第22話 おじさんよりも私が救われた
リリアナ・ミューゼンは、西の大国ジョルジュ王国の出身。
片田舎の都市のアキノと呼ばれる場所で、神官を務めていた。
神に祈りを捧げる日々の傍ら。
昼も夜も、人々の為に働く女性だった。
子供の頃から、回復魔法を扱えた彼女は、稀有な才の持ち主だった。
それに加えて、慈悲深い精神の持ち主であったために。
孤児から始まった人生でも、ここまで不自由なく、教会に拾われる形の幸運な人生を送っていた。
彼女は無料で人々の怪我を治していた。
回復魔法は、通常ならばお金を取ってやる行為だ。
でも、高い治療費を払えない人が多い地域にいたので、彼女は人々の為に奉仕の精神で働いていていて、皆が彼女を頼っていた。
ちょっとした怪我から、大怪我まで、大体の治療を行えた彼女の回復魔法のレベルは、王都の宮廷魔法師団と比べても遜色がない力を持っていただろう。
助けを求めて来てくれた人を精一杯救う。
それは自分の不遇の人生を救ってくれた教会への恩返しでもあった。
だから彼女は毎日を笑顔で過ごしていた。
そんなある日。
急患として現れたのが、アキノにたまたまやってきた貴族ラクスノマー伯爵の第二夫人だった。
彼女の運命を変えた出来事だ。
ヘルンズ・ラクスノマーという男が、人生のどん底を演出する。
彼はアキノを含む。
複数都市を所有する貴族で、今回は交易の為の微調整に立ち寄っただけであり。
第二夫人との旅行も兼ねていた今回の訪問の途中で、彼女が突然倒れた。
「治せるのか。苦しんでるんだが」
ヘルンズは、不躾な物言いで彼女に迫る。
「怪我からの回復なら出来ますが、私の魔法で、病気を治すのは無理ですよ」
「何を言っている。治療師ならば出来るだろう」
「私は治癒魔法じゃなくて、回復魔法の使い手ですので、無理です」
「つべこべ言うな。やれ。女」
「で、でも」
「やらないのであれば、殺す」
近衛兵をちらつかせて、彼女を脅した。
彼女は医療知識があるわけじゃないので、回復魔法までしか扱えない。
病気などから回復させるのは治癒師ではなければならず。
もし治したいのであれば、回復魔法じゃなくて、蘇生魔法と呼ばれる上位の魔法を会得しなければならない。
体組織を作り変える形で魔法を行使するのだ。
だから扱える人間など、この世界でも数人しかいない。
それほど高等魔法である。
だからいかに彼女が優秀であっても、その魔法を扱えるわけがないのだ。
「こ。これは・・・もう手遅れかと。私の魔法では壊死した部分を回復させることは・・・」
ラクスノマー第二夫人の手足が壊死していた。
だから高熱を出して、苦しんでいた。
彼女はその組織を見た途端に青ざめていて、これは今夜が峠だろうと、覚悟した方がいいと相手に伝えようとした。
だが。
「治せ。治さねば、貴様を打ち首にする」
「そんな・・・出来ません。どうあがいても、私程度の魔法では」
「とにかくやれ。なんでもいいから手を尽くせ。とっとと仕事をしろぉ」
叱責のような。命令のような。
とにかく当たり散らかした男に言われるがまま。
リリアナは魔法を出す。
通常のヒール。
これは、傷を癒す魔法だ。
壊死した組織を回復させるほどの効力がない。
だから、第二夫人の容態は変わらずで、苦しみ続ける。
男が怒り出す。
「変わらないぞ。死にたいようだな」
「だ、だから出来ないって」
「やれ・・・とにかくやらねば殺す」
目がもうどこかにイっている。正気じゃない。
リリアナは恐怖の中で魔法を行使していた。
震える手を抑え込んで、女性に魔法を出し続けると、第二夫人の呼吸がおかしくなる。
「はぁ・・・ふぅ」
リリアナが必死に魔法を出しても、彼女状態は悪化していく。
呼吸が止まり、彼女が死にかけたその時に、リリアナは一か八かの魔法を仕掛けた。
それが、蘇生魔法のオールキュアだ。
キュア系統の魔法の頂点。
パラライズキュア。
ポイズンキュア。
等々の状態異常系統ではなく、全ての状態からの回復を行える魔法。
究極形態であるのがオールキュアである。
この蘇生魔法を、神官も扱う事が出来る。
だが、この成功率がわずか1%で。
神官の上位ジョブである大神官でさえ10%。
そして、頂点の聖女であっても、50%の難しい魔法だ。
死んで間もないのであれば、死者をよみがえらせる力も持っている。
「オールキュア!」
彼女の生命力を取り戻す。
その意気込みで、リリアナは魔法を行使した。
でも、第二夫人の呼吸が小さくなっていく。
成功する確率がそもそも悪いのだ。
でも諦めたくなくて、一か八かで行使した。
しかし。
「呼吸がないです。もう駄目です・・・私の魔法も効きません」
「何を言っている。いいから手を止めるな。貴様、死にたいのか」
膨大な魔力が必要なオールキュア。
いつまでも実行し続ける魔力など、持ち合わせてない。
リリアナは途中で力を失い、手を止めた。
そこに怒りが出て来るヘルンズは、彼女に詰め寄った。
「駄目だ。まだやめるな」
「で、できません。私の力では・・・無理です」
沈む顔にビンタが入る。
頬が赤くなるリリアナに対して更なる追い打ちをする。
「こ奴は・・・偽物だ。偽物の治癒師だ。偽りの罪で火あぶりにする」
「え!? な、なんで」
「こ奴を捕らえろ」
こうして、リリアナは見ず知らずの貴族によって断罪される。
彼の貴族としての力のおかげで、一夜にして彼女の評判が地に落ちた。
リリアナが今まで行ってきた治療行為は、実験だっただの。
実力もないのに勝手に治療行為をしただの。
治療が無料だったのはそういう事だっただの。
謂れのない罪が次々と出てきて、翌日には彼女は大罪人となっていた。
磔にされた彼女の足元には、油と木。
下からじわじわと彼女を燃やす気だった。
◇
都市の中央に処刑場が出来て、彼女が火炙りの一歩手前の状態での会話。
「なぜ。私は何もしていません。一生懸命治療を試みただけ」
「うるさい。悪魔め。貴様は魔族の魔女だろう。偽りの仮面を今。火で炙ってやろう」
貴族の怒りに答えるのは民衆。
『いいぞ。やれぇ』と、叫び声が上がる。
「そ。そんな。私は本当に何もしていません。ヒールをしていただけで・・・」
「燃やせ。兵士共。骨すら残らずに燃やし尽くせ」
木に火が点いてから、油まであと少し。
チリチリと燃えている状態から、一気に燃え盛る炎が来るその手前で、彼女は皆に訴える。
「私は悪くない。ただ誰かを治したかっただけなんです。役に立ちたかっただけ。お金を取らなかったのは、私が孤児だから。彼らが傷を癒すのに、お金に苦労することは知っているからで・・・私は!」
火が彼女へと登る。
その時。
「いやいや。そうらしいよ」
軽い声が辺りに聞こえると、突然リリアナの前におじさんが現れた。
「どれどれ・・・ちょっとアイスを出すよっと!」
指を鳴らすと同時にパキンと割れる音がする。
火と油が同時に凍った。
その氷の威力はとんでもない物だった。
「き、貴様。処刑の邪魔をするな。何者だ」
「お腹の空いたおじさんです」
「は?」
「いやさ。たまたまここの先のダンジョン調査をしてたんだけどさ。おじさんね。三日分の食糧しか持ってなくてね。あそこに一週間籠っちゃったからさ。お腹ペコペコなの。だからさ。食堂にいったら、人がいなくてさ」
軽快なリズムで話すおじさんは、周りの空気を完全無視していた。
周りは開いた口が塞がらない状態だった。
「んで、人がやたらとここにいるからさ。何事かと思っちゃったってわけ」
「貴様。何をしたのか分かっているのか。私の邪魔をしたのだぞ」
「え? あんたの邪魔? いや、俺、あんた知らんし。それにこの子。罪がないって訴えてんじゃん。話聞けよ。《《お前ら》》!」
最後の瞬間だけ、殺気が込められていた。
話をしていたヘルンズだけじゃなく、野次馬として、叫んでいた人間たちも、恐怖で口をつぐんだ。
「さて、この子の話が本当かどうか。俺が探ってやろう」
「え?」
リリアナがおじさんを見る。
柔らかな笑顔であった。
「ちょっとごめんね。失礼しますよ。あんまり使いたくない魔法だからさ。我慢してね」
「は、はい」
おじさんは、リリアナのおでこに手を置く。
「記憶開示」
おじさんは目を瞑り、「うんうん」と言ったままで、誰とも会話しなかった。
静かになる現場が、一分ほど続くと、おじさんは目を覚ました。
「これは、アホだな。お前」
おじさんは、ヘルンズにそう言った。
「なんだと。貴様。この私を侮辱する気か」
「ああ。侮辱してもいいな。お前の奥さん。ジャバラの皮膚を触ったな」
「ジャバラ?」
「そいつは、この先にいる猛毒モンスターだ。一見すると可愛らしい狸みたいな見た目の奴なんだけど。あいつの爪には物を壊死させる力があるのよ。そいつを治すには、ポイズンキュアの達人か。それこそ、彼女が行ってくれたオールキュアで、状態異常を回復しないといけないのに。あんた。この子は回復魔法の使い手だぞ。蘇生魔法を使えねえって言っているのに、無理くりやらせるなんて、馬鹿か? 話聞けよ」
全部を見てきたような口ぶりに、リリアナは驚いた。
あの時、現場にいたんじゃないのかと疑いたくなるくらいの正確な証言だった。
「そんで、あんたらも酷いね。この町の人たちさ。この子の世話になっておきながら、こんな屑の方の味方になっちゃうんだからさ。人って酷いよな。千年経っても変わらねえわな」
悲しげな顔になったクロウは、リリアナの方を向いた。
「じゃあさ。君。生まれ変わるつもりで、俺のとこ来る?」
「え?」
「俺さ。今度、田舎のギルドを任されてさ。君働いてみる?」
「わ、私がですか」
「ああ。良い子そうだし。それに、こんな屑どもに殺されるのは忍びない。可愛い子だしね」
最後の言葉はいるのだろうか。
リリアナは、ちょっと面白いと思って、クスッと笑った。
「何を勝手に。そ奴は殺すんだ。魔族なんだ」
「お前な。都合が悪い事は魔族のせい。それもやめろ。魔族も悪い奴がいて、人間にも悪い奴がいる。だからおあいこなのよ。それを、都合が悪くなれば、全部あいつらのせいにしてよ。責任逃れすんじゃねえ」
正論で相手を封殺したおじさんは、再びリリアナに聞く。
「どうする。君が俺の所に来るというのなら、ちょっと細工をする。生まれ変わるつもりで来てもらいたいから、ここでの過去は無くすよ。いいかい」
「過去を無くすですか?」
「ああ。綺麗さっぱりさ。君は新たな自分になるのよ。そうだ。君の名前は?」
「リリアナです」
「よし。じゃあ。俺の所に来たら、君はリリちゃんになる。いいかい?」
「リリちゃん?」
「そうよ。明るく生きていこう。おじさん応援するからさ」
「・・・わかりました。お願いします。どなたか知りませんが。生まれ変わりたいです」
「おっけ。んじゃ」
おじさんの表情が変わる。
目の色が深く沈み、鋭い目つきになり、魔力が溢れていく。
「てめえら。いいな。俺は結構怒ってるからな・・・まあ、この記憶もないだろうから、これ以上は怒らねえが。温情は与えるわ。ここの人間どもにな! 記憶消去」
クロウの全身から溢れる黒の魔力が、この都市全体を覆い尽くして、そして、細かい光の粒が、人々の体の中に入り込んだ。
彼が行ったのは・・・。
「な、何をしているんですか。こ、攻撃ですか」
リリアナの声にクロウは答える。
「違うよ。これで、こいつらの記憶を消す。それも君に関する事だけね。今までの繋がりの全てを切るから。君はね。ここではいない存在になるからさ。俺と一緒に辺境に行こうか」
「・・・え?」
「大丈夫。俺が新天地での生活の面倒を見るよ。そこで楽しい生活をしよう。まあ、不便もあると思うけど。面白い仲間が二人もいるからさ。君もそこに行っても大丈夫じゃないかな?」
「仲間?」
「ああ。口うるさい綺麗な女の人と、口が悪い男の子がいんの。だから君みたいなね。とっても良い子が欲しいわけよ。俺のそばで笑顔でいてくれ。あの二人キツイから、君が緩衝材だ。心のオアシスをおじさんにプリーズ!」
「ふふふ。わかりました。私、これから笑顔でいます!」
「よっしゃ。俺ってやっぱ、ラッキーだわ。こんないい子と会えるなんてな」
こうして、リリアナは、クロウの仲間となった。
辺境のギルドのロクサーヌのギルド職員になったのである。
幸せを手に入れたのは、あなたじゃない。
自分だと。
新天地で生まれ変わったリリアナは、生涯クロウに感謝していくつもりである。




