07 所詮は夢想だから
人里から少し離れた森の近く、今日はたくさん捕れたのだと、ヘクターが両手に二羽ずつ大きめの兎を持って戻ってきた。かと思えば、あれはどうやら魔物らしい。なるほど、だから額に角があるし、前足に鋭い爪があるはずだ。
今の時期は大体の動物達は姿を見せず、代わりにこうした魔物がのさばっているらしい。こうした魔物は貴重な肉として食べられているのだとリーリアが教えてくれた。ちなみに味は大味で、旨味は薄いらしいが貴重な肉であることは変わりなかった。
そうしてリーリアとノーマンの手によって出来上がった温かなスープを静は時間をかけて食べる。味覚は相変わらず機能はしていないが、ある程度苦しみなく飲み込めるようになっただけでも本当に良かったと火にあたりながらしみじみと思う。
「師匠さ、なんで飯食わねぇの」
「……その呼び方変えろ」
「は? 嫌だけど?」
横からジルとルイスのそんな会話が耳に入り、すぐ隣を見て静は確かにと頷いた。
ルイスの手元にある皿の中身は残り半分くらいだろう。ただ、最初に盛られていた量は実を言えばリーリアとそう変わらないくらいだ。無理やり食べさせようと盛れば、次の食事の時は絶対に一口も食べなかった程度に本当にルイスは食べない。
また無理矢理にでも残りを食べさせるべきかと考えたが、さすがに人前なのでその考えはすぐに取り消した。
「師匠呼びが定着したねぇ、ルイス」
「……指導しているだけなのですが」
「だから師匠なんでしょ?」
納得していないのか、険しい顔を見せるルイスに、静は小さく肩を揺らした。
ジルがルイスを師匠と呼ぶようになったのは、孤児院を経ってからすぐのことだった。ジルいわく、先生よりも師匠がぴったりだった、という理由らしい。確かに指導される側からすれば、呼び方にも気を使ってしまうだろう。だ、ジルの様子を見るに、あれはおそらく本の知識か、もしくは誰かから聞いて真似しているような気がした。
師匠呼び。夢がある。男の子だもんな。呼びたいよな、師匠って。
「……何か変なこと、考えていませんか」
「考えてないよ。ほら、さっさと食べなよ」
さりげなく食事の手を止めようとしているルイスに、静が食事を促せば、小さく息を疲れた。
「そうだぞー、ルイス。ちゃんと食べないとおっきくならないよー」
「筋肉だってつかねぇぞ」
「ちっちゃいままだぞ!」
「とりあえず肉だ、肉。これからもっと寒くなるってのに、それでよく保つよな」
食事を終えた四人は、各々思い思いに過ごしながらルイスに茶々を入れはじめた。
ノーマンはフーリュを膝の上に乗せ、腕の中に閉じ込めていた。どうやら暖をとっているらしく、フーリュはされるがままだ。というか、目を閉じているから寝ているのかもしれない。
フィルはゴズに何か絵を見せ、何かを作らせようと奮起していた。最初はあれほど眷属様だからと遠慮をしていたというのに、今やその遠慮はどこかに消え去ってしまったらしい。
ヘクターはベルンの手入れだ。何度か焚火にかざし、満足げに頷いている。
そしてジェイクはヨカゼの口元を丁寧に綺麗にしてくれていた。相変わらずヨカゼは口元をよく汚して戻ってくる。本当に普段、一体どこでどんな狩りをしているのかが不明だが、きっと聞かない方がよいものだろう。
そして四人に言われて、分かりにくく拗ねた顔を見せたルイスは黙って残りをさっさと食べ終えた。
最初から即座に食べ終えれば良いと言うのに、ルイスは強情にも拒もうとする。普段、あれだけ面倒事は即座に終わらせようとするというのにだ。自分のことだから、なのかは不明ではあったが、これは体質のそれとはあまり関係がないように静は思えてならなかった。
「師匠、皿片付ける」
「……ああ」
ジルは空になった皿を手に、すぐに片付けてるリーリアとエリカの元へと持っていった。エリカの背中にはリオンが先程からくっついているが、もうすでに見慣れた光景だ。そしてそれをジルは無言で呆れた目で見て、二人の手伝いを始める。
おそらく孤児院でも同じようなことをしてきたのだろう。何せあそこは大人が一人に対して、子供が二十人近くだ。誰かしらが手伝う必要がある環境だったのはよく孤児院というものを分かっていない静でも容易に想像が出来た。
「ルイスって好き嫌いあったっけ?」
「……甘すぎないものであれば、基本的には食べられます」
またジルとリオンが何か言い合いを始めた様子を目にしつつ、静はルイスに何気なく問う。が、別に好みの問題ではないらしい。では他の理由はなんだろうか。もしや猫舌で熱いのが単純に苦手なのか。いや、しかしリーリアが入れてくれた熱い茶は飲んでいたからそれはない。
では、本当に体質の問題だけなのだろうか。
静は悶々と考えながら、一口ずつ異物を僅かな痛みと共に飲み込み、一息をついた。
「別につまらない話ですよ」
「うん?」
一体なにがつまらない話なのかは分からないが、ルイスはずいぶんとくたびれた様子でそのまま続けた。
「漆黒に入隊したばかりの時に、食事に薬物やらを混ぜられた時があったので。それから食事に苦手意識を持ってしまっただけです」
この状況が面倒になったのか、ルイスは理由を自ら話をしたのだろう。ただ、静が想像していたものよりもずっと深刻なもので、つい絶句しかけた。
ルイスの話が聞こえたのだろう、ジェイク達は揃って手を止めて視線を向けていた。
「……その。薬物って」
「薬物は薬物です」
「……じゃあ、そのやった相手は?」
「丁寧にお礼をさせていただきました」
「丁寧に?」
薬物については詳しく話すつもりはないらしいが、きっと碌でもないものだ。何せまともに食事ができなくなる程度のものなのだから。
しかし、きっちりとお礼。もとい、仕返しはしたらしい。つい、静はその丁寧にしたという内容が気になり聞き返せば、ルイスは少し思案するように僅かに首を傾げたがすぐに答えてくれた。
「運よく訓練時にあたったときは吊るしましたし、外をしばらく歩けなくなる程度の情報はばらまきました。後は、そっくりそのまま、同じ薬物を仕込みました」
普段のルイスからは欠片も想像が出来ない仕返しだったため、静はしばらく思考が止まった。
「……ねぇ、ちょっとさすがに情報のそれはかわいそうじゃない?」
「漆黒でしたので、自己訓練も兼ねた結果です。それにやり方を教えてくれたのはオリヴィア達です」
「オリヴィア、達?」
「アイヴィとロビン、オリヴィア、イーサン。その他、漆黒数名」
「わぁ全員、皆の護衛だね。頼もしいや」
なにそれ怖い。静は本音をどうにか飲み込んだ。
「たださすがにやりすぎたので、謹慎はくらいました」
「やることやってるね。クソガキ」
「まだ成人を迎えていなかった時の話です」
右も左も分からない子供。そしてルイスはきっと、その頃から素直で覚えが早かったに違いない。だから皆こぞって教えて今のルイスへと成長したのだろう。しかも本人はすでに開き直っている始末だ。これでは何を言っても流されて終わるのが目に見えている。
静はそれ以上深く聞くことは止め、一先ずはと考えることにした。
「おいしいの、たくさん食べよ。ルイス」
「ご自身のことを先に考えたほうが良いのでは?」
「それはそれ。これはこれ」
一先ず、おいしいものをたくさん食べてもらおう。今は無理だろうから、これが終わった後にでも。ジェイク達も話を聞いていたから、きっと、大丈夫だ。
気づけばノーマンはリーリア達のそばにいた。何を話しているのか分からないが、リーリア達が一斉にこちらを見ていたから、きっと今のルイスの話しを伝えたのだろう。
大丈夫だ、この先。
終わった先に、自分がいなくても。きっと。
静はすっかり冷え切った残りのスープをまた一口飲み込み、無理やりに飲み込んだ。
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食事が終わりしばらくすれば、いつものようにちょっとした運動、というよりかは訓練が始まる。
本日のリオンの相手はジェイクだが、あっという間に小さな体が高く積もった雪原に投げ飛ばされていた。
「うわぁん! ジェイクのばかぁ!」
「あっはっは! 弱い弱い!」
綺麗に積雪に埋まったリオンはすぐに顔を出て叫ぶ。顔には白い雪がついたままだ。それをみてさらに大きく体を揺らして笑うジェイクに、リオンはさらに怒ったように両腕を振り回した。まるでゴズそっくりだ。
その近くでは、ルイスとジルが向かい合って何かを教えているようだったが、ジルは両手で頭を抱えていた。
「だぁかぁらぁ! 魔術なんて使ったことないんだって!」
「……感覚で分かるものじゃないのか?」
「その感覚ってなんだよ!」
どうやら魔術を教えているらしく、ジルは苦戦しているようだった。
なんでも器用にすぐに覚えてしまうルイスはむしろ何故出来ないのかと思案している姿が見え、静はついつい小さく笑みをこぼしつつ、近くで馬の世話をしていたノーマンに振り返った。
「ねぇ、ノーマン。ルイスの指導ってかなり厳しいよね」
「そりゃあそうですよ。あいつ、一回見たり聞いたりすればだいたい出来ますけど、ジルはもちろん出来るわけがない。しかも今まで魔術について何も知らないところから初めてるんで、ああなりますって」
例え魔力を持っていたとしても、基礎となる知識は必要となるらしい。それでもリーリアのように魔術を使えない者もいるようだが、そこは適正というものなのだろう。あくまでも想像でしかないけども。
ルイスはその場にしゃがみ込み、積もった雪を使い何かを描いている。ジルは大きく頭を傾けつつも何かを聞いている。それに対してルイスは頷き、また続けていた。
「……まぁ、けど。ルイスには良い経験にはなるかな」
「本当、静様ってルイスに言いませんよね」
「あっは」
誰かにものを教えることも、成長には欠かせない経験となる。
ルイスは賢い。素直ですぐに器用に自分のものにしてしまうほどだ。きっと、もっと、素晴らしい人になるだろう。
大丈夫。もう、きっと。そう、いなくなっても。
静は大きく空を仰ぎ、大きく白い息を吐きだした。
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今夜も冷えるなぁと静は息を吐きだす。幌の隙間から差し込む月明かりが息を白く照らしていた。
「どう、ジルは」
今夜もまた背もたれ変わりにしているルイスに問えば、頭の上から小さく息が落ちてきた。
「……私の認識が大いに間違っていたのを痛感しています」
「真面目だねぇ」
今日の様子もそうだが、日々ジルへの指導で苦戦している様子がうかがえた。今までの自分の経験が、実を言えば大きく異なるものだと目の当たりにしたようだった。
それでも途中で投げ出さず、ジルに理解しやすいようにとかみ砕きながらも教える姿は眩しいものだった。
「何故、彼を?」
「良い目をしていたから」
「……意味が分かりません」
「何だろ。ヘクターみたいな勘かな?」
今更、ジルを連れてくることを決めた理由を聞いてくるルイスに、静は小さく笑った。顔を見なくても呆れているのだろう、その様子が目に浮かんでくる。
「大きくなりそうだなって思って」
きっと、素晴らしい騎士になるだろう。その姿を見ることは出来ないのだけど。なんとなく、静はそう確信をしていた。
「……私よりも、深紅の……それこそ、カルロスがいれば良かったのですが」
「そう?」
「漆黒ですよ、私は。ジルが目指すような騎士ではありません」
「けど、ジルは何も言ってないでしょ?」
「それは……、何でもすると言った手前、言えないのでしょう?」
ルイスが展開している傍聴の魔術が少し揺らいだのを静は肌で感じた。
すぐ近くで眠っているリオンやジルはミノムシのように毛布を体に巻き付けて眠ったままだ。ちゃんと話が向こう側に聞こえていないことを見て、静はより深く、ルイスにもたれかかった。
「正々堂々が騎士の本質だって?」
「……そうとは、言っていませんが」
深紅こそ、誰もが憧れる騎士の姿であるのは静だって理解出来た。だからこそ、ジルにはそちらのやり方を身につけさせたいのだろう。しかしジルは静の為に強くなり、騎士になるとまで言って来たのだ。で、あるならば、だ。
「ルイスはわたしの騎士なんでしょう?」
「はい」
「それなら問題ないよ。何もね」
しかし静が求める騎士の姿は、ルイスのような騎士だ。派手な騎士なんて不要だった。ただ、その中で表に出ても困らない程度の騎士になれば良いと思うくらいだけども。
ルイスは納得をしていないのか、それとも不満でも抱いているのか、腹に回っている腕が少しだけきつくなった。
困ったなぁ、と静は考え、ふと思いついた。
「ね、ルイス。ちょっと外、出たい」
「……今、ですか」
「うん。今」
ちょっとした息抜きのようなものだ。とはいえ、面倒な我儘であることには変わりない。だから聞き流されても良いものだが、ルイスは深く長い息を吐きだした後、無言で静を抱え上げた。
どうやら聞き入れてくれたらしい。お礼にと片手を伸ばし、わしゃりと頭をなでれば不愉快そうに顔を歪められた。
夜は昼よりもより一層に冷え込み、体の芯まで凍えてしまいそうだった。
一歩、進むだけで足を雪で取られそうになる。
「転ばないでくださいよ」
「うん、分かってる」
言いながらもしっかりと手をつないでくれるルイスに、静は胸の内がくすぐったくなった。
吐き出す白い息が上にのぼり、霧散する。そしてそのまま見上げれば、今まで見たこともないような星空が一面に広がっていた。今夜は満月で明るいというのに、これほどまでに美しいだなんて今の今まで知らなかった。
もっと早くに知れば良かった。いや、知らない方が良かった。この光景も、この思いも、全て。
真上には銀の満月。ネーヴェの、ユフィアータの瞳のような、その月が語り掛けてくるようだった。
本当に、知らない方が良かったのか、と。
「ねぇ、ルイス」
「なんですか」
満天の星空。美しい銀の満月。なんて素晴らしい夜であろうか。
静は、だから、これから言う言葉は、この夜のせいだと強く決めつけた。
「月がきれいですね」
ルイスは深緑と翠玉の瞳を瞬かせた。そして月を見上げ、小さく息を漏らした。
「……あちらでは、月はまた違うのですか?」
「こっちの方がよく見えるよ。それに、なんだろう。ちょっと大きく見えるね。気のせいかもしれないけど」
「そうですか」
静は声に出して笑いたくなった。そして同時に泣きたくなって。
とても、さむくなった。
「ね、ルイス。踊ろ」
「静様。いい加減に」
「駄目?」
控えめにルイスの服を掴みながら、静は懇願をする。言葉を止めたルイスはそんな静を見下ろし、片手で顔を覆ったかと思うとまた、大きく息をついた。
「……一曲だけですよ」
「うん」
我儘を聞き入れてくれたルイスは、静の手を引いて比較的雪が積もっていない場所へと連れ出す。そして、大神殿で一度だけ踊ったように、ルイスは静の背中に手を回した。
「足を踏まないでくださいよ」
「どうしようかなぁ」
「止めますよ」
「踏まないって」
ほんの少しの言葉を交わし、ルイスは同じようにゆっくりと動き出した。おかげで静は迷うことなく、覚えているステップを踏む。ただ、雪の上なので思うように動けないのが少しだけ面白くって、静は小さく肩を揺らした。
ルイスは無言で本日何度目かのため息をつきながらも、背中に回した手に力が込められた。
大丈夫、もう大丈夫だと、静は何度も言い聞かせる。
ほら、言うじゃないか。初恋は実らないって。
大丈夫。
だって彼の周りには信頼できる者達がいるから。きっと、そう、大丈夫。後は、自分が生きるだけ。
だい、じょうぶ。
「……静様」
動きを止めたルイスが、静の目元に一度だけ触れ、そのまま静を抱き寄せた。
「……冷えますから」
そうだねぇ、と静は答えたかった。けど、代わりに目元から熱いものが知らないうちに流れていた。
仕方がない。
だって今日はこんなにも冷え切っていて。美しい満天の星空に浮かんだ銀の満月が、愛おしい彼女の目にそっくりだったから。
今日だけ。今夜だけ。
そしたら、もう全てを胸の奥にしまい込んで、鍵をかけてしまうから。
だから今、この瞬間だけ。
愛おしい貴方と離れてしまう未来なんて無くなれと、願わせてほしかった。




