8 スキルシステムを作ろう(入門編)
「じゃあ……ね……ばい、ばい。未来ちゃん」
「ああ、ちあきも元気でな」
二時限目の講義が終わり、講堂から学生の群れが排出されていく。
ほとんどの学生が昼食を食べに向かったところで、僕はハーフアップポニーの女性に声を掛ける。
「講義お疲れ様。頼まれてた件はバッチシだよ」
「……休学中の癖に堂々としているな。いつからそこに居たんだ、三葛君?」
「つい四十秒前に来たところ。教授のパソコンをハッキングしてるからね、終わったのを見計らって転移したんだよ」
「あまり目立つ真似はしてくれるなよ。私のような美女はただでさえ衆目を集める。転移する場面など見られた日には大騒ぎだぞ」
スラリと長い脚を組み、参考書に視線を落としたまま加賀美さんが小声で答える。
自分で言うだけあって確かに容姿は整っている。
モデル体型と言うのだろうか、四肢は無駄のないラインを描き、手入れの行き届いた髪は艶やか。鼻梁も高く通っている。
あとはもう少し謙虚に振る舞えばなお良いかもしれない。
……まあ、注目されやすいってのは事実だけど、今回はその危惧は不要だ。
「僕らへの関心値をゼロに固定してるから盗み聞きされる心配はないよ。僕が転移する時はいつもそうだから心配しないで」
「相も変わらず無法なことだ」
呆れたように言って参考書を閉じ、それからもう一つ訊ねて来た。
「……質問ついでに聞くが、私は本当に講義に出て良かったのか? 一週間もしないうちに夏季休暇とは言え、時間がないのだろう?」
「あー、大丈夫大丈夫。ぶっちゃけ僕の方もやること結構あるし、それに協力者のやりたいことはなるたけ邪魔しないってのが僕のスタンスだからね」
ひらひらと手を振りながら言う。
直近の目標は二か月後に来る大破片の撃破だけど、それ以外にも成すべき工作は山程あるのだ。
そういうものかと頷いた加賀美さんは、そこで本題を切り出して来た。
「用意はバッチリだ、と言っていたがコンバージョンは可能なんだな?」
「モチのロン。今なら加賀美さんもこのスペルページを習得できるよ」
右手でぺらぺら揺らすのは、古書の一ページを破いたような黄ばんだ紙片──スペルページ。
昨夜、将軍魚人が遺したこの紙片は、使用することで魔術を覚えられる使い切りアイテム……だったのだけれど、残念ながらこの世界の人間──階梯能力には対応していなかった。
だから一旦僕が預かり、スペルページの様式なり異世界の法則なりを解析していたのだ。
スペルページは地球を襲っている敵を討つヒントになるかもしれないので、本体の力も使って存分に解析し尽くした。
「スペルページと言うのかい、その紙切れは」
「あぁ、そういえば昨日は何も話してなかったっけ。そうだよ、これはスペルページ。異世界では魔導書の追加デバイスとして使われてたんだ」
「魔導書……?」
「うん。これまでに攻略した破片に〔録〕を使って異世界の情報を調べたんだけど、あの〔星界〕では階梯能力を本の形式で発露させてたみたいなんだ」
指を鳴らして講堂のプロジェクターを操作。
過去の異世界人達が魔導書から魔術を放つ映像を映し出す。
「……無闇に大掛かりな仕掛けだな。こんな大仰なもの必要か?」
「ちょうどいい位置にあったからね。他の人の意識は向かないし、証拠は絶対残さないから安心してくれていいよ」
「そうか……そういう問題か?」
首を傾げる加賀美さんだったけど、諦めたのか話題を変えて来る。
「それにしても、異世界にも人間は居たんだな。映像だと顔立ちや髪色は西洋人に似ているが」
「まあ〔星界〕には大抵人間が存在してるからね。長くなるから説明は省くけど。そうそう、異世界も地球と同じで人種は幅広いみたいだよ」
アジア人風の人々が暮らす村落を表示した。
それから、ある少年が初めて魔導書を発現させた場面へと映像を切り替える。
「人種とか国籍関係なしに、異世界の人間は皆十歳くらいになると自身の魔導書を実体化させられるようになる。魔導書にはそれぞれ一つ、固有の魔術が綴られていて、それらを研鑽によって発展させたり派生させたりして魔導書を育ててたみたい」
「魔術か……私の【反】とは違うのか?」
「【魔力】を消費して発動するって点では同じだね。だけど設計思想が違う。魔術には『詠唱時間』……発動までの溜めを設けることで、効果を高めるってコンセプトが一律で存在しているんだ」
「だから魚人達の水弾には発動までに間があったんだな」
得心が行ったらしい彼女は、しかしそこで新たな疑問を抱いたようだった。
「設計思想、と言ったか? 魔導書を生み出したのは人間なのか?」
「ううん、魔導書の生みの親は異世界の〔神〕だよ。階梯能力の調整も〔神〕の役割だからね。まあ地球の神様は階梯能力が目覚めないようにしてたけど」
ただ地球人類が宇宙進出まで果たしていることを思えば、完全な失着でもなかったと僕は思う。
異世界の文明水準はお世辞にも高いとは言えなかったし、異能がなかったことで科学技術が発展したって捉え方も出来る。
「ならば【反】を設計したのは三葛君なのか?」
「それは違うよ。先代と同じで僕もまだ階梯能力にはノータッチ。加賀美さんのそれは破片の中で自然覚醒したものさ」
だからこそスペルページも使えなかった。
あれは魔導書に対応する形式で設計されていたから。
「話をスペルページに戻すね。この紙片は魔導書に複合することで書かれてる魔術を覚えられる、ってアイテムなんだ。なかなか便利だよね。僕が法則を作る時にも参考にしたいよ」
「……デメリットはないのか?」
「お、いいところに気が付くね。さすが加賀美さん」
「ふっ、当然だ」
「まあこれはデメリットってよりは制限って感じなんだけど、スペルページで取得できる魔術の数には限りがあるんだ」
さながらアプリの容量と空きストレージみたいに。
強力な魔術ほどメモリを食い、少数しか覚えられない。
「そうか。なら将軍魚人の魔術はどの程度容量を使うんだ?」
「どちらかと言えば軽い方だよ。今の加賀美さんならこのサイズは三つ取得できる」
「軽い方で三つ、か。思っていたよりスペルページを覚える余地は少ないのだな」
「まだ第一階梯だしね。容量は階梯能力の成長に伴って追々増えるよ」
階梯能力の成長は即ち〔魂〕の成長。
〔魂〕が強大化すれば魔術を覚える素地も広がる道理だ。
「それと一度取得した魔術は消去できないんだけど、これはまだ気にしなくていいかな。第一階梯の魔術の容量なんて全体からすれば誤差だから。詠唱の感覚とかを知るためにも取っといて損はないと思う」
「君がそう言うならそうなんだろうな、私から否やはないさ」
「最後に一つ、スペルページを加賀美さんが使うためには〔魂〕に干渉しなくちゃいけないんだけど、いいかな?」
脳や〔魂〕に干渉する時は事前に許可を取る。
人間の精神を持つ者として当然の振る舞いだ。
「必要ならば構わない。それと私からも質問だ。そのスペルページに込められた魔術はどんな効果なんだ?」
「水を噴出させて物体を飛ばすっていう、将軍魚人の使ってたアレだね。若干なら軌道を補正してくれる効果もあるみたい。名前はウォーターバーニアってところかな」
納得した様子の加賀美さんへ〔神〕としての力を行使し、〔魂〕に手を加える。
階梯能力の性能は変えず、かつスペルページを受容可能に。
事前シミュレーションの甲斐もあって特に問題は起きず完了した。
習得、と念じた加賀美さんの手の中でスペルページを崩れ去り、そこに込められていた魔術が加賀美さんに刻まれる。
「なるほど。【反】と同じだな、使い方は直感的に理解できる」
「それは良かった。じゃあ早速実戦と行こうか」
加賀美さんの今日の講義は二限目で終わり。
昼からは破片をいくつか攻略するという予定だった。
だが彼女は呆れたように口にする。
「その前に昼食を取らせてくれ」