64 イレギュラー
アタシが最初に為すべきこと。そんなの決まっている。
「ごめんなさい、芝根さん」
「え? あー、こんなのへっちゃらだよ。戦ったのはあーしの判断だし全然気にしてない」
芝根おねーさんはスーツが破け肌の露出した足を指す。
血の跡が残ってはいるけど、スキルのお陰でほとんど傷は癒えている。けど問題はそこじゃない。
「ううん。アタシがヘマしたせいで怪我させちゃったから」
意地を張るべきじゃかった。
おねーさんの言う通り一度撤退して作戦を練り直せばよかったのに、苛立っていて撤退の判断が出来なかった。
格上に勝つには相応に準備が必要なのに。
「……でも、今なら勝算は充分ある」
目まぐるしく攻守の入れ替わる戦場へと目を向ける。
距離を取ろうとする赤巨人とそれに追い縋ったり逃げ道を塞ぐように立ち回ったりするおにーさん達。
片腕を失っているのと、毒泥と風弾の援護射撃があるせいで赤巨人は思うように動けていない様子だ。
巨体だから重傷にはなってないけど体中に傷が付いているし、逆にプレイヤー側へは一度も有効打を与えられていなかった。
だけどこれはワンサイドゲームって訳じゃない。
耐久力はプレイヤーが圧倒的に劣ってるから一発でもいいのをもらった即KOになりかねない綱渡りだ。
「ねぇ、そこのおにーさん」
「なにかな? あと俺は眼竜だよ」
「眼竜おにーさん、さっきから援護射撃してるけどおじさん達に当てる心配はないの? 前衛は赤巨人の動きの対応で精一杯でしょ」
「それは心配ないよ。二人共感知系の先天スキルを持ってるみたいだからフレンドリーファイヤーは避けてくれる。……だからそっちの死神さんも良ければ攻撃して欲しいんすけど……」
「機、未だ熟さず。時が来れば我が鎌で奴の命を刈り取ってくれよう」
「そ、そうっすか……【ワイルドハント】」
会話を打ち切るようにしておにーさんが風の弾丸を放ち、それを躱すため無理な体勢になった赤巨人を尾津のおじさんとおにーさんが切り裂き、続く毒泥の矢は氷の盾で防がれた。
尾津のおじさんの【オーバークロック】には周囲の空間を把握するパッシブ能力があるって聞いたことがある。
もう一人のおにーさんもそんな能力を持っているんだろう。
「……よし、なら決まりだね」
「どこへ行くのかな?」
「固まっててしょーがないし、アタシはこっちから攪乱する!」
斜め前に走りながら眼竜おにーさんに答えた。
勝ちたい、ランク五に。たとえ一人でなかったとしても。そんな衝動が体を衝き動かしていた。
「おじさん! これ持ってて!」
「了解しました」
道すがら拾った小石に【魔力】を込めて【マグネットスニペット】でおじさんに飛ばす。
それをサッとポーチに仕舞い戦闘に戻ると、赤巨人が不自然によろめいた。
「【マグネットスニペット】──同極」
小石から反発力を発生させたからだ。
アタシは【魔力】を込めた小石をばら撒きつつ、反発力や誘引力によって赤巨人の妨害を行なっていく。
……接近戦には参加しない。
あんまり人数が多いと身動きし辛いし……白状するとおにーさん達の動きに付いていける気がしないから。
明らかに失敗するって分かってることに挑むのは、挑戦じゃなくて無謀だ。そしてそれが周囲の迷惑になるならやるべきじゃない。
力は使い方次第だ。
たとえ一人で全部は出来なくても、出来ることを少しずつやればいい。
それが勝利に貢献することだ、と思う。
「ルゥグ、ォ、ヴォオオ゛オ゛ぉっ!」
不規則に加えられる衝撃によって益々追い詰められた赤巨人が、右脚で地面を強く踏み締めた。
強い揺れが辺りを襲うけど<空歩>を持つ前衛達には妨害足り得ない。
むしろ転移能力持ちのおにーさんによって脚を深々と斬られてしまった。
「ロォレルル……!」
赤巨人の肩に【魔力】が集い、紫電となって腕を象る。
バヂバヂと空気を焼く雷腕でおにーさんを薙ぎ払おうとしたみたいだけど、その前に尾津のおじさんが雷腕を斬り消失させてしまった
「【カーソルカース】」
「【ワイルドハント】」
「【マグネットスニペット】──異極!」
そこへ遠距離攻撃が殺到。脚を斬られていたのもあって赤巨人は膝を突く。
ランク五のタフさを思えばゼロコンマ数秒後にはもう俊敏に飛び退ているのだろうけど、その一瞬はこの戦場においてはあまりに致命的だった。
「【オーバークロック】」
突如、速度が倍化したおじさんが四度の斬撃を叩き込んだ。
腿、脇腹、肋骨の隙間、そして頸動脈。赤巨人の体を駆け上がりながらの息も吐かせぬ連撃。
首から壊れた噴水みたいに血を噴く赤巨人が、仰向けに倒れる。
明らかな致命傷。アタシが勝利を確信したその時、【魔力】が膨れ上がった。
「ゴぉ、ロぉ」
ランク五ボスの矜持か。
ほとんど詠唱時間が取れなかったにも関わらず、最期の瞬間に大魔術を発動させて見せた。
空から幾条もの雷が、前衛目掛けて降り注ぐ。
「尾津さんこっちに、【エスケープスコープ】──空間跳躍」
でもそれらが届くより早く転移スキルによっておじさんもおにーさんも戦線を離脱してしまった。
「ちょっ、置いてかないでください!?」
中衛を務めていた毒泥使いのおにーさんには雷の流れ弾が少し来てたけど、毒泥で防いでたからダメージは軽微のはず。
赤巨人は完全に沈黙した。
アタシ達はこの戦いに勝利したのだった。
◆ ◆ ◆
「いやはや、驚かされたね。まさか勝つところまで行くなんて。加賀美さんもそうは思わないかい?」
「…………」
モニターの前で拍手をする。
まさかランク四の集団でランク五ボスを討伐できるとは……可能性は考慮しつつも実現はしないと諦めていた。
プレイヤー達の大金星を共に喜ぼうと隣の加賀美さんに話を振ってみたけど、反応は冷たい。視線も冷たい。
少し考えるような間を置き、彼女は口を開いた。
「……前々から三葛君に言おうと思っていたことがあるんだ」
「何かな?」
「君はプレイヤーを過小評価しすぎだ。何度予想を越えられたと思っているんだ。あれだけ強力な先天スキル持ちが揃っているんだから勝てる可能性は充分あったんじゃないか?」
「う……」
痛いところを突かれた。
実際、僕の想定は何度も外れている。不信感を抱かれるのも無理はない。
けれど僕だってテキト-に予想を立てている訳じゃないんだ。
「僕の評価は正当だよ。各人のスペックは正確に把握できてる。だから今回の勝利も、まあ、常に最良の判断を下して最善手を打ち続ければ理論上可能ではあると分かってはいたよ? けど、人間ってそんな完璧じゃないじゃん」
例えば石楠花茲乃ちゃんなんかは顕著だね。
彼女が初めから協力する姿勢を見せていたら、このイベントはもっと難易度の低いものになっていたはずだ。
「今回は上手く全員で団結できたけど仲間割れとか、そこまで行かなくても仲違いすることも考えられた。他にもイレギュラーな事態を想定したらキリがない。だから僕の算出した勝率は決して間違ってなかったと思うよ」
「だがそれでこれまで何度も予想を外して来たのだろう? ならば上方修正すべきだ。プレイヤーは君が思うよりもずっと合理的で協調性もある、と」
「うーん……」
言いたいことは分かる。妥当だとも思う。
でも……やっぱり僕はそこまで人間ってものを信頼できない。
うっかり過度なハードルを与え壊れてしまうんじゃないかって憂虞が消えてくれない。
「……まあいい。今すぐ変えろとは言わないさ。君なりのポリシーもあるだろうしじっくり考えてくれ」
「そう言ってくれると助かるよ」
「ただこんなことを言いたくはないがね、私は友人の誘いを蹴って、ゴールデンウィークの、今日、にここに居る」
「あ……」
「せめて意義ある時間であって欲しかったな」
「申し訳ないです……」
そう詫びた直後、ニャビを経由して異変を捉えた。
「いや、もしかすると徒労には終わらないかもだよ」
「何だと?」
モニターに映し出されたのは、消散寸前の赤巨人の死体。
間もなくして死体は煙のようにふっと消え、そこに現れたのはドロップアイテムと……黒い楕円。
一切の光を通さない、完全な虚無のその楕円は、さながら卵か繭のように。
あっという間に孵化が始まり、警戒するプレイヤー達の前でその中身が姿を見せた。
『おや、随分と人間がお揃いで。どうやら新しい征服地でも退屈はしなさそうですね』
獅子の肉体を持ちながら、ハットにスーツにステッキと紳士然とした装いの悪魔が、そこに居た。




