#22 馬車に揺られながら
あらかたゴブリン退治を終え洞窟内を確認した後、俺とセレナは自分たちの村に帰るべく、ダイヤモンド団の馬車に揺られていた。
豪勢過ぎない白い馬車で、どこから調達したのかわからない白馬をリーズさんが御し、森の中、俺たちをゆっくりと運んでくれている。
「あ、あの…本当に魔法騎士団様の馬車に乗せてもらっても大丈夫なのでしょうか?」
ソワソワしながら隣のセレナが尋ねる。もうすでに乗っているのだが。
「もちろんよ。あなたたちを無事に送り届けるのも私たちの仕事だからね」
俺の前に座るアルトリアさんが、セレナに優しい笑みを向ける。
セレナ曰く、魔法騎士団の馬車に乗れる機会なんて滅多にないそうだ。その上、団長と同席となると尚更らしい。
俺が理解できる感覚で言えば、隠居前にテレビで見たアイドルと一緒の車に乗る感覚と同じだろう。
「ところでまだあなたたちの名前、聞いていなかったわね」
そういえばそうだった。俺が一方的に3人の名前を知っているだけだ。まともな自己紹介もしていない。
「俺の名前は、ソウル・アンドラード。彼女は、セレナ・シャルリエです」
セレナが俺の紹介に合わせて、おずおずと頭を下げる。そのセレナに笑顔で返したアルトリアさんは、すぐに俺の方へ目線を移した。
その目は興味津々の色が隠せていない。どうやらアルトリアさんは目の表情が豊からしい。
「それでソウルくん。あなた、どうやってゴブリンロードを倒したの?」
「も、もしかしてあなた、女なんですの!?」
アルトリアさんの隣に(密着するほど近く)座っていたミュルルさんが、右手を口の前に持っていき大袈裟に驚く。
セレナにも同じ間違いされたな……。やはりそれだけ男が魔物を、しかも今回の場合は上級魔物を倒すのは異常中の異常なのだろう。
「……氣って知っていますか?」
「氣…?知らないわね」
首を小さく横に振るアルトリアさん。
特に独占するつもりも隠すつもりもないので教えることにした。
(数分後)
「───ただ氣だけではパワー不足なので、魔力剣から母の魔力を借り氣で魔力を取り込み、己のものにすることでで莫大な力を得たというわけです」
「………」
話し終えると、目の前の2人は小さく口を開けて固まっていた。数秒その状態が続いているところを見ると、よほど信じられない話だったらしい。
車輪が小石を乗り上げたのか車体がガタッと小さく揺れると、ようやく2人がハッとした様子で意識を戻した。
「…今度は疑わないんですか?」
「……そんなに詳らかに話されては、疑いようもないでしょう。ただただ驚いていますよ」
そう言いながらも、段々と目の色を変えていくアルトリアさん。
驚愕、好奇、興奮。
様々な感情が入り混じったその瞳は、俺の目を捕えて離さない。油断すると引き込まれそうな、本当に不思議な目をしている。
「貴方、何者?」
「…少し力を持っただけの、ただの男の子ですよ」
「………ふふ」
それ以上追求することなく、ただ妖艶な笑みを見せた。
「ねぇ、氣って私にも存在するの?」
今度は少し明るい顔を見せる。どこか、おもちゃをねだる子供のような顔。…はちょっと言い過ぎだが。
「基本誰にでも存在していますが……ちょっと待ってください」
小首をかしげるアルトリアさんの前で、俺は目を瞑る。
そして
(流破ノ目)
目に氣を集中させ、アルトリアさんを見る。そこには、確かに氣が全身を巡っていた。
(これは……。淀みも濁りもない綺麗な氣だ。それに、仄かに光る白色がとても優しいげで、つい気が緩みそうになる)
気がつけば、じっと観察してしまっていた。斜向かいに座るミュルルさんの視線が痛くなってきたので、そろそろアルトリアさんの問いに答えよう。
「…やはりありますね、綺麗な氣が。訓練すれば使えるようになると思いますよ」
「ほんと?訓練方法教えてくれるかしら?」
「アルトリア様!?そんな訳の分からない力に、軽々と手を出してはいけないと思いますわよ!?」
「大丈夫よ。現にソウルくんは男性にも関わらず、氣を駆使して魔物と戦える強さを手に入れているもの。危険な要素はないはずよ」
「こ、この男を信頼していいのですか!?」
「彼は嘘をつかない人よ。ね?」
目を弓状にしてこちらを見るアルトリアさん。もしここで否を示せばどうなるのか、好奇心が湧いたが辞めておくことにした。
「もちろん俺の言葉に嘘偽りはありません。氣は安全かつ有用なものですよ」
「だそうよミュルル」
「くっ……。…それでアルトリア様が満足されるのであれば………」
感情のぶつけどころを無くしたミュルルさんは俺を睨みつける。何かをした覚えはないが、どうやら彼女には嫌われているらしい。
ミュルルさんが不貞腐れたようにそっぽを向いたところで、アルトリアさんが再び質問をしてくる。
「じゃあソウルくん、早速教えてくれる?」
「分かりました。まずは───」
俺が話そうとしたところで、右腕に違和感を覚える。見ると、セレナが控えめに俺の裾を引っ張っていた。
「……セレナ?」
「あ、あのソウルくん…。そんなにペラペラと話していいのですか?」
不安そうな眼差しで、俺を見上げる。今度はセレナからストップが入った。
「…逆になんでダメなんだ?」
「ダメ、というわけではないですけど……。その、せっかくソウルくんが努力して手に入れた力なのに、他の、それも女性に教えるのは……」
セレナは心配していた。男性は魔法という力を持たないこの世界で、せっかく別の力を手に入れられたにも関わらず、それを女性に教えてしまってはまた力の差が広がるのではないかと。
さらにその情報が広がれば、ソウルが魔法学園に入るのも困難になるのではないかと。自分と一緒に。
「…心配してくれてありがとう。でも大丈夫だ。むしろ氣を習得して、周りの人間がさらに強くなってくれるのなら、俺にとっても本望さ」
周りが強くなれば、さらに戦いが面白くなる。それなら氣を周知させることを厭わない。
とは言え正直、周りが氣を習得することにそこまで期待していない。なぜなら果てしなく時間がかかるから。
前世で習得経験のある俺でさえ今世は10年かかった。親父も、その周りも一生涯かけても習得できるものはいなかった。
確かに魔力と氣の性質は似ているかもしれないが、余程のセンスの持ち主じゃなければ現役の間に習得することは無理だと思うし、氣を習得しようとするくらいならその時間を魔法の練習に当てた方が、よほど有意義だろう。
そういう理由も含めて、氣を教えることに全く抵抗がないのだ。
「……そうね、聞くのはやめておくわ。貴方の血と汗で出来たダイヤを、都合よく盗むのは卑怯だものね」
しかしアルトリアさんはセレナの意見に賛成したようで、質問を撤回した。変な言い回しで。
「…そうですか。まあ、またいつか気が向いたら言ってください。いつでも教えますので」
「ふふ。ありがとう」
聞き手が遠慮するなら無理に押し付ける必要もないので、俺も教えることはやめにした。
これで会話が途切れる。そう思い少し目を瞑って眠ろうとした。しかしほのかに甘い香りが鼻腔をくすぐり、気になって片目を開ける。
すると、不思議な魅力を持つ目と合った。
その後に気づく、アルトリアさんの顔が間近にあることを。
「あ、アルトリア様!?な、何をなさっているのですか!?離れてくださいまし!!」
後ろではミュルルさんが激昂してる。しかし今は、この目から逃れることはできない。とても透き通っているのに、どこか燃えたぎるような瞳。
空気を少しも振動させないように、アルトリアさんの手がゆっくりと俺の頬に伸びてくる。指先が触れた瞬間、その一点だけが凍らされたかのように冷たかった。
そして、一瞬のような、長時間のような、はっきりと分からない時間をかけてアルトリアさんの手全体が俺の頬を支え、じわじわと俺の熱を吸収していく。やがて混じり合い、どっちの体温が高いかも低いかも分からなくなった。
目を細め、さらに俺を覗き込む。長いまつ毛から覗くその目には、絶対に逃がさないといった強い意志は宿っていないのに、何故か目を逸らせない。
艶やかな唇が小さく動くのを、間接視野で捉える。
何か重大なことを言われるのではないかという緊張感で、場の空気が張り詰める。
今から何を言われるのか
「──楽しみにしてるわ」
一言。
たったそれだけの一言だった。
何も重要ではない。アルトリアさんが、俺から氣について聞けることを楽しみにしていただけ。
にも関わらず、彼女ははある種大袈裟な行動を見せた。
この一連の動作はどんな意図があったのか。もしかしたら、楽しみ、という言葉に別の意味が含まれていたのか。いや、そもそも意図なんて、意味なんてなかったのかも知れない。
(……よく分からない人だな)
心の中でそう思いながらも、自分の口角が上がっているのが分かる。こんなに面白い人と出会えたことを喜んでいるのだ。
「はい。氣はとても良いものですから」
俺の返答を聞いて幾分かおとなしくなったアルトリアさんの目が、セレナの方を向く。俺もそれにつられて見ると、ぷくっと可愛らしく頬を膨らませたセレナがいた。
気のせいか、その顔を見たアルトリアさんは小さく微笑んだ。
そして俺の元から離れると、今度は真剣な横顔を見せる。
「ミュルル、リーズ。ソウルくんの氣については口外厳禁よ。いいわね?」
「わ、分かっておりますわ…」
少し拗ねたようにミュルルさんが
「承知いたしました」
御者席から少し大きな声でリーズさんが返事をした。
部下に箝口令を敷いたアルトリアさんが、もう一度俺の方を見て微笑みかける。
しかし俺が反応を示す前に座席に戻り、窓の外に目をやった。そこからセレナの住むタバ村に着くまで、車輪の心地いい音だけが客室に響いていた。