19 旗を手に
ルイスの視線から逃れるように、静はふい、と顔をそむけた。
「静様。いい加減に返してください」
「やだ」
静は昨日から借りているルイスのジャケットを握りしめた。
そうするとルイスは不機嫌を隠さずに目を細めて睨みつけ、エメラルドの中の光が忙しなく瞬かせていた。
「動きにくいでしょう」
「うん」
「返してください」
「やだ。あったかい」
「別の物を用意します」
「これが良い」
やだやだ、とわがままな子供ように静は首を横に振る。間にいるヨカゼが先ほどから鼻先を静とルイスに向けて、きゅうと困り果てたように鳴いた。
もちろんだがルイスが困っているのは静だって分かっている。けども、今はこれがあるとないとではだいぶ違うのだ。あの感情を認めたからこそというのもあった。そして何より、これがルイスの物だからこそ、静はあたたかく過ごせていた。
しばらくの睨みあいが続く中、それを破るように扉からノック音が響き、扉が開かれた。
「戻りました。……まだお話をなさっていたのですか、お二人共」
部屋に入ってきたリーリアは、静とルイスを見て呆れた顔を浮かべた。
「だってルイスがしつこい」
「さっさと返していただければ良いだけの話です」
二人の言い分に対し、リーリアは何も聞こえていないと言わんばかりに表情を変えず、代わりに静に抱えていた黒い布を差し出した。
「静様。こちらはいかがですか?」
一体なんだろうかと静は両手でそれを受け取り、広げてみる。と、それはサイズの小さな黒いジャケットだった。しかもデザインは今、静が奪っているルイスのジャケットとよく似ていた。
「リーリア殿、それは一体誰から」
「ザラ様です」
何故か少し焦り気味にルイスがリーリアに問いかけていた。一体どうしたのかと思っていると、横からヨカゼが鼻先を突き出し、小さく頭を傾けた。
『あら、ルイスの匂いがするわ』
静はヨカゼの頭を撫でつつ、妙に落ち着かない様子のルイスを見上げてみれば、視線を僅かに背けられた。
「……私が着用していたものです」
「やったぁ」
「喜ばないでください。捨てます」
「やだ。はい、ありがと」
静はさっそくルイスの大きなジャケットを脱いで返し、代わりにリーリアが持ってきたジャケットに腕を通した。
袖の太さや横幅は問題ないどころか、少しあまりがある程度。これならば動きに支障はでない。が、ふと、静は気になった。
「……ちなみに聞くけどさ。これ、いくつの時に来てた服?」
「十二の時です。確か」
なるほど幼い頃のルイスは発育が良かったらしい。そうだ、きっとそういうことだ。
黙りこくった静を不思議そうに見つめてきたルイスは何かを察したらしく、ほんの僅かだけ口角をあげ、瞳を細めた。
「静様、ずいぶんと小柄なのですね?」
堂々と小さいですね、と煽ってきた。
「やっぱりそっちにする!」
「転ぶでしょう。リーリア殿、ザラはどこに行ったか分かるか」
「いえ。けども近くにいるはずですが……」
リーリアが言い終わるや否や、ルイスは足早に部屋を後にした。それでも律儀にいつものように胸元に手を添えて一礼するあたり、本当に真面目だ。そしていつもよりも大きな音を立てて扉を閉めていった。
「まぁ、騒がしいですね」
「そうだねぇ」
確かに子供の時の服を出されるだなんて、ルイスからしてみれば文句の一つや二つ、言いたくなるのは仕方がないことだ。というか、ザラが誰か静は知らないけども、おそらくはルイス相手に何かしら言えるお人ということなのは確かだろう。
静はゆっくりとお茶を飲みながら話を聞きたいが、未だに味覚が戻っていないことがひどく残念に思えた。
「静様、さむくはありませんか?」
「うん。大丈夫、あったかいよ」
リーリアがふっと表情を和らげる。しかしすぐに眉をひそめた。
「けども静様。やはり可愛らしいものの方が……」
「あのね、趣味じゃないのよ」
「首元のレースが大変可愛らしいのに……」
リーリア的には、可愛らしくふわふわした服を着せたいのは変わらないらしい。
静はリーリアの言葉を右から左へと聞き流しながら、ルイスが戻ってくるまでヨカゼのふわふわの体毛を堪能することにした。
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穏やかな昼下がりの午後。室内は相反して重苦しく、冷えきった空気に満ちていた。
その中で静は膝の上で両手を握りしめ、セオドアを見つめる。セオドアは大きなレンズの眼鏡を押し上げ、小さく微笑みを浮かべた。
「そう緊張なさらず。と言ってもこの状況ですからね」
「すみません……」
静は小さく息をつき、力がいつの間にか入っていた肩を落とした。それを見てから、セオドアはようやく話し始めた。
「ルイスから状況はすでに聞いております。そこから推察するに、呪術を使われたのだろうと思われます」
セオドアの一言に、さらに室内の空気はずいぶんと張りつめ始めた。
同席しているジェラルドはひどくつまらなそうに足を組み、壁際にそろって集まっているジェイク達の視線は鋭さを増した。
リーリアに席を外してもらって良かったと静は内心安堵しつつ、ヨカゼのあのもふりとした体毛を撫で回したい衝動に駆られた。
静はしかし、と一つ疑問に思い、そのままセオドアに聞くことにした。
「その、呪術についてですが、魔術とどのように違うのですか?」
「実を言えば大きくは違わないのです。ただ、性質が異なるというだけで」
「性質?」
静は僅かに首を傾げた。
セオドアは顎を一撫でし、ふむ、と小さく頷いた。
「そうですね……。魔術はある程度の理論に基づいたものになります。呪術に関しても同じものです。しかしながら呪術と呼ばれるものは、対価が異なります。魔力はもちろんですが、血や肉。その他に代償として、術者の一部を必要とするものと様々あります」
対価の違いによって、術の効力というのは異なるのかどうか。と、静は疑問を抱いたがさすがにそこまで聞けば長くなるだろうと思い、控えることにした。
そして想像していた通り、聞かずとも話は更に続いた。
「さらに言えば、我が国特有の考え方になりますが、呪術は神の憎悪であるとも言われております」
「憎悪?」
「はい」
そう言えば、ルイスもジェイク達も皆、呪術というものに対して強い拒否反応を抱く素振りを見せていたことを思い出した。
「神話によりますと、呪術を使用した者は皆、救われることなく彷徨い続けたとの記録があります。これは我ら人間の側にいてくださる愛娘達でさえも、見捨てるに然るべき行為であるという意味になります」
「……相手は、神の憎悪だと知っていながら呪術を使っていると……?」
「それが失われし魔法だと、騙されている可能性はありますがね」
セオドアは片手を広げ、少しばかり身体が前のめりになった。
「魔法は古の術です。魔術に比べて使い手の才に左右され、人によっては使える種類も限られるほどです。もちろんですが、魔術の得意不得意で使われる種類は人により異なります」
つまり魔術は魔法よりも使いやすく発展したもの。その代わりに古いやり方である魔法は時代と共に廃れてしまったということなのだろう。
「魔法とは、神の力により近いものだと伝えられております。理論も、法則も、何もありません。必要なのは祈りと願い。そして愛。これらがあって、初めて使えるものだと言われております」
「……愛、ですか……」
愛。
たったそれだけで魔法が使えるならば、苦労なんてしないはずだ。やはりこれも何かしらの法則、もしくは方法があるのだろう、と静は想像する。
しかしそれならば、自分のこの力は一体どういう原理が働いているのかと、さらに別の疑問が浮かんだが、続くセオドアの話によってかき消えた。
「だいぶ余談になりますが、性質としては呪術に近く、そして魔法の一つだとも言われている術が現存しています」
「そうなんですか」
「はい。血の誓い、と呼ばれるものです。自らの血を用いて誓約し、果たされなければそれ相応の罰を受けるというものです。一昔前の騎士達がこぞって行ったものですが、今でも使われるものになります」
「……へぇ……」
静は頷きながら、何となくルイスへと視線を向けた。
「何でしょうか」
「……いや。うん、何でもない」
何となく、まさかと思ってしまった。何せこいつは命をかけているわけだ。むしろ行っていたとしてもおかしくない話だった。
「漆黒におりますので、秘匿性を確実にするために行うことは当然あります」
「……と言うことは」
「静様にお仕えする時にすでに行いました。立会人はアルベルト隊長です。オリヴィア達も同様に行っているので、私だけではありません。深紅は知りませんが」
すでに事後だったらしい。しかも漆黒では当然のように行われていることだとか。
静は恐る恐る、もしもの話を聞くことにした。
「も、もし、その誓いを破ったら……?」
「確実に首は落とされるでしょうね。さすがの私も隊長相手には逃げられませんし」
つまりアルベルトに斬首される、らしい。
何それ怖い。
静は思わず口元を手で覆い、無意識にそっとルイスから視線を外した。と、偶然にも利口に話を静かに聞いているジェイク達が顔を見合わせている様子をちょうど見てしまった。
静はすかさずに四人に向けて口を開いた。
「やらないでよ」
「え、でも静様」
「でもじゃない。やったら泣くし、しばらく口聞かないから」
四人そろって大きく顔を歪めた。もちろん静はそんな四人を無視し、セオドアへと向き直った。
「先生は呪術について詳しいのですね」
「いえ。僕も同じ呪術を使われたから知っているだけですよ」
静は無言で目を見開いた。セオドアはそんな静の様子を面白そうに小さく肩を揺らした。
「実は元々、僕は学者ではなくて王城の文官。つまりは深緑だったのですよ」
セオドアは当時の事を思い出しているのか、僅かに視線をうろ、と上へと向けた。
「その時に不思議な夢を何度も見ましてね。ええ、静様が仰られたように、不思議な声を聞いたことは今も覚えております。名は存じませんが、その声はこのように仰いました」
セオドアはゆっくりと、そしてはっきりと告げた。
「凍土を早く壊さねば。大地を早く揺るがさなければ」
無意識に静は両手を握りしめた。
凍土。それはユフィアータを示すものだ。つまり、最初からユフィアータが一番に狙われていたということに他ならなかった。
「あちらの信徒は、皆、そのように口をしているらしいね」
黙って話を聞いていたジェラルドがようやく口を開いた。セオドアはジェラルドにゆるりと視線を向け、わざとらしく驚いたような声をあげた。
「おや、ご存じでしたか」
「それなりには調べはついているよ。そして皆、何かの夢を見ている。それを天啓を呼ぶものがいれば、お告げだとも」
確かに、あんなものを見てしまえば天啓だなんだと思わざるえないだろう。
しかしまさか、ジェラルドがそんなことを知っているとは思わず、つい静はジェラルドをじっとりと見てしまったがジェラルドは眉をひそめ、申し訳ないと言わんばかりに僅かに頭を下げた。
「静様のご様子を見つつ、お話をさせていただこうと思っておりました。ただ、まさかこのような状況になってしまうとは想像しておりませんでしたし、先生もご存じ……というよりも、夢をすでに見ていたとは」
「話す頃合いを見定めるというのは何事においても重要でしょう?」
セオドアは朗に笑ってみせた。
なんとも耳の痛い一言で静は思わず口を真横に結ぶ。横から妙に痛い視線を感じたが気のせいだ。
「と、僕の話は良いのですよ。それで確認なのですが、静様の私物が突然紛失してしまったような出来事はありますか? この呪術は相手の私物、もしくは血肉を媒介とするものなのですが」
「私物、ですか?」
静は突然の問いに、大きく首を傾げた。何せあるのはこの身一つ、と思ったが否とすぐに否定した。
そう、静は私物を一つ二つではなく、数多く持っていたのだ。この世界に落ちた時に持っていたはずの鞄に服。それから靴なんて物も。
静はルイスにそっと視線を向けると、ルイスは片手で顔を覆っていた。
「……ルイス。あのさ、本当に今更だけど、わたしの荷物、どこいった?」
「……申し訳ありません。失念しておりました」
「あ、うん。大丈夫。わたしも普通に忘れてたから」
なにせルイスは静を無事に救出してくれたのだ。文句なんて言えるはずがないし、そもそもとして忘れていた自分が悪いだけの話だ。ルイスを責められるはずがない。
「あれかぁ……。いや、でも、つまりあの中に敵がいたってことは確実ってことだな?」
「はい。漆黒であれば全員の名前を書き出せますが、深紅となると……」
「……むしろ覚えてることに驚くんだけど」
「当然では?」
「けっこういたよね?」
「私も含めて漆黒は十三人だけです。深紅は二十人おりました」
むしろ何故覚えられないのか、と不思議そうな目をルイスは向けてくる。そんな頭欲しかったな、と静はちょっとばかし悔しさを覚えつつ、深く背もたれに寄りかかった。
「……まぁ、今更慌てても仕方がないか。一先ず、それはそれとして考えるとして」
荷物が相手の手の内にある。もう起きてしまった事実を今更変えることなんて出来ない。であるならばそれに対抗する手段を考えるのが先決だ。
静はすぐさまに思考を切り替えるように一つ小さく息をつき、改めてセオドアに問いかけた。
「それで先生。ラグマドルス、という名についてですけど」
「おそらく、彼らの言うところの我らが神でしょうねぇ。この流れで言うならば」
「でしょうね」
男か女か。むしろ神に性別なんてものはあるのだろうかも疑問だが、愛娘達には性別があるし、アルカポルスだって女神だ。ということはあるのだろう。そして特徴的な赤い目。
今、静が分かるのは名前と瞳のみだった。
「何故、急にその名が出たのかは気になりますが、分かったことがあります。静様の夢です」
しかしすぐ、静の思考を否定するようにセオドアは笑みを深めた。
「静様が見られた夢に出てきたという祭壇。紫の花。そして黄金の天秤。これらは静寂の山にある聖域に実在するものです。つまりは、そこにその神が座していると推察いたします」
まさか、実在しているものとは思わず静は目を丸くしたがすぐに目を細め、静は笑みを浮かべた。
「そっか」
場所が分かればもう話は早い。
静はルイスへ満面の笑みを向けた。が、ルイスは相反して顔をしかめた。
「じゃあ、ルイス。行こうか」
「……あえて聞きますが、どこへ行き、何をなさるつもりですか」
「静寂の山に行って、そいつを殴ります」
ぐっと拳を握り、静は内に煮えたぎらせていた思いを溢れさせた。
「だってこんなわっかりやすく喧嘩売られたんだもん! ちゃんと買わなきゃもったいないでしょ! 後、すごく不愉快だから殴りたい!」
「お元気ですね」
「そうでしょ!」
「発熱の症状が治っておられないのに」
「……それはさ、うん。気合で頑張る」
「ここはありませんが、王都はすでに積雪していると思われます」
「雪? 良いなぁ、雪遊びしたい」
「……ご自身の体調を理解していますか?」
「気合で」
「誰が運ぶと思っているんですか」
「ルイス」
ぽん、ぽんと静とルイスの会話は進む中、当然のようにルイスは静を荷物扱いするような発言をしてきた。が、静はそんなものがどうでもよくなる程度に慣れてしまっている為、今更だと言わんばかりにルイスを見上げ、首を傾げた。
目元を抑えたルイスは、たっぷりと時間をかけ深く息を吐きだした。
「……承知しました」
「うん、頼んだ」
手を下ろしたルイスはどこか遠い目をしており、ほんの少しだけ静は申し訳なさを覚えてしまった。
どうしよう、後でお昼寝でもさせようかと思案したが余計に疲れさせそうだとなんとなく思い、一先ずは気づかないふりをすることにした。




