63 天鬼討伐戦
◆ ◆ ◆
「なんでおじさんがここに……」
「私もランク四ですから参加資格は当然ありますよ。少し出遅れてしまいましたが……そのお陰で皆さんとお会いできたと思えばそれもまた僥倖でしょうか」
おじさんが背後に視線を遣る。
そこでは雷に焼かれた枯れ木の森が、天を衝かんばかりの炎の壁になっていた。
「死ね、【コキュートスの邪眼】──地獄の業火に比べればあまりにも温い」
微かな【魔力】の流れを感じた。そして蝋燭の火を吹き消すように呆気なく、フッと猛火が消え去った。
焼け跡に立っていたのは大鎌を肩に乗せ、口元を面頬で覆い、紺色のコートを纏ったプレイヤー。
発言からして鎮火はこの死神っぽい人の仕業だろう。
ランクアップの影響なのか右目は灰色、左目は金色のオッドアイになってて少し親近感が湧く。
「視界は開けた。初撃は譲ろう」
「──威力向上、強度向上、弾速向上、大気吸収、巨大化、凝縮、竜巻化、全抵抗軽減……【ワイルドハント】」
絶大な【魔力】が大気を震わせた。
ソレが死神の数メートル脇を横切り赤巨人に到達したことを、アタシは遅れて理解する。
「ヴェヴェ……」
赤巨人の右腕が宙を舞った。
アタシ以上の瞬発力でもって咄嗟にあの嵐の鎧を纏ったにも関わらず、それを貫通されたのだ。腕での防御が間に合わなければ今頃は胸に大穴が開いていただろう。
堪らず赤巨人は後ろへ跳び、右腕の断面を抑えながら森の奥を睨む。
そこから現れたのは芝根おねーさんと一緒に居た三人のおにーさん達。
「すみません、仕留め損ないました」
「大丈夫です。ランク五のボス相手ならこのくらい想定内です。僕らには眼竜君以上の火力は出せませんしね」
「俺達の『逃げ道』は見えない。ボスは様子見しながら回復に専念してるらしい。攻めるなら今だ」
「では兎田君は芝根さんの保護を。僕が範囲攻撃するので皆さんボスには近寄らないように!」
三人組の一人、長身痩躯の大学生っぽいおにーさんの持つ魔石達から、覚えのある禍々しい【魔力】が放たれた。
「遠峰さんにマグロ漁を紹介してもらったのは正解でしたね。ダンジョン探索からはしばらく離れてしまいましたが、おかげで呪詛に目を向ける時間が出来ました。【カーソルカース】──穢魚群」
魔石から湧き出したのは毒々しく濁った紫の液体。それらは一つ一つが魚の形を取っていて、まるで自律しているみたいな動きで赤巨人に向かっていく。
その液体を見てアタシの中の記憶が繋がった。
「あ!」
思い出した! この人、バトルロイヤルでアタシを倒した毒沼使いだ!
あの時は渦潮みたいにして操ってたけど今は生き物っぽくして赤巨人を襲ってる。
視界を埋め尽くさんばかりに広がった毒魚達はさながら壁だ。
「ウォルウェル!」
でも赤巨人の魔術の前では些か頼りない。
同時に発生した三つの砂嵐が触れた端から毒魚を消滅させていき……その度に勢力が萎んでいた。
「『両損の呪詛』は生物への有害性を削いだ代わりに【魔力】侵蝕力を引き上げています。これだけ多ければランク五魔術と言えどこの通りです」
毒魚のすぐ後ろを駆けるおにーさんが笑う。
砂嵐は彼に及ぶ前に消えてしまった。
あの毒魚の群れは防壁かつ陽動。
間合いが縮まりおにーさんの手には魔石。と来れば次に繰り出されるのは、
「濁流です」
魔石から大量の毒泥が奔出する。
迎撃の詠唱は間に合わない。そんな赤巨人が選んだのは防御じゃなくて回避。毒泥の禍々しい【魔力】を警戒したからだと思う。
その巨体を躍動させ空高く跳び上がった赤巨人は、しかしそこでも攻撃に晒される。
目には見えないけど多分風の弾丸だ。けれど初撃ほどの威力はないのか赤巨人の皮膚を多少抉るくらいのダメージに留まっていた。
「【ワイルドハント】! ……追加効果が充分じゃないと深手にはならないっすか。そっちのお二人はどうです? 何か決定打はありますか?」
いつの間にか近くに来ていた目つきの鋭いおにーさんに訊かれる。
まだ思考がまとまらないアタシの代わりに応えたのは尾津のおじさんだった。
「私には有効な遠距離攻撃手段はありませんね。物を投げても【オーバークロック】範囲外に出ると元の速度に戻ってしまうので。石楠花さんはどうですか?」
「アタシは……」
素直に答えかけたのを喉元でグッと飲み込む。
「能力を教える義理とかないから。アタシは別に一緒に戦ってほしいとか頼んでないし」
「道理だな。他者に手の内を明かすなど迂闊に過ぎる」
近寄って来た死神っぽい人がそう言った。
なんだかどこかで聞いたような気がしたけど、そちらに意識を割く前に尾津のおじさんに問われる。
「石楠花さんは本当にそれで良いのですか?」
普段通りの声なのに、パパが怒る時みたいな目を逸らせない引力があった。
「私は貴方の意思を尊重したいと考えています。ですが、貴方は貴方の本心を尊重できていますか?」
「へ?」
「独りで戦うことが石楠花さんの本当にやりたいことなのですか、ということです。それなりの付き合いになりますし貴方が勝利に拘っているのは理解しています。ですが、そこに他者を介在させない必要性が分かりません」
「そんなの、何もしてない奴に成果を取られないために決まってるじゃん。アタシは一人でも──」
「勝てませんよ」
地鳴りが響いた。赤巨人が丘の頂上に着地した音だ。
右腕からの出血はもう止まっていて、全身から溢れんばかりに【魔力】が漲っている。
「分かっているでしょう? 石楠花さんではあの巨人には勝てません。先程の吹雪の魔術も貴方一人では凌ぎ切れなかったはずです」
「それは……」
「単独で解決できないタスクにチームで取り組むのは何ら恥じることではありません。その上で、石楠花さんはどうされますか? 私達と協力してボスを倒すのか、──」
「──逃げるなら逃げろ。半端な姿勢で要られたら迷惑だ」
「うわ!?」
【魔力】の揺らぎと共に二人分の気配が現れた。
それはいつの間にか消えていた男三人組の最後の一人と、彼に肩を支えられた芝根おねーさんだった。
「や、ヤッホー……心配かけたかな?」
「良かっ、べ、別に心配なんて……」
「心配しろ。芝根がダメージを負ったのはお前が引き際を見誤ったせいだろ」
「ちょ、颯斗っち、そんな言い方は」
「いや、言わなきゃならない。ここは命の懸かったダンジョンだ。年齢なんて関係ないし、生半可な気持ちで邪魔されたら困る」
「……っ」
何も言い返せなかった。
助けられたことを否定できるほど面の皮が厚くはない。
「いいか、逃げることは負けじゃない。生きてさえいれば勝てる可能性があるんだからな。そのことを忘れるな。【エスケープスコープ】──空間跳躍」
「ウォジュ!?」
おにーさんの姿が掻き消えて赤巨人の背後に現れた。転移能力かな?
赤巨人が密かに詠唱してたらしい魔術が発動するほんの数瞬前を狙ったみたいで、おにーさんの斬撃に集中を乱されたためか魔術は不発に終わる。
赤巨人は即座に素手で反撃したけど、おにーさんはそれを紙一重で回避して再度<魔刃>で斬り付けた。
毒沼使いのおにーさんも一緒になって攻撃を再開する。
「では石楠花さん、私もあちらへ参加してきます。どうするかはきちんと考えた上で選択してください。……嗚呼、最後に一つだけ。ここには貴方と同等の実力者しかいません。周囲に気を遣う必要はありませんよ」
それでは、とだけ言い残しておじさんは地面の滑るような歩法で赤巨人へと向かって行った。
残されたのは風弾のおにーさんと防具が破損して戦えない芝根おねーさん、それから意味深に佇む死神っぽい人だけ。
壮絶な戦闘を繰り広げるおにーさん達を見て、アタシは──、




