05 スライム怖い
静は揺れる焚火の近くでヨカゼに強く抱き着いた。
「……スライム怖い」
「だから言ったでしょう。恐ろしいと」
静の後ろにいるルイスは呆れつつ、雪まきれになった静の髪を整える。その横でリーリアが木の大きなカップに白い湯気が立つ紅茶を差し出してくれた。
静は遠慮なく受け取り、ちびちびと慎重に飲む。
小鳥の集団に襲われたわけだが、おかげでだいぶ回復し、人前でもこうして飲食をしても良いだろうと思えるほどになった。とはいえ、急いで飲食をすれば痛みに悶えるみっともない姿を見せてしまうため、時間はかかるのは変わらないのだが。
「静様、少し髪を整えてもよろしいですか」
「え、どういうこと?」
「申し訳ありません。スライムの溶解液が付着したままだったようで」
どうやら一部、髪が溶けてしまったらしい。明らかにあれば不可抗力だ、仕方がない。それにこちらに来てから、散髪なんて一度もしていなかったせいで髪はあれから伸びっぱなしだ。リーリアやルイスが整えてくれるから放置しているが、そろそろと重くなってきた。
ついでだからある程度切ってもらっても良いなぁと静はのんきにそんなことを考えてしまった。
「良いよ。ついでに短くしても良いし」
「冗談はやめてください」
「ええ?」
結構本気で言ったはずだが、ルイスは冗談だと一蹴した。そしていつの間にかリーリアがルイスの傍らに立っているのが見え、二人の会話が聞こえてくる。
「ルイス様。せっかくですから、このあたりを」
「……ああ、そうだな」
「それと……」
「いや、そうなると……」
どちらかが、いや二人して静の髪に触れながら何か相談をし始める。しかも聞こえる声からして、そこそこ真剣に話している。
何をそんなに話すことがあるのか静は意味が分からずにいると、視界の下の方で何かが動き回るのが見えた。
「ん? なぁに、ゴズ。っていうか、どうしたのベルン持ってきてさ」
『心配したそうよ』
「そっか。ごめんねぇ」
下の方には、いつの間にかゴズが太い両腕を振り上げ、短剣のベルンを持ち上げていた。さらにそこへひらひらとヴィラがベルンへと止まり、とても賑やかな集まりになる。ゴズとベルンを指先で突くように撫で、そしてヴィラを指先に止まらせながら横を見れば、フィルとヘクターが何故か羨ましそうにこちらを見ていた。
その視線の意味に静は分かりかねていれば、目の前に梟のフーリュが音もなく降りてきた。
「おかえりぃ、フーリュ。あ、ゴズ突くの止めなぁ」
周辺の見回りから戻ってきたフーリュは何が不満なのか、ゴズの小さな頭を嘴でコツコツと突き始めた。
ゴスは止めろと言わんばかりにベルンを振り回しているが、ベルンはその使い方をされて怒らないのか少々心配してしまう。と、ゴズはすぐに動きを止め、慌てて静に渡してきた。どうやら怒られたらしい。
「……何してんの、ルイスもリーリアも」
「静様の髪を整えている」
「はい。せっかくですから」
同じく戻ってきたノーマンがルイスとリーリアの奇行に呆れたように声をかけたのが聞こえた。もちろん二人といえば、当たり前のように静の髪を整えようとしていると答える。ちなみにまだ話している途中だった。
なので静は遠慮なく頭を動かしてノーマンと、その横にいたジェイクに目を向けた。
「おかえり、ノーマン。ジェイク」
「ただいま戻りました」
「戻りました。ってか、何しているんですか。静様は」
「この子達と遊んでる」
ノーマンに続いてジェイクが言葉を返しつつ、興味深そうに静の前にいる眷属達を眺める。
ゴズはジェイクに向け、元気よく両腕を振り回し、そのままバランスを崩して後ろに転んだ。その姿を見てフーリュが仕方がなさそうに器用に足と嘴で起こすと、ゴズは機嫌が良さそうに片腕を振り回した。今度は転ばないようにもう片方の手はしっかりとフーリュを掴んでいた。
その一連の行動に静はつい和む中、疲労が滲むノーマンが耳に届いた。
「周辺見てきたけど、やっぱりこのあたりにスライムが生息しているみたいだよ」
「昨年はいなかったはずだが」
「やっぱりそうだよね……。はぁ、嫌になるや。道順変えなきゃ」
どうやら、このまま進もうとした先にスライムの住処があるらしい。ノーマンが大きくため息をつき、小さく唸った。
しかしそんな反応になってしまうのも静は今になって強く理解してしまった。一度ここで体制を整えなければいけないほどに、この先は想像していたよりも危険が待ち受けているのだから。
気づけばリオンとエリカも戻ってきており、リオンは真っ先に焚火の前へと駆け寄った。
「おかえり。リオン、エリカ」
「……ただいま」
二人にも同じように静は声をかけると、リオンは小さく返し、エリカは少し顔をしかめながら小さく頷いた。
「リオン。どうだったー?」
「ぼく達の方はだいじょうぶかも」
「ん、じゃあ、そっち側だな」
ノーマンがジェイクと顔を突き合わせながら地図をひろげ、ああでもない、こうでもないと話し始める。だが、リオン達が戻ってきたことで方向性は決まったらしく、より安全な道を検討し始めていた。
さて、何故こんなことになっているかと言うと、スライムの襲われたのだ。当然のことながら、静が好き勝手したからではない。
ただ、いつものように幌馬車近くをいつものように運動不足にならないようにと歩き回っていたのだ。周囲は針葉樹の森ばかり。少し薄暗い森の中をヨカゼを先頭に、ルイスに手をつながれてつつ歩いていたら、雪の塊が落ちてきた、と思ったら白いスライムに襲われたのである。
突然のことに静は変な声の悲鳴をあげ、ルイスはそんな静を肩に担いでその場から脱出。スライムはそれでもしつこく追いかけようとし、ルイスが何かの塊をスライムへと投げた。丸い石のようなそれはスライムに当たると同時に大きな破裂音と共にスライムの体は周囲に爆散した。
なかなかに衝撃的な光景を目にしつつ、ヨカゼが殿を務めてながらその場からどうにか逃げ出したのだった。
スライムについてはルイスからはもちろん、真咲に再会したときにちゃんと話には聞いていた。
奴らはとても狡猾で恐ろしい魔物である、と。さらに詳しく聞いていくうちに、なんと奴らは匂いも音もほとんど発しないらしい。だからヨカゼは北から南へとくだり、居住を移したのだというのだ。
聞いた時はへぇ、と少し他人事のように捕らえてはいたが実際に目の当たりにし、その恐ろしさに今もまた手足が震えそうになるほどだ。
誤魔化すようにヨカゼの首元に抱きつく腕をより強めながら、何気なくヨカゼの黒銀の毛を撫でていると、途中何かの引っかかりがあることに気づいた。
「……あ、ヨカゼ。ここの毛、溶けてる」
『あら嫌だ。恥ずかしいわ。今度会ったらかみ砕かなきゃ』
スライムって噛み砕けるのか、と静がそっかぁとついついまた他人事のように相槌を打つ。と、少し髪が後ろに僅かに引っ張られる感覚が伝わった。後ろから聞こえてきた二人の会話も無くなったことで、今からようやく髪を整えてくれるらしい。
「静様。ナイフを使いますので動かないでください」
「はぁい」
鋏よりも危ないものだ。それならばちゃんと終わるまで動かないようにしておかなければ、と静はヨカゼの頭に顎を乗せた。ヨカゼが大きく耳を一度動かしたが、分かってくれているようでちゃんと利口に動かないでくれていた。
とは言え、ただ黙って待っているのもつまらないので、そのままヨカゼに気になっていたことを静は聞くことにした。
「ねぇ、ヨカゼ。話せるところまでで良いんだけどさ。ヨカゼがいた国ってどんなところ?」
『私がいたところ? そうねぇ、あの桜があるところなのだけど。ここがまずどこか分からないのよね』
「ああ、そっか」
同じ世界。そして国の名前が分かったところで、どれほど離れているのかというのは地図を見なければ分からない。そもそもとしてヨカゼは地図を見ても分かるのかどうかという疑問を抱いてしまう。
『けど、そうね。静みたいな黒髪の人間が比較的多かったわね。顔の形もそっくり』
「……そうなんだぁ。それじゃ、どんな神に仕えていたの?」
『龍神様よ。って言っても分かるかしら』
静の頭の中に、蛇の体に鹿の角。鱗に鋭い爪を持つ、日本でもよく見る龍の姿が思い浮かんだ。他の動物が混ざり合った姿だったはずだが、残念ながら他は覚えていない。
と、焚火を挟み、向かい側で温まっていたリオンが大きく首を傾げた。
「ドラゴンの神様?」
『違うわよ。そうね、お姿は蛇に近いかもしれないわ』
「えー、蛇?」
蛇、ということは静の知る龍とよく似た姿の神なのかもしれない。
静はその答え合わせをするためにヨカゼに問いかけた。
「蛇みたいに細長くって、角があって。それから全身鱗があって、鋭い爪を持つ手足があって。それで、翼がなくても空が飛べたりする?」
『ええ、そうよ。あら、静は知ってるのね』
「こっちの世界でも描かれているからねぇ。本当にいるかは分からないけど」
『そうなの? いらっしゃったら良いわね』
「ねぇ」
静は今になって、本当に神というものはあちらの世界でもいるのかもしれない、と思い始めていた。
何せ魔力の有無の違いだけでこれほどまで見目が同じ人や動物達、植物までもが存在しているのだ。静が想像している龍もいるということであれば、きっと、あちらにもいるのかもしれない、と。
「つばさがないのに飛べるの?」
『そうよ。とてもお美しいの。まるで空を泳ぐように駆けるのよ』
「そうなんだ……。ねぇ、ヨカゼのいた国のこと、もっと教えてよ」
『良いわよ』
好奇心いっぱいに目を輝かせるリオンに、ヨカゼは機嫌良さげに尾を大きく揺らした。
『そうね。あっちは四季がはっきりとしているの。春になれば薄桃色の美しい桜の花が一斉に花を開くわ。人間達はその桜を愛でながら、外でよく宴をしているわね』
「うたげ?」
『ごちそうを食べるの』
「たのしそー!」
きっと花見のことだ。どうやら文化もよく似ているらしい。しかし宴だなんて言うくらいだ、静の知る宴会とはまた違うのかもしれないが、きっと酒は出てくるはずだ。
『夏はこの国よりも暑くなるし、日差しもきつくなるわ。それに何よりも蒸すのよ。夏って本当に嫌い』
「……そんなに暑いの?」
『見てごらんなさいよ、私を。この毛皮が脱げたらどれほど良いか。人間達はよく海や川で遊んでいるわね』
それは暑いだろうなぁと思うのと同時、けどもあの日本の尋常じゃない暑さよりはこっちのほうがマシなのでは、とこちらのヨカゼがいた国のことを欠片も知らないというのに静はそんなことを考えてしまった。
『それで次は秋ね。この国ではあっという間に過ぎ去ってしまうけど、こっちの秋はとても長いのよ』
「そうなの?」
『山がとても綺麗に染まるの。赤に、黄色。後はご飯がとってもおいしいわ!』
紅葉と実りの季節。秋はとても素晴らしい季節だ。とても声高に語るヨカゼについ、静は黙って同意するようについ、小さく頷いた。
「静様、動かないでください」
「あ、ごめん。いや、分かると思って」
「……静様の国でも同じなのですか」
「そう。実りの季節だからね。とくにお米がおいしくって……」
「……ああ、東の方の主食ですね。確か」
髪を整えてくれているルイスからの注意に、静はすぐに謝りつつ、言い訳じみた理由を言えば、ほんの少しだけ納得したように言葉を落とした。
この世界、というよりこの国の主食はパンだ。つまり麦がある。だから米があってもおかしくはない。
ついつい静は炊きたてのつやつやしたご飯を思い浮かべてしまい、ほんの少しだけ落ちるならあちらでも良かったのでは、なんてことを考えかけ、すぐにかき消した。
『冬は場所によるけど、これぐらい雪深くなる場所もあるわね。ただこっちと違って、あっちの雪ってすぐ重くなるから気を付けないといけないわね』
「そうなの?」
『そうよ。だから積もった日は人間の家の側を歩いちゃ駄目なの。生き埋めになるから』
「……こわぁい」
『そうよ、怖いのよ』
本当に日本とよく似ている気候らしい。日本も場所によってだったはずだが、雪が積もると重くなると静は聞いたことがある。それに積雪の重さで家だったか小屋が潰れたなんていうニュースも目にしたことがある。
確かにあれはただの水の個体と考えればそれなりの重さになるのは当然だった。
「静様は確か、雪が積もらない場所に住まわれていたそうですね」
「うん。だから、ちょっとでも積もると大騒ぎになってた」
「そうでしょうね」
お世話になったエヴァンハイン家にいたとき、冷たいからっ風が吹きすさぶばかりで積雪はもちろん、降雪もなかった。そして、そこで生まれ育ったルイスがひどく納得したように言うくらいだから、本当にあの付近は静が住んでいたような場所のようにほとんど雪が降らないのだろう。
しかし同じ国内とは言え、うっかりすれば体の半分以上まで積雪している場所まで来ているのだ。あまりにも大きな差に、静はもうそういう国なのだなと思う他なかった。
『それでね、私は皆と一緒に龍神様にお仕えしてたのよ。いろんな人間達がお祈りして、お願いしてくるんだけど。たまに臭い人もいるから、そういう人は追い返したりとか、あとは一緒に遊んだりもしたの』
「神様と遊べるの?」
『私達はよ。人間達とも遊ぶけど、小さな子供相手だけね。リオンならきっと大丈夫よ』
「……けど、ぼく」
『あのお方、とってもお優しいのよ。きっと受け入れてくださるわ』
「……エリカは?」
『ちょっと大きくなりすぎてるから難しいかもしれないわ。けど、受け入れてくれるのは変わりないわよ』
「そっかぁ」
子供にしか見えないのか。会えないのか。ヨカゼが語る今の話からは判断が出来ないが、大人は難しいらしい。ただヨカゼが受け入れてくれると言うくらいだ、だいぶ懐は大きいらしい。
というより、神という存在。そしてこの目の前にいる眷属達もまた、同じく懐が大きい。何せフィル達と共に行動することを許してくれているのだから。
「ヨカゼって、つよいの?」
『前はよ。今はただの狼ね』
「どうして?」
リオンが好奇心のままに、何故と、力を失っているヨカゼに問う。ヨカゼは、積もっている雪を払うように尾を一度だけ動かした。
『ちょっとここに居すぎちゃったからね』
「……それじゃあ……」
リオンは言いかけてすぐに口を閉じた。
帰りたいのか。
きっと、そう言いかけたのだろうと静はなんとなく想像していると、どうやらヨカゼも同じく察したのだろう。困ったように小さく笑みをこぼした。
『ふふっ、やぁね。リオン。私、ここを気に入ってるのよ?』
「……そっか……うん、分かった!」
リオンはその答えで納得をしたように頷き、十分温まったのか立ち上がって、未だに立ち話をしているノーマンとジェイクの元へと駆けていってしまった。
静はその小さな後ろ姿を眺めつつ、ヨカゼの言葉の真意を測りかねていた。
気に入っている。けども、帰りたいとも、帰りたくないとも言わなかった。もしかしたらいずれは、と思っているのかも知れない。けども今はただの狼と変わらないほどの力しか残っていないヨカゼにとって、その願いはきっと、あまりにも残酷なものでしかないのかもしれない。
なにせここは見知らぬ地。空はつながっていようとも、大地がつながっていなければ意味がない。しかもそれがあまりにも遠い場所であり、且つもう百年以上もここで過ごしてきたのだ。
もう、ただの狼として過ごそうとしていた。
適応したのか。それとも、諦めたのか。静には何も分からなかった。
「静様、終わりました」
「ん、ありがと」
丁寧に整えてくれたのか、ずいぶんと時間がかかったようにも思えた。さてどうなったのかと、実際に静は髪に触れてみて、ルイスに振り返り見上げた。
「……長い」
「どうせ私かリーリア殿が結いますので問題はないかと」
「そうかも、だけどさぁ」
この世界へと落ちてきてから、静はまともに一人で髪を結っていない。毎日ルイスかリーリアがやっているわけだが、それにしたって近頃はなんだか妙に重く感じ始めてきたのだ。
折角なら短くしてほしいところだが、ルイスとリーリアの二人相手には絶対に聞きれてくれないものだと静は重々理解しているので口を閉ざし、ヨカゼの温かな毛並みに顔を埋めた。
『どうしたの? 静』
「なんでもなぁい……あ、待って。今、フーリュ乗ったよね」
『ええ、相手してほしそうよ』
「すみません、そこにいると顔上げられません。降りてください。降りてぇ……」
するとどうだ、頭の上にフーリュが遠慮なく乗ってきたのだ。いくら相手にしてほしいからと言っても、乗るのは良くない。しかも折角ルイスが整えてくれたばかりなのだと言うのにだ。
「ヨカゼ、静様の面倒を頼む」
『ええ、分かったわ』
すぐにルイスが降ろしてくれると思ったが、見事に裏切られ、静はヨカゼの毛並みに顔を埋めたまま小さく唸った。
「ひどいよぉ……」
耳にヨカゼの可愛らしい笑い声が聞こえる。
一先ずではあるが、ヨカゼは今、この時を楽しんでくれている。そう静は思うことにし、どうせだからとそのまま不貞寝することにしたのだった。




