5 加賀美未来
昨日も今日もこれからも、同じような日々が続いていく。
合わせ鏡の毎日は先へ行くほどボヤけるけれど、今ここに居る私から大きく外れることはない。
大学に入って、サークルを掛け持ちして、海外に行って、バイトをして、新鮮な体験の連続で……だけどどこか物足りない。
結局はこれまでの延長線上でしかない日々には世界を覆すような衝撃はなくて……でも人生そんなもんかという若い達観があった。
これから先も常識の範疇の幸福と不幸があるのだろうとぼやけた未来図を描きながら、心のどこかで何もかもをひっくり返すような刺激を求めていて──だからその申し出には、考えるまでもなく頷いていた。
◆ ◆ ◆
「あなたには資質があります、一緒に世界を救ってくれませんか?──」
「やろう!」
「──なんて突然言われてもおどろ……え?」
即答された。
一応状況を説明すると、買って来た食べ物を冷蔵庫に詰めている女子大生──加賀美未来さんの元をアポ無しで訪れ、何の前振りもなく協力を要請したところだ。
冷蔵庫を閉め振り返った彼女の瞳は輝いていた。
事前調査で積極性や好奇心の値が高いのは知っていたけど、この即断には面食らうね。
いきなり現れた不審者に驚く、叫ぶ、暴れる、通報する、呆然とするみたいなパターンばかり考えていたから、想定問答は全て白紙に戻った。
──一つ弁明させてもらえるなら、普段の僕は見知らぬ婦女子の家に無断で上がるような無礼漢じゃあない。
今回は事情が事情なだけに、まともに取り合ってもらえるとも思えず強引な手段を選んだだけで……つまり、不慣れなシチュエーション故にここからの会話の持って行き方が分からない。
フリーズする僕に彼女の方が口を開いた。
「もしかしてだが、一回生のときスペイン語を取ってた三葛君かい?」
三葛……三葛一始。それが僕の名前だった。
たしかに去年、同じ講義を取っていたのは〔録〕で確認済みだ。だがしかし……分からないな。
「同じ班になったこともないのにどうして僕の名前を?」
「当然じゃないか。三十人も居ない講義だったし自己紹介もあっただろう」
「それだけのことで……?」
「私は天才だからね。記憶力には自信があるんだ」
は、はあ……、と押され気味に頷く。
自己肯定感の値の高さを実感すると同時、どうして不法侵入者の僕が押されているのかと疑問に思う。
「でも意外だったな、三葛君が私のストーカーだったとは。あれほど真面目だった君すら堕落させるとは、私の美しさは罪深いな」
「ちょっと待って欲しいです、こんな状況でなんですけど一旦話を聞いてくれませんか」
「そうだな、君は早急に弁解すべきだ。恐怖に駆られた乙女が警察に一報を入れる前に」
感情値を見るに、この部屋に恐怖している乙女は居ないんだけど……まあいいや。
ジムで鍛えられた右ストレートが飛んで来る前に本題に入ろう。
「単刀直入に聞きますが、異能力が実在するって言ったらどうします?」
「自宅に不審者が居ると通報するだろうな」
「ですよね。〔原始式〕──テレポーテーション」
百聞は一見に如かず。存在座標を書き換えて彼女ごと破片の中へと転移する。
この破片はまだ地球に着弾していないけど、ある程度近くまで迫っていれば端末の能力でも侵入可能だ。
学生マンションの室内から一瞬にして砂浜の景色に切り替わった。ついでに靴も履いた状態になっている。
正面には海原。かなり沖合まで続いているけど、途中で灰色のベールに横切られていてその向こう側は見えない。
「夢……じゃあ、ないな……?」
両目を見開いた加賀美さんは。砂浜に手で触れその感触を確かめるように握り込む。
そして波音と磯の香りの中、口端を吊り上げ叫んだ。
「凄い……凄いぞ! これっ、これはっ、本当にどうなっているんだ!? アハハハハハッ」
一頻りはしゃぎ、彼女が落ち着いたのを見計らって声を掛ける。
「これで信じてくれました?」
「ああ、もちろんだ!」
「じゃあ早速ですけど構えてください。敵、来てますよ」
「……敵?」
水飛沫が上がり、海からモンスターが飛び出してくる。
「ギョウォウォウォオオ!」
その姿を一言で表すなら、手足の生えた魚というのが最も近いだろう。
背丈は中学生ほど。手にはサンゴで作ったような杖を持ち、顔の側面に着いた丸く平たい目で僕らを睨んでいる。
や、瞼がないから見た目じゃ睨んでるかどうかは分からないけども。
「なっ!? 何だアレは!?」
「魚人、なんて名前はどうでしょう」
「そういうことではなく──」
「攻撃が来ます。僕は手出ししないので自力で対処してください」
「なんだと!?」
彼女が叫ぶと同時、魚人の杖が振るわれた。
十メートル以上も離れているから当然杖は届かないけど、宙に出現した水の球は別だ。
野球ボールサイズの水の球は、高校球児と同じくらいの球速でもって飛んで来る。
狙いは加賀美さん。僕は〔原始式〕で存在感の値を弄っているので魚人には認識すらされていない。
「ぐっ」
加賀美さんは反射的に両腕を交差させ頭部を守る。
それを見ても僕は手助けをしようとはしない──彼女の目醒めた階梯能力を知っていれば、手助けなんて無駄なことをしようとは思えない。
「ギョエェッ」
「なんだ……?」
ぎゅっと閉じていた目を恐る恐る開けた彼女の眼に、仰向けに倒れた魚人の姿が映る。
加賀美さんの身に水弾を受けた形跡はなく、代わりに魚人の周りの砂は水で湿っていた。
それも当然。彼女の前に現れた光の膜に触れた途端、水弾は進路を百八十度変えたのだから。
「使えましたね。それがあなたの階梯能力、【反】です」
「【反】……」
「光の膜に触れたものを反射できる異能ですよ」
この破片に入った時点で、〔魂〕の免疫作用により彼女の階梯能力は目覚めていた。
後はきっかけさえあれば、異能は本能的に行使できる。
「さあファイトです。この調子で魚人を倒してしまいましょう」
「ああ……いやちょっと待て。あれは倒してもいいものなのか? 話し合いだとか……」
「破片の中のモンスターとは話は出来ませんよ。『厄災』に侵蝕されて大抵理性を失ってますから。それに殺らなきゃ殺られます」
実際は保険を掛けているので加賀美さんが棒立ちのままでも傷一つ付かないけど、やる気を起こすためにもそう言っておいた。
「ギュオウ!」
「ヌぅ……ならば仕方ないか。死んでも恨むなよ魚人!」
正体不明の反撃を受けて危機感を抱いた魚人は、未だ張られ続けている謎の膜ごと敵を倒すべく、効率度外視の最大攻撃を選択した。
大量の水が現れ集い渦となる。渦は回転するごとに先端の鋭さを増し、縦長なその形状はさながら槍のよう。
やがて渦の槍が勢いよく放たれた。
ドリルの如く回転し高い貫通力を持つ渦槍は……しかし、【反】の前には無力だった。
光の薄膜に触れるや向きが逆転し、そのまま魚人へリターン。
その貫通力を遺憾なく発揮し、発動者に風穴を開けたのだった。