53 茶嶋千代子(後編)
残っているのはわたくし達だけ。
即ちここからが最後の戦い……と行きたいところですが、わたくしはハルバードを下ろします。
「では、わたくしはリタイア致しますわ」
「……戦わなくて、いいの?」
「ええ。わたくしはもう充分楽しみました。ユウさんも早く賞品を受け取りたいでしょうし、他の人が持っていたら不安でしょう?」
彼女の心情を慮れば、ここで戦いたいなどとは言えません。
わたくしが優勝してもメールで万能薬を転送する──ダンクエの機能の一つです──手筈ですが、本当に送られてくるか気が気ではなくなるでしょうしね。
「やっぱり、チヨは優しい」
「優柔不断なだけですわ。一意専心を標榜していながらお恥ずかしい」
昔からそうでした。わたくしは口で言うほど目標に一直線ではありません。
その弱さを克服するため敢えて口に出すようになったという気もしますが……性分とは易々とは変えられぬものです。
寧ろユウさんの方が目標に向かってひた走っていたと言えるでしょう。
その姿勢に感服したからこそ、わたくしもついつい彼女の手助けをしていたのですし。
「ううん。他人を優先出来ることが恥ずかしいはずも、弱いはずもない。……少し、私の話を聞いて欲しい」
「何でしょう?」
「私には母さんが居る。事故で意識を失った母さんが。私は母さんのために万能薬を求めていた」
これまで頑なに語らなかった万能薬の用途を話し始めました。
どういう心境の変化でしょう?」
「……けど、それは半分間違いで、私が母さんを治そうとするのは私の後悔を拭うためでもあったんだと思う。感謝を伝えたい、生きてて欲しいっていう、私自身のエゴ。その、だから……」
普段は口数の少ないユウさんは、言葉を探すようにしながら辿々しく声を紡ぎます。
「助けてくれたチヨには感謝すべき。そうじゃなきゃ私は変われない。万能薬を持ち逃げされるなんて疑いも、きっと持つべきじゃない。利害を超えて助けてくれたんだから、私はそれに報いたい」
彼女の純粋な視線がわたくしを捉えます。
同時、多量の【魔力】が迸りました。
「これが私の出来る精一杯。【ダスクキル】──宵闇」
「っ」
彼女から溢れ出した漆黒の宵闇が、周囲をみるみる満たしていきます。
夕闇を重ね掛けすることで視界を悪化させたのです。
「ファイナルマッチ、だよ。私が全力で愉しませてあげるから。チヨも、全力で来て」
その声を最後に宵闇が周囲を覆い尽くし、世界から光が消え去ります。
わたくしは自身の口端が吊り上がっているのを自覚しながらハルバードを構え直すのでした。
アルコール液の臭いの漂う真っ白な廊下を時折、見舞い客や看護師、医師が通り過ぎます。
わたくしは壁に背を預け、病室から彼女が出て来るのを待っていました。
「──じゃあね母さん、家のことは心配しないで。……病気、治って良かった」
いつもより数段柔らかな表情と声色の少女がスライドドアを閉めたのを見計らって声を掛けます。
「もういいんですの? もっとゆっくりされてもよろしかったですのに」
「……起きたばかりなのにずっと居られたら、疲れるでしょ。それに、ダンジョンのことは話せないし」
優勝賞品の万能薬ですが、万能薬を手に入れたから投与してくれとお医者様に頼むわけには行きません。精神科の紹介状を書かれてしまいます。
故に、秘密裏に与える必要がありました。
ニャビさんの協力を得てあらゆるセキュリティをすりぬけ夜の病院に忍び込み、様子見として小さじ一杯分だけ肌に垂らしました。
【魔力】回復薬などと同様に経口摂取でなくても良いのです。
そして、その小さじ一杯だけでもランク四マジックアイテムの効果は劇的でした。
ユウさんのお母様の瞼がゆっくりと開いていき、わたくし達は慌てて窓から出ていくことになりました。
「いいにゃん? 今回は特例にゃん! 協力したのはあくまで情報秘匿のためにゃん。本当はこんなのアウトもアウトにゃん。二度目はにゃいからくれぐれも肝に銘じておくにゃん」
「分かってる」
病院からの帰り道、周囲に人が居なくなったタイミングでニャビさんの声だけが聞こえてきます。
耳にタコが出来るほど聞かされているのでユウさんの対応もおざなりです。
「チヨ、なに他人事みたいな顔してるにゃん? 君にも言っているにゃん、むしろ君の方こそ気をつけるべきにゃん。『戦車』の『アルカナ』に恥じにゃい振る舞いをしてくれなきゃ困るにゃん」
「そう言えば、その『アルカナ』とは何ですの? 聞く暇のないままここまで来てしまいましたが……」
「大きな結果を残したプレイヤーに与えられる称号にゃん」
「持っていると何か影響があるんですの?」
「それはまだ言えないにゃん」
そこが一番知りたいのですがね。
今のところダンクエのプロフィール画面が一行増えただけです。
「と、そう言えばユウさんはこれからダンジョン攻略はどうされるのです?」
「しばらくは控える。授業追いつかないとだし」
「留年は免れたとは言え、追いつくのは大変ですわよね。分からないところがあればいつでも連絡してくださいまし、力になりますわ」
それから他愛もない話をしている内にユウさんの家に着きました。
それじゃあと別れようとしたところで彼女が切り出します。
「名前」
「はい?」
「名前、言ってなかったから……。別に今更呼び方変えなくていいけど、知っておいて欲しい。私は夕凪。久礼夕凪……これからも、よろしく」
「ふふ、なんだか可笑しいですわね。わたくし達本当の名前もまだ名乗ってなかったなんて」
一頻り笑ってからわたくしも名乗ります。
「わたくしは茶嶋千代子ですわ。こちらこそ、末永くよろしくお願いいたします」
◆ ◆ ◆
──時はバトルロイヤル決着直後まで遡る。
「いやぁ、今回も無事終わってよかったよかった」
「何事もなかったのはいいが、少し呆気ない気もするな。<護身結界>の強度はもっと上げても良かったんじゃないか?」
終了を喜ぶ僕に加賀美さんが言った。
「まあそっちの方が同ランク同士のバトルは面白くなりそうだけど、番狂わせが起きにくくなりそうでね。ランク三プレイヤーにも勝ち筋を残したいじゃん」
今回の優勝者がランク三になったのもそのお陰な訳だし、目論見は成功と言える。
それに狙いはそれだけじゃない。
「観戦してて面白かったってのを抜きにしても、今回の結果は最良の部類なんだよね。ランク四プレイヤーにはどれだけ強くなっても負ける時は負けるって経験を積めたし、ランク三プレイヤーも自分より遥かに強い人間の存在を知れた。ランク五ダンジョン前の最後のイベントとしてこれ以上はないね」
ただ、と声の調子を一段落とす。
「確かに駆け引きがあまり成立しなかったのも事実だね」
「そうだろう。とにかく初見殺しが強すぎた。それらへの対応力は無論必須だが実戦ならそもそも軽傷で済む攻撃で脱落させられてはな」
「儂も同意見じゃ。平均戦闘時間はもっと伸ばした方が良いじゃろう。その分だけ攻防の経験が積めるからの」
「それならランク四の能力値に制限を設けるのもいいかもね。いや、でもそれだと普段と感覚の齟齬が出るか。うーん、次の対人イベントまでの課題は多いなぁ」
とはいえそれはまだまだ先の話。
目下の敵は来月、ゴールデンウィークに到来するランク五ダンジョン。
プレイヤー達の多くはバトルロイヤルでの敗北を経て、強くなろうという想いを新たにしている。
「まあさすがに後一か月でランク五にはなれないけどね。加賀美さん、助太刀は頼んだよ」
「あぁ、イベント期間中は予定を開けておこう」
ここからおおよそ一か月。
果たしてプレイヤー達は、ランク四の群れを突破してボスの元まで辿り着けるかな。




