16 懺悔と願い
まずは何をすべきか。
静も未だにこの状況を呑み込めずにいたが、より自分よりも混乱していリーリアを見ていると、何故か妙に落ち着くことが出来た。
そう言えば最初、巻き込まれたときも似たようなことがあったな、と思い出した。
この世界。国に落ちる寸前に引っ張られた謎の空間で、三人と初めて言葉を交わした時。あの時は、落ち着いているだなんて言われたが、内心はひどく焦っていた。
なるようにかならない、なんてかっこつけるように言って誤魔化していたけども。しかし今、なるようにかならない、なんて言えなかった。
本の紛失に塗りつぶし。その現実を目の前にリーリアは顔を青ざめ、茫然としている。ルイスもまた、動揺を見せないようにしているが初めて見るほどに鋭い空気を発していた。
何も知らなくても、この事態の大きさはさすがに察せられた。
まさしく今だ。今、成すために思考を回せ。例え幼稚すぎる考えに至ったとしても、何もせず、周囲に言われるがままに流されるよりはずっと良い。
それでも今、優先すべきなのは、リーリアをどうにか落ち着かせることだ。
「リーリア、座って」
「いえ、大丈夫です」
「うん、座って」
有無を言わせず、静はリーリアを先ほどまで自身が座っていた椅子に座らせた。
「し、静様……」
リーリアを座らせてから、静は隣のテーブルに軽く腰掛け困ったように笑った。
「どうしようねぇ、リーリア」
「え、静様……?」
目を丸くするリーリアに、静は構わずに続けた。
「何ていうか……。何もかも把握していない時に、こういうのを見つけちゃったからさ。うまいこと立ち回らないと危ないでしょ。最低限、ヴィンセントには伝えるとして、他三人にも話す必要がある。けどその後どうするかっていうのが問題になってくる。誰が味方で、誰が敵か。それを探さなくちゃいけない」
ああ、困った困った。
あえて、口に出しながら思考を整理する。横ではリーリアが口をぽかりと丸くして見上げていたが、静は気にせずにルイスへと目を向けた。
「ねぇ、ルイス。ここを出入りしているのは管理者以外にどんな人達がいるの?」
「神官の他、王城の者達も出入りが可能です。全て管理者達が利用者を記録しておりますが、膨大な量になるかと」
「そっかぁ……。けど、管理者が分からないなんてことはあるの?」
「……あれは高度な魔術になります。ですので、よほどの実力を持っている者でない限り気づきません。しかし、静様はどうやってお気づきに?」
「なんとなく。なんかおかしいなぁって感じで」
「聖女のお力ということでしょうか」
「どうだろ? にしても、本当にどうするかなぁ。神殿内部についてはほとんど分からないけと、だからって深く関わるのもなぁ……」
すでに面倒極まりないことに巻き込まれてしまっているのに、これ以上巻き込まれるのはごめんだった。
「ところでルイスは神殿の内部について、どの程度把握しているの?」
「……静様が求められているものがどの程度のものであるのか分かりかねますが、主要の動きはおおよそは把握しております。それとヴィンセント様の動きは全て把握済みです」
「大神官だから?」
「それもありますが、静様付となる前、あの方による職権乱用でヴィンセント様付きの騎士でした。兼任でしたが」
「だから胃痛の話になった時に過労とか言ってたのか。そんな有能な騎士をわたし付きにしてもらって申し訳ないな」
「全く思っておりませんよね」
「やったぁ、美味しい紅茶が飲める」
リーリアを放置しながら静はルイスと話を続ける。そんな静にルイスはとくにそれについては言わず、淡々と答えてくれた。
ルイスが一体何を考えて答えてくれているのか、静は何一つ分かりはしないが、状況の把握、整理するにはちょうど良い相手だった。
そして、静はリーリアへと視線を向けた。
「リーリア、落ち着いた?」
声をかけると同時に、リーリアは立ち上がった。膝にいたネーヴェを椅子に座らせて、そして自身は静の前に立ち、姿勢を正した。
「先ほどはお見苦しい姿をお見せしてしまい、申し訳ありません」
「気にしてないから大丈夫。たださ、これからのことを考えると、たぶん面倒というか、危険なことに巻き込んじゃうんだよね。それにあんなのを見た手前、せめて口止めはしないといけないかなぁって思ってた」
噂なんて簡単に流れる。
そうでなくても何かのきっかけで、うっかり外に漏れないとも断言が出来ない。静だって絶対に口外しないとは言い切れないし、おそらくはただの侍女でもあるリーリアも同じ危険性があった。
もし、リーリアが敵であったならば。なんてことを考えてしまう。それか、知らない内に繋がっていたら。もちろん、ルイスも同様だ。
確かにルイスには助けてもらったし、ある一定の信用は抱いている。ただ、まさかヴィンセントとかなり近い距離で繋がっていたことには驚いた。
ルイスは騎士だというが、どうも暗躍する方を得意としているようだった。であるならば、分からないふりをしている可能性だって拭いきれなかった。
敵の姿が見えない。これ以上なく恐ろしい状況の中にいることを自覚し、静は何故だろうか、空気が薄くなったような感覚を覚えた。
硬く、冷たく、張り詰めた空気の中、リーリアがそっと自身の胸元に手を置いた。
「静様、どうかお願いがございます。私の懺悔を聞いてはいただけないでしょうか」
あまりの突然のことに静はすぐに反応ができなかった。
一体どういう意味だと聞こうとしたが、リーリアの穏やかな、しかし静かに微笑みを浮かべる姿を目にしてし、静が出来ることは無言で頷くことぐらいしか出来なかった。
そしてすぐに静は行儀悪く腰かけていたテーブルから離れる。と、リーリアは静から数歩後ろへと下がり、その場に両膝をつく。両手は胸の前で祈るように握りしめ、静をまっすぐに見上げた。
「静様。私は、貴方様の侍女へと選ばれた時、ようやく全て、私がやってきたことが正しく認められたことを喜び、そして驕ったのです」
静はこの短い日々で、リーリアの性格というのがなんとなくだが分かってきていた。
弁えつつも負けず嫌いで、相当の努力家。それとかわいいものが好き。
きっとたくさん努力してきたのだろう。だから認められたのは間違いない。それに驕るだなんてこと、静だってあることだ。
だから気にすることはない、という言葉が喉奥から溢れそうになり、すぐに飲み込んだ。今、静に許されていることはリーリアの告白を聞くことのみだったから。
「静様は今日にいたるまで、多くのことを私に聞いてくださいました。私は全てを得意げに答え続けました。答えながら、我らが神に感謝したのです。私の得たものを存分に生かせるお方に出会わせてくださったことを。しかしそれは、静様が何もご存じではないことを愚かしくも喜んでしまったことでもありました」
静はひたすらに口を閉ざし、リーリアの姿を銀の瞳に映す。
周囲の淡く光る白い光が、偶然にもリーリアの身体全体を照らしているかのように揺らいでいた。
「何も知らぬ聖女だから。だから、監禁されてしまったのだと思っておりました。ですが静様は……その」
リーリアが何故か、言葉を詰まらせた。と思えば、横から言葉が間に入って来た。
「拳が出るお方ですからね」
「ルイスは黙って」
「……大変、活発なお方だと」
「ありがとう、リーリア」
余計なことを言い放ったルイスを黙らせ、リーリアがとても良い感じに静を表してくれた。
雰囲気がぶち壊しだ。だが、おかげでピン、と張っていた空気がようやく緩み、静は深く息を吸い、吐き出した。
「それで、ヴィンセント様との会話に立ち会わせていただいた時、静様が剛毅な方だと知ったのです」
改めてリーリアはより適切な言葉を見つけたのか、静に向け、剛毅と言い現した。
剛毅。意味は強い意志で不屈なこと、だった気がする。
しかしまさかそんな風に言われるとは思わず、静はすぐさまに否定をしたかった。だがリーリアから向けられる純真な瞳を前に、否定することなんて出来なかった。
「また大変まっすぐなところがあり、少々心配になってしまいますが」
「それはごめん」
「ふふっ、静様の素晴らしいところでございます」
小さく笑うリーリアに静は和む。が、すぐにまたリーリアは顔に薄い影を落とした。
「静様含め聖女様方は、私達全員に分け隔てなく接してくださいます。私はそんな静様に対し、盲目になっておりました。剛毅且つ、まっすぐで、それでいて何も知らぬ純真なお方であると。ですから私がこの得た知識全てを用いてお支えしようと思ったのです。だというのに私は、静様がお倒れになってしまった時、何も、出来なかったのです」
あの時。訳も分からず、過呼吸になって倒れてしまった時の事を言っているのだろう。
そんなことはない、と静は伝えたかった。リーリアは静の傍にいてくれた。それがどれほどに心強いものだったか。だが今それを言ったところで、ただの情けによる言葉だと受け取られるのは明白だった。
「私が本当にするべきことは静様との対話だったのです。静様は私をリーリアとして見てくださったのに、私は何も知らぬ聖女様であると見るばかりで、静様が今何を思い、不安になっているか知るべきだったのです」
静自身、あまり話す方ではない。だからリーリアと過ごすのは比較的に言えば楽だったが、まさかそこまで思い悩むものになってしまっているとは思わなかった。
とはいえ確かに、話さなければ分かりあえないのは事実あると静は知っている。
相手が今、何を考えているのか。何を感じているのか。好むものは何か。嫌いなものは何か。時間をかければ対話が無くても分かりあえるだろうし、他の手段もあるだろうが、お互いに話せる手段を持っているのだ。それならば対話をして、分かりあうのが一番有効的な手段だった。
もしくは拳だが、リーリア相手には決して選べない選択だった。
「私がそんな後悔をしている間に、ルイス様が付いたことで、愚かにもより自分の方が有能だと誇示しようとしたのです。そして今、静様が背負われているもののほんの一片を目の前にし、何もかもが信じられず、受け入れることすらも出来ず、それでいて強い恐怖を覚えたのです」
ついに、リーリアは顔を伏せた。リーリアの握りしめる両手の指はより赤みを増していた。
「何もかも分かってはおりませんでした。聖女様付きになるということを。何故、聖女様が現れたかということも。分かろうとしなかったのです。ですが静様が笑って困ったと仰られた時、この胸の内にあった恐怖が何故か消え去ったのです。そしてルイス様は……やはり、騎士ということもありますし、まさか大神官様付だったことを鑑みても当然に冷静になされている姿を見て、私は強い恥を抱きました」
心の底に抱いているルイスに対する負けん気はそう簡単に変わるわけではないが、それでも必死に認めようとしているのが言葉の節々で理解出来た。
リーリアは伏せていた顔を上へと向けた。
「静様。私は静様付きの侍女でございますが、利己的で、自己顕示欲が強いばかりではなく、気性も比べて強い方だと自覚しております。大神殿より仰せつかっておりますが、静様がこの先、不要と判断するのであれば、どうぞこの場にて暇を頂きたく思います。当然ながら、この場で見聞きしたこと全て、決して口外しないことを我らが神に誓います」
「え、困る」
「……え……こま、る?」
必死に伝えてくれたリーリアに対して、静はつい素でこの場の雰囲気には似つかない返答をしてしまった。が、してしまったのは仕方がない。
静はリーリアの前へと進み、目線を合わせるように片膝をつき、笑みを浮かべた。
「せっかくリーリアと仲良くできそうと思ったからさ。急にいなくなられるのはちょっと困るというか。いや、本当に暇が欲しいなら仕方が無いのだけど」
「い、いえ! 私は、静様のお力になりたいのは本心でございます! ですが、私は……、私は静様に対し、何も出来ず……」
「何も? リーリアはたくさん教えてくれたのに?」
「しかしそれは」
自己顕示欲の為。自分の能力をひけらかす為。だが、それがどうしたというのだろうか。
「おかしいと思わない、リーリア」
「……何を、ですか?」
静は笑みを深め、銀の瞳を細めた。
「この世界の住人であるならば、おそらく知らなければいけない常識と言ったものをわたし達は何も分かっていない。ルイスは感づいているかもしれないけど。だっていうのに、わたし達は問題なくこの国の言葉を話し、文字を読めている。何一つ、知らないくせにね?」
リーリアの顔が困惑に満ちていく。静は椅子に大人しく座っている銀の子狼に振り返る。正しくは、子狼の姿に扮した愛娘に、だ。
愛娘は、ゆるりと尾を揺らし、こくりと頭を上下した。
「静様……?」
自分はなんて狡い人間なのだろうか、と自嘲の笑みがこぼれた。
こんなにもまっすぐに慕ってくれるリーリアに、なんだかんだとここに来てからずっと世話を焼き続けてくれるルイスに、ある種の裏切りをするのだから。
名を呼ぶリーリアから数歩離れ、二人の姿を視界に入れた。
「わたし達は本当に聖女なんかじゃないよ。そして、そもそもとして、この世界の住人でもない。何故か聖女と呼ばれているけれども、曰く、わたし達を守る為の名称として使ったと聞いている。そして何故、こうも首をつっこんでいるかっていうと、元の世界に帰る為だよ。全部ね」
リーリアが言葉を無くし、ずっと表情を崩さなかったルイスがようやっと大きく表情を崩し、全面に驚きの色を見せていた。
「わたし達は偶然、この国に……それこそ歪みの原因となっている者達が行ったとされる魔術、かな。それに巻き込まれただけ。本当は帰れるらしいのだけど、残念なことに愛娘達の力は歪みのせいで力が枯渇し、帰れない。だからわたし達はこうして動いているし、愛娘達はわたし達に力を与えてくれ、ずっとそばにいてくれている」
静が言い終わると同時、ルイスが瞬時に膝をついたままのリーリアを半ば無理やり立ち上がらせ、静と子狼から距離を取らせた。
「……警戒されたんだけど、どうする。ユフィアータ」
『静の語り口調が良くないと思うぞ』
「雰囲気って大事かなって」
『それは大事だな』
「ねぇ?」
静がその名を呼べば、子狼の姿に扮したユフィアータはさっそく静に少々小言を漏らした。とはいえ、おおむね同意をもらったので良しとした。
再度二人を見やる。リーリアはその場に両膝をつき、祈りを捧げるかのように深く頭を下げていた。そしてルイスは片膝だけつき、同じように両手を握り頭を深く下げていた。
どちらからも、全身から全身から緊張と畏れが伝わってきていた。
『顔をあげよ、人間。私は今、そこまでの力なぞない。見ての通りの子狼だ』
「昼寝が趣味らしいよ」
『あれはいいな。後、食事も良い』
「満喫してらっしゃるようで良かったよ。つまり、こういうことなんだよね。ちょっと立っているの疲れたからそこ座るけど良い?」
『良いぞ。だが静の膝の上より、リーリアの方が良い。静は触りすぎる』
「はいはい、ごめんねぇ。ってほら、リーリアがびっくりしてるよ」
『なぁ、静。これでブラッシングしてもらえなくなったら、泣くぞ? 夜に永遠と泣くぞ? 遠吠えしても良いのか?』
「地味に嫌だな、それ」
きゅんきゅん、きゃん、と鳴き声交じりに訴えてくるユフィアータを持ち上げて静は椅子に座り、膝の上に乗せた。無論、もしゃもしゃと撫でまわす。
威厳も何もないユフィアータと静がやり取りをしている間に顔を上げた二人だが、リーリアは呆気にとられ茫然としており、ルイスはなんと言うか、あんまりにも残念なものを見るかのような視線を向けいた。
「……静様」
「うん?」
「……ネーヴェ様、いえ、ユフィアータ様が嫌がっているようですので控えた方がよろしいのではないか、と。と言いますか……、狼のお姿になられることも、そちらの名前のことも、文献には何もなかったはず、ですが」
この状況の中、遠慮なしに静の手を止めさせようとするのは流石だった。
そして予想していたとおり、ネーヴェのこの姿と名前について問われ、静は少しだけ罰の悪そうに顔を歪めた。
「わたしのせい、かな。こっちに落ちる前に、狼の……なんだ、絵を見てたんだけど。それが影響して、狼の姿になった。後名前はわたしが勝手につけた。わたしがいた世界の言葉で、雪と言う意味だよ」
『うむ、良い名だ』
本当に気に入ってくれているようで、静は心底ほっとしていた。
「つまりなんだけど。他三人の側にいる小動物も皆、愛娘ってことになるんだよね。伊織は蛇が好きだから、リディアータは蛇になったんだろうけど。名前の由来までは分からないや」
『正式にはヨルムンガンド、らしいぞ。リディ姉上はその意味を知らないようだが、静は知っているか? 何かの名称らしいが』
「ああ、こっちの世界に伝わっている伝説の生き物だね。世界蛇って呼ばれている大きな蛇だよ。確か……、そう。世界をぐるりと巻き付いているんだったっけな。それとは関係ないけど、白い蛇ってわたしがいた国だと幸運を意味しているんだよ」
『おお、それは良いものだな!』
「ね。メルはたぶん、そのままメルヴェアータからとったんだろうけど、猫かぁ」
『奈緒が猫好きなんだそうだ。それと真咲は鳥が好きらしいし、ラウディ姉上はあのディーヴァという名前をいたく気に入っていた。歌姫という意味があるそうだな』
「ぴったりだねぇ」
けども、ラウディアータは歌うのだろうか。なんて余計なことをつい考えてしまいそうになった静はすぐにその思考を隅っこへと押しやった。
「ねぇ、ユフィアータ。それともネーヴェって呼んだ方が良い?」
『うむ。この姿の時ならば、ネーヴェが良い。それよりリーリアの元へ行きたいんだが』
「はいはい、分かったよ」
『リーリア、抱っこしておくれ。静がまた毛並みを乱してくれたのだ』
「ひゃいっ?!」
何もかもが突然すぎて、全てを受けとめきれていないリーリアは大きく肩を跳ねさせた。だがそんなことはお構いなしにネーヴェは静の膝から飛び降り、リーリアに向けて駆けだした。
「……よし。話がだいぶそれた気がするけど、こちらの事情は今話した通り。なんであれだ、聖女云々言われるのは正直勘弁したい」
『静、それは駄目だぞ』
「え」
『お前達を示す言葉だ。それは覆せん』
「リーリアに腹見せながら言うな、クソ」
ネーヴェがすかさずに否定してきたが、その姿はというと仰向けになり、リーリアに毛並みを整えられている状態だった。
欠片も緊張感もないような姿に、静はつい語気を強くしてしまったが仕方がないと主張したい。
「分かった、それは良いよ。で、なんで話したかって言うと……。なんていうかな、完全にこっちの都合というかね?」
「……今のお話を聞く限りですが。静様達は巻き込まれた結果、現状に至っているとのこと。であれば、この現状になっているのは完全にこちら側の責になるのではありませんか」
「まぁ、確かにそうかもしれないんだけどさ。個人としては巻き込んでいるし、ルイスに関して言えば……その、ほら。部屋から出してもらったわけなんだけど」
昨日に引き続き、今朝も同じくルイスに手を引かれ、ようやく部屋の外に出ることが出来たのだ。情けないったら仕方がない。
「それで、リーリアが話してくれたでしょ。だからわたしは……、わたしが今のところ出来る最大限に信頼しているっていう意味で話をしたんだよ。で、その上でお願いというか……、いや。難しかったら断ってくれても良いんだけど」
なかなかに卑怯なやり方だと静は自覚している。
無理やりに信頼しているからという理由で真実を開示し、自分達はまさに困難な状況であると感情に訴えたやり方に過ぎないからだ。
それでも拒否されてしまった時の事を考えてしまうと、しばらくは部屋に閉じこもるのは確定だ。
「あの……、その、うん。さすがに、この状況で二人が離れると、困ると言うか……完全に終わると言うか」
「端的に申し上げてください」
そしていざ、言おうとするとどうしてか言葉がうまく続かずにいれば、ルイスがぴしゃりと言葉を投げた。ので、静は慌てて、頭に一番の浮かんだ言葉をそのままに伝えた。
「たすけてほしい」
静は考えていた、ずっと。けども何もかもが分からない状況の中、考えられることなんて限られていた。力があると言われても、それが一体どういうものか正しく理解出来ていない状況。
真っ暗闇の中、明かりも無しにひたすら歩き続けているようだった。
静は実際、とても不器用だ。物覚えが良いわけではない。常に不安がつきまとい、後ろ向きな思考ばかりに目を向け、どうしようもなくなれば結局は暴力に手を出す始末。そのくせにかっこつけたがりなのだから始末に負えない。
そういえば、似たようなことが前にあったと思い出した。
母を一人残して地元から離れる時、静は友達に母のことを頼もうとした。けどもあまりに身勝手すぎる理由だった手前、はっきりとは言えなかった。結局は言えたわけだが、その時に言った言葉と言うのがまさしく同じ、たすけてほしい、だった。
打算も、何もない。本当にどうして良いのか分からなくて、助けてほしくて。
俯きかけた顔を無理矢理に上げた静は、途端、目を丸くした。
「え、あ、リーリア、なんで泣いて?!」
「私はぁ! 私、は……! 静様ぁ……!」
「あー、えっと。お、おいでー?」
リーリアが泣いていた。抱えられていたネーヴェは驚き、しかしすぐに流れる涙を拭おうと頭を押し付けている。あれをやられた後、顔中が毛だらけになるが仕方がない。なんせ相手は子狼である。
そして静はなんとなしに両手を広げてみれば、リーリアが躊躇なく飛び込んできた。
「静様ぁ……私、私は、絶対に静様をお助けいたします……!」
「うん、うん。ありがと。涙拭こうね。ほら、ネーヴェはこっちね」
静はこすらないように袖で涙をぬぐいながら、リーリアの背中を軽く叩いた。
そしてリーリアの背中越しにいるルイスと言えば、完全に呆れた顔をしており、何故か若干苛立ちが見え隠れしていた。理由は不明である。
「……ルイス……?」
「馬鹿な事を申し上げないでください」
「え、ば、馬鹿……?」
「そんなことを願いたいが故に信頼だのと言って、今この場で話されたことです。それを開示するので今ではありません。もっと先です」
「ルイス、ちょっと厳しいかも。わたしが泣く」
「そうですか」
「あれ、冷たくない? え、もしや八つ当たり?」
冗談っぽく若干ふざけてみたら、案の定図星だったのか、さらにルイスの眼差しがより鋭くなった。
「よろしいですか、静様」
「何かな、その」
「私達にその願いは不要です。信頼しているというのであれば、私達が貴方に向けているものを重々把握なさってください」
「こ、言葉でください。せめて、言葉……!」
意味が分からない。とくにルイスに関しては普段から表情が読めないのだ。だというのに、どうやって分かれと言うのか。せめて伊織を側につけさせて欲しいところだ。
「静様、私は、静様のこと大好きなんですぅ……!」
「わ、わぁ、嬉しいな。ありがとうね、リーリア。で、えっと、ルイス、は」
未だに止まらないリーリアの涙をぬぐいつつ、ルイスに視線を向ける。が、ルイスはまるで苦虫を嚙んだような顔をしていた。
全くもって意味が分からない。
「……静様だから、です」
「……えっと」
「静様、が……」
ルイスは何かを言葉にしようとする。しかし、静の名を繰り返すのみで口を閉ざしてしまいかけては、また口を開閉させようとしていた。
言葉を選んでいるのか。それとも、良い言葉がないのか。
静はリーリアに椅子に座るように言い、立ち上がる。ネーヴェは変わらずリーリアの腕の中だ。
そして静はルイスのすぐ目の前まで歩みを進め、軽く握った右の拳をルイスの無なものへとあてた。
「とりあえず、だけど。信頼のようなものを寄せてくれているのは分かった。ただ、ちゃんと言えるようになったら教えてね」
「……申し訳ありません」
「そういう時もあるよね。ってことでさ、ルイス。助けてもらっていいかな」
「当然です」
一瞬、罰の悪い顔を見せるもすぐに、いつもの無表情に近い顔に戻り、ルイスは強く頷いて見せてくれた。
「頼りにする」
言葉と共に静はぽん、と右の拳でルイスの胸元を軽く叩いた。
「とりあえずあれだ、この後ヴィンセントに報告するのもだけど、二人に包み隠さずに勝手に話しちゃったからさ。三人から怒られるか何かしら言われると思うので、わたしの精神安定の為に美味しい紅茶をお願いします」
「……承知いたしました。それと、戻る時に抱えるのは変わりませんので」
「そこはさ、信頼してよ」
「転んで落ちるのが目に見えております」
静自身もその未来が簡単に予想出来てしまったので、静はついぞ口をぴしりと閉じ、そっと視線をそらしたのだった。




