62 死地
「──」
死の予感が首筋を伝う。
たとえアタシに降りかかるものでなくても、『死』には意識を強制的に醒めさせるだけの冷たさが伴う。
反射的に【魔力】を練り上げると同時、脳裏でプレイヤーになってからの日々が瞬く。
先天・後天問わずスキルを使用した様々な場面が思い浮かび、けれどその中にこの状況を変えられるようなものはない。
分かっていた。もう出来ることは何もない。
今、練り上げた【魔力】で【マグネットスニペット】を放てばそれで終わりだ。次の手を打つ猶予はない。
いつもは意識する間もなく終わるその工程が、今だけは泥のように鈍く感じられた。
その最中、焦燥に駆られるばかりの思考がある記憶を拾い上げる、
『──少々視野が狭まりがちですね。自己の統制を忘れては思わぬところで足を掬われます』
それは尾津のおじさんと知り合った日の会話。
確か、この後に続く言葉は……。
『──力は使い方次第です』
全身に電流が走るような感覚があった。
反射的に【マグネットスニペット】の詳細を確認していた。
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〇先天スキル
【マグネットスニペット】 Lank4.24
効果:対象Aから対象Bへ疑似磁力を発生させる。
他者の精神を自身に誘引、あるいは反発させる。
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すっかり慣れ親しんだアタシの異能。
一つ目の能力は確認するまでもない、プレイヤーになってから何度も何度も使って来た異極・同極の能力だ。その効果はこれ以上深堀のしようが無いほど知り尽くしている。
だから可能性があるとしたら二つ目、精神に磁力を作用させるみたいな能力。
これによって相手の心をアタシに惹き寄せる技が誘惑だ。
(でも誘惑は効かない……!)
ニャビが前に言っていた。免疫値は与える『状態異常』が重大である程に抵抗力を強める。
魅了して意のままに操るなんていうある意味『即死』よりもタチの悪い『状態異常』は、まず格下にしか通じない。
──では、もう一方は?
相手にただ嫌われるだけなら……そんな、何の利益もないような『状態異常』だったら、免疫値はどのくらい働くのだろうか?
確証はない。検証もして来なかった。
それでも迷いを刹那で切り捨て賭けに出る。
「【マグネットスニペット】──厭離!」
確かな手応え。
相手の精神に届いたという感触があり、直後、赤巨人の両眼がアタシを射抜く。
「ルォン!」
「がっ!?」
目に前で火花が散った。
幾条にも枝分かれする雷撃がアタシの体を貫いたのだ。
全身の感覚が痛みで塗り潰される。
それでも心は達成感に満ちていた。
(成功した!)
<索敵>がおねーさんは健在だと教えてくれる。
厭離で植え付ける敵愾心は一過性のものだからランク五の赤巨人ならもう解けていてもおかしくないけど、アイツの敵意は未だアタシに向いている。
どちらも手負いなら今攻撃したばかりの方を狙おうって考えだろうか。
(おねーさんは無事に離脱できそうだね)
弾き飛ばされたおねーさんは今この瞬間も離れて行ってる。
回復と逃走の時間は充分に稼げるはず。
あとはアタシが赤巨人の攻撃を往なすだけ。
「ま、それがキツイんだけど……っ」
<自己再生>に全力で【魔力】を注ぎ込んだ甲斐あって痺れが取れ、視界が戻る。
そこにはちょうど詠唱を完了した赤巨人の姿。
伸ばした腕の先から猛吹雪が放たれ、瞬く間にアタシに迫る。
赤巨人の繰り出す吹雪は雪粒一つ一つが果物ナイフみたくなってて、当たり所が悪かったら一発で致命傷だ。
広範囲に展開されているから回避も間に合わない。
「<魔盾>……!」
無数の雪刃の前では<魔盾>も無いよりマシって程度の意味しかない。
勝負は<魔盾>が破られた後。全ての雪刃を徒手で、もしくは【マグネットスニペット】で逸らす。
十中八九失敗する……そんな予感を脇に置いて、今はただ雪刃だけを見る。
誰かを巻き込むのに比べたら、こんなの重荷でも何でもない。
極限まで集中した意識は雪刃の群れの先頭を確と捉えていた。
それが<魔盾>に触れるその寸前、
「【オーバークロック】」
鈴のように澄んだ音が響いた。
本当はいくつも連続した音だったのだろうけど、間隔が極めて短かったからまるで一つの音のように聞こえた。
「──見せるのは初めてでしたね。私の刀には【魔力】を破壊し魔術やスキルを霧散させる特殊効果が備わっています」
カチン、と。ガラスみたく透明な刀身を持つ刀が鞘に納められる。
アタシに当たるはずだった数多の雪刃を……ほとんど時間差なく殺到した刃の群れを、たった一振りの刀で斬り尽くした尾津のおじさんが、平時と変わらない調子で言った。
◆ ◆ ◆
「……分からないな」
モニターを見ながら加賀美さんが呟いた。
「この尾津さんが君の言っていた〔忌世怪〕なのだろう?」
「そうだよ」
「自身に流れる時間を二倍速にする【オーバークロック】はなるほど確かに強力だ。が、これは先天スキル。〔忌世怪〕に必ず備わっているという『反則』らしき能力が見当たらない」
それに、と彼女は言葉を続ける。
「助けに入ったのも不可解だ。世界を滅ぼすような存在がどうして人間を守る?」
「そう言えばきちんと伝えてなかったね」
以前訊ねられた時は『〔忌世怪〕は〔星界〕を滅亡させ得るバグ』だって伝えた。
それは間違いじゃないんだけど、少し簡略化し過ぎてもいる。
「『反則』は理の外側で生まれる力だから〔神〕にすら届く可能性はあるよ、可能性はね。でも全ての『反則』がそこまで反則的な訳じゃないし、全ての〔忌世怪〕が世界を滅ぼそうとする訳でもないんだ」
むしろ、理性が残っている〔忌世怪〕は大半が自身や周囲を守るために『反則』を使う。わざわざ世界滅亡なんて大それたことは目指さない。
力は使い方次第、ってことだね。
「……合点が行った。尾津さんをプレイヤーにしたのは監視のためかと思っていたが、世界を守ろうとする意思があったからなんだな」
「いや、意思については確認が取れてなかったんだけどね」
「〔原始式〕で精神分析していないのか?」
「しようとしたけど出来なかったんだよ。それが彼の『反則』なんだ」
名付けるなら『ハートレス』だろうか。
脳波や脈拍といった物理的な検査をしても、あるいは読心系の異能を用いても彼の心の内側を観測することは叶わない。そういう特異性を有していた。
「まあ〔録〕で過去を検めれば人となりは分かるからね。いい人そうだったし物は試しでプレイヤー候補にしてみたんだよ。正直断られる確率の方が高いと思ってた。仕事も上手く行ってて不満もなさげだったからね。だけど尾津さんはプレイヤーになって会社も辞めた」
「……思い切りがいいな。脱サラしてY〇utuberよりも先行き不透明なプレイヤーになるとは」
「多分これも『ハートレス』の力なんだと思う。雑んを排して行動を選択できる、みたいな」
過去の言動なんかから総合的に導いた推論だ。
ダンジョンという超常に出会った尾津さんは、ダンジョン対策を他人任せにしないために積み上げたキャリアを犠牲にした。
資産や経歴よりも命を優先するっていう至極合理的で、でもなかなか選び難い択だ。
ランクアップするためとは言え、『一秒間に二秒老いる』なんていう寿命を擦り減らすだけの先天スキルを躊躇なく鍛え続けられたのも、彼の『反則』あってのもの。。
どこまでも冷徹かつ合理的に動ける〔忌世怪〕が尾津山人さんだ。
「子供時代はその『反則』で苦労もしてたみたいだけど、今じゃ完全に使い熟してるね。現在のプレイヤーで最強を決めるなら第一候補だよ。さすが何年も修行しただけはある」
「うむ……いや待て、年? どういうことだ?」
「これも言ってなかったね。【オーバークロック】は効果時間が一秒で、クールタイムも一秒だって話はしたでしょ?」
「あぁ。加速幅が二倍なのも含め、ランク一の頃からそれらの数値は固定と聞いた。ランクアップの恩恵は主に燃費と効果範囲にあると」
【オーバークロック】は『倍速になる先天スキル』と加賀美さんは言っていたけど、これもより正確には『空間に干渉して自身が倍速で動けるようにするスキル』ってことになる。
時間は〔星界〕にとって特別な意味を持つ。
単純に肉体の速度を二倍にするのでは、物理学上だけでも様々な問題が起きてしまう。
だから【オーバークロック】は空間に干渉してそれらの齟齬を是正する、なんて回りくどい方法で時間加速を実現している。
「重要なのはここからで、効果時間の一秒とクールタイムの一秒は数え方が違うんだ。効果時間の方は空間に掛かっているから世界の時間で一秒。だけどクールタイムの方は、尾津さん自身が一秒経過した時点で解除される」
「……まさか」
「そう。ゼロコンマ五秒だけクールタイムの方が早く終わるんだよ。普通は脳がリミッターを掛けるんだけど尾津さんは無視できるからね」
もっとも、スキルそのものの限界は突破できないんだけども。
【オーバークロック】の限界は七重──百二十八倍速だ。それ以上重ね掛けすると空間が捻じ切れて尾津さんも消滅する。
そんな一歩間違えれば大惨事の訓練を何年も続けられたのは返す返すになるけど『ハートレス』あってのものだね。
モチベーションもそうだ。
回復薬と<自動治癒>で栄養を補給しながらひたすらにニャビの指導を受け続ける……なんて常人の精神じゃ耐えられない。
僕が『精神と時の部屋』みたいなのを作らない要因の一つがそれだ。
時間加速するとその分だけ先天スキルの成長が鈍化するってのもあるけどね。
と、そんなことを話しているとジトッとした視線を向けられる。
「……三葛君は、そんな強力な先天スキルがあってもプレイヤー側が負けると思っているのか?」
「まあね。やっぱり効果範囲がネックだよ。相手が遠距離攻撃ばっかして来たらジリ貧だし。それにランク四同士の戦闘では0.5秒はけっして短い時間でしょ。重ね掛けもそう気軽には出来ないから加賀美さんが思ってる程プレイヤー有利でもないはずさ」
「……まあいい、全ては決着がついてからだ。今は彼らを見守ろう」
含みを持たせた言い方だ……でも確かにその通り。
ランク五ボスを相手にプレイヤー達がどこまで健闘できるか、加賀美さんに介入させるタイミングを逃してもいけないししっかり見守るとしよう。




