55 石楠花茲乃(前編)
少女と男性。二人がやって来たのは全ての葉が真紅に染まるという、異常な紅葉を見せる密林だった。
そして運の悪いことに、彼らの侵入地点からほど近い場所にフロアボスと配下の群れが存在した。
フロアボスの種族はコボルト。人間のように二足歩行する犬型モンスターだ。
犬の嗅覚を有しており、侵入者の存在をすぐさま知覚。ボスコボルトは配下達に包囲するよう指示を出す。
「まずはお掃除だね」
「私はあちらを受け持ちましょう」
「じゃあアタシはこっちね。【マグネットスニペット】、異極」
プレイヤー専用のコンバットスーツに身を包んだ少女、石楠花茲乃が足元の小石に【魔力】を込め、空高く放り投げる。
それを起点に先天スキルが発動した。
石楠花と男性を包囲していた運の悪いコボルト達が、凄まじい力で次々小石へと引き寄せられていく。
「ワンちゃんには悪いけど、アタシって猫派なんだよね~。【マグネットスニペット】、同極!」
目は酷く充血し牙の隙間からは常にダラダラと涎を溢し続けるという、大半の犬好きが犬判定を下さないであろう怪物へと石楠花はスキルを発動させた。
小石のすぐ傍まで来たコボルトが、今度は押し返されるようにして地面に墜落させられる。
コボルト達の体がひしゃげる音が立て続けに響いた。
落下地点に恵まれた者は即死は免れたが、戦闘が継続できる状態にはない。
「「「グヮルルルルゥァッ!」」」
刻一刻と数を減らす配下。それを見たボスコボルトの判断は早かった。
──一斉突撃。
獲物を包囲する知能と群れを率いる統率力があれど、『厄災』に侵蝕された彼には撤退の選択肢はない。
感知した生命体は是が非でも摘み取ろうとする。
「アンタがボスぅ? ランク三のくせに弱っちそぉじゃん」
石楠花茲乃の言葉は正しい。
ランク三のボスとしてはボスコボルトの強さは標準以下だ……単独ならば。
このモンスターの真価は指揮能力にある。
数多の配下を一つの意志を持つ生物であるかのように操り、獲物を追い詰める。
群れを構成するコボルトはほとんどがランク三。
異世界の人里に一度降りれば街の一つや二つ容易く喰い尽くす脅威度である。
「「「グルゥアッ!」」」
正面から襲い掛かるボスと同じタイミングで、左右からもコボルト達が飛び出した。
視界も足場も悪い森林内でも遺憾なく発揮されるコンビネーションは、これまで幾度も敵を屠って来た。
「はぁ、つまんな。同極」
爪牙が届く寸前、両脇から迫ったコボルトが見えない何かに突き飛ばされるようにして森の奥に消える。
唯一無事だったボスは杭のような牙で噛み付くが、跳んで躱され踵落としをお見舞いされる。
地に伏したボスコボルトの頭を石楠花は踏みつけにした。
「これで詰みだねぇ、【マグネットスニペット】同極!」
「ゴガァっ!?」
ボスコボルトを凄まじい衝撃が襲った。
体がビクンッと跳ねるが、踏みつけにされているため逃れることは出来ない。
そんな状態のボスコボルトへ情け容赦なくスキルが連発される。
「同極、同極、同極、同きょ……あれ、もう終わり?」
地面に人型の陥没痕を残し、ボスコボルトがドロップアイテムとゲートに変わったところで少女が攻撃を止める。
「全く、感心しませんね。いくら狂気に堕ちた相手とは言え徒に苦しめるような真似は。速やかに止めを刺すべきです」
そんなことを言いながら壮年の男性、尾津山人が森の奥から姿を見せる。
後方の敵を掃討し終えた尾津は、そのまま石楠花が瀕死に追いやったモンスター達を楽にして回っていた。
そのことは石楠花も<索敵>で把握しており、特に動揺なく応じる。
「えー、そんなのアタシの勝手でしょぉ? それよりさっさと闘おうよ。ウォーミングアップは充分でしょ」
「私は構いませんが……石楠花さんは回復されずともよろしいのですか? 少々【魔力】を消耗しているようですが」
「へーきへーき。アタシの【マグネットスニペット】は燃費いいから。それよりおじさんこそソレで戦うつもりぃ?」
石楠花が指さした尾津の武器は……武器ではなく鞘だった。
長さは一メートル弱。僅かに湾曲しており、漆塗りの濡れたような光沢が妖しく輝いている。
言うまでもないが、当然尾津本来の得物ではない。
「中は空洞ですが充分に頑丈ですし自動修復の効果もあります。遠慮なく攻撃して頂いて構いませんよ。……まさか、真剣を使えと仰るわけではありませんよね?」
「え、おじさん刀でモンスターと戦ってるの……? <魔刃>があるのに? まあいいや。そーゆーことなら鞘でもいいよ。真剣だと逆にやり辛いだろーし。でも手加減はしないでよね!」
「ええ、もちろんです。いざ尋常に──」
尾津がコボルトの魔石を指で弾く。その魔石が落ちた時が勝負開始の合図。
一陣の風に枝葉が鳴った。両者の間合いは十メートル。
腰を低くしいつでも飛び出せる体勢の少女と、背筋を正して悠然と待ち構える男性。
──ぽす。魔石が柔らかな土に落ちる音がした。
「【マグネットスニペット】、異極!」
瞬間、石楠花は急発進した。
さながら見えないワイヤーで突然引き寄せられたかのような急加速。並みのランク四であれば一瞬姿を見失いかねない。
「速いですね」
だが尾津の動きに迷いはない。
駆け寄る勢いそのままに繰り出された前蹴りに、鞘を合わせる。
轟音。余波だけで葉を散らす程の一撃を、鞘は見事に耐え切った。
尾津もまた驚異的な体幹により両足で轍を刻みつつも石楠花の運動エネルギーを完全に受け止めて見せる。
「そう来なくっちゃだよね! 同極!」
「おっと」
喜色を顔全体で表現する石楠花は間髪入れずスキルを発動。
見えない衝撃が尾津を襲い、一歩二歩と後退させられる。
かと思えば彼は体を反転させ鞘を横に薙いだ。
──ボゴンッ。
彼の鞘が砕いたのは、背後から飛んで来ていた小石。
コボルトの群れと戦う際、石楠花が最初に薙げていた物だった。
「背中ガラ空きぃ!」
「貴方ならそう来ると思いました」
「っ」
尾津は小石を砕いた速度を殺さず一回転。背中へ攻撃を加えようとしていた石楠花に打撃を与える。
咄嗟に片腕でガードするも地面と平行に吹き飛ばされた石楠花は、木に背中を打ち付けて止まった。
「けほっ……や、やるじゃん、ただのおじさんじゃないってことね」
「プレイヤーですので。それより貴方の先天スキルですが概要は掴めて来ましたよ」
「へぇ? どんな能力だと思ってるのかなぁ」
「ズバリ、誘引力と反発力を働かせるスキルではありませんか? さながらその物体が磁石であるかのように」
「正解ー、パチパチパチぃ」
石楠花は拍手を送る。鞘の打撃によって骨に入っていた罅は、既に<自己再生>で治していた。
小馬鹿にするような態度だが、尾津の推測は的中している。
【マグネットスニペット】は断片的に疑似磁力を与えるスキルだ。
磁力というものは本来、相互作用するはずだがこのスキルで与えるのはあくまで疑似磁力。誘引力・反発力を受けるのは効果対象だけだ。
また電子への影響もないため機械類に使っても故障することはない。
「貴方のスキルが通常の念動力と異なる点は……つまり私が磁力と表現した理由ですが、それは力の発生源となる物体が必要だからですね?」
コボルト達を空へ吸い上げていた時は、小石を発生源に誘引力を生んでいた。落とす時は反発力だ。
磁力の発生源か、効果対象のどちかがに石楠花の【魔力】が込められてさえいれば、強磁性体だろうが非磁性体だろうがお構いなしに作用する。
「それから距離による効力の増減もあるようですね。反発力は磁石同様近いほど強く、そして誘引力は……遠いほど強くなる」
「あちゃぁ、それもバレちゃったかぁ」
最初に小石を空に投げたのはそういう理由だ。
距離が稼げればその分だけ誘引力も強まる。
「ですが離れれば無制限に強くなる訳ではありませんね。小石の高度からして磁力の効果範囲は百メートル以上、二百メートル以下と言ったところでしょうか」
「ノーコメントぉ」
「……しかし、その性質は磁石と言うより……いえ、これは今は無関係ですね。最後になりますが貴方の先天スキルは免疫値の影響も受けていますね? コボルト達へ使った時の反発力の方が私へ使った時より強力でした」
「やさし~アタシが手加減してあげたとか思わないワケ? もちろんそんなことしてないケドさぁ」
完全にバレちゃったかぁ、と肩を落とす石楠花。
けれどそのオーバーなリアクションからは余裕がありありと窺えた。
「まっ、タネが割れたって問題ないんだけどね~。アタシの【マグネットスニペット】は最強だからさ、<魔刃>」
石楠花が【魔力】の刃を振るうと、傍の木が斜めにズレ落ちる。
突然の環境破壊は八つ当たりではなく戦法。木を片手で軽々持ち上げると素早く【魔力】を注いだ。
「様子見はもうおしまい、ここからはアタシも全力で行くから。精々抵抗してよね、おじさん」
悪戯っぽく笑った石楠花は、【マグネットスニペット】を併用し木を高速で投げ飛ばしたのだった。




