第7話 登録するためには
朝の九時。
ベルが鳴ると同時に、冒険者が入ってくる。
新人の冒険者たちは、どの子も希望に満ちた目をしている。
鼻歌でも歌いそうな子もいるくらいに、皆ウキウキなのだ。
そしてこの日。
リリアナの前にやって来た女の子はというと、目を輝かせて物凄くワクワクしていた。
猫の耳がついているので亜人種だ。
その耳を彼女はピクピクさせて、期待に胸を膨らませている上に、実際に鼻も膨らせていた。
「うち、冒険者になりたいです!」
「はい。わかりました。それではお名前は?」
元気な人なので、それに合わせてリリアナも元気に答えた。
「ニコルです!」
「そうですか。ではこちらの紙に、お名前のご記入をお願いしますね」
リリアナがニコルの前に冒険者登録用紙を出した。
そちらに記入するための特殊なペンを取り出すところで話を遮られた。
「すみません!」
「はい。なんでしょうか」
「字が書けません!」
「……え? 字が書けない?」
「はい! 無理です!」
ニコルは返事も本人も元気一杯だ。
ニコニコな笑顔のままである。
「それは……どうしましょう。私が働いてから、ここに字を書けない人が来たことが無くて、対応が分かりませんね。マスター!」
想定外が起きた場合。
マスターに聞くのが一番。
普段ぐうたらでも、こういう時は頼りになる男。
それが、ギルドマスタークロウである。
「どしたの、リリちゃん」
奥からクロウがやってきた。
「マスター。困りました。この方が字を書けないらしく、用紙に名前を記入できないみたいです」
「あらま・・・そうか。君、お名前は?」
「ニコルです!」
「おお。いい声だね。元気一杯だ」
彼女の笑顔につられるようにクロウも笑顔になった。
「はい!」
「そうだな。じゃあ、君さ。今すぐ、冒険者になりたいの?」
「はい!」
「そうか・・・少しの間、登録を待つってのは出来るかい?」
「え? なれないの? 冒険者???」
「なれるよ。なれるけどね。冒険者って意外と字を書く機会があるからさ。字が書けるようにならないと、今後、君が困ると思うからさ。まず、字を勉強しようか」
「・・え。でも、習うお金がないです」
「お金はいいよいいよ。ちょっとこっちに来な。俺が教えてやるからさ。今から時間ある?」
「あります!」
「んじゃ、こっちおいで」
クロウは受付の奥にあるオープンスペースの職員の場所に彼女を案内しようとする前に、リリアナに指示を出した。
「リリちゃん。君は通常業務に戻っていいよ。俺がこの子の事。面倒見るからさ」
「わかりました。お願いしますマスター」
「うん。じゃあ、頑張ってね」
「はい。ありがとうございます」
心配そうな顔から笑顔に戻ったリリアナは通常業務に戻った。
冒険者になりたい者たちの登録作業に入る。
◇
「それじゃあね。ニコちゃん!」
「はい!」
「ここに座って、俺が教えてあげるからさ」
「はい!」
クロウは彼女を自分が座るギルドマスターの椅子に座らせた。
隣に立ち、最初に自分の名前から字を覚えさせる。
「これがね……こうでね。こんな感じ」
「はい!」
呑み込みが早いようだ。
クロウが笑顔で答える。
「いいよいいよ。出来てる出来てる。イイ感じよ。じゃあ、これを何回も書いてね。目で見なくても書けるくらいに、体が覚えちゃおう!」
「はい!」
丁寧な指導から三時間後。
◇
十二時のベルが鳴る。
本日分の冒険者登録の終了を告げるベルだ。
「マスター。まだやってるんだ……」
受付の席から後ろを見ると、クロウはまだ指導していた。
熱心に教えているようで、普段のお茶らけた面が見られない。
「そうみたいですね。リリアナさんも気になるのなら、いってみたらどうです」
フランも同じように席から後ろを見た。
「フラン君、邪魔にならないかな。マスター、真剣だよ」
「……そうですね。珍しいですよね」
「うん。でもマスターって、親切だよね」
「……そうですね。マスターは、普段何もしない癖に。人が困った時だけは、助けてくれますね」
「うん。だからマスターって凄い人だよね。ちゃんとその人の事をわかっているみたいだよね。助けて欲しい時と欲しくない時を知っているみたい」
「……そうですね。とてもいい人だとは……思いますよ。って、これ以上は言いたくないですね……まったく。普段が無ければ素直に褒められるのに」
話す度に微妙な間がある。
マスターを褒める言葉が出しにくいのだ。
「フラン君も、マスターが好きなんだね。フフフ」
普段のあの勤務態度が無ければ、パーフェクトな男。
それがギルドマスタークロウという漢だった。
◇
さらに三時間後。
リリアナとフランのギルドの仕事が冒険者のクエスト管理に移っていた頃。
奥の職員の部屋で、満足そうな笑みを浮かべたクロウが言い出す。
「よし! ニコちゃん。特別に俺が登録作業をしよう」
「え。いいんですか」
「うん。君が頑張ったからね。本当は出来ない所だけど、特別に午後の登録作業をしよう。これに名前を書いて」
「はい!」
用紙に自分の名前を書いたニコルは、そのままクロウに紙を渡した。
「それじゃあね。こっちの判別をやらないといけないからね。この紙をここに通してと……」
ギルド受付の脇にある。
魔法機械に紙を通す。
クロウが、ニコルが書いた用紙を入れ込んだ。
「マスターさん。これは何をしているんですか?」
笑顔のニコルが近づく。
「うん。こいつはね。君の文字から、君のジョブを読み取るのよ」
「うちのジョブ?」
「そう。この紙が君のジョブを見つけてくれるってわけ」
「そうなんだ。凄いですね」
「ああ。人間が考える事は結構凄いんだよ。ちょっと待ってね。もう少しで結果が出るから」
「はい。でも分かったらすぐにジョブになれるんですか」
「うんにゃ。駄目だよ。君たちは教会に行くのさ。町にある教会にいって、お願いすれば、そのジョブになれるんだよ」
「へ~」
名前を書いた紙が出てきた。
クロウが最初に見る。
「ほ~う。面白いな。君」
紙を見た後に、クロウは顎に手をかけた。
「うちにも見せてください!」
「いいよ。ほら」
「……読めない!」
クロウが膝から崩れた。
「そりゃ当然だ。名前も書けなかったんだもんね」
「はい! 何が書いてあるんですか!」
「これはね。君がなれるのは、戦士か魔法使いの見習いか……」
「か?」
「うん。君、勇者にもなれるみたいだよ。勇者見習いもあるからさ」
「え!? うちが勇者!?」
ニコルの話を聞いていた周りの人間たちも驚いた。
勇者の器を持つ者。
これを見る事は、滅多にない事だからだ。
「そうだよ。なれるんだってさ」
「えええええ……って、勇者って見習いがあるんですね」
「そうだね。大体ジョブに就く子たちの大半が、見習いからスタートするからね。そこから熟練者になっていくと、転職できるようになるからさ。まあ、でも勇者から転職する奴はめったにいないけどね。見習いから勇者になるよ。普通の子はね」
「そうなんですか……じゃあ、勇者になります」
「そうかい。即決だね」
「はい! なんかカッコいいんで!」
「ま、そうだよね。カッコいい方が良いもんな。ジョブなんてもんはさ」
ニコルを見つめて答えると分かってくる。
彼女の目が素直に輝いていて、素敵なのだ。
クロウは、彼女の本質を見ていた。
「はい!」
「それじゃあ、明日も来な」
「え?」
「明日もここに来てね。もっと字を書けるようにしてから、教会に行くといいよ。ジョブとかも自分で記入していかないといけないからさ。字が読めた方が今後も困らないからね。明日も俺の所に来な」
「いいんですか? うち、お礼するようなお金もないです」
「いいよいいよ。俺も暇だし、また来なよ」
「はい! ありがとうございます。また明日来ます!」
「うん。じゃあねニコちゃん。また明日~」
帰っていく彼女に手を振るクロウを見て、フランとリリアナは思う。
『全然、暇じゃない! 毎日、忙しいです!!』
業務時間にちょっとした休みもない。
それは午後でも同じように忙しいのだ。
だから毎日が忙しいのに!
二人の想いは、言葉を介さずとも通じていた。