4 リサーチ
「〔原始式〕──トランスパレンシー」
体が自由落下を開始し、風の音が加速度的に大きくなる中、最初に行なったのは透過度の操作だった。
僕の姿が薄れ空気みたいに透明になる。
これこそが僕の〔司統概念〕が一つ、〔原始式〕。
万物万象を数値と式で規定する概念であり、それを司る僕はその数式を自在に改竄できる。
電灯に照らされそこそこ明るい都会の夜でも、これなら見つかることはないだろう。
まあこのままだと透明な落下死体っていう迷惑な代物になっちゃう訳だけど。
「〔電脳〕──コンバート」
地面より数メートル上方。電線との交錯を契機に最後の〔司統概念〕を行使する。
瞬間、衝突寸前だった僕の肉体が掻き消えた。
「(ぶっつけだったけど上手く行ったね)」
電線の内部で安堵する。
あらゆる電子機器を司る〔電脳〕で入り込んだのだ。
電線は電子機器ではないけど〔司統概念〕の領分というのは非常に柔軟で融通が利く。
〔神〕の権能なんだからこれしきのことは朝飯前だ。夜だけど。
「到着、っと」
電線を伝って一瞬で移動し、下宿先の部屋へと帰って来た。
人感センサーもないのに電灯が自然と点き、パソコンが立ち上がる。
電子機器を意のままに動かせるのも〔電脳〕の力だ。
「うーん、ここを……こうして……こんなところでいいかな……。〔録〕プラス〔電脳〕プラス〔原始式〕──パラメータ・スクレイピング」
莫大な量の〔神力〕が抜け落ちる感覚。触れたパソコンを経由して権能がネットワーク上を駆け巡った。
それにより得られたデータがディスプレイを埋め尽くしていく。
「……遅々、だねぇ。他の作業を先に終わらせた方がいっか」
やっぱり第五階梯の出力で八十億人も対象に取るのは無茶だったかな、と反省しつつスマホを取り出し、諸々の手続きを行っていく。
諸々っていうのはバイト先への連絡とか、この部屋の契約解除の準備とか、そういう人間としての後始末だ。
もう夜なので担当者が見るのは明日以降になるだろうけど、やれることはやっておかないと。時間は無駄に出来ない。
そんな手続き自体が時間の無駄じゃないか、って言われたら返す言葉もないけれど、せめて一言入れておきたかった。
本当に迷惑を掛けたくないならもっとじっくりと丁寧に進めるべきなので、結局は自己満足に過ぎない。
我ながら中途半端だ。
「こんなもんかな。家族が居ないってのは失踪するとき楽でいいね、ははっ、はぁ」
空々しい笑いを止めて、思考を切り替える。
『調査』が終わるまでもう少しかかりそうだし、今の内に状況を整理しておこう。
まず、端末の僕の目的は人類を無事に存続させることだ。世界を救うのは本体に任せる。
障害となるのは二つ。一つは異界の破片から現れるだろうモンスター達。
他方は破片の影響で異能に目覚める人類自身だ。
「人間の敵は人間って奴だねぇ」
破片には地球でない〔星界〕の法則が内包されている。
そして〔魂〕は異界の法則に触れてしまうと防衛機能により、階梯能力が強制発現してしまう。
僕が破片の中に入って数値を知覚する力に目覚めたように。
いや、僕みたいに破片に入って目覚めるケースはマシな方だ。まだ管理のしようがある。
問題なのはある程度大きな破片の落下によって周囲一帯の法則が侵蝕され、そこら中の生物が異能を得た時。
どれほど社会が混乱するか、想像したくもない。
「必要なのは人間の強化だよね。国家にしろ、私兵にしろ」
秩序維持を担う官憲には低位モンスターくらい瞬殺してもらわなくちゃし、国家権力でも対抗が難しい存在を秘密裏に排除する僕の私兵も欲しい。
今の世界じゃ個人が国家に並ぶことなんて不可能だけど、階梯能力が解放されればその限りじゃない。
異能は階梯が上がるごとに、指数関数的に強大化する。
第三階梯にもなれば一般人が束になっても敵わないし、第四階梯なら軍隊とも渡り合える。
端末の僕と同じ第五階梯にもなれば国の存亡すら左右できてしまう。
これはモンスターにも同じことが言える。
高位のモンスターは強度も速度も怪物級……小火器での対応には限度がある。
大量破壊兵器を使えばモンスターは倒せるだろうけど、市街地が更地になってしまう。
だから『技術の発展』じゃなく『人間の強化』が必要なんだ。
モンスターに対抗可能な部隊を各国が抱える必要がある。
「そうなると他の問題が噴出するだろうけど、初めの内は僕がバランスを取ればいっか……と、『調査』は終わったかな」
パソコンへのデータの送信が止まった。
丁度いい。収集していたこれらのデータは、今まさに話していたバランス取りに必須のもの──バランサーとなり得る人材を探すための情報だった。
早速〔電脳〕でデータを処理していく。
コンピュータ内の情報の取得や把握もこの〔司統概念〕の機能の一つだ。
「年齢は……まあ置いとこうか。才能と精神性で足切りして、それから──」
このパソコンにあるのは、地球人類およそ八十億人の年齢や精神傾向、階梯能力の資質などを数値化したものだ。
調査の媒介にスマホや携帯を使ったから、そういうのが一切ない環境の人間は調査対象から漏れているけど、大方の人間の情報は集まったと見ていい。
このデータでバランサー達を選定する。
国家の手に負えないモンスターや犯罪者……ともすれば、国家の暴走をも止めてもらう存在だ。
何よりも階梯能力の資質値が人並外れており、戦闘への潜在適性値も充分にあり、倫理値が低すぎず、愛国値が高すぎず、自制値もかなり要求される。
そうして篩に掛けた候補者を国ごとに分けたところで一段落。
簡易的な数値解析だけだと見落としがあるかもだし、実際の採用者は追々決めるとして、
「まずは協力者を探さないと」
協力者。僕がそう呼ぶのは、これから作る予定の組織の、表向きのトップになってもらう人物だ。
他の候補者との違いは、打ち明ける情報の量。
協力者には僕の正体や能力も含め、全てを明かそうと考えている。
自分だけだと見落とすことに気付いてもらえる可能性があるのは当然として、より密接な協力関係を結ぶためだ。
僕だけじゃ力にも限界があるからね。
だから階梯能力の資質は出来るだけ高くあって欲しい。
て言うかぶっちゃけ、端末の僕だけだと対処できないレベルの破片が二か月後に落ちて来るので、それまでにその破片に挑める強さになれる逸材な必要がある。
その上で、力に振り回されない自制心を持つ人物。
「まずは資質値ナンバーワンなこの人を調べよう。えーと……」
対象者のより詳細な精神データを収集していく。
おぉ、どうやらかなり優良そうだぞ。
〔原始式〕だけじゃなく〔録〕も用いて幼少期からの様子を辿って見てみてるけど、素行にも問題はなさそうだ。
「……んん? これはまさか……」
しかし、調査を進める中で違和感を覚えた。
それから昨年四月の記憶を見たことで、違和感は確信へと変わった。
「……こんなことってある?」
見つけたその才人は、この学生マンションの上の階に住んでいた。