第1話 ネコの願いごと
深夜0時00分、とつぜん目の前に学校があらわれた。キーンコーンカーンコーンとチャイムの音が鳴り響いている。
「君!そこの青年!君だよ!はやく入りたまえ!」
学校の屋上で怪しげな男が、手を振って自分を呼んでいる。眼鏡をかけていてボサボサの髪、無精ひげが生えた痩せ型の男だった。
「へっ!?俺?」
「他に誰がいると言うのかね。チャイムが鳴り終わると学校が消えてしまうぞ!さあ、入りたまえ」
(これは、そうか夢か!夢に違いない)
夢なら特に問題ないだろうと思いながら、青年は校門をくぐる。校庭には、二足歩行の動物や魚介類が走ったり遊んだりしている。
「はは…。やっぱり夢だ。しかも何て奇妙な」
「生徒諸君!転校生を紹介する」
先ほどの怪しげな男が、屋上からメガホンを使って話している。一斉に動物や魚介類が自分に注目した。
「彼が、転校生の…ええと。君!自分で自己紹介したまえ!」
「はっ!?ええっ!」
(こんな怪しげな場所で本名を名乗りたくないぞ)
「あの、ニックネームでもいいですか?」
「かまわん!許可しよう!」
「アンラッキーです…。性別は男で…会社員です」
「何だと!アンラッキーだと。ふーむ。なかなかトゲがあって刺激を感じる名前ではないか!不吉な感じが実にいい!」
生徒たちも、わーと喜んで拍手する。変なニックネームを名乗ったことが恥ずかしくなるほどの歓迎ぶりだった。
「まぼろし学校へようこそ!私は校長の遠野だ。さあ諸君、一校時目が始まるぞ。早く教室に入りたまえ」
生徒たちに手を引かれながら教室に入ると、自分が通っていた小学校に似ていて懐かしい匂いがする感じがして心がしめつけられるように切なくなってきた。
「さあ!授業を始めるぞ。一校時目は、アンラッキー君の人生相談!」
「はあ?人生相談って…」
「何かあるだろう?恋の悩みとか…。ん?ん?」
「はあ……。今は別に恋はしてないので…」
「恋愛相談がないだと……。なんてことだ……。二校時目の授業を始めるぞ!」
すると、生徒たちからブーイングがおきた。
「先生!恋バナが好きだからって、いくらなんでも酷いと思います」
「生徒の気持ちも考えて下さい!」
「ちゃんと聞いてあげて下さい!」
「しょ、諸君…。落ち着きたまえ。アンラッキー君、他に相談したいことはあるかね?」
「じゃあ。一つだけ。相談というか、懺悔ですが」
「ふむ…。話してみたまえ」
「ネコを飼ってたんです。タマって名前で真っ白なメスネコで。俺が小学生の時に拾って育てて大人になるまで、ずっと一緒でした。なのに…」
アンラッキーの瞳に涙が浮かぶ。
「………使いたまえ」
遠野先生がハンカチを差し出す。若干、汗臭い匂いがした。
「あ、ありがとうございます。なのに俺は、仕事のために一人暮らしするようになってから、実家に預けっぱなしでタマが弱ってきていることを聞いても、仕事を優先して最後まで会いにいかなかったんです」
「……そうか。それでタマ君は…」
「天国に行ってしまいました。お気に入りの猫じゃらしを抱えたまま…。それも俺が買って遊んだ思い出のオモチャで…」
アンラッキーからボロボロと涙がこぼれ落ち、それを遠野先生の汗臭いハンカチでぬぐう。
「…ハンカチ本当にすみません。グスっ。今さら後悔しても遅いんですが、何でもっと早く会いに行ってやらなかったんだろうって…」
「ハンカチは遠慮なく使ってくれて構わんよ。……ふむふむ。二校時目の授業内容が決まったな…」
「えっ?」
「生徒諸君!二校時目の授業を始めるぞ。校庭に出てくれたまえ」
生徒たちはキャッキャッと、はしゃぎながらアンラッキーの手を引いて校庭に連れ出す。
「何だ?これ…」
校庭に出ると、猫じゃらしやボール、ネズミや鳥のぬいぐるみなどネコが好むオモチャが置いてある。
だが、サイズがおかしい。どれも巨大だ。まるで自分がネコになったような気分になる視点の大きさだった。
アンラッキーが驚いていると、遠野先生があずき色のジャージに着替えていてメガホンを使って話し始める。
「えー。再度、転校生を紹介する。ネコのタマ君だ!」
校舎から、真っ白なネコが二足歩行でおずおずと歩いてきた。
「…タマです。よろしくお願いします…」
「えっ…?」
アンラッキーがタマを見て固まる。
「えー…諸君!二校時目は体育だ。自由に遊びたまえ!」
生徒たちが喜んで駆け出すなか、アンラッキーとタマだけが立ち止まって、お互いを見つめていた。
「一緒に遊んでくれる?」
タマがおずおずと手を差し出しながら聞いてくる。
「…えっ?…ああ。……うん!」
うれしさや驚きなど色々な感情が込み上げるなか、タマの手を握った瞬間、アンラッキーの姿が小学生になった。タマを拾ったばかりの頃の姿に。
一人と一匹は夢中になり遊んだ。空いてしまった時間を取り戻すように。
遠野先生はそんな様子を眺めながら、どこからか引っ張り出してきたビーチチェアでくつろいでいる。そして、それを見た生徒たちから抗議を受けていた。
無我夢中で遊んでいるうちに、外がいつの間にか暗くなっていた。
「よし!諸君、最後の授業だ。キャンプファイヤーを囲んでフォークダンスだ!」
遠野先生がそう言った瞬間に、ネコのオモチャが全て消えると校庭の真ん中に巨大な焚き火が現れる。
生徒たちがペアを組んで楽しく踊るなか、遠野先生も一人でヘッドバンギングしながら激しく躍っている。
アンラッキーとタマもペアを組んで踊る。タマがうれしさを表すように、シッポを立てて小刻みにプルプル震わせている。
「ふふ…。楽しかったな。あの頃を思い出したわ」
「……ごめん。タマ…。俺…」
「いいのよ。だって子どもの頃からやりたかった仕事でしょ?私にも教えてくれたじゃない。採用が決まった時にうれしそうに」
「…でも」
「私は、優しいあなたに拾われて家族になれて幸せだったわ」
タマはそう話すと、まぼろし学校の校舎をしばらく見つめる。
「そして、ちゃんとお別れを言えるチャンスを与えられたんだもの…」
タマは少しだけ寂しそうにしてアンラッキーを見つめて微笑んだ。
「さようなら。……………く…ん…」
タマの言葉は消え入りそうな声で最後まで聞き取れなかったが、自分の本当の名前を呼んでくれた気がした。
気がつくと学校が消えていて、時計は深夜0時1分になっていた。
やっぱり、夢かと思っていると自分の手に握られているハンカチに気がつく。遠野先生の汗臭いハンカチだった。
驚いてハンカチを広げると一枚のメモ用紙がヒラリと落ちた。そこには達筆な字で、こう書いてあった。
《まぼろし学校は楽しんでもらえただろうか?出会えた記念に私のハンカチをやろう。喜んで使いたまえ。では、また会う日まで!さらばだ!》
挿絵 (まぼろし学校)