38 各所の戦況と終幕
第二フロア。林立する樹木とその上に建てられたツリーハウスの立ち並ぶ、自然と融和した街。
その只中にて小柄な二者が相対していた。
『キャハキャハキャハキャハッ。あなた、ニンゲンさんだよね~? 一人だけぇ~? お仲間は居ないのかなかなかなかな?』
カピバラを凶悪にしたような使い魔の背に腰掛けケラケラと笑うのは群笛のヘニタ。八魔将の中でも一際特異な悪魔だ。
唇を歪め眼前のプレイヤーを嘲っている。
そのプレイヤーだが、他のイベント参加者とは少し異なる風体をしていた。
共通のコンバットスーツを纏っているのは他プレイヤーと同様。されどその上には体型の分かり辛い、丈に余裕のあるフード付きのコートを羽織っている。
顔の下半分は不吉な意匠の施された面頬で覆われ、前髪から覗く左目は闇夜の月のような金色。
得物である大鎌を右肩に乗せたまま、そのプレイヤーは悪魔に言葉に応える。
「我は死神。死を齎す我が行路に供は不要である」
『ボッチなんだぁ~かわかわかわかわいそぉ~♪』
耳障りな嘲弄も意に介さず死神を名乗ったプレイヤーは訊ねた。
性別の判然としないくぐもった声だ。
「貴様には言葉を解す知性があるようだ。ならば慈悲を与えよう。この世に仇為さぬと誓約を立てるのであれば冥府の鎌が貴様を刈り取ることはない」
『キャハハハハッ、ニンゲンの癖に『見逃してやる』なんて生意気すぎぃ~。それともぉ、本当は弱いからそれを隠すために必死に強いフリしてるのぉ? 超ウケる~♪』
小馬鹿にするように一頻り笑ってから、群笛のヘニタは唐突に頷く。
『うんうんうんうん。ほんとーに一人だけみたいだねぇ。フフフフフフフフ、アタシが無意味に命乞いに付き合ってると思ったぁ~? ほんとは魔術で伏兵を探してたんでした~気付かなかったでしょ~♪』
「侮るな、貴様が遠隔で使い魔を生み出していたこともその者達で包囲していることも、我が邪眼は見通している」
『……へぇ』
群笛のヘニタから笑みが消える。
包囲を見抜かれたのに加え、それを知ってなお余裕を崩さない相手に違和感を覚えた。
感じる【魔力】は見失いそうなほど希薄だが、隠蔽術に長けているのかもしれない。
最悪ランク三の魔術師ということも有り得る、とそこまで考えたところでヘニタはそれ以上思考を巡らせるのが面倒になった。
どうせ圧し潰せば同じことだと使い魔達に指示を出す。
『皆皆皆皆やっちゃえ! 一斉突撃!』
木々の裏から草むらの陰から林の至るところから、小型犬サイズの大鼠が湧き出した。
ヘニタも新たに七体の大鼠を召喚し正面から嗾ける。
この使い魔、マカイオニネズミは敏捷性と咬合力に特化したランク一モンスターだ。
ヘニタの強化魔術を受けた鋭利な牙は八魔将にも手傷を負わせられる。
一対一では容易く対処されるが数の暴力によって迎撃を掻い潜り、懐に入った大鼠が敵を齧りじわじわと殺す。
それがヘニタの戦闘スタイルであった。
全方位から押し寄せる使い魔を捌き切るなど到底不可能。
包囲の薄い右側からの逃亡を狙うだろうと予測し、ヘニタは逃げた先に新たな使い魔を召喚する魔術の詠唱を始めたが……死神はそこから一歩も動かなかった。
まるで大鼠の群れなど見えていないかのように佇んでいる。
「最後通牒だ。ここで止まらなければ引き返すことは出来んぞ」
『時間稼ぎには付き合わないから!』
「残念だ」
そう呟いた直後、最も前を駆けていた大鼠が卒倒した。
それを皮切りに次々と他の大鼠達も倒れて行く。前後左右全ての方向から接近していた全ての大鼠が例外なく。
『………………え?』
過呼吸気味に体を痙攣させた大鼠はすぐに動かなくなった。
倒れた大鼠の円陣の中央で死神は微動だにせず立っている。
『う、そ……ウソウソウソウソっ、こんなの有り得ないもんっ!?』
使い魔の不可解なダウン。これはにいくらでも説明が付く。無色透明な毒でもいいし魔術でもいい。
だがおかしいのは即効性。免疫値が低いと言えどこんな一瞬で戦闘不能にさせるような強力な毒や魔術であれば、相応に強力な【魔力】反応があるはずだ。
どれだけ隠蔽しても悪魔なら気付けるくらいの。
だと言うのに、何も感じなかった。
異世界の常識では考えられない異常事態が起きていた。
「此れこそが我が【コキュートスの邪眼】。何者も死の摂理には抗えない」
『……っ』
死神が前髪を掻き上げると隠れていた右目が露わになる。
その瞳は、死灰の如き色をしていた。
──逃げないと!
プライドも何もかも投げ捨ててヘニタはカピバラ使い魔を走らせようとしたが、判断が僅かに遅かった。
背中に乗せた主人ごと使い魔の体は傾き地面に倒れた。
『ぎゃあっ』
悲鳴を上げながらも素早く立ち上がろうとし──くらり。五感が一瞬遠のいた。
そして、
「<魔刃>」
『へ……?』
気付けば間合いを詰めていた死神が、その大鎌でヘニタの首を刎ねていたのだった。
◇ ◇ ◇
『づ、あ……ぁ?』
第一フロアの片隅にて。八魔将が一、跳梁のラウサは訳も分からず地に伏せていた。
前方には少女が一人。右手と左手にそれぞれ違う武器を握り近づいて来ている。
初めはすぐに蹴り殺すつもりであった。
けれど死角から飛び掛かったラウサの攻撃を少女は回避し、建物の壁に着地したラウサが再度跳躍しようとしたその時、微かな【魔力】の気配と共に謎の衝撃が全身を貫いた。
経験したことのない種別の衝撃と症状にラウサはただただ混乱しているが、これは酷く単純な原理による損傷である。
即ち──大音響による内耳の損傷だ。
「やっぱり狙いがお粗末ね。練習不足だわ」
『……?』
左手に握った武器をくるりと回転させながら少女が呟くが、鼓膜の破れた悪魔にはその思念を拾うことは出来なかった。
ただその武器の異様さだけが目に付いた。
少女の手のひらより一回り大きいだけのその武器は金属製のようだったが、刃はなく、穂先もなく、長さもなく、【魔力】も感じなかった。
異世界の武器には【魔力】を帯びた素材や付与魔術が使われており、悪魔は見るだけで等級を大まかに判別できる。はずだっら。
刃物としても鈍器としてもマジックアイテムとしても用をなさないそれが本当に武器であるのかすら、ラウサには分からない。
けれど現代人が見れば一目でそれの正体に思い至っただろう。
これは拳銃である、と。
「だけれど問題もないのよね。どうせ発砲音を増幅して相手の耳元に転移させるだけなんだから」
むしろ流れ弾が危ないしステージガンを使った方がいいかしら、などと思案する少女。
その右手には、こちらは一目でマジックアイテムであると分かるナイフが握られていた。
その姿を見とめたラウサは思考を切り替える。
三半規管のダメージで立ち上がることは出来ないが、魔術なら問題はない。
一刻も早く攻撃を放つべく【魔力】操作に意識を向ける。
「──!」
その瞬間を少女は見逃さなかった。
幼少期よりスリになるべく叩き込まれた卓抜の眼力は、相手の意識の揺らぎを正確に捉える。
驚くべき瞬発力にて一気に間合いを詰め、逆手に構えたナイフで大動脈を突き刺した。
魔術に意識が向いていたラウサは悪足掻きすら許されずその命を落とすのであった。
一つ溜息を吐いた少女は、黒い血で汚れた自身の手を見つめる。
「……私は結局こっち側の人間みたい。悪いわね智聡、貴方は止めるんでしょうけれど、人を簡単に殺そうとする奴は生かしておくべきではないわ」
遠峰歌撫はドロップアイテムを回収すると周囲の探索を始めるのだった。
◇ ◇ ◇
「ここが第三フロア……急がないと……」
短剣を片手に、少女がゲートを潜り抜けた。
あまり寝ていないのか目の下には薄っすらと隈があり、髪もパサついている。
血走った眼で素早く周辺確認。フロアの中心部と思しき方角へ駆け出した。
しばらく走り続け高校のグラウンド程はある広場の中央に差し掛かった時、咄嗟に飛び退く。
『ファーーーィヤァッハッハ! 俺っちの攻撃を躱すなんてやるな! 燃える! 燃える! 燃えるぜぇ!』
別の通りから姿を見せたのは目も覚めるような鮮紅の悪魔。
少女が直前まで居た地点は黒く焦げており悪魔──燃焦のドーブランの脅威を物語っていた。
「……あなた、喋れるの?」
『なに当たり前のこと聞いてんだ!? 話せるに決まってるだろ!』
「……そう、それは好都合。私は先を急いでる、邪魔をしないで」
『アァ!? 悲しいこと言うなよ! 俺っちはニンゲンが大好きなんだぜ!』
「好きなら話を──」
『人肉はどんな家畜よりも美味いからな! 特に肉質の柔らかな若い雌は絶品だ! あの聖女は食い損ねたけど新しい肉が来るなんてツイてるぜ!』
ドーブランの【魔力】が脈打つ。詠唱のサインだ。
少女はそれに温度のない目線を向けている。
「襲って来るなら、仕方ない」
『ウェルダンだ! <フレイムスフィア>!』
「排除する。【ダスクキル】」
ドーブランが炎の球を放つ。オレンジに輝くその魔術はまるで眩ゆい夕焼けのよう。
対する少女も先天スキルを行使。翳した手の先に生み出されたのは仄暗い闇。夜闇と呼ぶには希薄なそれは、言うなれば夕闇か。
バランスボール程の大きさの夕闇が炎球へと発射された。
そして衝突。結果は瞭然。
暗がりの中に呑まれた途端、嵐に吹かれた灯火の如く炎球は忽然と消えてしまう。
『なんだとォ!?』
悪魔は横に飛び、炎球を飲み干しなおも直進していた夕闇を躱す。
自身の魔術が容易く打ち負けたことに驚きつつも、好戦的な悪魔は攻撃を続ける。
『こいつは食べ応えがありそうだ! <フレイムアロー>! <フレイムアロー>! <フレイムアロー>!』
少女の周囲を円を描くように走りながら炎矢を連射。
炎矢はどれも迎撃の夕闇に呑まれたが、夕闇がドーブランに当たることもなかった。
(ファッファッファ! 撃ち合いじゃ勝ち目はないか! けど掴めて来たぜェこいつの魔術!)
その攻防を通してドーブランは夕闇の強さを認める。
威力を高めようが軌道を複雑にしようが瞬時に撃ち出される夕闇は悉く炎を消し去って来た。
また【魔力】操作の技量も高いらしく、夕闇はドーブランの居た位置を過ぎると広場外縁の建物を破壊する前に消える。
射程を必要最小限に留め【魔力】消費を抑えているのだろう。
夕闇自体、威力に反して【魔力】消費量の格段に軽い魔術のようであるし、これでは相手が【魔力】切れになるより先に、動き続けているドーブランが息切れする。
『つまり! 勝機は接近戦にある! <フレイムウェーブ>!』
炎が波となって少女に迫る。
少女は大きめの夕闇で炎波の真ん中に穴を空けるが波の向こうに悪魔の姿は見当たらない。
波が過ぎ、そこでようやくドーブランの居場所を捉える。
『<バーンレッグ>に……<フレイムスピア>だ!』
左側から回り込んでいたドーブランの脚に炎が灯っている。脚を強化する魔術だ。
手にした槍も炎で出来ており、魔術に作られたことが明らかである。
『喰らえっ』
「【ダスクキル】」
『へっ、フェイントだぜ!』
鋭く踏み込んだドーブランへと手を突き出し、夕闇を放とうとする少女。
だがドーブランは素早いステップで横へ移動し、間髪入れず突きを放つ。
鉄鎧すら瞬く間に赤熱させてしまう穂先が、少女の体中から溢れた夕闇に呑み込まれた。
『ハァ!?』
「<拡斬>」
『ぐああぁぁっ』
夕闇が晴れ、すかさず振るわれた反撃の短剣。
【魔力】の刃で拡張された斬撃を、ドーブランは片腕を犠牲に回避する。
『くっ、ぅぅ、そ、そうかッ。お、お前の魔術は、非生物にしか……いやっ、魔術にしか効果がないんだな!』
ドーブランが叫んだ。
炎槍が夕闇に掻き消された時、ドーブラン自身もまた闇に呑まれていた。だが消えたのは炎の槍と脚の強化魔術だけ。
思えば広場外縁の建物を傷付けないようにしていたのも、その特性を隠すためだったのだろう。
魔術を消す魔術など伝説上の系統だが……そうと分かれば次に取るべき行動は自ずと見えて来る。
『ファーーーィヤァッハッハっ、炎を消されちまうんじゃあ話にならねー! ここは一旦退いてやる! けどよ、俺っち達の大将ならそんなチンケな魔術にゃやられねぇぜ!』
ドーブランが選んだのは、背を向けての一目散の逃亡。
少女は近接武器しか持っておらず、脚に強化魔術を掛ければ追いつかれることもない。
投擲だけ警戒し、どこかで復活しているはずの『死繰卿』ディードと合流するのが正着だ。
『この傷の恨みはその時返す! 食うのはそん時までおあずけだ!』
「傷じゃない、致命傷。【ダスクキル】」
切断された片腕へ止血魔術のため逆の手を添えた時、背後から夕闇が彼を包んだ。
夕闇が暗さを増す──否、それはドーブランの視界がブラックアウトしただけだ。
『あ、ぁぁ……?』
走っていたはずがいつの間にか地面に横たわっている。
立ち上がろうにも力が入らず、思考すら輪郭を失って行く。
やがて意識は暗転し、二度と目覚めることはなかった。
「仲間を呼ばれる訳には、いかない。これ以上時間は浪費できない」
亡骸から目を逸らすように少女は踵を返す。
「待ってて母さん、私が必ず──」
ぶつぶつと讒言のように呟きながら、憔悴した少女はダンジョンボスを求め駆け出した。
◇ ◇ ◇
「配信終わったぞ主よ……て、何故床に倒れとるんじゃ?」
「賭けに負けたのさ。ケーキワンホールはさすがに多いしアースも食べるかい?」
「馳走になろうかの」
「ま、まさか……八体も居たのにストレート負けするとは……精神的デバフもあったのに……」
「そこはプレイヤーの成長を喜ぶべきじゃないかい? 三葛君の想定を超えて強くなり、覚悟も固めているということなのだから」
「ぐ……」
確かに強くなってるのは嬉しいけども、僕としてはすっかりケーキを食べる気になってたから口寂しい……。
「そんなに食べたいならやるぞ? そもそも君が用意した物だ」
「いや、それじゃ賭けをした意味が無いよ。僕はゲームには真摯でありたいんだ。少なくともこの先一週間は甘い物は食べないつもりだよ」
「そこまでしなくてもいいんじゃないか??」
「まあそもそもワシらに食事は要らぬしの」
ケーキを平らげたアースが言った。
ちょうどその時明谷君と眼竜君がダンジョンボスを討伐し、第二回合同攻略イベントは終結したのだった。




