68 神託
「──の綿密な協力により、この四日間は大変意義あるものとなった。私はこの合意が世界経済の大いなる躍進をもたらすと確信して──」
事務総長による閉会宣言を聞きながら、ジョアン・ムカベレ商務大臣は胸を撫で下ろしていた。
この世界最大規模の経済会議において、彼の発言力は砂塵にも等しい。
それでも目標としていた以上の支援を盛り込むことが出来た。
就任以来初となる大役だったが成果は十二分と言える。
(これでナミリム首相にも胸を張って報告できます)
ジョアンの脳裏に浮かんだのは、いかなる事態にも動じない瞬然とした壮年の男性。
ジョアンの生まれた国は紛争地域に只中にあった。
断続的に続く諍いは、何世紀も前に端を発す。
確執が確執を生み、憎しみが憎しみを呼び、血で血を洗う争いが続いた結果、最早戦いの始まった理由すら曖昧な国民も多い。
そもそも国民間ですら民族や貧富の差での対立がいくつもあるのだから悲惨だ。
脆弱な法律は政治家の腐敗を防止できず、耐えかねた者がクーデターによる政権交代を目論むことも珍しくはない。
そんな国家でジョアンが政治家になったのは愛すべき国民を守るため……ではない。
裕福な政治家一族に生まれ、流されるようにして政府で働くようになった。
国民の未来を憂いてはいたが、かと言って国を変えようとする程の行動力はない。
どんな仕事もそつなく熟す割に野心のない彼は重用され、要職から一歩距離を置いたポストを得ていた。
だが今年に入って状況は一変した。
新たに政権を握ったその男、アルマンド・ナミリムは全てにおいて異質だった。
彼には政治に携わった経歴は皆無だった。だというのに権力欲の塊だった前首相が任期の半ばで後任に指名し、選挙を挟まず──これはこの国では日常茶飯事だが──交代。
他の重鎮達もこれを黙認し、驚く程スムーズに首相の座に収まった。
これはナミリムの類い稀なるカリスマのなせる業だ、とジョアンは考察している。
そうでなければ、就任から三日で講和条約を締結させるなど不可能だ。
ナミリムの声には不思議な重みがある。道理や利害を超越した『抗いがたさ』を感じるのだ。
彼の呼びかけにより敵国との電話会談が成立し、とんとん拍子で和平を実現させた。
長い歴史の中で刻まれた多くの禍根は軍部を制御不能にしていたが、ナミリムの命令によってすんなりと兵を退かせた。
あれほど主義も主張もバラバラだった国民達も、こぞって新首相の選択を支持した。
まるで洗脳でもされているかのようなその光景を目の当たりにしたジョアンは……………………感涙した。
憎しみに囚われているように見えていた人々も、本心では終わらない争いに疲弊し切っていたのだ。と解釈した。
そんな功績でもって政党内での影響力を増したナミリムは大規模な人事刷新に打って出た。
ジョアンが商務大臣に大抜擢されたのもその時だ。
以来、彼はナミリムに忠誠を誓い、国家のために粉骨砕身働いている。
閉会宣言が終わり、一息入れようと飲み物に手を伸ばし──伸ばせなかった。
(なんですか、これは!?)
まるで金縛りだ。体が動かない。
目だけを動かし周囲を窺えば、他の参加者達も同じようであった。
参加者達の混乱が深まる中、会議場の中央に大きな球が現れた。
それは表面の七割が青、三割が緑で塗色された球……地球儀だ。
『人類の代表に告ぐ。是は神託である』
声が聞こえた。
男声にも女声にも聞こえるそれは地球儀から発せられている。
『今この刻、地上に災厄の門たるダンジョンが出現せり』
地球儀にいくつもの赤い光点が浮かび上がる。
点の分布から各国に一つずつあるのだろう。
『ダンジョンは先触れ也。開拓し、究明し、来たる真の災厄に備えよ』
その言葉を最後に、地球儀は喋らなくなった。
そして体を動かなくさせていた強制力も消える。
会場中でどよめきが起こったのは言うまでもない。
自然、注目は会議場中央に出現した巨大地球儀に集まる。
何の支えも無いのに宙に浮遊する、不可思議なる物体に。
「静粛に!」
事務総長が一喝する。
こんな異常事態でも冷静に進行を担う彼により、事実確認が行われた。
それぞれの光点には緯経度と思しきアラビア数字が刻まれていて、正確な地理座標が知れた。
参加者達は自国に連絡を入れ、現地の調査を行なってもらう。
ジョアンが連絡を入れたのはもちろんナミリムだ。
先程起こった怪奇現象を一笑に付される覚悟で伝えるが、ナミリムは普段通りの冷然とした声で言った。
『そうか、遂に……んんっ。話は分かった。近くの基地から軍人を調査に向かわせよう』
「お、お疑いにならないのですか……?」
『お前のことは信頼している。そのような無意味な嘘を吐くことはないと』
「ナミリム様……ッ」
ジョアンは年甲斐もなく目頭が熱くなるのを感じた。
その後、各国から座標地点で不審な黒い罅割れを確認したとの報告が相次ぐ。
彼らはこれを謎の声に従ってダンジョンと命名し、社会の混乱を鑑みてこれの存在を秘匿することで合意した。
偶然か作為か、どのダンジョンも人目につかない地点にあったため、余程の失態が無い限り存在が露呈することはない。
幾人かの先走った調査員のおかげで黒い罅──門に触れると別の空間に飛ばされることが判明し、これ以上の調査には準備も時間も足りないことが判明。
これ以上は別の機会に情報共有を、ということでその場で会議は終了となった。
参加者達が退席し、ずっと会議場の隅に潜んでいた蛍火のように小さな光点もこっそりと外に出る。
それは会議場の屋上に行くと、
「んん-…………っ」
伸びをするような声を発しながら、少しずつ縦に伸びて行った。
まるで無理やり一点に押し込めていたものが元に戻るかのようだ。
「面白ぇもんが見られるっつーから最初に来てみたはいいが……」
コキコキと首を回すような動作をしながら、雷は小さくボヤく。
「日本語以外分かんねんだよなぁ……この体じゃ〖念話〗も使えねぇし」
やっぱり日本に行った方がいいな、と呟いた雷は太平洋を目掛けて飛び出したのだった。




