86 汚職
袖下王飾の最も古い記憶は、父に媚びを売る支援者達の姿だった。
人間には優劣があるのだと幼くして理解した。
そして成長するにつれ、政治家一族の長男として生を受けた自分は優れている側であるという自認を固めていく。
誰もが彼の顔色を窺っていた。誰も彼には逆らえなかった。
そんな環境が少年の人格形成に影響しないはずがない。
周囲が諂う中、数少ない例外である父の姿はだからこそより深く心に刻まれ、彼の人生の指針になった。
人前での柔和な態度と家の中でのみ見せる横柄さ。
表の顔と裏の顔を使い分ける重要性を学んだ。
ある時、袖下の同級生が入院した。彼によるいじめを苦にして自殺を試みたのだ。
一時クラスは騒然としたが騒ぎはすぐに収まり、事件は事故として片付けられていた。
あくる日、袖下の父はこう彼を叱った。
『──面倒をかけさせるな、痴れ者が』
父が手を回してくれたことは明白だ。
ネットの普及もまだまだな時代。父の持つ権力はまるで魔法のように絶対的だった。
権力は司法も道理も歪めてしまえるのだと知った。
そうして育まれた特権意識は彼を剛腕な政治家にした。
政策など多少大胆なくらいでいい。どうせ細かい部分を詰めるのは官僚だ。
些細な失敗は堂々としていれば誤魔化せるし、それが難しいなら責任を他者に押し付けてしまえばいい。
そういう意識があるために並みの政治家より果断に──考え無しに政策を打ち出せた。
神を名乗る存在が現れた後でも気にせず汚職に精を出しているのも、この果断さの発露と言えよう。
もしも教典に書かれたような神が実在するのなら、とっくに数多の人間に天罰が下っているはずだ。
ならばダンジョンをもたらした『神』は宗教上の裁きの化身とは別物のはず。
よって人間の想像した地獄だとか因果応報だとかの仕組みもまた存在しない。
非常に短絡的な思考。しかしその思慮の浅さがダンジョンとは噛み合っていた。
三葛一始は社会そのものへの直接的干渉を嫌う。
彼の悪事がこれからエスカレートしたとしても、彼程度の器では三葛が対処を決断するレベルには達しない。
とはいえ、他に対抗者が居ない状態で異能を振るえる彼の脅威度は常軌を逸している。
そして今夜、彼の脅威度は一段と飛躍した。
「ふは、ファッハッハッハッハ!」
「袖下、大臣……貴方は何を……っ」
会食の席でのことだった。
総理とそこに近しい立ち位置の者数名が招かれたその席で、袖下の先天スキルが牙を剥いた。
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〇先天スキル
【サービチュードグリース】 Rank1.07
効果:口にした者を隷属させる脂を生み出す。
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彼は【サービチュードグリース】を使い、料亭の従業員の一部を隷属させていた。
脂を食べさせなくてはならないという取り回しの悪さから直接戦闘には向かないが、他者を介して能力の効果対象を増やすことができる。
今回はそれにより、料理に脂を混ぜて総理達に摂取させた。
隷属させた者にはいくつかの命令を強制することが出来る。
最初に命じたのは大声を上げるなどの激しい行動の禁止。それは他の部屋に居るボディガードを呼ばれないようにするためだ。
「さて、次は『私がスキルを得たことや使ったことを他者に伝えてはならない』と命じましょう」
「く……」
この場に呼ばれる地位の人間は皆ダンジョンのことを知っている。何より会食の目的の一つはダンジョンに関する擦り合わせだった。
自身の置かれた状況を誰もが瞬時に理解した。
「研究所の報告では洗脳に類するスキルはまだ一件しか発見されていない希少種とのことでしたが……貴方がそうだったとは」
「まさに天の配剤としか言えませぬな、総理。神なるモノが実在するならばきっと私に日本を陰から支配するよう求めているのでしょう」
陰から、という言葉の通り袖下には総理大臣の椅子に座ろうとは考えていない。
大衆の注目を一身に浴びる総理大臣よりも他のポストの方が効率がいいと考えているためだ。
だが権力は欲しい。
これまでもあの手この手で甘い汁を啜って来たが、スキルを手に入れたことで本当の意味で総理を操り人形に変えることに決めたのだった。
「次に命じるのは──」
ステータスを持たない人間になら【サービチュードグリース】は四つまで縛りを課せられる。
何を命じれば反逆されることなく思い通りに動かせるかを、袖下はずっと考えていた。
【サービチュードグリース】には穴が多い。
同時に隷属させていられるのは八人までであり、また隷属を解いたとしても記憶は残る。
『自分の言うことはなんでも言われた通りにしろ』のような方法で命令可能数を増やすことも出来ない。
そして命令を書き換えるには、直接対面しなくてはならない。
最も安全で多くの利益を得られるであろう命令を与え、食事に戻る。
ピリピリとした空気感の中、袖下だけが終始上機嫌に料理を口にしていた。
やがて会食が終わり、大臣達はそれぞれ車を寄越すよう連絡する。
袖下もまたその一人だ。
『承知いたしました』
秘書は普段通りの声で返事をした。袖下は気にせず通話を切る。
その声が録音であることなど全く気付かずに。
やがて従業員に見送られ、袖下達は店を出る。
そこには迎えの車が停まっており、大臣達は次々乗り込んでいった。
「おや?」
しかし、袖下の秘書の車だけが見つからなかった。
「愚鈍な奴め。クビにしてやろうか」
取り残された袖下はそうボヤく。単純に、店まで来るのに時間が掛かっているのだと思い込んでいた。
しかし、すぐに状況は一変する。
「袖下大臣ですね!?」
ゴテゴテとしたカメラを構えた男が不躾にも近づいて来た。
ボディガードが「それ以上近づかないでください」と腕を広げて制止するが、記者は腕の外から叫ぶ。
「来年度の予算を巡って事業者に収賄行為を行われたとの噂がありますが、これは本当でしょうか!?」
「甚だ心外です。一体誰がそのようなことを……」
もちろん情報源が明かされるとは思っていないが、全く心当たりがないというポーズのためにそんな質問をした。
やはり返答はなく、代わりに新たな記者が目の前に現れた。
「大臣! 我々には極秘ルートから入手した証拠写真があります! この事業者との関係についてご説明願えますでしょうか!?」
「それは──」
「──袖下大臣! 裏金疑惑について一言お願いします! 言い逃れはできませんよっ」
気付けば料亭の前には多くの記者が詰めかけていた。
しかも全体的に素行が悪い。こんな夜中だというのに周囲への迷惑も考えず騒いでいた。
袖下にとってコネのない記者というのはこちらのことなどお構いなしに秘密を暴き立てる迷惑者だが、その中にもピンキリなことは知っている。
その点、ここに居る記者達は誰もが平均未満であるように思えた。
違和感を覚えつつも彼は言葉を発する。
「皆さん落ち着いてください。周囲のお店の迷惑になります。お答えしますので一つ一つ質問してください」
柔らかな笑みを張り付け鷹揚な動作でそう言った。
「──ええ、写真の社長とは親しくさせて頂いていますが、それはあくまでプライベートとしてであり、裏金に関するやり取りなどは──」
突然の事態だったが言い訳はするすると口を衝いた。
「──国政に深く関わる者として、常に良識と誠意を持ち──」
フラッシュの光に目を細めながらも綻びが出ないよう、曖昧な表現と嘘を織り交ぜて誤魔化していく。
「──皆様の不安を煽るような結果となってしまい申し訳ございません。今後は軽率な行動は一層慎み─国民の皆様からの信頼を─」
そうして十分以上も話し込んだところで時計を気にする振りをする。
「それでは皆さん、予定がありますのでそろそろお暇させていただきます」
そうして料亭の方へと踵を返そうとしたその時、よく通る声が響いた。
「最後に一つだけ! これまでの話を総合すると袖下大臣はたとえ未知の災害が起きた場合でも国民の利益と安全を最優先にする、という認識でよろしいですか?」
「はい。勿論です」
それを最後に袖下王飾は料亭に戻って裏口から出、そして最後の質問を行った女性──人込みに紛れて<迷彩>を維持していた推川智聡はほくそ笑みながらその場を去るのであった。




