自死と言ったが、これを他殺だと思っているんだ」

「根拠は」

「先ほども言った通り、見慣れない顔ぶれの者達が出入りし始めている。漆黒からの報告によれば、どうも深緑の方でも人の入れ替えがあったらしい。時期的にも不自然なことではない」

「その中に鼠でももぐりこんでいたのか?」

「そういう事。ほら、話に来てよかっただろう? とはいえ、これ以上の話は……」


 さすがに内容的にも生々しいものになってくるのか、ランスロットが静達の様子を窺ってくる。

 だがそれに対し、真咲はきっぱりと答えた。


「あたしは平気よ。話を聞くだけなら」

「私も。だけど……」

「もちろん聞くわ。静は」

「聞く」


 続いて伊織、奈緒が答え、静もまた即答した。

 よくあるテレビ報道で、誰が誰をどうやって殺害したか。なんて簡単なものではあるが、映像付きで流れてくるのだ。それに比べ、今は話だけだ。

 あれに慣れてしまっている以上、本当の状況を見ない限り、躊躇することはなかった。

 四人が続きを待っているのを確認したランスロットはわずかに眉間をよせつつも、再度続けた。


「男は昨日、食事を持って行った看守によって息絶えているところを発見された。死因は絞首。つまりは首吊り。道具はシーツを裂いて作ったとみられるもので、鉄格子に括り付けてそこから首を吊っていた」

「何をしているんだ、看守は」

「そう、その看守なんだけど。最近新しく入った者のようでね。発見したのもその者なんだけど、それを見て恐ろしくなったとかなんとかで逃げてしまったらしい」

「おい。管理体制に問題があるんじゃないか」

「全くその通り。耳が痛い。それで、念のために漆黒を使って探らせてもらったわけなんだけど。どうもこれがきな臭い。探れば身分を偽っていることが分かったというわけさ」


 人が大量に入れ替わる時期とあれば、そこまでの詳細は調べられることはない。

 内部事情はもちろん、人員配置、その他諸々を把握した上での計画的犯行と言えた。


「元々あの男には不審な点がいくつかあった。あの屋敷はあの男の別邸だったが、元は別の者が所有をしていた。それを男が購入したわけだが、それについてはよくある話。奥方も一人娘も亡くされた方だ、傷心を癒すのに森に近い屋敷に移住するというのもよくある話。では何故、僕がそこに目を付けたかっていう話なんだけど……。そう言えば悪かったね、ヴィンセント。少しとは言え、そこの彼を借りて」


 ランスロットは、静の後ろで控えているルイスをちらりと横目で見てきた。


「ロビンでも良かったんだけど、やっぱりいなくなると困るからさ。ちょうど良いのが彼ぐらいだったんだよ」

「ああ、だろうな。こいつの実力は俺が良く知っている」

「けどおかげで一時的とはいえ、正式に神殿についたわけだ。僕に何かないのかい?」

「何か言うとすれば我らが神に対してのみだ」


 頑なな態度を崩さないヴィンセントさえも、楽しいのかランスロットは困ったように笑うだけだった。


「あの屋敷の前の所有者は、とある魔術を研究していた者だ。そのとある魔術、というのが蘇生」


 静は無意識にに瞳を細め、膝の上に置いている掌を強く握った。


「そのような実験をしていた屋敷だ。もちろん価格は破格とはいえ、購入する者はそうそういない。けれども男は購入した。銀の聖女様ならば、お分かりですよね」


 あえてランスロットは静に問う。

 もちろん、静はその答えを知っていた。


「娘を蘇生させるため。それ以外に何があると?」

「ありませんとも。男もそのように自供しておりましたから」


 その通りだろう。静はあの時、だからこそ男の顔面目掛けて拳を振るったのだ。

 ランスロットは静の返答に満足したようで、さらに続けた。


「とは言え、男はそちらに詳しいわけではない。だからこそ外部からの協力者が必要となってくる。他にも国内では一般的に禁術とされている魔術の使用の痕跡がいくつも残っているからね、いい加減に捕えようと思って潜入させたわけなんだけど、その協力者が来る前に聖女様方がちょうどいらっしゃった」

「それは悪かったね」

「いえ、そのようなことは。これも神の思し召しというものでしょう」


 なるほど、だからルイス達がいたのかと静はようやく納得した。それにしてもなかなかにタイミングは良いはないようだったが、これもまたなるようになった結果だった。

 そして静達はヴィンセントを見やる。その視線の意味をすぐに知ったヴィンセントは顔をしかめた。


「伊織、どうだ」

「えっとぉ……、良いと思う!」


 たぶん、という言葉が聞こえてきそうだったか、気の所為だろう。実際聞こえていないからのだから。


「殿下。我らが神に誓い、沈黙を守れるか」

「ええ、守りましょう。我らが神に誓って。ロビン」

「勿論です」


 大神官として問うヴィンセントに、迷いなく、むしろ当然のように二人は頷き、誓った。

 あまりにも即答に近いものだったがために、ヴィンセントは頭を抱え深く吐き出した。


「兄上」

「何かな?」

「我らが神、アルカポルスはとうの前に眠られているとのことだ」


 何かしらの苦言が言われるのだろうと思っていたのだろうランスロットは突然の話に、思わずと言った風に大きく表情を崩した。

 ぎょっとしたように目を見開き、動きをぴたりと止めたランスロットは数秒ののち、はくりと口を動かした。


「……少し待ってくれるかい? それは、しかし、僕は確かに」

「我らに告げたのはそこにいる猫の姿をなさっている愛娘、メルヴェアータだ」


 確かに聞いた。そう続けようとしたランスロットの言葉を遮り、ヴィンセントは机の上でのんびりとくつろいでいた黒猫を見やった。

 黒猫は首を持ち上げ、猫らしからぬ表情を見せた。


『こんにちは、人間?』


 にぁおん、と黒猫は愉快げに一つ鳴いた。



 -*-*-*-*-*-*-*-*-*-



 ヴィンセントがなるべくかつまんで、けれども丁寧に愛娘達、そして聖女達がここに来たに至る説明をすれば、ランスロットは無言で目元をを抑え、ロビンはぐっと天井を見上げていた。


「……まさか、そんなことが起きていたなんて。嘘、では」

「ないな。受け入れろ。すぐとは言わないが」

「そうだね。これについては少し時間が必要になりそうだ」


 今すぐに話を再開させるには難しい様子の二人を横目に、静はあの屋敷でのことを思い返す。と言っても、部屋に監禁されていた以上の事は何も静には分かるはずが無かった。

 そういえば、と静はネーヴェを見やった。


「ネーヴェ。あそこにいた時さ、なんかこう……蘇生っていうか。そういう何か、感じたりしなかった?」

『いや、無いな。というよりも、あの術が厄介だったのは言うまでもない』

「ああ、感覚が鈍くなるとか言っていたっけ」

『そうだ。姉上達とはある程度のことまでは分かっていたが、それでもあの結界のおかげで途切れる時もあって、本当に難儀をした』


 完全に遮断させるものではなかったのが救いではあるが、それでも厄介だったのは変わりなかっただろう。愛娘である彼女の感覚すら影響が出るものだ、今後注意をせねばならない。

 静はそんなことを思っていると、後ろから小さな声が僅かに聞こえてきた。


「術……?」

「……どうしたの、ルイス」


 何故か、ルイスは初めて聞いたと言わんばかりの反応を見せていた。

 静はむしろそれに驚いていると、ルイスはその時の事を思い出しているのか、口元を抑え、僅かに視線を落とした。


「……いえ。確かに屋敷周辺には、対侵入者用の結界を使っておりましたが……それ以外のものについては確認をしておりません」

『む、そうなのか? いやしかしあったぞ? ほれ、あれだあれ。静がいた部屋から見えただろう? もちろん一部ではあったが』


 ネーヴェはそれに対し、むしろ何故分かっていないのかと言わんばかりの、正反対の反応をする。

 きっとどちらも正しいことは言っていると静はすぐに分かり、そしておそらく、この原因であろうネーヴェを見下ろした。


「ネーヴェ。ごめん、わたしが分からない」

『ああ、そうだったな。すまない。つい、こちらの人間は知っているものだとばかりに思っていた。だがそうだな、あれを前に見たのはずいぶんと昔だったはずだ』

「うん、だから、何を?」

『よく見ていただろう? 近頃は見なくなったが、一時はよく使われていた技法だ。特定の植物を用い、特定の位置にそこに植える。効果はそれによって変わるものだが、おそらくあれは惑わしか幻覚か。それに近いものだろうな』

「待って、待って。ネーヴェ。見ていたって……まさか、お庭?」

『そうだぞ。あの日、人間達が庭園の一部を壊したおかげでそれが解けたわけだが、あれの良いところと言えば後が残らないということだ』


 静は頭を抱えたくなった。とは言え、まだ重要なことを聞いてはいなかった。必死に抱えたくなる衝動を耐えながら静は問う。


「……それ、どういう惑わし、かっていうのは」

『それはさすがに分からぬ。全体を見れば分かるだろうが。とはいえ、静には何も影響はないぞ。そもそもとして静には魔力がないから影響は出ない。ルイス達も……そうだな。あの魔具で魔力封じをしていたから特に影響はなかったはずだ』


 のんびりと膝の上に座るネーヴェをがしりと目の前まで持ち上げた。


「それ、早く言って……!」

『む?』


 む、じゃない。静は何も言わず、モフモフの刑に処すことにした。ネーヴェが慌てて脱出しようと身をよじるが勿論逃がすわけにはいかない。


「……申し訳ありません」


 きゃんきゃんと鳴くネーヴェの声が良く響く中、ルイスが重く、謝罪の言葉を口にした。

 慌てて静が振り返りルイスを見やれば、視線はランスロットに向けられており、ようやく事態を飲み込み把握したランスロットは困ったように笑って見せた。


「ああ、いや。気にしなくて良いよ。その魔術、確かずいぶんと……少なくとも三百年以上前に廃れたはずのものだから、知らないのも仕方がない。面白い魔術だと思ってそういうものがあるとは記憶していたけれども、実際に使われていたとはね」


 この子狼は近頃だと言っていたが、三百年前以上の物だとすればだいぶ古い印象を静は抱いた。


「ただどんな風に使われてきたかまでは、さすがに僕も覚えていないし、そこまで詳細には記録されていなかったはず。何はともあれ、むしろ君に影響が出なかっただけでも良かったと言わざるえないかな。そうか……庭園か。これは見逃していた。さて、ロビン」

「今、潜入しているところの庭園全て調べろっておっしゃるつもりですよね。調べることは可能ですが、もちろん俺もそれについては無知ですよ。見分けなんてつきませんし」

「問題ない。ほら、見れば分かるとおっしゃられるお方がいるわけだし」

「あんた愛娘を普通に利用しようとしてますよね」


 もはやあんた呼ばわりをするロビンに、ランスロットはにこやかに笑うだけだった。

 ずいぶんと仲が良いのだなぁ、なんて思って眺めていればネーヴェがいつの間にか静の両手から脱出していた。そして逃げるように香箱座りをしているメルの横に駆け寄り、その横に並んで座った。


『メル姉上。それについて知りたいそうだぞ』

『あらあらぁ、どうしましょ。確かに私達は見れば分かるものもあるけれど、人間がさらに変化させているものもあるから全てではないわねぇ』

『そこが人間の素晴らしいところでもあるな』

『けど早すぎるから困ってしまうわぁ』


 しみじみと黒猫が言いながら尾を揺らした。

 その二匹に少しばかり問いかけにくい雰囲気があったが、静はそっと問いかけた。


「……あのさ、それってネーヴェが……というか、愛娘が作ったの?」

『ああ、そうだ。主に作ったのはメル姉上だがな。最初は人間が守りたいと願った。だから私とメル姉上で守りの陣を作ったのだ。雪が降る季節であれば問題なく守れるのだが、やはり今のような季節は少し苦手でな』

『そうなのよねぇ。けど、人間達が眠っている場所だもの。守らないといけないからぁ、だから冬になる季節まで問題なく守れるようにって作ったのよぉ』


 ネーヴェに対し、守りたいと願われたもの。一体何を、と少し考えたが静はすぐにそれにたどり着いた。 


「守りたいって、お墓?」

『ああ、そうだ。彼らが願ったからには、叶えるのが私の役目。ましてや、眠っているものがいるのだ、守らなくてどうする?』

「……そうだねぇ」


 今でこそ子狼の姿に扮している愛娘、ユフィアータは凍土の揺り籠。眠りについた魂達を守るもの。であるからには、ユフィアータは迷うことなく当時の人間に応え、授けたのだろう。結果的には違う形になってしまっているが、この反応を見る限り、それすらも受け入れている様子だった。


「ネーヴェ」

『何だ?』

「私はあの男を殴ったわけなんだけど」

『ああ、素晴らしいものだったな』


 ネーヴェからの賞賛の言葉に静は笑みをつい、こぼしてしまった。


「……あの男の願い、というか祈りは、確かに本物だった?」

『ああ、本物だった。だからこそあの願いは、とても悲しく、それでいて怒りを覚えるものであったとも』

「うん。そうだったね」


 覚えている。あの時、湧き上がった感情。景色。匂い。感触。全て。

 まるで昨日の事のように思い出すことが静は出来た。


「死んだらしいね」

『ああ、そうだな。眠ったらしい』

「生前、あのような願いを抱いていた男だけれども」

『当然守るとも。それが私の役目であるから。それで静、この問答に何か意味でもあるのか?』

「あるようでないかなぁ。答えは分かっていたから確認だね」

『なるほどな』


 静はネーヴェと意味があってない問答を繰り返し、そして一つ頷いた。


「よし、ぶん殴る理由出来た」

「理由を作らないでいただけませんか、静様。それと殴るのはお止めください」

「あ、じゃあ」

「足も禁止です」

『静、せめて素手は止めよう。怪我をする』

「ネーヴェ様もそういう話ではありません」

『違うのか?』


 すかさず後ろに控えていたルイスからの鋭い言葉が入った。静は慌てて振り返り、そしてネーヴェも慌てて静の元へと駆け寄り、何とか妥協案として提案するが全て却下された。

 なんてひどいのか。

 それならば、と静はネーヴェと視線を合わせて、良い考えがないか思案する。

 静のとんでもない思い付きをしているのを奈緒はさて、とそのまま放置し、正面に向き直った。


「つまり。その男の人は利用されて、それで口封じの為に命を奪われた。そういうことよね?」

「ええ、そうです。さすがは紫の聖女様」


 まとめた奈緒に、まるで小さい子相手に良く出来ましたと言わんばかりに、ランスロットは満面の笑顔で頷いた。


「すごく腹立つわね。後、私の名前は奈緒よ。敬語はいらないわ」

「あたし、真咲」

「伊織でーす。で、こっちが静」

「え、あ、よろしく」


 今更ながらようやく奈緒から順に名前を名乗った後、奈緒は小さく息を付き、頭を抱えた。


「嫌だわ。これから何すれば良いのか分からないっていうのに……」


 つい、と言うように弱音を吐いてしまう奈緒に、誰もがかける言葉を迷った。

 訳も分からずに巻き込まれ、そして敵がどんな相手か分からぬままに聖女と祀り上げられ、こうして国家機密に近いやりとりまでしている始末だ。

 天の神たるアルカポルスはとうに眠りについている今、愛娘達を頼りにする他ないが、それでも一体何をどうすれば解決するのか糸口が何も見えない状態だった。


「では、僕から提案があるのだけど?」

「……なんだ」


 ヴィンセントがランスロットに対し、訝しげな視線を向ける。も、やはりランスロットの表情はいっさい崩れることはなかった。


「開発局から懇願されていてね」

「……まさか、とは思うが」

「そのまさか」


 一体何がまさか、なのか。ヴィンセントは深く息を吐きだし、奈緒を見やった。


「奈緒。確かあれだろう、掃除を好んでいたよな」

「……ねぇ、まさかだと思うのだけど」


 開発局に、掃除。とくれば、だ。


「またすごいことになっているらしいよ。とくに巣窟の主の部屋が」


 ランスロットがそう言った直後、奈緒は思いきり机を叩いた。


「あのクソ男! 私がせっかく綺麗にしたのに!」


 びゃっ、とのんびりとしていたメルが慌てて机から飛び降り、真咲の肩でおとなしく停まっていたディーヴァが翼をばさばさと動かした。伊織の首に巻き付いているヨルも慌てて首を持ち上げ、ネーヴェは机から静の膝へと降りてきた。

 どうやら巣窟の主は男らしいが、そういえば奈緒がここに来る前に開発局の清掃をしていたと聞いているが、その時に何かしらあった相手なのだろう。

 静はちらりと伊織の様子を窺えば、伊織は完全に奈緒から視線を外したまま、ヴィンセントに声だけを向けた。


「……ね、ヴィンセント。私達も行きたいのだけど」

「あたしも興味あるわ」

「あ、じゃあ、わたしも行きたい」


 はい、はい、はい。と、伊織から真咲、静と順に手を上げれば、ヴィンセントは少し渋りながらも一つ頷いた。


「……分かった。兄上、いつ、行けば良い」

「そうだね……。さすがに明日は難しいだろうから」

「いえ、明日よ」


 ランスロットの言葉を遮り、奈緒はずいぶんと据わった紫で周囲を見渡した。


「明日。早い方が良いわ」


 奈緒のその姿はまるで、これから戦地へと向かう騎士のようであった。

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