33 むかしばなし
異世界の滅亡より遡ること百七十年前。
人間界ルワイズ大陸南部にて、とある一団が猛威を振るっていた。
「ぐぅ、クソッたれ、め……」
『これで最後か、なんと他愛ない』
王都を守る騎士の最後の一人を仕留め、落葉のレフォーンは頭を振る。
血臭の立ち込めるそこは王城の正門前。
外壁を越え、住宅区を越え、このようなところまで侵攻されている時点でその王国の滅びは決まったも同然だ。
『ふぉふぉふぉ、やはり国落とし以上の娯楽はないのう』
『おお、お戻りになられましたか、我らが王よ』
そして、王国の滅びを決定づける存在が城内より姿を現した。
骨ばった肌に曲がった腰の、老齢の悪魔。
耳まで届きそうな大きな口を卑しく歪める老悪魔の背後に、ある集団が付き従う。
『その者どもがこの国の?』
『うむ、王と臣下達じゃ。まったく、他の愚民のように逃げれば良かったものを。騎士と共に国に残ろうなど愚昧極まりないわい、ヒヒヒヒ』
老悪魔の後ろを歩くのは、目を背けたくなるような凄惨な死体達。
壮絶な苦痛と共に生を終えたであろう彼らは、死体を操る魔術により死後もその尊厳を踏み躙られていた。
故にその老悪魔、ディードは『屍繰卿』と呼ばれている。
『キャハキャハキャハキャハ、残ってたニンゲンは殲滅し終わったよ~ディード様様様様』
『やれやれ、人間も侮り難いですねェ。この私、今回ばかりは死を覚悟致しましたよ。クククク。本当に、いやはや本当に侮り難い』
『ガッハッハッ、無傷の癖によく言うぜ!』
少しして、王都の各所で戦闘を行っていた悪魔とその使い魔達が、ディードの元へと集まって来た。
夥しい数の使い魔を召喚する特異な魔術の使い手、群笛のヘニタ。
宙に浮かんだ剣を自在に操る剣影のアキム。
優れたフィジカルと六本の腕で敵を薙ぎ払う六臂のヴァエンティン。
いずれも二つ名を持つランク三の上級悪魔だ。
まだ王都内に散らばっている者も合わせて、計八体のランク三悪魔がディードの傘下に属している。
そしてその悪魔達を束ねるディードは、当然彼らよりも格上である。
そもそも悪魔が他の悪魔と協力することはないのだ。爵位持ちの悪魔が統率する場合を除いては。
ランク四になった悪魔は爵位を得る。そして爵位は魔術の力量に合わせて向上して行く。
『屍繰卿』ディードは子爵──下から二番目──とは言え、その実力はランク三とは隔絶している。
なればこそ自己中心主義の悪魔達を曲がりなりにも従わせることが出来るのだ。
複数の都市国家を破滅に追いやった悪魔集団。
『屍繰卿』と配下の八魔将の名は、周辺国家にも広く知れ渡っていた──。
「…………手遅れでしたか」
──そのため、彼女が派遣されたのも当然と言えた。
『ほう、これはこれは。一廉の魔術師と見えるのう』
「魔術? 貴方がた悪魔の使う汚らわしい術と聖神様から賜りし奇蹟を同一視するなど、やはり悪魔は道理に暗き者ばかりですね」
屋根から屋根へと飛び移り、悪魔達の前に降り立ったのは金髪碧眼の修道女だった。
全身に溢れんばかりの【魔力】を漲らせる彼女の武器は聖銀の十字槍。傍らには優しくも暖かな装丁の魔導書が浮かんでいる。
『聖女』と謳われる聖神教の最高戦力の一人であった。
『ふぉふぉ、そのような宗教が近頃は流行っておるのかのう。吾輩達と汝らの力に差異などなかろうに愚かなことじゃ』
「世迷言はあの世で宣いなさい!」
色鮮やかな屋根が爆ぜ、聖女が飛び出す。
速度を乗せて放った十字槍の刺突が、戦いの火蓋を落としたのだった。
「がはっ」
幾許かの時が流れ、戦闘の趨勢は決していた。
『ほれほれ、早く治さねば今度は首を刎ねてしまうぞ?』
「くぅ……っ」
軋む体に鞭打って聖女はその場から飛び退いた。直後、その場に振り下ろされた大剣が地面に亀裂を刻む。
間一髪、回避に成功するが安堵する余裕などない。
『家畜の分際でやるではないか。これならどうだ? <リーフピアース>』
『クククク、私の剣で楽に逝かせて差し上げますよ』
「ア”アァっ」
数本の針が聖女の肩を貫き、宙を泳ぐ数本の長剣が急所にはなり得ない場所ばかりを執拗に斬り付ける。
聖女は地べた転がるようにして悪魔二体から距離を取り、立ち上がる。
その時にはもう、戦闘に支障をきたす肩の傷は完治していた。
「ぜぇ、はぁっ、はぁ……っ」
『ふん、貴様の治癒魔術もそろそろ後が無くなって来たのではないか?』
「…………」
悪魔の言葉の通り、治癒が聖女の魔術(自称・奇蹟)の系統だった。
その力により疲労を癒し、一昼夜走り続けてこの戦場へ馳せ参じた。
現れた当初より全身に漲っていた【魔力】はそのためだ。
しかし、そのような無茶をしてはいくら彼女がランク四であっても【魔力】の底も見えて来る。
悪魔達の目算ではもう四半刻もしない内に聖女の【魔力】は枯渇する。
そもそも、それを抜きにしても彼女に勝ち目はないのだが。
『いっけぇー! ネネネネズミさん達ぃ!』
『俺様のことも忘れるなよッ、オラァッ!』
「づぅっ」
逃げた先に押し寄せる群笛のヘニタの使い魔。そいつらを薙ぎ払う際に生じた隙を突くようにして六臂のヴァエンティンが拳を振るう。
強かに顔面と脇腹を殴られ、辛うじて突き出した反撃の十字槍も残りの腕で往なされた。
『然しもの聖女様と言えど多勢に無勢じゃのう、ふぇっふぇっふぇ』
物量による圧迫。それこそが聖女を追い詰める主要因。
八魔将が個別に連れていた使い魔は全滅させたものの、ディードの屍兵やヘニタの使い魔はほとんど無尽蔵に湧いて来る。
そんな有象無象への対処に追われ、格下であるはずの八魔将達から有効打を与えられてしまう。
街中に散っていた他の八魔将も全員が集結しており、状況は絶望的だ。
それでもなお、戦闘が続いているのは聖女の底力のため……ではなく、悪魔達が弄んでいるから。
首や心臓を攻撃し即死させる機会は幾度もあったが敢えて見逃して来た。
生意気にも自分達に歯向かった女を甚振り、無駄な足掻きと苦痛に歪む表情を見て悦に浸っている。
彼らにとっては聖女の治癒魔術も、彼女の苦しみを引き延ばす道具に等しい。
戦場は最早、汚れていない場所がない程に聖女の血に塗れ、それだけの出血があってもまだ戦闘は続く。
返り血で真っ赤に染まった悪魔達は、これ以上なく悪魔らしかった。
「ここまで、ですね」
『なんじゃ、もう諦めたのか? ほれほれ、もっと頑張らぬか。お主が死ねば吾輩はその死体を操って人間どもを──』
「──まだ、気付いていないのですか?」
『……なんじゃと?』
どれだけ痛めつけられようと揺るがなかった、芯の通った声で聖女が訊ねる。
ディード達は眉を顰めるばかりで、何を言われているのかさっぱり理解が及ばない。
人間を玩具としか見ていない悪魔達には、聖女の瞳に宿った狂気を見抜けない。
「人を陥れることばかり考えているから、自分が騙される側になることを想定できないのですね。私が私に魔術を掛け続けているのを、保身のためとしか思わなかったのですか?」
『ま、まさかっ。貴様を覆う【魔力】は回復だけでなく──』
「ウフフフフハハッ! これで貴方がたもお終いです! ハレルヤッ!」
『待っ』
聖女は十字槍を逆さに構え、微塵の躊躇もなく自身の心臓を突き貫く。
怒涛の勢いで血液が宙へと噴出した。
明らかに人ひとりに収まる血液量ではない。魔術の効果なのは明らかだった。
『なになになになに!? カラダ動かないよっ!?』
『ニンゲン如きがこの私を騙すとは……っ』
『しゃらくせえっ! こんなもん力尽くで……!』
血の雨を浴びる悪魔達は各々で抵抗を試みるが、全てが無駄であった。
その場に縫い留められた悪魔達は飛ぶことも出来ず、まるで底なし沼に沈むように、辺りに広がった血の池に引きずり込まれていた。
聖神教に属するもう一人のランク四魔術師、血液系統の魔導書を持つ男に聖女はある魔術を託されていた。
その名は<プリズン・オブ・クリムゾン>。
埋伏詠唱で施されたこの魔術は、埋伏対象の心臓の破壊をトリガーとし、広範囲に血液を散布。そして範囲内の敵対者を血溜まりに封印する。
ランク四魔術師の命を代価としたこの封印は極めて強力だ。しかも血を浴びせれば浴びせる程に封印はより強固となる。
だからこそ聖女は何度も何度も攻撃を受け血をばら撒いていた。特にディードには念入りに。
そしてその甲斐もあって、爵位持ち悪魔すら捕らえる強度の封印が完成した。
『……フン、愚かな女じゃ。討伐ではなく封印を選んだ時点でお主らは負けておる。この世に永劫などない。吾輩達が解放される日は必ず訪れる。その時、吾輩らが人間どもを虐殺するのを聖神とやらの許で臍を嚙んで見ておるが良いわっ』
そんな捨て台詞を残し、『屍繰卿』は封印されたのだった。
◇ ◇ ◇
「それから街は聖神教の援助を受けて再興しました。封印も、毎年血を注ぎ足すことで維持していましたが、時と共に人々は聖女への感謝を忘れて行きます。周辺の国で起こった動乱などで人心は徐々に荒廃し、あと半世紀もすれば封印の維持も放棄される、というところで『厄災』によって異世界は滅びましたとさ、ちゃんちゃん」
イベント開始から数十分。
いつも通り神社で観戦中だけど、悪魔の封印が解けるまでは見るものも無いので加賀美さんにバックストーリーを読み聞かせして暇を潰す。
ちなみにアースは仕事中だ。
「……まあ、気になる点はいくつもあるが、まずはこれを訊こうか。聖女は異世界人なのにハレルヤと言ったのか?」
「ああ、それはこっちで意訳しただけだからあんまし気にしないで」
「次の質問だ。その絵本は三葛君が描いたのか?」
説明に使っていた資料(題名:こわいあくまとはちたいのしもべ)を指さす加賀美さん。
「そうだよ。昨日、暇が出来たからちょちょいとね」
「そ、そうか。三葛君は絵心が……私に比べると少し劣るな」
「まあ〔神〕になったからって芸術の素養が身に付くわけじゃないからね」
もちろん〔録〕で巨匠達の知識・技術をインストールしたり、〔原始式〕で美術値を向上させたりも出来るけど、そんなのはアートじゃあないだろう。
僕が僕自身の手で作らないと。
「……実は君、結構遊んでないか?」
「これは心外だね。理解しやすいようせっかくレジュメ作りを頑張ったっていうのに」
「だがプレイヤーキラーに思わせぶりなことを言わせる必要はなかっただろう?」
「…………」
正面のディスプレイには推川パーティが映し出されている。
今はちょうど悪魔にプレイヤーキラーが殺された場面だ。
「……まあね、そういう意見も分かるけど、ほら、推川さんも頑張って探ってるみたいだしさ。少しくらいは情報を開示してあげないと。成果が得られればモチベーションも上がるだろうしね」
「……ならばそういうことにしておこう。既に滅んだ世界があると知れば誰だって真剣みあ増すだろうしな」
「そうそう」
「その軽薄な相槌は腹が立つが……それより謎の転移が起こっているぞ」
「これはプレイヤーキラーの転移用マジックアイテムが悪魔の復活の余波で暴走した……って設定だね。実際は僕が飛ばしただけだよ」
「雑だな」
悪魔達は第一、第二、第三フロアの各プレイヤーの近くへ均等に配置した。
ディード以外は誰がどこに配置されるかはランダムだ。
じきに各所で戦闘が始まるだろう。
それと、推川さん達もバラバラに転移させてある。
固まってると試練にならないからね。まあプレイヤーに対して八魔将が大分少ないので全員が戦えるとは限らないけど。
「そうだ、どうせならプレイヤーと悪魔どっちが脱落者多いか賭けてみない? 商品はこのフルーツケーキ」
「用意がいいな」
「暇だったからね」
冷蔵庫から転移させたのは八等分に切り分けられたホールケーキだった。
「選んだ陣営から脱落者が出るたび一切れケーキが食べれるってルールね」
「では私は悪魔側の方が脱落者が多い、に賭けさせてもらおうか」
「じゃあ棒は人間側だね」
「……まあ賭けな以上そうなるんだろうが、いいのか? プレイヤーがダンジョンクリアできると踏んだからこのイベントを開催したんだろう?」
「いいのいいの、勝負は時の運って言うからね」
今回の賭けのミソは『どっちの脱落者が多いか』って部分。
プレイヤーの方が人数が多いので、ダンジョンクリアはできても脱落者はたくさん出る、みたいなことも起こり得る。
「それで、どこかで戦いは始まったのかい?」
「んー……ちょうど『大将戦』か始まったとこみたいだよ」
中央のディスプレイに映し出されたのは、第一フロアの中継映像だった。




