78 フラッド
『では本日のダンジョン対策委員会国際会議を始めます』
専用端末の画面の中で議長が口にした。
閉域網を用いた秘匿会議には百を超える国々の代表が参加していた。画面には代表者の他にも各分野の専門家の姿があり、実際の参加者はもっと多い。
『それでは、アースシフトコーポレーションの調査について進展があった方は挙手をお願いします』
アースシフトコーポレーション。それはアプリ、ダンジョンクエストを制作した企業である。
ダンジョン対策委員会がこの企業に目を付けたのは、訳語の符号を疑問視してのことだった。
ステータスを得た者は、自身のステータスに記載された情報が己の習得言語で何と呼べばいいか、直感的に理解できる。
<魔刃>を例に挙げると、英語話者は<Mana Blade>と認識するし、フランス語では<Lame magique>、ドイツ語では<Magische Klinge>となる。
これらの翻訳がダンジョンクエストのものと完璧に一致していた。
ただスキルの種類が似通っているだけならばともかく、これほどの数の言語で全て一致するのは偶然では片付けられない。
黒い罅の向こう側の世界を『ダンジョン』と呼称するようになったのもダンジョンクエストに倣ってのことだ。
アースシフトコーポレーションは何かしらの情報を握っているとして、各国で調査を進めるようにしていた。
『……やはり進展はありませんか』
しかしながら調査の進捗は皆無と言っていい。
申請されていた情報は全てデタラメ。足取りを追おうにもまるで霧を掴もうとするかの如く正体に近づけない。
許認可を取り消したり配信プラットフォームからアプリを削除したりといった対応は可能だが、明確な実害が無い以上そこまで急ぐ必要性も薄いと委員会は判断。
警戒・調査は継続しつつも静観することとなっていた。
『では次はダンジョンやステータスに関連する報告がある方は挙手を……ふむ、ではツェリン大臣からどうぞ』
いち早く挙手機能を押した人物を議長は指名する。
その報告を行ったのは南アジアにある国だった。
その国には殺生を忌避する文化が深く根付いており、畜産業や漁業も強く制限される程であった。
当国のダンジョンのモンスターが動物系であったことも影響しているのだろう、他の大多数の国家と異なりモンスター駆除は行わず、専らステータス関連の研究を行なって来た。
だが、遂に問題が発生した。
日に日に黒い亀裂が広がっていたが、当初の二倍を超えるサイズとなった昨日、ダンジョンの外へとモンスターが飛び出したのだ。
捕獲して連れ出す以外の原因でダンジョン外にモンスターが現れるのは、観測史上初のことであった。
『出現したモンスター六体は全て監視していた部隊に討伐されました。初期とモンスター出現時での、黒い罅の大きさの変化を比較した資料を添付しておきます』
その資料を一も二もなく確認しどこかへ連絡を行なったのは、同じくモンスター討伐に消極的ないくつかの国々だった。
それらの国家でも亀裂の巨大化は確認されており、何かしらの前兆ではないかという意見は会議で出ていた。
その予測が最悪な形で的中したことで、彼らは方針の変更を余儀なくされるだろう。
その後、他の国からもいくつかの報告がなされ、それから各報告への深掘りが始まった。
モンスターのダンジョン外への出現についても時間一杯に議論され、学者や政治家達によって様々な可能性が模索された。
『──それでは、このモンスターがダンジョン外に出現する現象は”フラッド”と命名し、発生条件や対策などを今後とも研究を──』
黒い罅周辺を封鎖すればよかったこれまでと異なり、フラッドは現実世界に直接被害が及び得る初めての現象だ。
発生するまでの日数。黒い罅の大きさとの関連性。出現モンスターの数。再発生の有無。
ありとあらゆる情報を調べるため、二十を超える国々が調査に協力することとなった。
その後もいくつかの議題が論じられ、やがて会議は終了する。
「フラッド、ですか。また厄介なことになりましたね袖下大臣」
電源の落ちた専用端末の前で、専門家という体で呼ばれた男の一人がそう口にした。
端末の正面に座っていた老齢の男は鷹揚に頷く。
「そうですね。幸い、我が国ではモンスター討伐を進めてはいますし亀裂の拡大も確認されていませんが、それでフラッドを確実に防げるかは未知数ですからね。警戒レベルを引き上げる必要があるでしょう」
しかし、と彼は毅然と続けた。
「目下の課題はステータス保有者の暴走です。スキルへの対処が難しいのは無論のこと、現在の法体制では裁くことが出来ないことも多いでしょう。難しいこととは思いますが、この件に関わる人員は引き続き最小限に留めるように調節してください」
日本のダンジョン対策の舵取りを任されているのはこの袖下王飾だ。
彼の指示が全体の動きを左右することとなる。
やがて慌ただしく各所に情報共有や指示を出し、その日の公務を終えた彼は秘書の男と共に車に乗り込む。
一目で高級さが分かる黒塗りの車を運転手が発車させたところで、袖下は口を開いた。
「全く、本当に面倒なことになったものだ」
外行きの面を剥ぎ捨てた荒々しい声音だった。
秘書の男は慮るような面持ちで同意する。
「仰る通りです。これではまた現場で人員増強の声が噴出するでしょう」
「今でさえ<索敵>持ちの管理に手を焼いているのだと。これ以上増やされては儂の部下が見つかりかねん」
ダンジョンに関わる選抜された者達とて人間だ。
休息は必要であり、時には他の場所へ移動したりもする。
情報管理の建前で拠点を離れる時は必ず書類を出すよう命じてあるので、ばったり街中で出くわす可能性は低いが、これ以上ステータス保有者が増えてはどこかで確認漏れが起きかねない。
「この儂がこの国のトップに立つ、この力があればそれも夢ではない。誰にも邪魔立てはさせんぞ……!」
野心の炎に瞳をギラつかせながら、袖下は力強く呟いたのだった。




